滅亡記念日

さかたいった

運命の日

 その日、星降せいこう中学校、三年二組の教室では、クラス全体の三分の二ほどの生徒が出席していた。現在の状況を考えれば、その出席率はかなり高いかもしれない。未だかつて経験したことのない状況なので、一概には言えないが。

 三波賢一は、一番窓際の列の、最後尾から二番目の席に座っている。時折窓から外の様子を眺めては、また教室内に視線を戻すということを繰り返していた。

 今は四時限目の授業の時間だが、この日は授業らしい授業はない。いつ登校しようが自由。教室を抜け出すのも自由。学校に来ないのも自由。教室内では生徒は席に着き、担任が教卓の奥に座っている。

 賢一が担任の畑山剛に目を向けると、黒縁の眼鏡の奥にいつも通りの眠たそうな目を発見できた。日頃から何を考えているかよくわからない先生だが、賢一はその普段と同じ先生の表情を確認すると、なんだか少し安心した。

「うん。たぶんこれが、僕らの最後の授業になる」のんびりした口調で畑山が言った。

 生徒たちは思い思いの表情を担任に向ける。

 担任は普段の授業とは違い、今は椅子に座ったまま話している。きっと、生徒たちと同じ目線で対話したいという心情の表れだろう。

「なんていうのかな。まあ突然だったけど。このクラスには、真面目な生徒もいたし、そうじゃない生徒もいた。ピーマンが好きな生徒もいたし、嫌いな生徒もいた」

 自分は嫌いなほうだ、と賢一は思った。

「もう学校なんて来なくていいはずなんだけど。朝、教室のドアを開けて、中に入った時。きみたちの顔が目に入った時。すごく嬉しかった」

 生徒たちは静かに先生の話を聞いている。おそらく今までで最も真剣に先生の話に耳を傾けている。

「あともう少し、このクラスの担任を続けたかったけど、まあ仕方ないよな」

「先生は」クラスの男子生徒の一人が言う。「これからもずっと、俺たちの担任です」

 畑山は、発言した男子生徒を見ると、ニッコリと微笑んだ。「ありがとう」


 一週間前、航空宇宙局のNASUから発表があった。

『七日後に巨大隕石が地球に衝突する』

 その隕石墜落は、人類を滅亡させるほどの規模だという。

 発表の瞬間から、地球は滅亡のカウントダウンに入った。

 当然人々は混乱した。地球から脱出しようと画策する者や、地下のシェルターに逃げ込む者もいた。駅前ではみすぼらしい格好の人間が演説を始め、縋るようにその人間を囲う者たちがいた。街中では犯罪も横行した。仕事を放棄して絶望する者もいれば、今まで通りの生活を営む者もいた。

 賢一は、NASUの発表後四日間は自宅で家族と一緒に過ごした。両親と、姉に弟。けれど次第に、同じ学校に通うクラスメイトたちのことが気になるようになった。一週間という期間は、短いようで長かった。

 五日目に、賢一は家を出て学校に向かった。授業なんてもうないのだけど、なんとなくどうなっているか気になったのだ。

 学校の校庭では、何人かがサッカーをしていた。部活動ではなく、きっと遊んでいるのだろう。体育館のほうでもボールの弾む音がした。

 三年二組の自分の教室に入ると、驚いたことに数名の生徒がいて、教卓には担任の畑山の姿があった。

 賢一の姿を見つけると、畑山は穏やかな表情で「よく来たな」と言った。

 何をするわけでもない。ただ教室の中で、談笑し、同じ時間を共有して過ごした。畑山は人数分のお弁当を用意してくれた。そして暗くなる前に、生徒たちを家に帰した。


 発表から六日目、学校からの帰宅途中。賢一が友人の飯島昇と通学路を歩いていると、前方に一人の女子生徒を見つけた。

 名前は佐倉音羽。一年生の時に賢一と同じクラスだった生徒だ。

 しっかりと会話したことはない。向こうはこちらの名前も覚えていないかもしれない。

 だけど賢一は彼女のことを忘れたことはなかった。

 賢一は前を歩く音羽に声をかけたかった。しかしあと一歩がどうしても踏み出せない。世界がこんな状況になりながらも踏ん切りがつかないなんて、情けなくて涙が出そうだった。

 そんな賢一の様子を見兼ねた昇が、ニカッと歯を見せて笑いこう言った。

「賢一。明日も学校来いよ。いいか、絶対だぞ」


 七日目、運命の日。

 三年二組の教室の席は三分の二が埋まっている。なぜか日に日に学校に来る生徒が増えている。今日は最後の日だというのに。

 普段であれば四時限目の時間、急にスピーカーから校内放送が流れてきた。

「みなさんこんにちは。星降中学校、通称星中、放送委員の赤坂由衣です。既にご存知の人もいるかもしれませんが、先ほどNASUから発表がありました。日本時間の本日正午ごろ、巨大隕石が地球の大気圏に突入するというニュースです」

