名古屋ー深川「旅のはじまり」(1日目-1)

――令和2年8月25日火曜日――


私はこの日を旅の出発日としました。

もともとは1日早い、24日出発の予定でしたが、私が住む愛知県では、当時県外への移動自粛を盛り込む緊急事態宣言が発令されておりました。そして、その宣言は25日に解除されるとのことでした。

「それならまぁ、従ってあげてもいいかな......」

ということで1日ずらしたのでした。


コロナ騒動による自粛は、どうしても塞ぎがちな気分になります。

しかし、月齢を考慮に入れて行程を計算すると、25日出発の方が旅の終盤で訪れる敦賀においては芭蕉さんと近い空気を体感できるということも分かったのでした。

人間万事塞翁が馬です。


――25日朝:中央本線鶴舞駅――


ついに出発の日。朝の名古屋の空は曇っていました。鶴舞公園の円形花壇付近から眺める中央本線の高架橋、さらにその上を交差する名古屋高速3号大高線が見えます。

反対側、花壇の向こうに見える噴水を眺めながら、

「次に名古屋の地を踏むのは8日後。生きて帰ってこられるだろうか。」

と眠気の残った頭でぼんやりと考えます。道中命に危険をきたす可能性はほぼありません。とはいえ決してゼロではないのです。8日間に渡る長期間の旅に出る前の私は、一抹の不安を覚えました。しかしここで地団駄を踏んでいても仕方がありません。私は覚悟を決め、鶴舞駅構内に入っていきます。


「入鋏お願いします!」

駅員に18きっぷの入鋏印を押してもらいました。8日間の長くて短い旅の始まりです。


普通列車名古屋ゆき7時41分鶴舞を出発。


まずはここから中央本線を一区間だけ上り、金山で東海道本線に乗り換えます。

今回の旅では、基本的には18きっぷを使いました。節約したかったのもありますがそれ以上に、特急列車や新幹線よりも、すべての駅に停車しながらゆっくり目的地に向かう鈍行列車の方が、今回の旅には合っていると考えたからです。


新快速豊橋ゆき7時51分金山を出発。


ここからはひたすら東海道線を上ります。

東京まで合計6本の列車を乗り継ぎます。東京到着は14時17分の予定。名古屋からの所要時間は6時間半。新幹線に乗れば1時間半での到着ですが、延々と普通列車に揺られるのも悪くありません。膝の上でラップトップコンピュータを開いてYouTubeの動画を編集したり、本を読んで知識を付けたり......

意外にも作業に集中できるのです。また、列車から流れ去る景色も季節ごとに異なるのでいつも新鮮な気分になります。数え切れないほど利用している東海道本線の車窓も、飽きることはありません。途中浜松では、YouTubeの視聴者の方がお見送りに来てくださいました。浜松での乗り換え時間はわずか2分だったため深い会話は出来ませんでしたが、これからの長旅を応援してくれる人がいるという事実に、心強く感じるものがあります。


東海道本線静岡地区の見所と言えば、富士山です。

富士山が見えることを期待していたのですが、残念ながら雲がかかっていて拝むことは叶いませんでした。

これからの8日間の旅の前途の多難を、富士山が暗示しているようにも感じます。

とはいえ科学的な見解に基づけば、夏の時期に富士山を拝むことができる機会は実はまれなのです。太平洋から湿った空気が流れ込み、富士山にぶつかって上昇した空気が雲を作ってしまうからです。夏の時期に富士山を見られる可能性はかなり少ないのです。

そんなことを考えながら、ふと「奥の細道」を読み返そうとリュックの中を探しました。「奥の細道」の文章を印刷して持ってきたはずです。が、見当たらないのです。

「どうやら家に置いてきたようだ......^^」

旅の気分が一瞬だけ萎えました。


しかし置いてきてきてしまったものは仕方がありません。

幸いにも、パソコンにPDF化した「奥の細道」のデータが残っていたので、乗り換え駅であった沼津駅付近のコンビニで印刷することにしました。

260円の無駄な出費となりました。


列車熱海付近を走行中。

個人的には、東海道本線の中では熱海付近の車窓がいちばん好きです。

比較的高いところから温泉街と太平洋が一望でき、非常に開放的な気分になるのです。崖の上のポニョに出てきそうな風景でもあります。

鉄道唱歌には「東海道にてすぐれたる 海の眺めは蒲郡」とあります。しかし、地元愛知県を若干ひいき目に見たとしても、現代では熱海の方が勝っていると思うのです。


長い静岡県を抜け神奈川県に入ると、今までの茶畑や太平洋の眺めとは別れ、だんだん都会に入って行きます。

路線の数、列車の長さは、住んでいる名古屋とは比べものにならないほどの規模です。都会という概念から湧いてくる漠然とした躍動感に胸を躍らせ、1時間半近く。ようやく列車は東京に到着しました。ここで京浜東北線に乗り換え、秋葉原で総武線に乗り換えるのですが、現在の時刻は14時半頃。

ずっと列車に乗ってきて昼ご飯をしっかりとはとっていないことに気付きました。

東京駅のニューデイズで適当なものを購入し、丸の内中央口を出た付近で食事をとることにしました。近くには「東京オリンピックまであと331日5時間30分・・・秒」との掲示が見えます。一年前に訪れた際にも300日前後だった気がします。諸般の事情により時間がゆがんでいるように錯覚します。


腹拵えが済み、東京駅丸の内駅舎とは反対側に見える皇居に向かって心の中で挨拶をし、京浜東北線に乗ります。東北本線自体のこの区間を乗ったことはあるのですが、京浜東北線の水色のE233系に乗るのは初めてです。初めての列車に心をときめかせて乗り込んだのですが、当然のことながら帯の色が違うだけで今まで乗ってきた東海道本線の列車との違いはありませんでした。2区間乗り、秋葉原で降りると、今度は総武線です。総武線に2区間乗り、両国駅で下車しました。両国国技館とスカイツリーが見えます。芭蕉さんが「奥の細道」の旅を始めるまで住んでいた深川の芭蕉庵は、ここ両国駅から1.5キロほど南下したところにあります。


隅田川に沿って15分ほど南下していきます。隅田川沿いの遊歩道には芭蕉の句碑が立ち並んでおり、いよいよこれから旅が始まるのだなという心地がします。


隅田川と比較的小さな川、(小名木川というらしい)が合流する地点に、芭蕉の家の場所、芭蕉庵跡はあります。少し高台になっており、そこに芭蕉の像が建っています。隅田川の方を向いて座っています。芭蕉さんは「奥の細道」の旅を始める少し前に、この家を売り払っています。身辺整理の意味をかねていたといいます。それだけ当時の旅というものは命をかけて行なうものだったのでしょう。現代人の私には到底そのような覚悟はありません。その覚悟も実際必要ありません。有り難い世の中に生まれたことを幸運に思うと共に、芭蕉さんの偉大さをひしひしと感じます。


芭蕉さんの像と、ソーシャルディスタンスを無視する距離で対面しながら、これから「奥の細道」を鉄道でまわる旅を決行する決意を新たにしました。













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