単純な作戦で勝利する話

白里りこ

単純な作戦で勝利する話


 今回の戦の重大局面に際して、私の出した指示は簡単だった。


「敵軍をまとめて正面突破だ」


 ええっと部下たちがどよめく。


「他に策はないのですか」

「単純すぎます。あなたらしくもない」

「むざむざ兵を死なせるおつもりか」


 私はキッと皆を見回した。


「私に何か文句があるか。幾多の戦争を勝利に導いてきたこの私に?」


 誰もが押し黙った。私はいかめしく頷いて、それから急いで細かい指示に入った。


 敵軍勢力十二万に対し、こちらは十三万。勝利を確信するにはあまりにも頼りない数だ。しかも誰もが長期遠征によって疲弊している。

 しかし、だからこそ、この戦いは一日で終わらせたかった。正面から敵軍を蹴散らして戦意を喪失させる。練度の高い我が軍ならばそれも可能だと見込んでの作戦だ。必ず有効に働くに決まっている。


 私は身支度を整えて、戦場へ出た。


 緑の丘で、両軍は既に睨み合っている。


 旗が風に翻る。軍服をビシリと着こなした騎兵たちが、馬に跨って整然と並んでいる。

 時は満ちた。


「全隊、前進せよ」


 私は指示を出した。

 隊列が動き出す。

 

 そうして合戦が始まった。

 

 耳を聾する砲撃の音。立ち上る硝煙。男たちの怒号。ぶつかり合う刀。

 私は馬を乗り回して、幾人もの敵を切り捨てた。砲弾が近くに落ちたので、思わず高笑いをした。

 ここだ。ここが私の生きる場所。戦いの中にあってこそ、私は生きていることを実感する。

 私は不死身の将軍だ。殺せるものなら殺してみろ。


 ところが一時間が経過した頃、戦況は泥沼と化していた。

 互いに消耗が激しすぎるのだ。

 猛進せんとする我が軍に対して、敵軍が思ったより粘っている。地の利を活かして高所からの集中砲火を浴びせてくるのが厄介だった。

 今回の作戦は時間との戦いだというのに、ここまで膠着してしまってはまるで意味がない。


 しくじったのか?

 この私が?

 そんなはずがあるか?


 しかし、戦況は一向に好転しない。両軍とも、被害がこれまでになく凄惨なのは、火を見るより明らかだった。


 さすがに私も笑っていられなくなった。冷や汗が滴り落ちる。

 だが私が最も勇猛果敢に戦う姿を見せなければ、部下の士気が落ちてしまう。ただでさえ、絶望的な戦況で周囲は地獄絵図だというのに、私がめげて何とする。


 やがて日が暮れる時刻となり、両者は攻撃を一旦中断した。


 兵たちが怪我人の手当てや死体の回収に当たっている間、私は頭を抱えていた。

 こちらの被害は推定三万人。途方もない数字だ。これでは攻撃力を維持できないばかりか、この地にとどまることができるかどうかすらも怪しい。

 敵方の死者は約六万との報告が入っているが、果たして明日までにどれほどの援軍がやってくるのか……。


 ああ、正面突破によって一日で決定的な勝利を掴むはずだったのが、全て台無しだ。


 ……だが、退くわけにはいかない。

 ここまで来て負けて逃げ帰ることだけは、どうあってもできない。

 どうする。

 このまま兵を無駄死にさせつつ、相手の降伏を待つ? 馬鹿馬鹿しい。そのような愚策は、生まれてこの方とったことがない。これでは、祖国を思って立派に戦う兵士たちに申し訳が立たないではないか。


 ぐぬぬ、と唸りながら作戦を練る私のもとへ、伝令が駆けつけてきた。


「将軍!」

「何だ」


 彼は衝撃的な報せを持ってきていた。


「敵軍が撤退を始めました!」

「何ィ!?」


 私は慌てて立ち上がり、地図もペンも放り投げて、野営所を出た。

 確かに、後片付けをしながら退却していく敵の姿が遠目に確認できる。


「やった……やったのか」

「我が軍の勝利です、ナポレオン・ボナパルト様」

「やったぞ。やった。皆の者、やったぞ!」


 私は各隊へ知らせをやった。あちこちでイェーイと歓声が上がった。

 失ったものはあまりにも多かったが、苦労した甲斐があったというものだ。死んだものたちも浮かばれよう。


「我らがナポレオン・ボナパルトに万歳!」


 皆はそう言って、ラ・マルセイエーズを歌い始めた。フランスの革命の勝利の歌だ。我々は勝ったのだ。やはり最後に勝つのは我らがフランス軍。革命は正義であり、不滅なのだ。誠に喜ばしく、誇らしかった。


