見えにくい世界

にゃ者丸

化け物共は闇の中、殺した者も闇の中、歩けや歩け獣道

 どこかのビルの屋上。そこで一人の男がたそがれていた。


 普通より長い髪が風に揺られて、彼の顔を露わにする。


 度入りの黒いサングラス。口元には火を点けていない煙草。


 目元以外は露わになった表情は、存外、まあまあ整っていた。


 男は街を見下ろしていた。どこか眠たそうにするのを我慢するよう、眉を寄せて・・・・・いや、見えにくいものに目を凝らすようにして。


 街は煌びやかな明かりに照らされていた。様々な色のネオンに照らされ、騒がしい程にピカピカと輝いている。

 夜の静かな暗闇を否定するような光景は、なぜか男を苛立たせた。


「人ってやつぁ、なんで自然ってものを否定したがるもんかねぇ」


 火の点いていないのに、口に咥えた煙草を吸うように、頭を上げて夜空を見上げる。


「ああ~~~~~きったねえなぁ。せっかくの夜空が台無しじゃねえか」


 口に咥えた煙草を噛み、懐からジッポライターを取り出し、煙草に火を点ける。


「すぅ~~~~~~・・・・」


 煙草を噛んだまま、勢いよく肺に煙を送り込み。


「ぶはぁ」


 一気に肺から煙を吐き出す。


 男の頭上に、大量の灰色の煙が立ち込める。


 男はそれを気にせず、フィルターに巻かれた煙草の中身が燃え尽きて灰になるまで、何度もそれを繰り返した。


 やがて、中身が全て灰になる。灰がビルの屋上に零れ落ちる。

 無くなった煙草の吸殻を指で摘み、それをジッポライターで火を点けて地面に落とす。

 溶けるように煙草の吸殻が燃える。


 燃え尽きた煙草は、そのまま黒焦げになって屋上の染みになった。


 口元に寂しさを感じながら、男は再び街を見下ろした。


「・・・やっぱり、俺はこっちよりも――――――」


 男が指を鳴らす。すると、先ほどまでの騒がしいくらいに眩しかった街は闇に消え、変わりに満点の星空が地上を照らしていた。


 顔を上げて、夜空を見る。


「――――――こっちの方が、馴染み深ぇや」




 誰もいなくなった街の中、表通りを埋め尽くさんばかりに無数の影が生まれる。



 そこから浮き上がるように、屍の身体に歪な百足を這わせている化け物共が現れた。


 大きさもバラバラ、特徴もバラバラ。


 だが、総じて百足の形は歪だった。



「さーて」



 男が座っていたパイプから腰を上げて、立ち上がる。



 懐から、筆のような飾り紐が装飾された万年筆を取り出す。



 キャップを取り、丁寧に懐にキャップをしまう。



 掌に、万年筆の鋭いペン先を突き立てる。




化け物退治おしごと、始めますか」




 筆のような飾り紐が、突如、赤く染まる。



 男が掌に突き立てた万年筆を、強く、傷がつくほどに押し当てる。



あか



 一言だけ呟き、掌に百足が屍の身体を這う絵を描き、そこに一筋の線を引く。



 万年筆を掌から離し、その手を高く掲げる。



 眼下に蠢く化け物の群れを見定めて、掲げた手を振り下ろす。



「貫け」



 瞬間、表通りに存在するの化け物共が、歪な百足ごと――――――その身体を赤い針に貫かれた。



 表通りに、化け物共の悲鳴が響き渡る。まるで合唱の如く、金属を打ち合わせたような鳴き声が、街中に広がる。



 男が懐からジッポライターを取り出し、火を点けた。



 針に貫かれた化け物の絵が描かれた掌に、男はジッポライターに点いた火を近づける。



 それだけで、眼下の化け物共は悶え苦しみ、じゅうじゅうと身体が焼かれていく。



 男が掌を握る。それだけの動作で、表通りで埋め尽くす全ての化け物共が潰れ、その身体を光り輝かせる。




 その身体を無数の光の粒に変えて消えていく。




 表通りに存在する全ての化け物共が死んだ時、男はその光景を見て、どこか無邪気な子どものような笑みを浮かべて呟いた。



「一つ目のお仕事、完了~」



 掌に絵が描かれた片手を振るう。それだけで、掌に描かれた赤い絵は、霧のように消え去った。



 男が背中に殺意の籠った視線を感じ、顔だけ振り返る。



 そこには、顔に百足の刺青を入れた男が立っていた。



 刺青の男は、その顔に憤怒を浮かべて眼前の男を睨む。



「お前ぇ・・・お前ぇぇぇぇ!!!」



 刺青の男が地団駄を踏む。



「俺が苦労して集めた〝捻れ百足〟の軍勢をぉ、よくも、よくもよくもよくもよくもよくもよくもぉぉぉぉぉ!!!」



 癇癪を上げる子供のように喚き、刺青の男は突然、顔から感情を消した。



 無表情になった顔で、端的に刺青の男は宣言した。



「殺す」



 頭をガシガシと掻いて、少しずれたサングラスの位置を戻し、男は「はぁ」とため息をついた。



「まあまあ、落ち着けよ。すぐに、ここで〝捻れ百足〟と同じ所に送ってやるから

ら」



 刺青の男が動いた。額に青筋を浮かべて、血走った目で袖に隠れた両腕を露わにする。


