第4話
喧騒に似た、騒々しさの中で、オキが隣の連れ合いに声をかける。
「何で、あの人を、ガキどもの所に向かわせたんだ?」
答える律は、素っ気ない。
「あなたが気にしていたから、ですよ。どうせ、子供相手の話は、やりにくいと思ってたんでしょう?」
「……まあな」
酒盛りが本格的になる前に、セイの部屋に籠った少年少女たちは、妙に落ち着きなく宿題をしたい旨を告げていた。
何か疚しい事があるのだろうとは思ったが、十代の人間の子供だ、多少はそう言う事もあるだろうと、オキは放って置くことにしたのだ。
「どうやら、あの刑事さん達が持って来た事件に関することを、検証していたようです」
実際の現場を見た訳ではないから、律もオキも、ここに集った面々も、明確なアドバイスは出来なかったが、若者の反応と刑事の受け答えで、大まかの事情は知れた。
「今なら、事件と言うよりも、人騒がせしただけで済ますことができる。だが、この段階で止められるとしたら、加害者と親しい奴らだけだろう」
「その親しい筈の子たちが、全く役に立たないと悟ったセイが、どう出るのかは分かりませんが、水月なら手足となって動けると思ったんです」
だが。
二人は揃って小さく笑った。
先程、新たな刑事が訪れた。
年末の挨拶に来た河原巧は、広間に戻っていたセイに挨拶をした後、若者の部屋から出て来た速瀬伸に捕まって、どこかへ出かけていった。
一時間程で戻った男は、妙な顔つきで伸の後ろにいた。
少年はセイの元に真っ直ぐ向かい、何かを手渡して力強く頷いた。
隣に座るエンが、目を見開いて見下ろすのに構わず、若者は小さく溜息を吐いて頷いた。
「……無理だと思ったら、止めてもいいと伝えてくれ」
「伝えますけど、無理とは考えないと思います。あなたが、ここまでお膳立てして下さったんですから」
伸はきっぱりと答え、再び頷いた。
そんな様子を見てセイは頷き、少年の後ろに座る巧を見た。
「こういう事を頼むのは、心苦しいんだけど……」
「言わんでください。蓮から声がかかった時に、疑うべきだったんです。こうなったら、とことん付き合います」
「済まん、河原」
セイとオレンジジュースを飲み交わしていた葵の、真顔での呼びかけにも頷き、巧は伸と共に部屋を後にした。
「……あの人、戻ってこなかったな。一緒に行ったんじゃないのか?」
「最近、昔の性が疼くようですね。こう言う所は、死んでも治らない様です」
水月は、人の性格や性質を正確に理解し、それに合わせた成長を、考えるより先に促す、適度な匙加減が、上手い男だった。
少年少女について行ってはいるだろうが、本当にまずい状態になるまでは、手を貸さないだろう。
「まあ、篠原家の方に向かったんじゃなければ、大丈夫なんじゃない?」
やんわりとした男の声が、ほろほろとした声音で割り込んだ。
顔を上げるとご機嫌な笑顔で、ロンが凌の酌をしている。
「犯人と話すつもりなのか、あの子たちは? 説得できるのか?」
「説得するつもりで行くわけでも、ないようですね。戻ったところを待ち伏せるのが、目的の様に感じます」
律の返しに、凌が目を丸くした。
「つまり、殺しを黙認した上で、捕まえるって事か?」
それは、危ないと顔を顰める男に、その甥っ子はご機嫌に笑いながら返した。
「違いますよ。そんな危険な事に、あんな小さな子たちを使う訳、無いじゃないですか」
ロンは、河原巧と伸の事を知っている。
「紹介されたことがあるんです。あの子とそのお兄さん、とんでもない特技があるんです」
「特技?」
それは知っているのかと、オキが目を丸くする中、男に事情を聞いた凌は目を見張ったまま、若者の座る方を見た。
「……これ以上の犠牲を出さないと、そう思っているのなら、そう言う手を使うしか、無いですよね。あの子本人は、動けないんですから」
「いや、こういう時ぐらいは、大目に見てやってはどうだ?」
「嫌です」
つい言ってしまった叔父に、ロンは妙にきっぱりと言い切った。
「何でだ?」
「こういう時でないと、傍にいれないんです。こんな貴重な時間を、そんな些細な事件で短くするなんて、冗談じゃありません」