 賢一は教室内の掛け時計に目を向ける。時刻は十一時五十五分。正午まであと五分だ。

「残念ながら、今まで続けてきた放送も、これで最後になります。だけど私はその時まで、放送を続けます。どうかお付き合いください」

 担任の畑山も話を止めて、放送に耳を傾けている。

「まさかこんな形で、急に地球が滅んでしまうことになるなんて、思ってもいませんでした。NASUからの発表を聞いて、みなさんはどのように過ごしましたか? 家族に会い、不安と恐怖を分かち合いましたか? これまでの感謝の気持ちを伝え合いましたか? 誰かを憎んだり、運命を呪ったりしましたか? 死の恐怖に打ちひしがれましたか? 未来が閉ざされた今、目を向ける場所は過去、それか『現在いま』しかありません」

 賢一は神妙に語る放送委員の言葉に耳を傾ける。

「今、一番大事にすべきことは何か。今、何をするべきか。私たちにとって、これから先何十年と生き延びることが重要だったのでしょうか? それが本当に生きる意味だったのでしょうか? 今回の出来事で、私は人生において本当に大切なものは何かを知ることができた気がします」

 スピーカーから響いてくる真剣な声。顔は見えなくても、気持ちが伝わってくる。

「私はみんなと過ごせて幸せでした。できたらみんなと一緒に卒業したかったけど、でも、最後までみんなと一緒にいられることは、私の誇りです。さて、あともう一つ、みなさんにお伝えしたいことが――あっ、ちょっ――やめ――もうちょっと――」

 急に放送にごちゃごちゃと雑音が入った。教室にいる生徒たちは何事かと訝しむ。

 そしてその声が聞こえた。

「はーい、みなさんこんちはー。三年三組の飯島昇だ」

 放送の声が急に女子のものから賢一の友人の男子のものになった。

 昇? 何してるんだ?

「放送委員のありがたいお言葉もいいけど、なんせ時間がないんだ。手短にいくぞ。三年四組の佐倉音羽、至急、校舎の屋上まで来い! 三年二組の三波賢一から伝えたいことがあるそうだ。さっさと来ないと隕石が降ってくるぞ。もう一度言う。佐倉音羽と三波賢一は屋上まで来るように。賢一、男を見せろ! さっさと来い! 走れ! 急げ! 引っこ抜け! 何をだ!?」

 ざわざわし出した教室内。生徒たちの何人かが賢一のほうを振り向いた。

 昇の奴、やってくれたな。

「え、ちょっと、今の何?」

「伝えたいこと?」

「佐倉さんって、四組の?」

「三波くんが?」

「もしかして」

 みんな賢一のほうをちらちら見ながらいろいろ呟いている。

「三波。なんかお呼びがかかってたみたいだけど?」

 担任の畑山が面白そうに言った。

 それからが大変だった。クラスメイトたちが一斉に集まってきて、賢一の体をこねくり回しながら教室から出そうとした。「ほら、三波くん」「行ってこいコンニャロー」「時間ないぞ」「ワクワク」

 廊下に出ても、他のクラスの生徒たちが顔を出して、覗き見したり、賢一の肩や背中をバンと叩いて押し出したりする。人類最後の日というのに、こんなにたくさんの人間が登校していたのか。賢一はもはや自分の意思とは関係なく、もみくちゃにされながら階段を上がっていった。

