足蹴
柳成人(やなぎなるひと)
足蹴
中学時代から多少なりとも恋をしてきたつもりだったけど、高校に入って出会った聡太君は、今まで出会ったどんな男子とも違うように感じた。
彼はバレー部の特待生で、高校一年生なのに180㎝近い身長がある。引き締まった身体には無駄な部分なんてどこにもなくて、見上げると頬骨のラインがくっきり浮き出て見える。どことなく大人びた雰囲気があって、いつもふざけあっている男の子達の中でも、一目置かれているのが私達から見てもわかった。
同じ教室で過ごしていると背の大きな聡太君はどうしたって目立つから、目を惹き付けられる。そのうち私は自分から聡太君の姿を目で追うようになって、気づいた時には彼の事が好きで好きでどうしようもなくなっていた。
でも……その頃にはもう、聡太君には中学校時代から両想いの相手がいるという噂が私の耳にも入っていて、私は毎日やり場のない想いを抱えて過ごすしかなかった。
そんな私に手を差し伸べてくれたのが、葵だった。彼女とはそんなに仲が良いわけではなかったけど、鬱々としている私を見るに見かねていたらしい。
「夏希って、聡太君の事好きなんでしょ?」
ずっと誰にも言えなかった想いをあけすけに口にする彼女の存在は、私にとって雲の切れ目から差し込む光のように見えた。
「でも、好きな人いるって言うし……」
「そんなんで諦めちゃうの? 私さ、昔から負けず嫌いなんだよね。最後はかならず私が勝つ。夏希だって一緒だよ。私が応援するから、頑張ってみようよ」
葵は中学の頃はバスケットボールをやっていたんだけど、部活中の怪我が原因で運動ができない身体になっていた。そのせいもあるのか、何に対しても貪欲で前向きだった。
私もそんな葵に背中を押されて、聡太君を振り向かせるために努力する事にしたんだ。
※ ※ ※
敵を知り己を知れば百戦危うからず。
難しい言葉を持ち出した葵は、私を偵察へと駆り出した。まずは敵となる相手を知ろうというのだ。
葵が仕入れて来た情報によると、どうやら聡太君の意中の相手というのは、近くのK高校に通っているらしい。彼女の名前は、上井若菜。中学時代から聡太君と同じバレー部で、K高に進んだ現在も部活を続けている。
校門から少し離れた自販機でココアを買い、ちびちび舐めながら待っていると、日がどっぷりと暮れた頃、ぞろぞろと騒がしい一団が現れた。帰宅するK高の女子バレー部だ。その内の一つ、端っこを歩く細長い影に目が行く。
身長170㎝近い長身。その割にマッチ棒みたいに細いから、見ればすぐわかる。事前情報の通り、私達はすぐ目的の相手を見つける事ができた。
高身長でひょろりとして手も足も細長い。そう聞けばモデル体型を想像するかもしれないけど、上井若菜の場合、まるで絵本に出てくるカカシみたいで全然魅力的じゃない。
頭だけがいかにも運動部ですと言わんばかりの地味なボブで、目だってカッターで切りつけたみたいに細い。肌は白いけど、なんだかこけしみたいな顔だ。誰よりもギャーギャー騒いでるみたいだから、活発な性格ではあるのだろう。
頭の中で勝手に想像を膨らませていた「聡太君の意中の人」とはあまりにもかけ離れていて、正直拍子抜けする。ちょっぴり聡太君に対しても幻滅すら感じた。聡太君って、あんな子がいいの? ふーん、なんて。
ただ、私とは全く違うタイプなのは間違いない。聡太くんがああいう子が好みなんだとしたら、私には難しい戦いかもしれない。
弱気になった私の背中を葵が叩く。
「大丈夫だって。夏希の方が絶対可愛い」
「でも」
「夏希は気づいてないんだよ。敵を知った後は、己を知る。夏希自身が、自分の良いところを知らないとね」
※ ※ ※
次に葵が動いたのは、聡太君のグループと仲良くなる事だった。
それまであまり接点のなかった聡太君のグループに接近し、みんなで遊ぶ約束を取り付けてきてくれる。聡太君の友達の智徳君が葵の事を好きだったのも手伝って、私達のグループは急速に距離を近づけた。
「葵さ、購買行くならカレーパンついでに買ってきてくれよ」
「あー、俺もカフェオレ」
「俺ジャムバター」
「はぁ? なんであたしが。頼むんなら夏希に頼めばいいじゃん」
「夏希ちゃんに頼めるはずねえだろ。だったら自分で買いに行くっつーの」
「カフェオレなんて重い物夏希ちゃんに持たせられるか」