「……」
ロンと同じくらい飲んでいるのに、全く酔う兆しのない凌は、呆れて向かいの男に声をかけた。
「お前さん達、縛り過ぎじゃないのか?」
「言いたいことは分かるが、あんたは、あいつの行動を、よく知らないだろう? オレは諦めてるから、放任しているが。何なら、分かる限りのあいつの仕事ぶり、調べてみたらどうだ? この旦那たちが縛りたくなる気持ちが、分かって来るぞ」
気持ちが分かり同調したとしても、縛られる側が簡単に縛られてくれないのもおのずと分かるだろうと、その点では完全に諦めているオキは、しんみりと言った。
その気持ちを知る律も苦笑し、先程の刑事の話を思い返してみた。
銃を使った犯行なのに、硝煙反応が出ない容疑者たち。
現場を見たであろう、少年たちが気づくほどに安易な細工だとしたら、その反応を消したはずの物も、現場に残っていたはずだ。
それが見当たらないとすると、犯人以外の誰かが、故意に持ち去ったと考えられた。
その誰かの事は知らないが、これだけははっきりと言えた。
そいつは、かなり命知らずな奴だ。
安易な、細工だったと思う。
だが、思いのほかうまく行き、未だに自分の方に注意が向いていない。
幸いな事だが、この状態がいつまでも続くとは、考えていなかった。
この地の警察は、優秀だ。
裏で手を貸す者たちの存在を知るからこそ、そう警戒しているのだが、警戒しすぎて動けないままでいる事は、ここまでやった後では許されない。
周囲が静かになった頃を見計らい、そっと身を起こすと、上着を羽織って枕の下に手を滑り込ませる。
小さく固い入れ物と、その奥の嵩張る大きさの物を取り出す。
昨日の夜、隠し場所から持って来たものだ。
お粗末な細工だったから、警察に見とがめられているかと思ったが、全く変わらぬ位置にそれはあった。
賭けに勝った。
それが、吉となるか凶となるかは、これからの動き次第だ。
窓から外に出ると、自室の隣の部屋に入る。
ベランダからの侵入だったが、何なく鍵を開き、音もなく押し入った。
正月を数時間後に控えた世間は、夜でも浮き足だった空気を纏っているが、篠原家の面々は毎年、年始を賑やかに過ごす一方、大みそかは大人しく早い就寝をすると、知っていた。
その部屋の主も、分厚い掛布団を被って、仰向けで眠っている。
カウントダウンや、年明けの花火にはまだ早い時刻だが、音を消す手間はいらなさそうだ。
侵入者はそっと銃を構え、銃口を掛布団に押し付けて、躊躇いなく引き金を引いた。
軽い振動が、手ごたえを伝える。
確実に心臓を狙ったから、直に触れて確認する事はない。
が、つい体が固まってしまい、必死で気力を奮い立たせた。
まだ、早すぎる。
踵を返してベランダから外に出、鍵は閉めずにガラス戸だけ静かに閉める。
同じようにベランダから部屋に侵入し、狙った相手を一発で仕留めていく。
冷静に行動していたつもりだったが、実感が追いつかなかっただけだったようだ。
四人目に銃口を向けた時、その銃先は小刻みに震えていた。
もう少しもってくれと願いながら、このまま狙いが外れる事を恐れ、侵入者は深呼吸した。
震えが止まったと感じた時、そっと四人目の眠る掛布団に、銃口を押し付けたが、突然その手首を攫まれ、危うく声を立てそうになった。
声を殺して身を引こうとする侵入者の手首を攫んだ部屋の主は、思いのほか強い力でその抵抗を抑え、身を起こした。
「……こちらから出向かなくても、やって来ると思っていた。待っていたよ」
足元から、這い出るような声だった。
思わず身を縮めた侵入者を引き寄せ、部屋の主の男はにんまりと笑う。
「それに、思った以上にうまそうに成長してくれた。やはり、味付けは大事だなあ」
肩を攫まれて小さく呻く相手を、男はじっくりと眺めて、再び笑みを浮かべた。
「やっと、自分から飛び込んできてくれたんだ。その分、たっぷりと可愛がってやるから、安心して身を任せなさい」
全身が鳥肌で覆われる言葉を、逃げられないまま聞く羽目になった侵入者は、悲鳴をかみ殺しながら抵抗するが、相手はピクリとも動かない。