 屋上に繋がるドアの前で、昇が立っていた。

 賢一に気づくと、昇は後ろ手でドアを開けた。そして憎たらしくも憎めない笑みを浮かべながら、親指を上げた右手を賢一に向けた。

 屋上に出る。天気の良い、清々しい気候。温かい日差しと涼やかな風。こんな日に世界が終わるなんて到底思えない。信じたくない。

 賢一に続き、野次馬たちが屋上になだれ込んでくる。

「さあ、三波くんが今、屋上に到着したようです」

 放送委員の赤坂由衣の音声が聞こえた。由衣は放送室にいるはずだが、誰かと連絡を取り合っているのだろう。

 もはや引っ込みはつかない。もうなるようになれ、だ。どうせあと数分で世界は終わるのだから。

 賢一は屋上を歩いて佐倉音羽の姿を探す。彼女の姿は見えない。まだ来ていないのか、そもそも来ないのか。来るにしろ、来ないにしろ、賢一が困ることに変わりはない。

「三波くんは一体何を伝えようとしているのか。佐倉さんは屋上に現れるのか。実況生中継でお送りしております。おや」

 屋上の入り口のほうが騒がしい。キャーという黄色い声が飛び交っている。

 そして人込みの中から出てくる音羽の姿が見えた。顔を赤くし、息を弾ませている。

 賢一の鼓動がドクンと高鳴った。

「ただいま、佐倉音羽さんが屋上に到着されました!」

 ギャラリーたちが沸き立つ。二人の意思というより、周りの野次馬が作る道筋によって、賢一と音羽はお互いに近づいていく。

 周囲の視線はもはや気にならなかった。賢一の意識は目の前の音羽だけに奪われている。

 スラッとした体型。柔らかそうな黒い髪。利発そうな眉と、つぶらな瞳。音羽は、少し怯えたような表情で賢一の言葉を待っている。

 やるしかない。どうせ死ぬ運命なら、せめて前のめりだ。

「えっと」

 賢一が話し始めると、周囲がしんと静まり返った。

「どうも。三波賢一です。一年の時同じクラスだった」

「うん」

 音羽は俯き加減で、上目遣いで賢一を見ている。

「あ、あのさ。もうすぐ隕石が降ってくるって時になんだけど」

「はい」

「好きです」

 固唾を吞んで見守っていたギャラリーたちから息が漏れた。

「二年前から、好きでした。理由は、自分でもよくわからないけど、気づくといつも佐倉さんのことを目で追っていて」

「私も」

「えっ?」

「三波くんのことが好きです」

 堪え切れなくなったギャラリーたちの驚きの声が上がる。

「え、あ、あの。好き? 俺のこと? もしかして、気、遣ってくれたのかな? ほら、なんかもう、最後だし」

「嘘じゃない」

 音羽が泣きそうに目を潤ませながらも、真っ直ぐな視線を送ってくる。

「ずっと、好きでした」

「ななな、なんということでしょう! 三波くんと佐倉さんは両想いだったのです!」

 その由衣の実況を皮切りに、ギャラリーたちが一気に騒ぎ出す。もはや収拾がつかないほどに。

 その時、空で閃光が奔った。

 みんな一斉に空を見上げる。

 新たな太陽が生まれたような、眩い光。

 もうすぐ星が、降ってくる。

 大地に降り注ぎ、地表を焼き尽くす。

 人類の終焉。

 ああ、もう終わりか。

 もう少し、生きてみたかった。

 だけど、最後に想いを伝えられて、よかった。

 これでもう、悔いはあるけど、未練はない。

 賢一の手に何かが触れる。

 見ると、音羽が右手で賢一の左手を握っていた。

 柔らかくて、温かい。

 初めてなのに、懐かしい温もり。

 この気持ち。

 これが、幸せというものだろうか。

 ああ、なんだか。

 もう、大丈夫かもしれない。

 今ならべつに、死んだって。

 ……。

 ……。

 ……。

 うーん。

 えっと、まだ?

 まだ来ないのかな?

 段々と手持ち無沙汰になってくる。

 なんだか手を握っているのが恥ずかしくなってきた。

 みんな揃って顔を見合わせている。

 先ほどの光以来、空の異変はない。

 どうしたのだろう?

 どこで道草食っているのか?

 来るなら来いよ。

「あ、ええ、ただいま、NASUのほうから発表がありました」

 由衣の声だ。

「隕石は、地球の大気圏で燃え尽き、散り散りとなって消滅しました。どうやら隕石の大きさを誤って計測していたようで。地表に到達するレベルですらなかったのです。つまり、隕石は降ってこないし、人類は滅亡しません。だ、そうです」

 屋上に集まった生徒たちは、しばらくポカンと呆けていたが、徐々に状況を理解する人たちが出てきて、次第に騒がしくなった。

「はあ!? 隕石降ってこないって?」

「嘘でしょ? あんなに騒いどいて」

「俺全財産ゲームに課金しちまったぞ!」

「私コンビニからグミ万引きしちゃった」

「俺なんか隣の家の塀におしっこひっかけてきたんだからな」

「ワクワク」

「このおたんこNASU!」

「もうやめだやめだ」

 つい先ほどまで賢一と音羽のやりとりを一心不乱に見守っていたギャラリーたちが、罵詈雑言を呟きながら屋上から去っていく。

 なんという肩透かし。史上最大の肩透かしである。

 もはや安堵の気持ちよりも、憤りが勝る。

 こうして人類は滅亡を免れた。免れたというより、初めから危機などなかったのだ。

 ふっ、と何かが賢一の頬に触れた。

 見ると、音羽が悪戯っぽく微笑んでいる。

 賢一は手で自分の頬に触った。

 状況を理解し、次第に顔が熱を帯びていくのを感じる。

 まだ日々は続く。

 きっと、今までよりも少しだけ、彩りに溢れた楽しい日々が。

 そう考えれば、悪くない。

 空には綺麗な青空が広がっていた。

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