「意味わかんないし。差別すんな馬鹿男子っ」
男勝りな性格の葵を、聡太君達は新しい男友達のように分け隔てなく受け入れ、一方で私に対してはとっても優しくしてくれた。彼らの反応を見て初めて、私は葵の言う己を知った。
つまり男子にとって私は、別に人気がないとか話しかけにくいというわけではなくて、女の子女の子してちょっかい出しにくいタイプだっただけなのだ。
「だからって別に変える必要ないんだから。そういう可愛いキャラで突き通せばいいんだって。男子はそういう子の方が好きなんだから」
葵の言う通り、それまでの距離感がなくなると聡太君達は積極的に私に話しかけてくれるようになった。体育の準備などで物を運んでいたりすると、
「いいっていいって。夏希ちゃんは無理しないで。俺らがやるからさ」
なんて聡太君自身が手を差し伸べてくれたりする。
「ありがとう。助かる」
お礼を言って並んで歩く私達に、葵や男子から「イチャイチャすんな」と冷かしの声が飛んだ。
「うるせーな。してねーよ」
「ね。別にそんなんじゃないのに」
否定しながらも顔を見合わせて微笑み合える関係が、私にはとっても幸せだった。聡太君の心が、少しずつ自分に向いてくるのが目に見えるようだった。
休み時間や昼休みも私達はよく絡むようになった。
聡太君も私を見ると笑顔で挨拶してくれるし、二人で会話をする事もあった。驚くほど聡太君との距離は縮まった。
「上井若菜に男ができたらしいよ」
葵が新たな情報を仕入れてきてくれたのは、そんな時の事だ。
夕方、再度K校の校門前で張り込む私達の前に、上井若菜が現れた。
部活帰りなのだろう。ダサい国内スポーツブランドのウインドブレーカーを着て、大きなエナメルのスポーツバッグを肩に下げている。以前見た時と同じなのだけれど、彼女の周りに女子バレー部の友達は見当たらなかった。
その横に並ぶのは、上井若菜よりもさらに背の大きな男が一人。
「……なんて言っててさ。マジざけんなって」
「そうなんですか? ウケるー。それでそれで、どうしたんですか?」
私達の目の前を、運動部特有の必要以上に大きな声で会話しながら二人は通り過ぎていく。口ぶり的に相手の男は先輩なんだろう。上井若菜は私達を気にかける様子も見せず、目をきらきらさせて楽し気に会話しながら通り過ぎて行った。
二人が付き合っているのかどうかは知らないけど、すごく良い雰囲気なのは間違いなかった。
「夏希」
「やったね」
私達はハイタッチを交わした。
上井若菜に男ができたという噂は本当だった。私が蹴落とす前に、私の敵は自ら勝負を下りたんだ。
※ ※ ※
後はもう、想いを伝えるだけだった。
もう私と聡太君の間を邪魔する人間はいない。聡太君の心を縛り付けてきた上井若菜は消えた。
「じゃあ、私が呼んでくる」
葵はそう言って、昼休みに聡太君を呼び出してくれた。特別教室棟の三階の突き当り。絶対誰にも見られないその場所に、聡太君はポケットに手を突っ込んだまま何気ない顔をして現れた。
「好きです。私と付き合って下さい」
顔も見れないぐらい恥ずかしくなって、言うと同時に頭を下げる。
でも聡太君の声はなかなか落ちてこなくて、恐る恐る顔を上げると、びっくりするぐらい無表情な聡太君の顔があった。
「……」
想像もしなかった冷たい反応に声も出ない。どうしてそんな顔するの?
「ご、こめん……。いきなりだったよね。でもほら、聡太君が好きだったっていう中学の子、彼氏できたって聞いたし、もしかしたら今なら私にも少しぐらい可能性あるかなーなんて……ははは」
「なんでそんな事すんの?」
咄嗟に思いつく限りの言い訳を並べる私は、明らかに苛ついた聡太君の声に口をつぐんだ。
「上井の事、わざわざK校まで見に行ったらしいじゃん。ストーカーかよ気持ち悪い」
「そ、それは葵が」
「は?」
上井若菜を偵察に行った事がバレたんだ。だから聡太君は怒ってるんだ。咄嗟に取繕おうとする私に対し、聡太君口から飛び出したのは思いもよらない言葉だった。
「自分で巻き込んどいて何言ってんの? 葵、どんだけ辛い思いしてると思ってんだよ。ストーカーの手伝いさせられたり、お前のために好きでもない智徳といい感じにさせられたり、毎日泣いてたんだぜ。いい加減、友達ヅラして葵の事利用すんのやめろよ」
手伝いをさせられたってどういう事?