焦る顔を見下ろし、愛おし気にその身を更に引き寄せた男の頭に、何かが落ちて来た。
頭を覆う大きさの、黒い何かだ。
柔らかい感触だが、その割に重い。
目元を覆ったそれは、布ではなかった。
数本の太い紐が、目の前にぶら下がっている。
紐にしては先に行くにつれて細く、よく見ると産毛の様なものがある。
そして、冷たいその何かは頭の上で身じろぎして、目の前に垂れる紐もその動きに乗じて、動いた。
「……」
つい力を抜いた男は、身を引いた侵入者に構わず、恐る恐る目線を上に上げた。
目の前に垂れる紐と同様、産毛に覆われた塊の、黒い目と目が合った。
篠原家の広い屋敷内に、絹を裂くような悲鳴が響き渡った。
「ああ、良かった。驚いてくれなかったら、別な手を考えないといけない所だった」
パニックを起こす男が転げまわる頭の上には、ちょこんと手のひら大の女郎蜘蛛が乗っていた。
鬼塚直がつい、安心した声を漏らしてしまったのは、相手によっては効かないと知ったからだ。
「夏生さんみたいに、美味しそうと目を輝かされたら、どうしようかと思った」
しみじみとそんな事を呟きながらも、気づいていた。
悲鳴に驚いて家人が起き出して騒ぎだす中、ベランダから侵入した者が、姿を消したことを。
「……後始末の準備をする間に、終わらせろよ。志門」
内心心配しながらも、兄弟子は突き放すように口に出して、弟弟子に呼びかけていた。
目的を、達成できなかった。
返り討ちに近い形で反撃され、逃げ帰ってしまった。
薄暗い部屋に戻り、落胆して床に座り込んだ狙撃手を、静かな声が迎えた。
「お帰りなさい」
聞いたことのある声だ。
恐る恐る顔を上げると、自分のベットに浅く腰かけていた人影が、ゆっくりと立ち上がったところだった。
「随分、お疲れのようですね。早めにお休みいただきたいとは思うのですが、それは、あなたがやってきたことを思うと、許されぬ事だと言うのは、お分かりですね?」
夜目に慣れた目が、自分より小柄なその少年の顔を見分け、小さく笑う。
「お前が、待ち伏せてるとは、思わなかった」
それに笑い返し、少年は静かに返す。
「申し訳ありません。本来ならば、あなたと親しいご友人方に、お任せした方が良かったのですが、このお話を信じていただけるか、心許なかったのです」
古谷志門は、人の好い笑顔のまま、座り込んでいる人影を見下ろした。
「私も、この状況にまだ、頭がついて行かぬ状態ですので」
「……よく、ここに潜り込めたな。ここは若の手が届いた場所じゃ、ないんだろ?」
頭がついて行かないのは、対峙している方も同じで、そんなどうでもない事に感心してしまったのだが、志門は真面目に答えた。
「この病院には、警察の方に話を通していただけました。もしもの為の警護と称して、人払いもしていただけました」
廊下に、弟子仲間の二人と健一の友人は、刑事の一人と待機してくれている。
自分たちがやることは、罪を弾劾して追い詰める事ではなく、これ以上の犠牲を出さないように、相手を説得する事だと言う考えに至った上での処置だった。
容疑者の説得に志門が選ばれたのは、ただ相手が同年で顔見知りの、篠原和泉だから、というだけの理由だった。
篠原和泉は、中学生に上がるまで、秘かに母親に師事していた。
嫁に来るまでに叩きこまれた塚本の秘儀を、息子に伝授するのは掟違反だと知っているが、このまま自分の胸にしまっている事も、悔しかったのだと母は言い、隠密の秘儀を重点に叩きこんでくれた。
思えば、大きくなった会社の息子でもある和泉を、心身ともに守りたかったのだろう。
体調を崩した上、事故で他界してしまうまでの数年で、情報のかき集め方と護身の術を、全て叩き込んでくれた。
母親が死に、父親が親戚らの口車で矛先を病院に向けてしまった時、和泉は気が抜けた。
「お袋は、塚本の当主の座を蹴って、篠原家に嫁いだ。その旦那は、あんな腑抜けなのかと、呆れた」
勿論、母の死はショックで悲しかった。
同時に、疑いが濃厚だと警察の見解もあるのに、それを脇に置いて別な見解に耳を傾けた父に、血縁を守る方が大事と取ったのだと、落胆した。
これが、母の愛した男か?