 星空の下に、歪な百足が這う死蝋となった、節くれだった腕が晒される。



「死ねえ!!!」



 掌から百足の頭を出し、歪な百足が牙を剝く。



 それを、男はなんなく躱して距離を取る。



「逃すかぁ!」



 刺青の男の腕から歪な百足が、まるで触手のように身体を伸ばす。



 しかし、それも男には届かなかった。



あお



 男がぽつりと呟く。その手に握る万年筆の飾り紐が、青く染まる。



 万年筆を、自らに迫る百足に向かって振るう。



 万年筆を振るった後に、青い軌跡が宙を描き、それが壁となって百足を阻む。



 がいんっ――――――まるで固い金属同士がぶつかったような音を立てて、放たれた百足が弾かれる。



「ちいぃぃっ!!」



 苛立ちを隠しもせず、刺青の男は舌打ちをして唇を噛む。



 ぶちりと唇が噛み千切られ、刺青の男の口から血が滴る。



 刺青の男が地団駄を踏み、唇を噛みながらも油断のない目つきで周囲を探る。

 もし、情報通りならば、あの男に時間を与えるのは悪手だ。

 視覚的に姿が見えなくとも、腕の百足を使えば、あの男を炙り出せる。



 そう考えた刺青の男は、即座に腕の百足を鞭のように振るう。



 歪な百足は振るわれながら、その身体を肥大化させ、まるで大蛇の如く巨躯で目標を探して、牙から涎を滴らせる。



「どこだぁぁぁぁ!!!」



 縦横無尽に屋上を暴れまわる百足。しかし、なぜか男の姿を一向に捉える事ができない。



 男を見つけられない苛立ちや焦りから、刺青の男は泡を食う。



 ギョロギョロを両目をせわしなく動かし、身体をずらしながら男の姿を探す。



 身体を全周させと頃になっても、男の姿を捕らえられない事から、刺青の男は叫び出した。




「ああああああああああああああああああ!!??――――――――――?」




 男は自分の叫び声と、百足が屋上を暴れまわる音に紛れて、微かに耳に誰かの声を聴いた。



 それは、聞き間違いでなければ、あの男の声でなかっただろうか。



くろ



 はっとした顔で、声のした咆哮に振り返る。



 そこで刺青の男は見た。



 異様な程、鋭く長い爪を持った異形の腕を。



 黒く染まった片腕を振りかぶる、夜中にも関わらずサングラスをかけた、あの男の姿を。




 それが、刺青の男が目にした最後の光景となった。




「あ――――――――――」




 両腕の百足ごと、刺青の男の身体が真っ二つに裂かれる。



 二つに分かれた身体から、噴水の如く真っ赤な血飛沫が上がる。



 両腕は腐り落ち、歪な百足は光の粒になって消えた。




 男は口元に煙草を咥えて、元に戻った片腕でジッポライターを取り出し、火を点ける。


 さっきとは違い、今度はゆっくりと煙草を吸い、煙を吐く。




「ふう~・・・・両腕に〝捻れ百足〟を移植するとか、正気の沙汰じゃねえな」



 男は刺青の男への嫌悪感を隠さず、まだ中身が残っている煙草を口から離して、刺青の男の死体に投げつける。


 煙草が刺青の男の死体に触れた時、男の死体が激しく燃え上がった。



「ああ~臭ぇな」


 

 燃える男の死体から漂う刺激臭や焦げ臭い匂いを嗅いで、男は鼻をつまんでそこから離れる。




 男は屋上に建てられたタンクの所まで跳躍し、寝転がって満点の星空を見上げる。



「どうせ、暫くはこの光景を拝めないしな~・・・・・一眠りして起きたら報告に行くか」



 そのまま、男はサングラスに隠れた瞳を閉じ、静かな寝息を立てて眠った。






 化け物共は闇の中、赤い針に刺されて燃え尽きた。



 人であったあの者は、燃えて灰となって風に吹かれて消えてった。



 人の世界の裏側で、人知れず街は救われた。



 そのことに人々は気づかない。



 誰もが平和を享受して、日常の一時を送ってる。





 どこかの学生のように、殺した相手を悼むようなことはせず。



 ただ、また殺したなと、男は半分起きてる頭で思い浮かべた。






 また、表通りに影が沸く。



 さっきとは比べるべくもない、大きな大きな影が広がる。




 男がパチリと目を覚ます。




「ああ、なんだ・・・・ちゃんと、あいつ化け物になっちゃったんだ」



 男は何かを察して、刺青の男の死体が燃え尽きた跡を見て、呟く。





 また、男はふと、頭の中に思い浮かべた。




「化け物を殺せる力を持ち、化け物よりも化け物な力を持ってる俺は、果たして」



 懐から、筆のような飾り紐が付いた万年筆を取り出す。




「力を持たないあいつらと同じ、人間と言えるのだろうか」




 今日も、別に気にしていない事を考えて、男は屋上から飛び降りて、



 新たに生まれた化け物の退治に向かった。





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