聡太君の言っている意味が理解できず、頭の中が真っ白になる。葵が辛い思い? 泣いてた? 友達ヅラして利用?
「葵が泣いてたって、どういう事? そんなはず……」
「いい加減しらばっくれんのやめろよ。最低だな。俺がここに来たのだって、お前に呼んでこいって命令されたって、あいつが泣くから来てやったんだ。ちょうど良い機会だから言っとくぞ。お前もう、葵に関わんなよ。あいつに近寄ろうとしたらただじゃおかねえからな。いいか、よく覚えとけよ」
聡太君は吐き捨てるように言い、肩をいからせながら去って行った。
一体、何がどうなっているんだろう。聡太君は何を誤解しているんだろう。
混乱した頭で教室に戻ると、突然私の居場所がなくなっていた。
みんな私を避けるように視線を逸らし、ひそひそと耳打ちし合った。葵は人が変わったように聡太君の側を離れず、わかりやすい程彼に対して媚を売った。そんな葵の肩や腰に腕を回し、見せびらかすかのように振る舞う聡太君を見て、私は何が起こったのか一瞬で理解した。
ちらりと私を盗み見た葵の目に、優越感が覗いた気がした。葵は私を応援するフリをして、逆に私を利用したのだ。
「最後はかならず私が勝つ。それは夏希だって一緒だよ」
不意に、葵の言葉を思い出す。不自然な言葉だと思ったけれど、今思えばあれは彼女の気持ちをそのままストレートに表したものだったとわかる。葵は最初から、私をダシに聡太君に近づく気だったんだ。
私には応援しているフリをしながら、その実手のひらの上で踊らせて、まるで自分が利用されてるかのように聡太君には吹き込んだ。上井若菜も私も蹴落として、聡太君を自分のものにしようと企んでいたのだろう。葵は最初から、自分が勝つつもりでいたんだ。
葵の本性に気づいた時、どうしようもないくらい全身が震えた。それが怒りなのか、恐怖なのか、私には判別のつけようもなかった。
ただ一つ確かなのは、まだ一年も経たない内に、私の高校生活は終わったかもしれないという事だけだった。
※ ※ ※
葵と聡太君の関係はすぐさま公然のものとなり、葵は毎日我が世の春を謳歌し始めた。あんなに仲良くしていた私を元々知らない人間のように扱い、彼らの意を汲み取ったクラスメート全員が右に倣えで私を無視する。
一人ぼっちになった私は、後日風の噂で葵が中学時代に怪我した原因を聞いた。
部活の最中、チームメイトに階段から突き落とされたらしい。
レギュラーとして活躍していた葵に嫉妬したんだろうとか、元々陰気な子だったとかいうのが理由とされているようだけど、今の私にはわかる。
きっとその子も、葵にハメられたんだ。
特別教室への移動中、私はこっそり聡太君と並んで歩く葵の真後ろに忍び寄った。階段を下りようとした瞬間を見図り、きゃっきゃと嬌声をあげながらはしゃいで歩く葵の背中を渾身の力で蹴り飛ばす。
「きゃあぁっ」
悲鳴をあげ、ごろごろと階段を転げ落ちる葵。
「葵、葵っ!」
「大丈夫か!」
頭から血を流し動かなくなった彼女に、聡太君や周りの人間が駆け寄った。悲鳴と罵声が飛び交い、楽し気な雰囲気が一転して地獄絵図に変わる。
「夏希……お前なんて事を!」
葵を介抱しながら、聡太君は階段の一番上に立ったまま見下ろす私を睨みつけた。
なんて事? むしろ中学、高校と同じように二回も階段から突き落とされる女って、一体なんて人間なんでしょうね。いくらなんでも二回も続いたら、今度こそ知らんぷりはできないんじゃないかしら。
最後はかならず私が勝つ? 冗談じゃない。私は絶対に、勝ち逃げなんかさせない。私が堕ちる時は、あんたも一緒に堕ちる時だ。道連れにしてやる。
驚愕と恐怖と憤怒と、様々な感情をまとって集まる視線に、私はお姫様のように上品な笑みを返してやった。
足蹴 柳成人(やなぎなるひと) @yanaginaruhito
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