これが、自分に血を分けた父親なのか?
一人残った肉親への失望と、失った肉親を奪った疑いのある奴らへの恨みが、中学生になったばかりの和泉の心に沸き起こった。
「と言っても、恨みを晴らすには何もかもが足りない。あの時のオレは、今よりも小さくガキだったからな」
恨みに任せて立ち向かっても、体力も知力も足りなかった当時の和泉には、勝ち目がない事は、分かっていた。
だから、怒りと恨みをそのまま胸に収め、待っていたのだ。
「……幼馴染のお二人にまで偽って、恨みを晴らす時を、待っていたのですか?」
ふらりと立ち上がり、静かに話し出す同年の少年を見つめ、志門はそっと言う。
「あいつらには、昔通りの付き合いをして欲しかった」
母が亡くなった後も、凪と晴彦はその気遣いこそしてくれたが、基本的な態度は変わらなかった。
例えそれが、偽った自分に対するものでも、どす黒い恨みで潰されそうな心を、二人にだけは気づかれたくなかったのだ。
「若が、この時期に動こうと決意した勇気には、感心してると、そう伝えてくれと言っておりました」
こんな機会を知っても、実際に動こうなどと思うまでに、時期を逃してしまうものだ。
その時期を逃さず、実行に移す覚悟をした和泉を、セイは褒めていた。
その場の少年少女と大男には、盛大に文句を言われていたが、このタイミングの良さを考えると、褒める若者の気持ちも分かった。
セイの側近がほぼそろった状況で、当の若者は謹慎状態。
事件の真相を察しても、止めるために動く事すら禁止されている今は、腹に一物あり、何とか実行したい者からすると、最大のチャンスだった。
「ただ、なぜ、あのような細工をしてまで、本命方を手にかける作業を後回しにしたのか、それが私には分からないのですが」
「あのな、塚本の探索力や護身術も、万能じゃない」
未だ成長途上の和泉では、五人もの大人を手にかけるのは難しい。
ましてや、抵抗されて捕まってしまっては、無意味だ。
「まずは油断させて、誰に襲われるのかも、分からない状態にしたかった」
その為に、腕の一つくらいは犠牲にしようと、決めていた。
昼間、小さな座敷内で、伸は静かに言い切った。
「安易な、昔のトリックです」
自殺を、他殺に見せかける、ありがちな細工だ。
「銃で己を撃って手離した瞬間に、ベランダの雨どいを伝って、階下に落ちるような仕掛けです」
雨どいの間を、すり抜ける程の重りをつけた紐を銃に括り付け、手離したら重力で落ちる仕掛けだ。
「絨毯とサッシの溝に、跡が残ってましたね。それに、階下までの高さから言って、落ちる時は相当の音が響いたでしょう」
健一も真顔で言い、携帯を取り出してある画面を見せた。
「先輩が握っていたっていう、ステレオ機器のリモコンです」
血で汚れた手で押されていたのは、プラス、メニュー、エンターボタンだ。
これは、血が落ちた場所と言うより、血が押し付けられていた場所だったからこそ、そう判断できた。
「これ、多分、事件を知らせるために、音を出そうとしたんじゃないと思います。どちらかというと……」
入った情報を、消すために押したボタンだと、健一は言い切った。
「……私は、機械の事は分かりませんが、この三つのボタンを押すことで出来る動作は、あらかじめ入っていた情報を消去する時にも、使うそうですね」
音を大きくする時は、別なボタンが存在するリモコンで、消去されたのは、恐らくは夜中に響いたと言う銃声で、何も入っていなかったと言うSDカードに、記録されていたのだろうと、二人の中学生は予想した。
「……使われていない骨董品の中から、出来るだけ威力も型も小さいものを選んだが、それでも落ちる時の音は大きくなりそうだったんでな」
予想以上に知られていると、和泉は笑いながら白状した。
自分を撃つ銃は、威力も小さいものがいいと考え、殺人を実行する銃とも別な物を使った。
