折りたたみ傘の正しい使い方

根古谷四郎人

折りたたみ傘の正しい使い方

 折りたたみ傘という道具がある。誰もが知っている超お馴染みの道具だが、僕は正直使いこなせない道具だと思う。雨が確実に降る日は大きい傘を持って行くから使わないし、うっかり雨に降られた日は大抵「今日は降らない」って思ってるから鞄に入っていない。僕もまた、そうして朝折りたたみ傘を持ってこなかった高校二年生だ。

  ザーーーーーーーーーーーッ

 そして学校の玄関で激しい雨を呆然と見ている。お天気お姉さんもスマホも、今日は晴れだって言ってたのに。

「はあ・・・。」

 誰かに傘を借りようにも、友達は皆とうの昔に帰ってしまった。僕だけ、今日は文化委員会に参加していたからだ。

 文化委員会は、その名の通り一か月後の文化祭の運営を行う委員会。この学校の生徒は皆お祭り好き。毎年各クラス、部活が渾身の企画を披露する。多種多様な飲食ブース、十メートルを超える巨大壁画、演奏会など。ただ自分の企画を愛するあまり、クラスや部活同士のマウント合戦、からの暴力沙汰が毎年起きる。そして、お祭り好きの学校の中でも特に祭り好きが集まるのがこの委員会。故に、熱量が多すぎて委員同士で喧嘩になる事もしばしばだ。今日、委員会が長引いてしまったのも、その熱量のせいだ。


「申し訳ないが、台本を全て作り直させていただきたい!」

 三年生の熱田(あつた)先輩のこの一言が全ての始まりだった。台本というのは、僕ら文化委員が文化祭の一番最初に行う開会式の台本だ。いうなればオリンピックの開会式のようなもので、文化委員が演じる劇を主軸に、軽音部が文化祭のテーマソングを演奏したり、放送部がPVを流したりと大いに盛り上げ文化祭の始まりを華々しく演出する。今年の台本は、文芸部でもある三年の熱田先輩が書いていた。一週間前に台本を渡された僕らは自分の台詞を練習したり劇に必要な衣装やセットの制作に入っていた。そんな中で配られた新しい台本を見た僕は悲鳴を上げそうになった。

「台詞増えてるぞ!?セットも作り直しだ!アタシらの仕事増やすな!」

 三年の犬下(いぬした)先輩がキレた通り、新しい台本は確かに面白いが今までの準備を一切無視していた。登場人物もセットも増えてる。それでも「まだ一か月あるから妥協したくない」と息巻く熱田派と「今までの準備を無駄にする気か」と怒る犬下派に委員が割れて大バトルが勃発。僕みたいにどちらにも付けない少数が、止めなきゃと思いつつ何も出来ずにいた。と、

「静粛に。全員手を止めなさい。」

 一気に辺りを氷点下に落す鶴の一声。全員が振り返った先にいたのは、我ら文化委員会のトップ、氷室(ひむろ)麗(れい)華(か)委員長だ。常にぴしっと伸びた背筋、鋭い眼光。その風貌と、委員長としての仕事ぶりから付いたあだ名は「冷血宰相」。そう呼ばれる所以は、ただ法のみ重んじ、相手が誰であろうと違反した者は容赦なく粛清するから。彼女には多くの伝説がある。

 中でも最も彼女が恐れられる理由となったのが、去年の「『文停』事件」。あるクラスが企画として、屋外でピラミッドのミニチュアを作っていた。ところが文化祭一か月前に大破した状態で見つかり、当時二年生で一委員だった氷室先輩は一人で犯人を突き止めた。そして、『文停』すなわち文化祭参加停止処分を下した。文化祭中の校内立ち入り禁止命令。祭り好きの生徒にはあまりにも辛い罰だ。発動したのは氷室先輩が初めてだったので、その名前は一気に知れ渡った。

