深川ー千住大橋「矢立の肇へ」(1日目-2)

――令和2年8月25日16時頃――

現在、JR総武線両国駅から徒歩15分ほど南へ、東京都江東区深川の芭蕉庵跡にいます。


ここから、芭蕉さんが旅の出発地とした、千住大橋へ向かいます。

鉄道好きの読者の方には最寄り駅である「北千住」と言った方がピンとくるかもしれません。地理的には芭蕉庵の側を流れる隅田川を上っていくことで、千住大橋に到着します。そのため芭蕉さんは深川から千住まで隅田川を船で上ったようです。


しかし私は鉄道を使います。芭蕉庵跡から徒歩数分、都営半蔵門線の清澄白河駅に到着。芭蕉さんは「奥の細道」の旅で、白河の関をひとまずの目標としたと記述されていますが、案外近いところにも別の白河があったようなのです。


都営半蔵門線に乗り、押上駅(スカイツリー前)を経て直通する東武伊勢崎線に乗ります。名古屋に住んでいると、東京の相互直通運転の実施状況には驚かされます。二股、三股も辞さない直通具合には、ドロドロの昼ドラを連想してしまいます。


そして到着した北千住駅。この北千住駅は、設定としてはクレヨンしんちゃんのひろしがみさえにプロポーズした駅になっています。マンガ上の架空の出来事とはいえ、期間限定でこの設定にちなんだ広告が駅に掲示されたこともあったようです。


今回の目的はクレヨンしんちゃんでなく、千住大橋です。

北千住の駅を出て、千住大橋へ向かいます。

北千住から千住大橋までは歩いていきます。東京の下町をただ歩いて抜けるのも、一種の観光としては面白いものがあります。途中、念のため歩いていた人に道を尋ねると、親切に教えていただきました。「東京の人は冷たい」という偏見はどうやら改める必要がありそうです。


徒歩20分ほど、千住大橋に到着。

この千住大橋はかつての日光街道に架かっていた橋であり、現在は国道4号線の橋として受け継がれています。現在使われている橋は、鉄骨によるアーチ橋。近代的ですが、実は昭和2年(1927年)から使われている、かなりの古参なのです。橋の鉄骨部に「千住大橋」との銘板が掛かっており、江戸時代の空気が漂ってきます。すぐ横には、交通量増加に対応するため昭和48年(1973年)に新設された新橋も存在します。


千住大橋が架かる隅田川は、足立区と荒川区を分断しています。北千住から徒歩で訪れる場合は、千住大橋の足立区側に到着します。


千住大橋の足立区側の川岸には、「奥の細道矢立初めの地」と書かれた目立つ石碑が立っています。矢立とは、携帯用筆記具のことです。ペンを握り、執筆を開始した地ということでしょう。

ちなみに「奥の細道」の矢立の初めの句として詠まれたのが、

「行春や 鳥啼魚の 目は泪」

です。

芭蕉さんの出発に際し、親しい人々がここ千住大橋まで見送りに来てくれたそうです。当時の風習では、長旅に出る者への見送りとして、宿場一区間を同行するという文化があったようです。特に当時の旅は、途中で命を落とす危険もそれなりにあり、それが今生の別れとなる可能性もあったのです。親しい人もそれを覚悟し、この千住大橋まで見送り、そして目には涙を浮かべたのだと思います。さらには鳥や魚までもが感極まって泣いている、そんな情景を思い浮かべます。時に元禄2年(1689年)3月27日、(新暦の5月16日)のことでした。


私も何か気の利いた矢立初めの句を詠もうかと思ったのですが、その方面の教養がないので、矢立は自粛することにいたしました。


この橋を渡ると足立区から荒川区に行政区分が変わるというのは先ほども申した通りですが、実は幸か不幸か、芭蕉さんが船から上がって旅の初めとした地は、どちら側の岸なのか分かっていないようなのです。

そのため両区、我こそは「奥の細道」矢立初めの地だと主張し、激しい内戦を繰り広げていr...と言うと流石に盛りすぎですが、「奥の細道」の初めの地だということに花を咲かせるために盛り上げています。


これから荒川区側へ渡っていきます。因みに荒川区は荒川を名乗っていながら荒川本流には接していないのです。これは現在渡っている隅田川が、昔は荒川本流だったという経緯があるそうです。脱線ついでにもう一つ、アニメ制作会社のサンライズは、共同ペンネームとして矢立肇という名前を使っていますが、これは芭蕉が用いた矢立の初めという用語からとったそうなのです。江戸時代の俳諧の文化と現代のアニメの文化が結びついているというのも興味深いものがあります。


隅田川を渡りきったところで脱線した話題を復旧し、運転を再開します。

荒川区側に入ったところにも、奥の細道初めの地という案内が立っています。

しかしこちらは足立区側と比べると何だかしょぼい......


と思いながら駅へ向かいます。千住大橋から15分程度歩き、JR常磐線南千住駅に到着しました。ここにも芭蕉にあやかった案内や、銅像が立っています。

そして駅前にあった案内を見て知ったのですが、荒川区側の矢立の初めの地は実際には橋を渡りきったところから少し離れたところにあり、私が先ほど見た橋のすぐ側の案内はあくまで仮のものだったらしいのです。

荒川区側の本当の矢立初めの地は見ずに通り過ぎてしまったようです。(荒川区お住まいの方、ごめんなさい......)


いずれにせよ、私もここから前途2,400kmにわたる旅が始まるのです。楽しみな気持ち半分、億劫な気持ち半分ではあるのですが、まだ知らない日本の素晴らしさを体感するため、まさにここから旅を初めていこうと思います。(3度目の正直)







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鉄路2,400キロ!! 「奥の細道」を巡る旅 新庄皓裕 @Lab_coat

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