「お前らに気付かれる位だから、警察にも知られてるって事だよな。オレは、泳がされていただけか?」
「それは少し違います。確かに、あなたの衣服にまで、硝煙反応が出なかったと言う事実は、不審に思うに値する事だとは思います。ですが、それ以上に不審なことがありまして、それが意味することが何なのか、判断できずにいる様です」
「よく分からんが、まあ助かった。お蔭で、五人の内、半分ほどに手を下せた」
声を抑えて、和泉は呟いた。
「残りも何とかしたいんだが、体力的にも時間的にも無理があるよな」
そんな同級生を見つめ、志門は静かに問いかけた。
「先程、あなたが手にかけて来た方々は、あなたの御母上の死には、係わりないかもしれません。他の方々も、只疑わしいだけのはずです」
「ああ、それがどうした?」
「……もし、見立て違いであったら、どうするのですか? 自動車に細工した人が、別にいたとしたら?」
和泉は微笑んだ。
いつも学校で見せる笑顔とは違い、投げ槍気味の微笑みだ。
「奴らの内の誰かだと言うのは、確かなんだ。見立て違いだろうが何だろうが、全員やっちまえば、恨みは消える」
「あなたは今、半分ほどしか手を下さなかったと言いました。残りにその実行犯がいて、他の方が無関係だったら、こんな騒ぎにしてまでやった意味は、無いのではないのですか?」
「そうだな、実際、一番疑わしい奴を、取りこぼしちまった」
少年の笑顔がゆがんだ。
「それでも、やらずにはいられなかった。この件が世間に知れれば、あの家もおしまいだ。ざまあみろ、だ」
「篠原さんの会社は、大企業です。あなたの家だけのお話なら、それで満足でしょうが、会社の従業員の方々は、どうなるんですか? まさか、それもどうでもいいと考えて、今回動いているのですか?」
言葉は説教じみているが、志門の顔は暗く沈んでいる。
それを間近に見ながら、乱暴に返す。
「そんな事を気にして、望みを叶えなきゃならねえほど、大人じゃねえし」
「……なるほど。実際にこんな方がいるとは、思いませんでした。話には聞いておりましたが、中々滑稽な言い分ですね」
「何だと?」
目を険しくする少年を見据え、志門は微笑んだ。
人の好さがにじんでいるが、それは本来の人相がそう感じさせるだけで、実際は全く別な感情が浮かんでいる。
「我々は今、その時々によって、己の立場を変えられる年代なのだそうです」
遠い昔、今のこの年代の者たちは、元服と言う儀式が出来る年齢だった。
成人の境界が、五年上がって長い現在では不自然でも何でもないが、そう決まった当初、国々でも戸惑いがあったようだ。
就業の制限や犯罪時の軽減など、若い世代を守る法が多くなったが、その若い世代の心境は個々に複雑で、特に十代の半ば辺りからの世代は、大人に近い体でも子ども扱いされる現状が、我慢ならない者もいると聞く。
ただ、そういう大人扱いされたがる者に限って、いざとなると子供だからという免罪符を使いたがるんだと、苦笑しながら嘆いている大人を見た志門は、そういう者が、本当に要るのかと内心疑っていたのだが、目の前の同級生がその一例だと気づき、半ば感心しながら言葉を紡いていた。
「実行しようとしている事は、大の大人すら躊躇う事のはずです。なのに、実行するに当たっての周囲への余波は、全く考えない上にそれを年齢で言い訳しようなどとは。学校では成績優秀の方のはずなのに、考える事は幼いのですね」
「……」
沈黙した和泉が、大きく深呼吸してから、口をゆがめた。
正直に感想を述べた同級生に一矢報いようと開いた口は、憎まれ口に近い事実を言葉に乗せた。
「お前も、同じような立場のくせに、偉そうに言えるのか?」
無言で見返す志門に、少年は構わず続ける。
「お前、呪殺を生業とする家の出なんだろ? お前だって、ガキだからこそ罪を問われてねえんだろうが。オレがガキであることを盾にして、何が悪い?」
