秘密はイニシャルN

いすみ 静江

秘密はイニシャルN

 私は、となり腰掛こしかけるかれを教科書しにそっとのぞく。

 那珂川なかがわ澄人すみとくんを窓からの木漏こもれれ日がいろどる。

 陽が射したりかげりをあたえてとても神秘的だ。

 茶のねこっ毛が家のアイドルキャットみーこみたいで、可愛い感じがする。

 いけない。

 ひざの上で小説を読んでいるのを見付けてしまった。


「ナカガワさん!」


 胸がうさぎみたいにねた。

 澄人くんがしかられる!

 気が付いて欲しいから、わざと教科書を机へたたいた。

 

中川なかがわあおいさん、電子黒板の穴埋あなうめ問題を解きなさい」


 私の方か。

 三年C組は、ナカガワさんが二人も居て面倒めんどうになった。

 松田まつだ先生がぼやくのもよく分かる。

 つい先日まで、中川は私だけだと思っていたクラスに那珂川くんが現れた。

 教壇きょうだんでの自己紹介じこしょうかいを今も鮮明せんめいに覚えている。

 そうだ、あのときもかがやいていた。


「両親の都合で東京とうきょう葛柴かつしば中学に来ました。受験で残り一年となりますが、静かにしていますので、よろしくお願いいたします」


 そう言って水のごとんだかれは本当に大人しい。

 授業中に小説を読んでいるのに、成績は学年トップのながら族で、私には理解できない程うらやましい。

 私がどんなにがんばっても九番にしかなれないのに。

 そんな考えを払拭ふっしょくして、答えを手持ちのタブレットに入力した。


「先生、答えを送信しました」


 解答が、This stone( looks )( like )a jewelry .と大きい電子黒板に表示され、丸が付く。


「よし。次は、那珂川澄人さん。男女の別なくさん付けでフルネームだから、二人ともよく聞いて」


 再び胸が飛び出るかと思った。

 呼吸もあらく、胸に手をやる。

 かれが指名されて、今度こそ内職がバレる。

 でも、小説は引き出しにすべませたようで安堵あんどした。

 私も読書が好きだから、かれの本が気になってしまう。


「よし。那珂川も合格だな」


 チャイムが鳴ったと同時に、私がクラス委員だから礼の合図をした。


「ねえ、那珂川くん。今日の放課後に用事がある? 明日から、ゴールデンウイークでしょう」


 ああ!

 油断もすきもない。

 C組のマダム、真希香まきかさんとそのグループが取り囲んでいる。


ぼく、実家に帰るんだ」


 ざわついている教室で、かれの言葉がさった。


「実家……?」


 ご両親と東京に暮らしているはずなのに、実家へ行くって何だろう。

 私も会話に入りたい。

 けれども、勇気が少々足りないみたいで、疎外感そがいかん一杯いっぱいだ。


「それじゃあ、帰りは自転車だから。みなさん連休を楽しんでください」


 席を立つなり小説片手に教室の引き戸から去って行った。

 今からでは、私の足では間に合わない。

 折角、となりに素敵な人が来たのに、今日もおはようの挨拶あいさつもしていないことをやんだ。

 一人、黒い正門をける。

 溜息ためいきけにつぶやく。

 

