泣かないで、はるかちゃん

 はるかちゃんは中学生になった。

 部活でテニス部に入ったんだって。毎日、遅くまで練習して帰って来るんだ。


 僕の定位置は、だいぶ前からタンスの上になった。はるかちゃんはぬいぐるみと寝るのを卒業しちゃったんだ。

 しかも、はるかちゃんは僕のことを「熊五郎」って呼ぶようになった。

 まあ、いいんだけど。「まあ君」って呼んでくれてた、かわいいはるかちゃんはどこに行ったんだ……。


 ママとは毎日LINEをしてる。週末に帰って来た時は、料理も作ってあげてるみたい。偉いよね。優しいよね。


 はるかちゃんは、休みにはよく友達とスマホで話してる。ベッドの上に寝転がって、何十分も話すんだ。


「そんで、杏先輩が、涼真先輩と原宿にトゥンカロン食べに行ったって話してて。ってか、杏先輩、サッカー部の先輩とつきあってたっしょ? インスタで匂わせてたじゃん。そう、あの消えそうな色コーデしてたやつ。涼真先輩とつきあってるなら、ぴえんこえてぱおんだよ」


 もう僕には、話の意味がよく分からない。

 これはあれだね、英語を使って話してるんだね、きっと。はるかちゃんは勉強熱心だから。


「えっ、3組の江口が? マジありえね~」


 うん、はるかちゃんは、何か変なものを食べちゃったのかもしれない。

 大丈夫、そのうち、元のはるかちゃんに戻るはずだから。だ、大丈夫、大丈夫……。


***************


 ある日、じいじとばあばが出かけている時に、はるかちゃんは友達を連れて来た。


「ここが私の部屋」と言いながら、ドアを開ける。


「へえ~、すげえ女の子っぽい部屋じゃん」


 学生服を着た男の子が入って来た。

 え??? どういうこと? はるかちゃん、誰、それ?

 

 その男の子はぐるっと部屋を見回して、僕のこともチラッと見た。目が合っちゃったよ。


「ってか、よく男来るの? ここ」

「え~、来ませんよお。涼真先輩が初めて」


 そいつが涼真先輩か! 

 なんで杏先輩とつきあってる涼真先輩が、はるかちゃんの部屋に来るの? 僕に分かるように説明してほしいな。


「あ、なんか、音楽とか聴きます?」

「うん、適当でいいよ」

「何か飲んだりします?」

「いいよ、さっき飲んだし」


 涼真先輩とやらは、無礼にもはるかちゃんのベッドに腰かけた。


「オレ、中野にチョコもらえるなんて思わなかったからさ。すっげえ嬉しかった」

「ホントに? 私も、涼真先輩が受け取ってくれるなんて、思わなかった」


 涼真先輩は、はるかちゃんの腕をつかんで、ベッドに座らせた。


「オレ、中野のこと、ずっといいなって思ってたんだ」

 はるかちゃんは照れて俯く。


 ちょっと待て、ちょっと待て、ちょっと待て。

 この展開、マズいマズい。マズいんじゃないか?


 涼真先輩ははるかちゃんの顔を覗き込む。はるかちゃんが恥ずかしそうに見上げると、涼真先輩は顔を近づけて、唇を重ねた。


 なんて、なんてことをしてくれるんだあああ!

 僕は絶叫した。今すぐでも涼真(←呼び捨てな)に飛びかかりたいんだけど、できないんだ(涙)。


 でもでも、はるかちゃんのファーストキスの相手は僕だから。

 はるかちゃんのファーストキスの相手は僕だから。

 はるかちゃんのファーストキスの相手は僕だから。

 3回ぐらい言い聞かせないと、動揺がおさまらないよ。


 キスが終わると、涼真はあろうことか、はるかちゃんのセーラー服に手を入れて胸を触り始めた。


 待て待て待て待て待て待て。

 まだ早いまだ早い、その先は、まだ早すぎる!!


「えっ、先輩、ちょっと待って」

 はるかちゃんは戸惑っている。


「大丈夫、痛くしないから」

「や、ちょっと、それは」

 涼真ははるかちゃんを押し倒す。


 やめろ~~~! 僕が大絶叫した時。


「ただいまあ」

 ナーーーーーーーイス! ばあば、ナイスタイミング!!