 翌朝、私は軍を引き連れて丘を登った。眼下にはこれから制圧する予定の町が見える。朝の光に美しく照らされるこの街は、これから我がものとなる。

 どうしても欲しくて、それでも無理だと諦めかけていたものが、目前にある。私が来るのを静かに待っている。私は胸が震えるのを感じた。


 ついにやったぞ。これでこの地を手に入れられる──。かつて誰も為し得なかった偉業だ。素晴らしい。


「行くぞ!」


 私は一声かけると、馬に鞭を打って街へと駆け下って行った。部下たちは喜び勇んでそれに続いた。

 喜ぶがよい、民衆たちよ。そなたらを圧政から救う軍隊が、今、勝利の旗を掲げて、迎えにゆく……。


 ──ところが。


「何だ、これは」


 街の入り口に着いた私は、その異様な様子を目の当たりにして唖然としていた。


 誰一人として迎えの者が来ないのだ。

 人っ子一人いない異国の町は、閑散としていて、恐ろしいほどに殺風景だった。


 ……王家や貴族に虐げられてきた民衆たちが、革命軍による解放を歓迎しないなどということがあるだろうか? こんなことは前代未聞だ。

 モスクワの市民たちは一体どうしたというのか。


「どういう……」


 困惑の言葉を呟いた私だったが、実際のところ、既に悟っていた。


 ──私の負けだ。負けたのだ、私は。


 合戦では、確かに勝ったのに。


 昨夜のうちに、モスクワ市民の大多数が疎開させられたに違いない。この町にはもう、我が軍に補給をする能力などない。誰も我々に食べ物を持ってきてはくれないし、軍需品を供給してはくれない。よって我が軍は、これ以上先へは進めない。

 ナポレオンがロシアを手に入れることは、できない。


 やがて街には火が放たれた。それはみるみる燃え広がり、モスクワの街の八割は焼け落ちた。

 ロシアお得意の焦土作戦だ。

 自らの街を焼き払うことによって、相手の補給の手段を徹底的に絶つ。すると相手は自然と力尽きて、帰らざるを得なくなる。

 もちろん、ロシア側の民衆の犠牲が大前提となる。モスクワの市民がここまで無抵抗だからこそ成し得る技。

 実に単純で、有効な作戦だ。


 私は、しばらく粘ることにした。


 ロシアの皇帝や将軍と交渉を試みた。


 最後の足掻きだ。

 休戦しようと持ちかけた。退路の安全を確保するために。


 だが、てんで相手にされない。返事が来ない。一向に。


 戦に疲れた我が軍の兵士たちは、耐えきれずに、家々に侵入して略奪行為を始めた。

 それでも私は我慢して待った。


 やがて一月が過ぎ、モスクワに初雪が降った。

 ようやく私は諦めようという気になった。

 フランスの軍は、ロシアの厳しい冬には耐えられない。とねも無理だ。


 私たちの軍は、ぼろぼろになった服をまとい、お腹を空かせたまま、隊列を組むこともせずに、モスクワを後にした。


 ──撤退。私たちは負けて帰る。

 私は自嘲の笑みを溢した。


 相手にこんな奥の手が残されているのなら、まるで初めから向こうが勝つのが約束されていたようなものではないか。実際には色々な要因が複雑に絡み合った結果なのだろうが……とにかく、ひどい話だ。


 だが、ことはそれだけでは済まなかった。


 あれだけ休戦しようと持ちかけておいたのに、ロシア軍はこちらの敗走を見計らって、全力で追撃をかけてきたのだ。


 逃げるものよりも追うものが圧倒的に有利なのは、戦の常だ。

 我が軍は更に甚大な被害をこうむることになってしまった。


 川を渡ることによって何とかロシア軍の手を逃れたものの、我が軍は壊滅状態といってよかった。しかも、やっとの思いでたどり着いた冬営地にはとっくに雪が降りつもっていて、しかも食糧すら期待したほどの量は備蓄されていなかった。

 我が軍の疲労は極限に達した。


 フランスに帰ってきたとき、我が軍は、もはや軍とは呼べないほどの惨状を呈していた。


「……やられたよ」


 私は呟き、宮殿に帰って行った。



 おわり

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