 その後も違反した者には容赦なく裁きを下したので、文化祭が近づくと誰もが恐れおののく存在になった。それは、同じ文化委員でも例外ではない。全員がすくんで動けぬ中、氷室先輩は軍人のようにきびきび歩いて熱田先輩たちのところへやって来た。

「熱田君、聞かせていただきたい。今の台本はどこが納得いかないのです?」

 熱田先輩は緊張しつつ小五分、いかに今の台本が良くないかを語った。要は、コメディチックなのに展開のテンポが遅いんだそうだ。

「この劇では、ステージで動く演者に合わせて、舞台袖の声担当がマイクで台詞を言う事になっている。それも、劇のテンポを悪くしているんだ。」

「だから新しい台本では演者と声を同じ人にしてあるのですね。」

「はい!そして、話もより推敲を重ねた。断然よくなったと自負している!」

「成程。」先輩は深く頷いた。そして、真っ直ぐ熱田先輩を見た。

「・・・ですが、この台本を認める事は出来ません。なぜなら私達に残された時間は一か月ではなく、二週間だからです。」

「え!?そんなはずは―」

 熱田先輩だけでなく、他の委員たちにも驚きが広がり、ざわめいた。勿論僕も最初は驚いた。が、カレンダーを見てすぐ気づいた。

 実は文化祭の二週間前には中間テストがあるのだ。そして、テスト当日とその十日前はテスト期間となり、放課後に校内に残ることは出来ない。つまり、委員会の活動は一切できない。

「さらに体育館を使う企画は私達だけではありません。全ての企画に平等に練習時間を設けると、私達が本番同様にリハーサルが出来るのは二時間です。前回お伝えしましたよね。」

 多くの委員が下を向いた。皆忘れていたんだな・・・。

「熱田君がいくら優れた演出家でも、絶対的な練習量が足りないのです。ここまでを考慮すると、この台本をそのまま実行に移すことに私は反対せざるを得ません。」

「・・・・・・。」

 おそらくここまで考えが及んでいた生徒は誰一人いないだろう。完膚なきまでに論破された熱田先輩だけでなく、先輩に賛同していた他の生徒もうなだれている。先ほどまでの熱気はどこへやら、すっかり鎮火してしまった。

「さて、犬下さん。」

「ふぇっ!?」今度は犬下先輩が悲鳴に似た声を上げる。

「セットの方の進捗状況を発表してください。」

 犬下先輩は美術部で、セットのデザインを一任されている。だが、雨の日が続いたのと、ドリルなどの工具が足りなくて、予定よりセットの制作は遅れているそうだ。それを聞いた氷室先輩は、突然台本を広げてこう言った。

「熱田君、先ほど、テンポが悪いと話していましたね。では、思い切ってこの場面を切り捨てては?」

「えええ!?」

 熱田先輩だけでなく、委員全員が驚きの声を上げた。

「こうすれば、セットが三つ減ります。裏方のスケジュールも合うでしょう。」

「え?えーっと・・・でも・・・」犬下先輩が言い淀む。

「ま、待って下さい!」委員の一人がびくびくしつつ声を上げる。「それは・・・あんまりです。熱田先輩が可哀そう!」

「でも、間に合わなきゃ意味ないぞ。」別の委員。「それに、先輩自身台本が気に入らないなら、せめて修正はかけるべきじゃないか?」

「場面を減らさなくても台詞短くすれば―」

「演者と声担当も、動きを―」

 わいわいと委員たちから声が上がっていく。とうとうが耐えかねたように書記の角野先輩が黒板をたたいた。

「いっぺんに喋るな!委員長、俺は今から台本の手直しを委員全員でやるべきだと思うが。」

「良いでしょう。進行は任せます。」

「静かに!案を書いていくから一人ずつ喋れ!」

 こうして、委員全員で台本の手直しを始めた。議論は白熱し、対立していた犬下先輩たちもどんどん意見を述べていた。そうして台本が出来上がったのは、最終下校時間ギリギリ。生徒はその時間以降校内に居てはいけないので、皆挨拶もそぞろに校内から追い出された。でも委員全員満足げな顔で帰っていた。

