勇気を出して、はるかちゃん

 はるかちゃんは勉強を頑張って、大学に通うことになった。

 今度は一人暮らしをするんだって。


「熊五郎も連れてくの?」

 ばあばが寂しそうに言う。


「うん。一人で寝るのは寂しいし」

「いつでも帰って来ていいのよ」

「うん」

「週末には帰って来なさい」


 じいじとばあばが、はるかちゃんを寂しそうに送り出す。

 大丈夫、僕がはるかちゃんのことを守るからね。


 はるかちゃんは大学に通いながらバイトをして、忙しそうだ。

 よく友達が泊まりに来る。たまに、男の人も来る。

 もうはるかちゃんも大人だからね。僕は、もう騒いだりしないよ。そういう時は目を閉じて、耳もふさいでいる。

 でも、男の人とは長続きしなくて、3か月ぐらいで別れてる。

 はるかちゃんは、そういう時は僕を抱きしめて泣くんだ。


 泣かないで。

 僕がいるからね、ずっとそばにいるからね。

 いつも、そう言ってあげるんだ。


****************


 そして、はるかちゃんは会社で働きはじめた。

 ベンチャー企業ってところで働いてるみたい。

 毎日、朝早くに出かけて、夜遅くに帰って来る。

 帰って来てからもパソコンでお仕事をしてて、毎晩眠るのは3時か4時ごろ。そして、朝7時には起きて、仕事に出かける。その繰り返し。


 大丈夫かな。はるかちゃんもママのように倒れたりしないかな。

 僕の心配をよそに、はるかちゃんはイキイキとしてる。元気ならいいんだ。楽しいなら、いいんだ。


 ある日、はるかちゃんは男の人を家に連れて来た。


「へえ~、きちんとしてるじゃない?」

「家にいる時間が少ないから、あんま散らからないんだと思う」


 その男の人は僕を見つけて、手に取った。僕を汚らしいものでも見るような目つきで睨む。

 まあ、毛並みもモフモフじゃなくなっちゃったし、あんまキレイじゃないけど。


「あ、それ、熊五郎。私のお守り」

「ずいぶん、古そうだね」

「うん。パパが1歳の時に買ってくれた誕生日プレゼント」

「中野さんの家って確か」

「パパとママは7歳の時に離婚しちゃって、それからパパには会ってないな」

「そっか。苦労してるんだね」

「それほどでもないよ」

「でも、お母さんも亡くなって」

「まあね。でも、ばあばとじいじがいてくれたから」

「偉いな。中野さんのそういうところ、尊敬する」


 それから二人はビールを飲みながら、一緒にDVDを観て、キスをして、一緒に朝を迎えて。


 男の人は、毎日のようにはるかちゃんのところに来るようになった。

 はるかちゃんの誕生日には、バラの花束と一緒にケーキを買って来たり、帰りが遅いはるかちゃんのためにお弁当を買って来たり。はるかちゃんのことをよく褒める。


 優しい男の人。たぶんね。でも、なんか僕は気になるんだ。一人でいる時は、すごい怖い顔してスマホをいじってるんだ。何なんだろう。


***************

 

