全12話。1話につき2000文字程度で軽く読み進めていける構成になっているが、その内容は禍々しくも得体の知れない何かについての語り。「ホラーですか……。ちょっと苦手かもしれませんね」なんて読者には全くおススメしないどころか、おススメしてはいけない具合の恐怖小説だ。
人間がいちばん恐怖を感じるタイミング。それは恐怖を生み出す怪異やら怪物やらが目の前に現れる寸前。ここの時が一番怖く、それがなぜかというのが、この作品の語るところだろう。恐怖を増長させる要因は人間の想像力。その強さが一番大きくなるのが上記のタイミング。
言ってしまえば、恐怖というのは想像によるところが大きい。読者に、観客に、想像さえることがホラーとカテゴライズされる作品において最も求められる技術である。そうした意味で「小説」という表現方法が、他者に恐怖を伝える上で最も有力な方法だと思う。
その中でも「語る」という行為。これが一番、恐怖を伝達する。本作はその形式を用いて、我々読者に確かな恐怖を伝えてくるわけだ。しかも、これがただの「語り」ではない。語り手の正体が最終話まで判然としない。
著者は、我々に想像させているのだ。
迎える最終話。読み終えたとき我々は体験する。恐怖というものが、その身に迫っていることに気づく。
本作は、岩井志麻子の『ぼっけえ、きょうてえ』を彷彿とさせる優れた短編だ。「妖怪」という日本に土着しているコンテンツに、現代的なリアリズムに照らして語り進められている。ゆえに、描かれる恐怖は真に迫り、その描写は読者の脳裏にこびりつく。
まったく、はた迷惑な作品だ。だが、大好きだ。恐怖小説はこうでなくてはいけない。こんな小説を他にも読んでみたい。妖怪をテーマにした、現代的な怪談を読んでみたい。
本として。一冊にまとめ上げられた作品として読んでみたいと、そう思わせる一編だった。
妖怪とはいったい如何なるものであろうか?
そんな深淵の底をのぞき込むがごとき、本質に迫る恐怖譚です。
「屏風のぞき」なる高名とは言い難い妖怪をテーマとして、ただ屏風の向こうから覗き込むだの妖怪の話で、恐らくは鳥山石燕が残した妖怪画から着想を得て……ここまで掘り下げた話が作れるとは、素晴らしいの一言です。
柳田邦男先生はこう語っています。
「妖怪とは零落した神である」と。
しかし、それでは猫又はどうなのか。元は人間だったものが妖怪化したものだってあるのではないか。そう疑問を抱かれた方もいらっしゃることでしょう。
しかし、それは解釈の違いというものなのです。先生のおっしゃりたかった事は恐らく「信じる心」信仰心についてなのです。
たとえ一枚の屏風に過ぎずとも、しかるべき手順を踏めば妖怪に至る。この作品を読めばそれが納得できるのではないかと思います。
妖怪好きであれば是非!