「一人はさみしいな……。どうしてもグループではいてしまうから、島で孤立こりつしている。お友達が欲しいと願ったことが幾夜いくよもあったわ」


 さっさと帰りたくて、自暴自棄じぼうじきに道を急いだ。

 真っ直ぐ前を見ないでうつむいていた私が悪い。

 何かにぶつかって、あろうことかこしまでスカートがまくれる程に転んでしまった。


大丈夫だいじょうぶ?」


「那珂川くん!」


 自転車をしていたかれの背中に突進とっしんしたらしい。

 起こそうと手を差しべてくれた。

 でも、今まで男の子と手をつないだことなんてない。

 ためらいの時は五分も十分もあるように感じられた。


「ごめん、怪我けがはない?」


 いたりしてはいない。

 怪我けがなら、心の臓が飛びねている。


大丈夫だいじょうぶみたい。自分で立てるわ」


 スカートをたたくと煉瓦道れんがみちから色をもらってしまった。

 結構な転び方をしたものだ。


となりの中川さんだよね」


 かれはいつも小説にしか視線を送らないのに、今は私にその顔を向けている。

 困らせないで。


「覚えてくれていたの?」


 呆然ぼうぜんとしながらも小さく声を交わす。


「名前は直ぐにさ。ぼく栃木とちぎを流れる那珂川なかがわから苗字みょうじ由来ゆらいが来ていると両親に聞いたよ」


「私は、東京の中川なのかな? 面白い話ね」


 それから、帰り道の方向が同じと聞いた。

 葛柴かつしば商店街をけて一緒いっしょに歩く。

 きたいことがあったと思い出した。


「明日から、旅行か何かなの?」


秋田あきたの祖父母の家にとまりに行くんだ」


 三人家族だと聞いていたけれども。


「ご両親は?」


「東京で用事があるから、ぼく一人だよ」


 沈黙ちんもくが続いてしまった。


「ごめん、余計な話をしてしまって」


「いいよ。本当のことだし。それに、中川さんって思っていることが顔に出るから安心できるよ」


 め言葉ではないと伝わった。

 けれども、かれも本音で話してくれているのだろう。

 少し信頼しんらいされたと思っていいのかな。


「新幹線に乗って行く。東京発の東北とうほく新幹線しんかんせんやまびこが、盛岡もりおかから秋田あきた新幹線しんかんせんこまちになるんだ」


 商店街のアーケードが終わると、かれは自転車の向きを変えた。

 私はかれとここでお別れになっていいのだろうか。


「明日――!」


 両手にあせきながら声をしぼった。


「明日ね……」

 

「何? これから出掛でかける支度をするから」


 大きな橙色だいだいいろの太陽を背にして、かれが軽くり向いたときだった。

 近くのペットサロンから母が出て来た。

 そのキャリーバッグから、みーこが一つ鳴いた。


(碧ママにゃ、がんばってにゃ!)

 

 分かった。

 勇気を出すしかないね。


「那珂川くん。明日、お見送りに行ってもいい?」


「何で中川さんが?」


 自転車のブレーキがきしむ音がする。


「何時にどのホームへ行くの?」


 真剣しんけんいた。

 すると、生徒手帳を開いてこちらへわたしてくれた。


「これって、指定席のメモよね」


「最寄の葛柴かつしば駅を朝七時に発つよ」


 それから、半ば強引に一緒いっしょに葛柴駅で待ち合わせることにした。

 帰宅すると、恩返しとしてみーこにスペシャルご飯をやった。


「うふふ、うふふふ……。いいこね、みーこは」


「碧ちゃん、ご機嫌きげんね。テストの成績がよかったの?」


 お母さんが背後から声を寄越よこすので、どきりとした。

 男の子と話すのって後ろめたいものかも知れない。

 冷静でいよう。


「相も変わらずですよ。今日も九番でした」


「高校も推薦すいせんで行けそうね。お母さん、心配しないわよ」


 にゃーお。

 にゃおにゃお。


「はいはい、おかわりもどうぞ」


 みーこだってスペシャルご飯がうれしいんだ。


「那珂川くんは、何か喜ばないかな?」


 お弁当はどうだろう。

 駅弁を楽しみにしているかも知れない。

 読書家だからしおりをとも思うけれども、お気に入りのものを持っているはずだ。


「そうだわ!」


 閃いたのはよかった。

 だけど、もう入れない時間だからどうしよう?


「そうそう、みーこ! みーこがいいわね! 間に合わせないと――」


 思い立ったことがあり、その晩は朝の四時までお裁縫さいほうをした。


 ――翌朝。

 葛柴駅北口に着く。

 六時半丁度で、いつもの三十分前行動だ。


「待ったの? 中川さん」


「え! 本当に今来たわ」


ぼくも今着いたよ。待たせなくてよかった」


 こんな人初めてだ。

 多くは遅刻ちこくして来る。

 私が三十分前に着いているので、待ち時間がとても長くなる。

 それが当たり前だと思っていた。


「那珂川くん、いつも早目の行動なの?」


「当たり前にね」


 いい人だ。

 

 信頼しんらいをしっかと手に入れた。


「では、東京駅へ行きましょうか」


「ええ」


 今、思った。

 これから十日ばかりは、別れなくてはならないんだ。

 コトンコトン……。

 電車は地下鉄からけて地上へ向かう。

 山手線にえて、つりかわれながらうつむいていた。


「東京ー。東京ー」


「じゃあ、中川さん」


 着くなり、かれは手をって新幹線乗り場へきびすを返す。


「那珂川くん、手荷物を持つわ。ホームに一緒いっしょに行ってもいい?」


「エスカレーターもあるしいいよ。女子と一緒いっしょだと笑われるし」


 ショックだった。

 男の子って女の子と居るのがいやなのか。

 青ざめていたせいか、かれ背中せなかしに伝えてくれた。


「いいよ、ちょっとなら」


 ホームにて顔色を悪くしていると、かれからみーこみたいにあまささやきがこえる。


「どうした。電車にった?」


「うううん」


 そっと青いチェックのハンカチを貸してくれた。

 それからは、何か話そうとか思っても言葉がふさがれていた。

 たった一月の転校生、私に風をんだ転校生、このあんずあめのような想いを青春と呼ぶ日が来るのだろうか。

 静かな時間が過ぎてしまった。

 何か忘れているような気がする。


「あ!」


「何、何、そろそろ電車に乗るから、お茶買わないといけないし」


 突然とつぜんに右の眼から温かいしずくが落ちた。

 