「……」
廊下で、誰かが揉み合う気配が起きた。
廊下で聞く二人がこの会話にブチ切れ、思わず病室内に乗り込もうとしているのを、他の二人が取り押さえてくれているようだ。
「……偉そうに言った覚えも、子供であることを盾にしている事を悪いと言った覚えも、ありませんが、言葉が足りず、申し訳ありません。気分を悪くさせるつもりは、全くなかったのです」
まだ、自分は世間を知らない。
やはり、この役は重荷だと内心嘆きながら、志門は言葉を探した。
早く説得して、凶器を全て回収しなければ、夜が明けてしまう。
焦る少年の前で、和泉は立ち尽くしていた。
指摘されるまでもなく、分かっていた。
本当ならば、真犯人を見極めてから、実行するべきだったと。
だが、焦りの方がその考えを上回った。
塚本本家が動き出した事、父親が改めて母の死を追いかけ始めた事も、焦りを感じた理由だった。
初めから疑っていた自分を出し抜こうとしていると、ついつい考えてしまった。
出し抜かれて後悔するより、父親の心に爪痕を残せるのなら、このまま殺人犯として生を終える方が、まだ楽だと感じていた。
もう、他の奴らを襲う時間も体力もない。
だが、子供とあざ笑われた気分の和泉は、大人としての解決法を、自分なりに考え付いていた。
「……親父は、事を荒立てずに、あの連中を家から出そうとしていた。家の人間だけでなく、会社の人間の生活を背負ってるんだ、スキャンダルが株にも影響しちまったら、路頭に迷う従業員も出て来ちまう」
朝にはまた、篠原家での事件が公になるだろう。
その犯人も、すぐに明るみになる。
篠原家の嫡男が起こした事件は、否応なく株に影響をもたらしてしまう。
「それは……」
顔を上げて言いかけた志門が、和泉を見て顔を強張らせた。
青ざめた少年に少し留飲を下げながら、和泉は右手を上げ、手にしたままの銃の口を己の頭に当てる。
「被疑者死亡なら、スキャンダルも同情で、上塗りできるだろ」
「な、どうして、そんな考えになるんですかっ」
目を剝く志門は珍しいと、ついつい笑ってしまった。
いつも、凪のアプローチに困惑し、逃げ回る姿しか見ていないから、ここでの会話で人格のある人間だと、認識できた。
できたからと言って、この後どうするという訳でもないが、余計な事を口走ってしまった。
「凪は、悪い奴じゃないんだ。一度、逃げずに向き合ってやってくれ。遺言なら、有効性があるだろ?」
目を剝いたまま、前に足を踏み出した志門が、固まった。
引き金にかかる指に力がこもる瞬間、聞き慣れた声が言った。
「歯を、食いしばりなさい」
突如耳元で聞こえた声に、和泉が振り返る余裕は無かった。
その声の主を判別する前に、横腹への軽い手刀で、壁に吹っ飛ばされていたのだ。
銃が和泉の手を離れ、志門の足元に転がる。
それを目で追い、壁にぶつかって咳込む少年を見、突如割り込んだもう一人の同級生を見る。
窓から侵入して来た小柄な少年は、咳込んでいる幼馴染を睨み、更に近づこうと足を踏み出した形で、もう一人の少年に捕まっていた。
「一つ疑問なんだが」
窓の外に待機していた水月が、凪の抵抗を難なく制したまま、窓の外に呼び掛けた。
「この子は、何を危惧して歯を食いしばらせたんだ? 内臓のせり上がりか? どれだけ強い攻撃を、する気だったんだ?」
「そう心配してたんなら、殴る前に止めてくれよ」
窓の外で、成り行きを覗いていた若者が呆れながら答え、下を覗いて頷く。
階下に、誰かいるらしい。
ここに凪が来ていると言う事は、晴彦も来ているのだろう。
もう少し早く、真相に気付いてくれていればと、志門は内心嘆きながら身をかがめ、和泉の落とした銃を拾い上げる。
「ち、ちょっと、何してるのよっ」
