第36話

[ 【βρυκόλακας -ヴリコラカス- 】36 ]

その言葉を皮切りに、吾立は天井を踏み切りスーパーボールのように壁面を跳ね回り始める。


「....フッ、流石”飛蝗”と呼ばれるだけあるな」


そして、久家の真上に到達した瞬間、刀を振り上げた吾立は真っ直ぐに、攻撃を待ち受ける久家に向かい、降ってくる。

それを久家は、広げた黒い羽で受け止め、嘲笑を投げ掛ける。


「ハハッ、そんなものかァ!!お前の信念は、僕を砕くに足らない存在かァッ!!」

『....お前、原動力はエゴだと言ったな....』


『....全くもってその通りだ。ただ一つの単純な利己の産物。それが”不壊の飛蝗”としての俺だ』


『....それがどうしたってんだ!!俺は、俺の思う考えに殉ずるだけだッ!!』


そう叫んだ吾立は再び飛び上がり、床面と天井を交互に跳び続ける。

そこから降り注がれる斬撃を、久家は纏う羽で受け流し、辺りに激しく火花が散る。


「ついに吹っ切れたか。ヒヒィッ、面白くなってきたなァ~ッ!!」


それから俺は、二人の絶え間ないエゴのぶつかり合いを、ただ見ていることしかできなかった。


そして激しい攻防の中、久家の視線が一瞬、舞台の端に転がる死体へ逸れるのがわかった。

奴なら、見ずにはいられなかっただろう。

視線の先にある死体。それは....


「向井....さん....?」


防御が甘くなるその隙を読み取った吾立は、躊躇なく久家へ刃を振るう。

運動能力超過により加速された剣は、瞬きする間に複数回、久家の身体を通り抜けた。


「嘘....だ...」

『俺は、お前如きに構ってる暇は無いんだよ』


一瞬のうちに乱雑にぶつ切りにされた久家は、惨い音を立ててバラバラになりあっさりと崩れ落ちた。

だが、何かがおかしい。


肉塊となった久家から、黒い煙が立ち昇っているのだ。

やがてその煙は規模を増し、舞台全体を包むほど巨大なものとなった。


黒煙の中からは、死んだはずの久家の絶叫が響き、周囲に黒いタールのような組織が撒き散らされる。


やがて絶叫がおさまり黒煙が晴れると、その渦中には久家が立っている。

衣服は千切れ、体表には黒い痣のような斑点、そして縫合痕のような線が身体を這うように残っていた。


「ウガァァアァァァアァァッ!!!!」


再び耳をつんざく絶叫を放つ久家。

すると背中に先程より何倍も大きな翼がせり出てくる。

翼の数は六枚に増え、見かけも銀色から暗い鈍色に変化している。

久家は、翼の切っ先を吾立に向けて言う。


「....第二ラウンドだ」

『バカな....確実に切り刻んだはず───』


間髪入れず久家は羽根を、呆気に取られている吾立に向けて慟哭と共にマシンガンのような凄まじい速度で容赦なく連射する。

回避する間もなくもろに正面から数十もの全弾を受けた吾立は、標本のように壁に留められ、身動きが一切できなくなる。


『ぐっ....がぁあぁぁっ!!』

「....”セラフ”、やれ!!」


久家の声により、舞台上のスプリンクラーが起動する。

しかし、散布されているのは水ではなく、ガソリン。

火気を持ち出そうものなら一溜まりもない。


「ここらで終わりにしよう。”セラフ”のバックアップもある、僕達は再生する間もなくここで焼け死ぬ」


すると久家は、銀メッキのジッポライターをポケットから取り出す。


『死にたいのか、馬鹿な真似はよせ!!』

「死にたいんだよ。生憎ね」


咽返るガソリンの臭いで充満した舞台上に、ライターを開く金属音が鳴る。


「巻き込まれたくなければ、あんたらも逃げなよ。”サソリ”」


言葉に促され、劇場の出口へ向かう。

後ろは振り返らないことにする。

かつての仲間の顛末を、直視するのは俺も、横を今走っている仲間も避けたいことだ。


今は、とにかく様々なことを整理しなければ、まともに思考すらできないだろう。


────────────────────


「さて、あの人らはそろそろ大丈夫だろうな」

『何故だ....なぜわざわざ、お前の殺戮対象である血魔を逃がすんだ!!』

「計画変更ってやつだよ。お前の仲間がやったことのせいでさ!」


歯を食い縛り、ライターのヤスリに親指を乗せる。


「お前が僕の大事な人を奪っていったような事だろ?だから、八つ当たり。当の本人はくたばったみたいだしね」


「それじゃ、うっかり生き返ってくれるなよ」

『やめろ....ッ!!』


口の端を歪め、ライターを天高く掲げる。


「やめなァ~い!」

『うわぁあぁぁあぁぁぁッ!!!!』

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【βρυκόλακας -ヴリコラカス- 】 山猫芸妓 @AshinaGenichiro

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