「なんだよ、誰も帰って来ないんじゃなかったのかよ」

 涼真はあきらかに不機嫌になって、起き上がった。


「そのはずだったんだけど」

「オレ、帰るわ」

「えっ、え?」


 困惑しているはるかちゃんを置いて、涼真はさっさと出て行ってしまった。


「え? 先輩?」


 はるかちゃんは追いかける。階段をドタドタと駆け下りる音がして、バタンと勢いよくドアが閉まった。


「あら、はるか、お友達が来てたの?」

「……なんで? 今日遅くなるって言ってなかった?」

「それが、今日の話し合いはあっという間に終わったの。それで、PTAの会長さんがね」

「もうっ」


 はるかちゃんは階段を駆け上がって、部屋に飛び込んだ。


「はるかー? どうしたの?」


 はるかちゃんはベッドに身を投げ出す。


 あんなやつに変なことされなくて、よかったじゃないか。もっといいヤツがいるよ。あいつはダメだよ。はるかちゃんを幸せにはできないよ。

 僕はそう慰めてあげた。

 はるかちゃんは顔を真っ赤にして僕をつかむと、「もうっ!」と壁に投げつけた。


 ――なんで??? 僕は何も悪いことをしてないよ? どうして?


****************


 はるかちゃんは高校生になった。

 ママと一緒に暮らすことになって、また東京に戻った。二人で、2Kのマンションに住むことになった。

 はるかちゃんは学校に行きながら、バイトも始めた。ママを少しでも楽させたいからって。やっぱり、はるかちゃんは優しいいい子だ(感涙)。


 ママとはるかちゃんは、久しぶりに一緒に暮らして、楽しそうだ。

 一緒に料理を作ったり、買い物に行ったり、テレビで盛り上がったり。はるかちゃんは洗濯や掃除もして、ママを懸命に助けてあげてた。

 二人の嬉しそうな姿を見られて、僕も嬉しい。


 だけど、1年も経つと、だんだんはるかちゃんの帰りが遅くなった。

 ママが心配して、「若い子がこんな時間まで出歩いてたら、危ないじゃない」って言っても、「バイトの友達と遊んでただけだから」なんて言うんだ。朝までカラオケで遊んで、帰って来ないこともある。


「誘いを断れないなら、そんなバイト、辞めなさい」

「私が行きたくて行ってるの」

「遊びたいなら、大学に入ってから遊べばいいでしょ?」

「いいじゃん、みんな遊んでるんだから」


 はるかちゃんとママはよくケンカするようになった。ケンカをした翌朝は、はるかちゃんはママとは一言も話さないで出て行っちゃうんだ。

 見送る、ママの哀しそうな瞳。

 早く仲直りできるといいんだけど。


 その日は、ママはいつもの時間に仕事から帰って来た。はるかちゃんは今日もバイトだ。

 キッチンで何か大きな物音がした。今まで聞いたことがない音。

 でも、僕は動けないから見に行けない。なんだろう?


 はるかちゃんは、その日も11時を過ぎてから帰って来た。


「ママ?」


 はるかちゃんの声が変だ。


「ママ? ママ? どうしたの? ねえ、ママ?」


 それから救急車が来て、いろんな人が部屋を出入りして、大騒ぎになった。はるかちゃんはその間、ずっと泣きながら「ママ、ごめんね」って呼びかけてた。


****************


 はるかちゃんは、久しぶりに僕を抱きしめている。

 はるかちゃんは泣いている。もう何時間も、ずっと、ずっと。温かな涙が僕を濡らす。


「はるかが悪いんじゃないの。ママは働きすぎて、疲れてたのよ」


 ばあばが、はるかちゃんを慰める。じいじもばあばも泣いている。二人とも黒い服を着て。


「それで、どうする? ここで一人で暮らすわけにはいかんだろう」

「悟さんも、新しい家族がいるみたいだし」

「はるか、またうちに来るか? 学校まで遠くなるけど。転校するより、今の学校がいいだろ?」


 はるかちゃんは頷く。

 そして、はるかちゃんは、またじいじとばあばと暮らすことになった。


 はるかちゃんは、毎日部屋に閉じこもって泣いたり、ボーっとしてる。

 大丈夫だよ。

 ママははるかちゃんを恨んだり、怒ったりしてないよ。僕はちゃんと見てたから、知ってるんだ。ママが、どんなにはるかちゃんのことを愛してたかって。


 ある日、見かねてばあばが、「ママはあなたが大学に行けるようにって、頑張って働いてたのよ」と言った。


「ママはいつも、あなたのことを一番に考えてた。だから、自分を大切にしてね」


 それから、はるかちゃんは少しずつ少しずつ、前を向くようになった。

 そうだ。はるかちゃんは、強い子だ。今までだって、いろんなことを乗り越えて来たんだから。

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