銃を拾い上げた少年が、おもむろにその銃口を和泉に向けるのを見て、凪はぎょっとして叫んだ。
何故か動揺しない他の二人に構わず、水月の手から逃れようともがく少年の前で、志門は躊躇いなく引き金を引いた。
座り込んで目を剝いたままの和泉が、不審気に顔を歪める。
軽い音が響いただけで、銃口からは何も飛び出さなかった。
狙いが外れた、という訳ではない。
弾が、出てこなかったのだ。
「……へ?」
間抜けな顔になる和泉を見下ろしてから、志門は静かに廊下に声をかけた。
「お待たせしました。もう、終わりました」
廊下で待機していた面々が、ぞろぞろと病室に入って来る。
すぐに駆け寄って、志門を心配そうに見上げる静に笑顔を向けて頷き、まだ間抜けな顔で座り込んでいる和泉に、声をかける。
「あなた本人を撃った銃も、いただけますか?」
「は? どうするんだよ?」
「あなたを撃った犯人を、でっち上げなければならないのです」
「でっ……」
声を失くした二人の少年に苦笑し、河原巧が宥めるように言う。
「言い方が悪すぎる。篠原斎さんの件の代わりに、罪を被せるだけなんだろう?」
「……だけ? 何、言ってるんだ? まさか、オレが撃ってきた奴らの事も、お袋の件の犯人に被せる気かっ?」
それは、罰が重すぎると口を出す和泉に、凪が白い目を向けた。
「そう思うのなら、どうしてやっちゃったのよっ。その人たち、質は悪いけど、小母様の事には、係わってないんでしょ?」
ぐっと詰まる少年を見つめ、水月はつい笑った。
「こちらの手の内を、殆ど見せたはずなのに、まだそう思ってるのか、お前さん?」
なぜ、今撃った銃弾が、不発だったのか。
そこに疑問が湧かないのかと言われ、和泉は初めて考える顔になった。
「……まさか、今日使った銃弾は……」
「全部、空砲です」
近づいて身をかがめた伸が、笑いかけた。
「実弾の方は、もう市原刑事の手に、渡っているはずです」
「は? 何で……」
「犯行前に、若い奴らを説得に向かわせるのは、危険だからな」
蓮は、外の様子を伺いながら、静かに説明した。
いくら子供とはいえ、追い詰められた者は、どんな行動をとるか分からない。
だが、いくら自分が動けないからと言って、不要な殺生を、身近な場所にいながら黙認するのは、セイとしては了承できる話ではなかった。
「誰を襲うかの特定が出来てんだ、篠原家にいる奴らでも、止めようと思えばできただろう。だが、襲う側が今みてえに自刃するのまでは、止められねえ可能性があった。だから、説得できる人材が欲しかった」
「お前さん達が、もう少し早く真相に気付いていれば、この子らが出る事はなかったんだぞ」
病室に遅れて現れた晴彦に目を向け、水月も言う。
「まあ、銃弾を入れ替えるのは、こいつらじゃあ無理だったろうが、どちらにせよ、これで済んでよかった」
「というか、結局あんたも出て来たのか? 世話好きも大概にしとけよ」
巧が呆れ顔で蓮に言うと、若者は苦い顔で返した。
「ああ、大概にしてえよ。だから健一、お前も少しその好奇心、自重しろ」
「え、オレのせいですかっ?」
目を見開いた健一は、和泉の怪我の具合を見ていた伸が、無言で頷いているのを見た。
「速瀬っ、お前だって、途中からノリノリだったじゃないかっ」
「係わったからには、最後まで係わらないと、気持ちが悪いだろう」
そんな二人の会話を聞きながら、ぼんやりと座り込んでいた和泉は、不意に壁に背を預けた。
「……ってことは、オレがやった事は、本当に……」
無駄骨。
ただ単に、自傷行為をして、世間を騒がせただけ。
力が抜け、今になって傷が疼きだした。
銃弾が通過した傷口は、熱を孕みやすい。
それだけが原因ではない脱力感が襲い、和泉はそのまま気絶していた。
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