「ご……。ごめん、那珂川くん。私は邪魔じゃまだったね」


 かれかがみ、ハンカチでぬぐってくれた。


「いやいや、そんなことはないよ」


 かれはホットの緑茶をさっと買った。

 何故か、私はねこみたいに頭をくしゃりとされた。

 電車がホームにすべるように停車する。

 ドアが開いて乗客をむかれ始めた。

 かれが、乗車しようとしたときだった。


「ありがとう、中川さん」


 一声あった。


「これ! 荷物になるけれども、よかったら持って行ってください」


「何だろう。気をつかわなくていいんだよ」


 小さな白いふくろかれが受け取ってくれた。


「じゃあ、連休を楽しんで」


 時間に余裕よゆうを持って、かれは指定席に収まる。

 私は、開かない窓から千切れてもいい位に手をった。 


「また、会えるよね? また、学校で! 東京で待っているから……!」


 今度は、双眸そうぼうからかなしみのしずくが落ちる。

 発車の時間がせまった。

 別れを予感させるベルが鳴る。

 かれが白いふくろ窓越まどごしにかかげ、会釈えしゃくした。

 礼を言ったのだろうか。


「――那珂川くん。連休明けには、となりの席にいるよね」


 自分の指で目元をかくした。

 もう、新幹線は居ない。


 ◇◇◇


 ゴールデンウイークが明けた日、三十分前行動で登校した。

 職員室へ行き、クラスの名簿めいぼを受け取って来る。

 教室に入ると、窓を開いてながめめているねこっ毛が居た。

 みーこのスペシャルご飯が効果があったのかと目を疑う。

 私はクラス委員なので、出席を取る。


「那珂川澄人さん」


「――はい。お待たせ」


 朝日のシルエットがゆっくりとかえる。


「わ、私……。泣きたい気持ちだって分かる?」


「あれから発車して五分もしない内に、白いふくろを新幹線の中で開けたんだ」


 名簿めいぼに印を付けると、教壇きょうだんから席の方へ行く。

 かれは、窓に手をやり腰掛こしかけている。

 那珂川くん、ちょっと背がびたようだ。


「うん」


ねこの白いお守りをありがとう。赤いお守りを中川さんが持っているんだって? 手紙もありがとう」


 私の学生鞄がくせいかばんの見えない所にお守りがある。

 かれかばんを確かめると、白いお守りが風にれていた。

 それから、告白の文面を思い起こした。

 手紙も黒歴史になりそうでずかしい。


「こちらこそ、受け取ってくれてうれしい。那珂川くん」


 お裁縫さいほうをした晩のことを思い出していた。

 お祈りはあふれんばかりにしたのだって。


「白いお守りと赤いお守りで、恋愛れんあい成就じょうじゅを願っているんだって?」


葛柴かつしば神社で恋愛れんあいのお守りを売っているの知っていたけれども、出発の前日には拝観時間が過ぎてしまっていたから」


 モデルは、みーこなんですが、綺麗きれいな生地でいました。


ねこちゃん? 手作りだって分かったから、もっとうれしいよ」


「その……。ずかしいですが」


 スカートにのの字を書いてしまう。


ずかしがるの? 可愛いね」


 しわぶきを一つして、かれは続けた。


「手紙にあった、ぼくたちはナカガワ同士だから、下の名前で呼び合おうって提案をいいと思うよ」


 卒倒そっとうしそうだ。

 鼻血も出るかも。


「澄人くん……」


「碧さん……」


 静まり返るしかない。

 でも、大切な朝の時間、話の皮切りをした。


「真面目にずかしいね」


「そうだね」


 ゴールデンウイークはもしかして無理に帰って来たのかな?


「秋田へは、何のご用だったの? もうお別れかと思って必死だったのよ」


「ああ、秋田へは祖父のお見舞みまいへ家族の代表で行っていたんだ。それから、祖母に会いにも」


 かれは、あの日のことを考えているのだろうか。

 遠い目をして私の耳元で語る。


「そのおかげかな。あの新幹線が出て五分後、僕に碧さんの想いが通じたんだ――」


「ありがとう、ありがとう……」


 かれが、また私の頭をくしゃりとした。


 ――私の想いを届けてくれて、神様、ありがとうございます。













Fin.

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