El Cóndor Pasa 🦋
上月くるを
El Cóndor Pasa 🦋
東町中学校の生徒の家庭は、おもに四つに区分けされる。
新幹線の駅が開業したおかげで、思いがけず巨額の資産を手に入れた農家。
棚からぼた餅のおこぼれにあずかりそこねた、中小零細企業の関係者たち。
世界各国に支社や出先機関をもつ一部上場精密機械工場の役社員の転勤族。
アジアや中南米諸国、ヨーロッパなどから出稼ぎに来ている外国の人たち。
当然ながら、家庭環境はそっくりそのまま学校へ持ちこまれる。
生活程度も考え方も多彩な家庭の子弟を一緒くたにして預かる学校側の苦労は、ひと昔前までの教師たちには想像もつかないもので、ことにクラスの担任教師には学科の授業と同様、多国籍の生徒や保護者とのスムーズな連携が求められる。
学科だけ教えていればよかった時代とはまったく別種の能力が必要とされ、それに応じきれない教員は、校長や教頭からも保護者からも信頼を失うことになった。
*
二年A組の学級会は、前日、さらにその前々日とまったく進展がなかった。
「くっだらねえ。中二にもなって、ばからしくて歌なんかうたえるか。どうしてもやりたけりゃ、女子だけでやりゃあいいだろう」
有無を言わせぬ胴間声で威嚇するのは、代々の林檎農家から一気に駅前ホテルのオーナーに成り上がった超成金のひとり息子。
「そうだ、そうだ!」
超成金より成金度が低い元農家の、腰巾着息子が臆面もなく賛同する。
「ちょっとあんたら、女子を甘くみるのもいい加減にしてよね。そんならうちらだってスルーしてやるよ、文化祭なんか。なあ、そうだろ?」
キンキン声の女生徒はやはり成金組で、参観日には母親が振袖で来るので有名。
「……う、うん」
とつぜん同意を求められた女生徒はJAの職員の娘だった。
かたや、親が中小零細企業の従業員だったり、諸外国から働きに来たりしている生徒たちは、自分にとばっちりが来ないよう、窓の外を見たり下を向いたりして、嵐が通り過ぎるのを待っている。
司会のクラス委員は、正副ともに一部上場精密機械工場の社員、つまり転勤族の息子と娘。学級運営のことは右も左もわからない新卒二年目の男性教師が、世慣れた学年主任の指示どおりに指名したというだけあって、テストの点はいいものの、個性的なクラスをまとめるリーダーシップにおいては、まるっきり無能だった。
*
とそのとき。
「はい。ちょっといいですか?」
窓際の席で手を挙げたのが、毎日学校には来るものの、ほとんど授業には出ず、図書館で本ばかり読んでいるエリサだったので、みんなは驚きの目を瞠った。
浅黒い肌にエキゾチックな顔立ち、単細胞を絵に描いたような成金組とは反対にいたって思慮深い眼差しをしたエリサは、西側の窓から入る午後の日差しに栗毛色の髪を美しく波打たせながら、一見、文化祭とは関係のないことから話し始めた。
「わたしの祖先はむかし、日本からメキシコへ移り住みました。日本を出発する前は、自然ゆたかで美味しい果物に恵まれた、まさにこの世のパラダイスだと聞かされていたのですが、現地へ着いてみると未開のジャングルで。でも、お金をつかい果たしていたので帰るに帰れず、泣く泣く異国で暮らすしかありませんでした」
「いきなりなにを言い出すのかと思ったらエリサさん。少しばかり考えが甘かったんじゃないんですか、その祖先の人たち」
もってまわったようにまぜっかえすのは、超成金の肥満息子である。
「たしかにそうかもしれません。でも、当時は狭い日本ではすべての国民が食べていかれなかったからで、わたしの祖先がことさら浅慮だったとは思っていません」
「勝手に思っていなけりゃいいじゃありませんか、エリサさん」
今度は腰巾着が浅はかなツッコミを入れてくる。