 1年後。僕ははるかちゃんと一緒に引っ越した。

 はるかちゃんは、結婚したんだ。新しいマンションに住むことになった。


 はるかちゃんは幸せそうだ。毎日、嬉しそうだ。楽しそうだ。

 はるかちゃんが幸せなら、僕も嬉しい。


 だけど、一か月も経たないうちに、雲行きが怪しくなってきた。

 はるかちゃんが仕事から帰って来たら、旦那さんは「こんな時間まで何してたの? 浮気してたんじゃないの?」って怒るんだ。

 はるかちゃんが残業だって言っても、「定時で上がれるように仕事するのが普通じゃない? もしかして仕事できないの?」なんて責めるんだ。


 はるかちゃんが頑張って料理も洗濯も掃除もしてるのに、「料理がマズい。料理らしいもの、作れないの?」って文句ばっか。

 はるかちゃんが言い返したら、その後何日も口をきいてくれなかったり。


 あんなに幸せそうに輝いていたはるかちゃんが、みるみるしぼんでいった。

 家にいる時は、旦那さんがピリピリしてるから、はるかちゃんはずっとビクビクしてる。

 そんなはるかちゃんを、僕は見たくないよ……。


***************


 涙にはいろんな種類がある。

 痛くて泣く涙、悲しくて流す涙、悔しくて零す涙、嬉しくて頬を濡らす涙、感動してあふれる涙。

 はるかちゃんのいろんな涙を見て来た。どの涙も愛おしかった。


 でも、おびえて流す涙はイヤなんだ。震えながら泣いているはるかちゃんを見てると、僕は胸がギュッと苦しくなるんだ。


 ある日、旦那さんが物を投げて怒り出した。

 きっかけはささいなことだった。旦那さんが脱いだ服をその辺に置きっぱなしにしてるから、はるかちゃんが「洗濯機のとこまで持って行ってくれると助かるんだけど」って言ったんだ。


 そしたら、旦那さんは「誰に向かってそんな口をきいてるんだ!」って、ゴミ箱を蹴とばした。


「家事をまともにできないくせに、偉そうに言う資格ないだろ!」

 テレビのリモコンを壁に投げる。壁がへこんで、リモコンはバラバラになった。


 ついに、僕をつかんで、「こんな汚いぬいぐるみ、さっさと捨てろよ!」って、床に投げつけて、蹴とばした。さらに踏みつけようとする。


「やめてー!」

 はるかちゃんは慌てて僕をかばう。


「んだよ、頭おかしいんじゃねえの? そんなんをかばうなんて」

「熊五郎は、パパとママが……っ」


 言葉にならない。はるかちゃんが号泣すると、旦那さんは舌打ちして出て行ってしまった。

 残されたはるかちゃんは、床に突っ伏して泣き続ける。

 震えながら。震えながら。


***************


 ねえ、はるかちゃん。

 僕はずっとそばにいるよ。


 何度でも言うよ。

 僕はずっとそばにいる。僕は君のそばにいる。僕が一緒にいるから。


 だから、ここから逃げ出そう。

 君は一人じゃない。独りぼっちじゃないよ。

 

 君は、もうずいぶん頑張った。はるかちゃんに、悪いところなんて一つもないよ。

 だから、自分を責めないで。自分を嫌いにならないで。


 泣かないで。

もう泣かないで、愛しい、愛しい人。

 君は、誰よりも優しくて、誰よりも強い。僕はそれを知ってるよ。

 だから、逃げ出そう。二人で、どこか別の街に行こう。


 僕がはるかちゃんの夢に入り込めるのなら、そう言ってあげるのに。

 僕は味方だよって。世界中が敵に回っても僕は味方だよって、言ってあげるのに。

 僕にはそれができない。

 ただ黙って見てるしかできないんだ。


***************


 次の朝、まだ暗いうちに、はるかちゃんは泣きはらした目で、スーツケースに荷物を詰めはじめた。僕を一番上に置いて、寂しく微笑む。


 そして、スーツケースを閉める。

 はるかちゃんの目には、強い光が宿っていた。


 家の中を忍び足で歩き、そっとドアを開けて閉める。

 はるかちゃんは、足音がしないように、静かに静かに歩く。やがて、早足になる。


 そうだ。それでいいんだよ。

 君の人生は、君だけのものだ。

 君はいつでも自由なんだよ。何者も、君を悲しませたり、苦しめたりしちゃいけない。

 君は幸せでなくちゃいけないんだ。

 誰よりも。誰よりも輝いていなくちゃ。


 さあ、駆けだそう。

二人でまた始めようよ。新しい街で、新しい人生を。

 10年後も20年後も、僕はずっと一緒だからね。

 ずっとずっと、そばにいるからね。




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泣かないで、僕の愛しい人よ。 @nagi77

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