 ところが、一人だけ氷室先輩がこわばった顔のまま、荷物も持たずどこかに歩いていってしまった。もしかして、口では手直しを了承してたけど、やっぱり「時間の無駄だ」って思ってたのかな。思えば話し合い中ずっとだんまりだった。そもそも新しい台本を熱田先輩が提案した時は容赦なく却下したのに、手直しを了承したのが驚きだった。熱田先輩があんまり凹んでるから、氷室先輩もさすがに可哀そうになったのかな・・・。


「天野君?」

「おぅっ!?」

 (心の中で)噂してたら影が差した。

「えと、ひ、氷室先輩まだ帰ってなかったんですね・・・。」

「体育館の下見をしていました。」

 さっき一人だけ違う方へ歩いていったのは、体育館に行っていたのか。でも、下見って?

「台本が改変されて、照明の演出が変わりましたね。ですが体育館を確認すると、青やピンクのライトはありませんでした。」

「ええ?!じゃあまた―」

「大丈夫です。私達の後に公演を行う演劇部が機材を貸してくださる事になりました。」

 思えば文化委員会には演劇部みたいな舞台経験者がいない。委員長の確認作業が無いと本番寸前で皆がパニックになるところだった。

「すごいですね先輩。」

「何がですか?」

「いやその・・・体育館の設備確認するとか、皆忘れているというか、考えてもいないと思うので。氷室先輩も、演劇部とかじゃないのに気付くって凄いなって・・・。」

「私も忘れていたのです。」

 えっと驚く僕の横で、先輩はこめかみを押さえてため息をついた。

「台本の改変があれば、当然演出も変わる。しかし、部活で舞台経験がある委員がいない以上、体育館設備を詳しく知る人もいません。前年も文化委員として開会式を経験した私は、もっと早く気付くべきでした。これは失態です。」

「そ、それを言うなら全員の責任ですよ!きっと、台本の事ばっか考えて、設備がどうだったかなんて頭に無かったし・・・。先輩だけが責められる事じゃないです。」

 そもそも、台本を変えるって熱田先輩が言い出さなければこうはならなかったのだ。今日から舞台の練習を始める事が出来たし、遅れ気味だというセットや衣装の制作に時間を割くことが出来たのに。

「実は、改変自体も止めようかと迷いました。」

「え?!」

「意外でしたか?」

 氷室先輩がこちらを見て言う。僕は心を読まれたようでバツが悪いのと、先輩があまり真っ直ぐこちらを見るので恥ずかしいのとで、もごもご言葉を濁しながら頷いた。

「・・・犬下さんと熱田君が言い争っている時、周りの委員たちも口々に意見を行っていたでしょう。」

「はい。どっちの先輩に賛成か分かれてて。」

「どちらが多そうでした?」

「え?うーん・・・同じくらい?」

「私もそう思います。」先輩が頷いた。「あの時、改変反対派と同じくらい、賛成派がいると分かりました。ここで無理矢理改変を中止しても、必ずしこりが残るでしょう。」

 お祭り好きの委員たちだ。小さなしこりであっても、文化祭が近づくにつれ爆発しないとは言えない。だから、台本を手直しする議論を止めなかったんだ。皆が納得する本になるように。・・・・ん?待てよ。