「とにかく、裸一環で放りこまれたメキシコで、まずは雨露を凌ぐ小屋を建て、ジャングルを開墾して畑にし、家畜を育て、やがては学校もつくり、スペイン語と日本語の辞書を編さんし、さまざまな事業を起こすなどの努力を重ねて、少しずつ日系メキシコ人の地位を築いていったのです」
「はい、質問。なのに、いまごろになって、なぜまた日本へ帰って来ようと思ったんですか。ずっと向こうにいればよかったのに」
成金女子も意地悪においては引けをとらない。
だが、エリサは少しも慌てる様子を見せない。
「とてもいい質問だと思います。その答えはひと口では言えませんが、一種の波動とでもいうのでしょうか。人間の心身バランスと同じように、地球や各地域にも、半ば定期的にエネルギーの移動が起こるのだと思います。その時期がたまたま現代だったわけで、明治の中頃に日本からメキシコへ渡った祖先たちも、二十一世紀にメキシコから日本へ来たわたしたちも、自分の力ではどうしようもない大きなものによって動かされているのだと思います」
*
「おい、おまえ、けっこう頭いいんだな、メキシコ人のくせにさあ」
さげすみと悪意を隠そうともしない尖がり声は、去年の二学期、新卒の女性教師を理詰めで追い詰めて泣かせてしまったというので、それ以来、腫れものにさわるような扱いを受けている、このまちで一番大きい病院の理事長の息子だった。
「またまた、いいところを突いてくれましたね。ですが、わたしはいまメキシコ人と呼ばれましたが、倭の国の成り立ちから考えても、純粋なというか生粋の日本人というのは存在しないわけですよ、もともとは全員がこの島国の外から入って来た渡来人の集まりなので。つまり烏合の衆、といえば語弊があるかもしれませんが」
「う、烏合の衆だあ? そういう言い方はねえだろう!」
黄色いネットの隙間から黒い嘴を突っ込んで生ごみを漁っている、あのカラスの仲間と言われ、いたくプライドを傷つけられた理事長の息子はいっそう息巻いた。
「お気にさわったらごめんなさい。わたしたちはみんな、たまたま秋津洲へ、この日本列島へ集まって来たというに過ぎず、つまりは全員がよそものなのですから、そう考えれば、そもそも日本人という概念すら存在しないことになります」
「メキシコ人のくせに、やたらにむずかしい言葉をつかいやがって、生意気だぞ」
人の言うことを聞いていない理事長息子である。
「はい、出ました『くせに』と『生意気』の連動制。言わずもがなですが、あえて指摘させていただきますと、そういう短絡的な思考が、毒キノコのようにはびこるジメツイタいじめを生む土壌になりがちですから、どうかお気をつけになって」
「うっせえや、外国人のおまえなんかに言われたくねえっつうの」
*
憐れみを浮かべた目で、そちらを見やったエリサは、あっさり言い捨てた。
「わかっていただけないようですから、つぎに進みましょう。今日、わたしが二年A組のみなさんにお話したいのは、さっきから申し上げている『たまたま』という事態の真実です」
たまたまだって? どういうこと? おたまじゃくし? たまご?
教室はいっせいにざわついたが、エリサはかまわず先をつづける。
「たとえば、たまたまわたしは日系メキシコ人として生まれましたが、仮に日本人というものがあると仮定しての話ですが、多くのみなさんはたまたま日本人として生まれた、あるいはタイやフィリピンやインドネシア、韓国や台湾、中国、アメリカやカナダ、その他いろいろな国の国民として、たまたま生まれたわけですよね」
ええっ、そんなことないよ、はじめから決まっていたことだよ。
そうだよ、そうだよ、うちなんか百年も前からつづいているんだぜ。
お墓はどうなるの? 外国から来た人たちは、どこのお墓に入るの?