「もしかして、場面を切るってしたのも、手直しする議論が起こるように?」

「・・・私はそこまで演技が上手ではありませんよ。」

 先輩がちょっと笑ってそう答えるので、僕はそれ以上何も聞けなかった。

「ところで天野君。もしかして傘がないのですか?」

 先輩が傘立てから紺色の傘を引っ張り出しながら僕に尋ねる。

「そうなんです・・・。折りたたみ傘、今朝に限って家に置いてきちゃって。」

「でしたら、これ使ってください。」

 先輩はそう言うと、紺色の傘を僕の方に差し出した。当然、僕は首を手を横に振る。

「そんな、先輩が濡れちゃいますよ。」

「私は持っていますから。」

 そう言って取り出したのは、赤とオレンジのストライプ柄の折りたたみ傘。太陽みたいな色だ。

「意外でした?」

「え!?」

「オレンジは私のラッキーカラーなのですが、周りには『合わない』と言われまして。」

「そ。そんな事ないです!」

 僕は思わず声を大にして言ってしまった。先輩の目が丸くなる。

「先輩は、その色みたいな人ですから。」

 去年の今頃、クラス全員が地道にコツコツ作り上げた大作を壊され泣いていた。犯人の特定は絶望的で、生徒会も捜査を切り上げた。「外で制作していたお前らが悪い」と陰口を言う者すらいた。泣き寝入りしかないと思っていた僕の所に、先輩がやって来た。

「私はあなた方に笑顔で文化祭を迎えて欲しい。必ず見つけ出します。」

 地道な聞き込み、現場検証。そうして見つけ出した犯人は、何と当時の文化委員長と生徒会長だった。見逃さないと生徒会権限で「文停」にすると脅す二人に、先輩は言い放った。

「『文化祭規約第二十条。他の企画を妨害した生徒会および文化委員はその任を解くものとする。』・・・あなた方に、人の上に立つ資格は無い。」

 そう言って書面を突きつけ、二人を文停処分にし、委員長と生徒会長も解任させた。

 絶望の中に差し込んだ、太陽の光。皆は怖がるけど、僕にとって先輩は正義のヒーローで、温かくて眩しい、

「太陽みたいな人ですから。」

 ・・・・しまった、口に出てた!先輩はぽかんとしたままこっち見てる。耳がかーっと熱くなってきて、いたたまれなくなった僕は外に出ようとした。

「待って!」

 僕の右足は前に飛び出し、でも背中は後ろへ大きく引っ張られる。しりもちをつきそうなのを何とか持ちこたえた僕が振り返ると、氷室先輩が僕の右腕を掴んでいた。

「天野君は、変わっていますね。」

「えっ?」

 僕の右手に紺色の傘を握らせた。そして、自分は折りたたみ傘を広げる。雨で暗い風景の中に鮮やかに灯る。

「では、また一週間後の委員会で。ああ、傘はその辺りに立てておいて下されば」

「あ、明日返します!」

 先輩が言い終わるより先に、僕は叫んだ。

「なので、あの・・・明日、ここで、待っててもらって・・・・。」

 最後の方はごにょごにょとした声になり、自分でも何を言ってるか分からなかった。先輩は傘を差したまま、しばらくこっちを見ていたが、ふっと笑った。

「 」

「え?何です?」

 雨音が強まり、良く聞こえない。すると氷室先輩が僕の方に近づいて来た。

「分かりました。明日は部活動がありませんから、五時間目が終わったらここにいますので、その時に合流しましょう。」

「は、はい!」

「では、また明日。気を付けてお帰り下さい。」

「はい、先輩も!」

 僕がそう答えると、先輩の口元がふっと緩んだ。そして、くるっと踵を返すと背筋の伸びた美しい姿勢のまま歩いていった。それを見送った僕は、紺色のジャンプ傘をぼんっと開いた。ばたたたたっ、ばたたたたっ、と激しいけど軽快なリズムで雨が傘をたたいた。


「やはり、いつでも持ち歩くべきですね。」

 折りたたみ傘を広げながら思う。私を見ても怖がらず、委員長ではなく『氷室先輩』と呼んでくれる彼。太陽みたいな人、なんてクサい台詞を無意識に口にして赤面する。やっぱり変わった人だ。明日の待ち合わせの約束をした時、口から洩れた言葉が彼に聞こえなくて良かった。聞こえていたら、こっちが赤面するところだった。

「ラッキーカラーは本当でしたね。」

 私の頭上にだけあるオレンジの太陽を見上げて、そう呟いた。

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