うちらと同じところに入って来られたらいやだな、かなり抵抗あるよ。
どっと湧き起こる反論に、エリサはあくまで冷静に問い返した。
「どこの国に、どこの家に生まれるって、いったいだれが決めたんでしょうか? 神さま? 平気でそういうことをする神がいたなら、ここに連れて来てください。生を受けた家庭が裕福だったり貧しかったりもたまたまですし、本人や家族が健康だったり病気だったりするのもたまたま、理数系や文系、体育や音楽や美術が得意なのもたまたま。つまり、なにひとつ自分の実力ではないということなんです」
「へん、そんなの負け惜しみだよ」
日頃はいがみ合っている超成金息子と理事長息子が同時に反発してくる。
「と思うのでしたら、自分が自慢に思っていることを、ひとつふたつ考えてみてください。そのうちのどれが、真に自分の力で勝ち取ったものですか? なにひとつ所有せず、丸裸で生まれて来た赤ん坊同士なのに、そんなのおかしいでしょう?」
いっせいに押し黙る二年A組に、やがて、さざ波のような囁きがひろがった。
「まあ、言われてみれば、たしかにそうではあるよな」
「だよな。どこに生まれ、何が得意で何が苦手かなんて、だれにもわかりっこないものな、生まれて来るまで。たしかにそういう意味では偶然かもな、何もかもが」
「そうだね、エリサさんの言うとおりかもしれないね」
エリサは少し間を置いてから、ふたたび話し出した。
「なので、わたしは今日、みなさんにひとつのことを提案したいのです。こだわりを捨ててフラットになりませんかと。スペイン風邪の流行は第一次世界大戦を終結させ、世界を変えました。現在のコロナのパンデミックも、わたしたちの価値観を変える絶好のチャンスだとも言えます。どうでしょうか、まずはわが二年A組が、学校や地域社会、日本、さらには世界に先駆けて変わってみせるというのは」
しばらくの静寂のあと、パンとひとつの拍手が聞こえた。
つづいてパン、パン、パン、パンと、拍手が連打される。
だが、エリサの話はまだ終わらない。
「ありがとうございます。で、話をもどして、わたしからの提案なんですが、わが二年A組が文化祭で披露する合唱の曲目は、アンデスの大空を飛ぶ鳥の希望をうたう『El Cóndor Pasa』(コンドルは飛んで行く)はどうでしょうか。もちろん男女の混声で。わたしたち全員のすばらしい歌声を、全校生の耳に、心に届けませんか」
二年A組は風船のようにふくらんだ。
棒立ちの司会の男女も、椅子に座りっぱなしの担任教師も頬を紅潮させている。
超成金息子も腰巾着も、同じく成金娘もJA娘も、病院理事長の息子も、一応はふてくされてみせながらも、それ以上の反対を表明する様子を見せなかったので、クラスの拍手がひとしきり高まった。
*
半月後、東町中学の講堂は全校生と先生、保護者、千数百人で埋まっていた。
文化祭のフィナーレである合唱コンクールは、大盛り上がりに盛り上がった。
どのクラスも日頃の練習の成果を出しきろうと渾身の力を発揮したが、なかでも全会場の耳を惹きつけたのは、南アメリカ大陸はアンデス山脈のフォルクローレ(民族音楽)をもとにした哀愁を帯びた楽曲『El Cóndor Pasa』だった。
I’d rather be a sparrow than a snail
Yes I would
If I could
I surely would
I’d rather be a hammer than a nail
Yes I would
If I only could
I surely would
Away, I’d rather sail away
Like a swan that’s here and gone
A man gets tied up to the ground
He gives the world
Its saddest sound
Its saddest sound
ラテン音楽の美しい混声合唱が、窓から日本の真っ青な秋の空に流れ出した。
一年のときからの問題を乗り越え、ひとつになった二年A組がうたい終わると、季節はずれの熱気をはらんだ講堂は、千数百人の感動の吐息に満たされた。
先生たちによる審査の結果、二年A組の『El Cóndor Pasa』が金賞に輝いた。
担任教師の指名で、花形の指揮とピアノ伴奏は、正副クラス委員が担当したが、二年A組を圧倒的な金賞に導いた仕掛け人が、日系メキシコ人の血を引く校内一の読書家のエリサだったことは、その日のうちに学校中に知れわたった。 【完】
El Cóndor Pasa 🦋 上月くるを @kurutan
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