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「全て貴方の御意思のままに従いました。貴方を弑し、私は簒奪者と成り果てた。しかし、卑しい名無しの私の簒奪など誰も認めはしない。名を得て人の身になった傍系の子孫が、今一度この国を正しき道に戻そうと、私を殺そうと、ここに向かっています。隣国の力を借りているようです。はじめは傍系といえど神の一族に慮るでしょうが、隣国の介入がそれを許さない。この国は神の国から、人の国へとなる。貴方が望んだとおりに」


 玉座に置かれた、決して言葉を返さぬ、ただの頭だけの、躯ともいえぬ白骨に、語りかける。


「ですが、貴方は自分の死体を残すなとしか言わなかった。……この国の教えでは、火にかけられて肉体を失った時点で、楽園にいたる資格をなくす。だから、私はあなたの死体を燃やしました。貴方の仰せのとおりに。貴方が確実に死に、決して救いはもう戻らないことを見せるために」


 誰もが国王の死を認めるように、その肉体がなくなることを示すために、民衆の前で、国王の死体に火をかけた。

 

『欺瞞の神は死んだ。神を名乗る不届き者に火を! 燃やせ、嘆け!

 楽園の道は消滅した。救済を示すものは消えた。 燃やせ、慄け!

 お前らの眼に映るは神にあらず。神は死んだ。 燃やせ、燃やせ、絶望を歌え!』


 腹を刺され、すでに死んだ国王の遺体。その他に心臓を貫かれた王族らを木の杭に掲げた。すでに神の一族は死したと、見せつけるように。

 けれど、肉体さえあれば。彼らの中では救済の道はあった。それを違わず、希望をなくすために、火をかけた。

 死体を残すな、という命令に従って。


「貴方の肉体に火をかけた時の、皆の絶望の顔を貴方に見せたかった。狂乱し、貴方の体を燃やす火に飛び込もうとする者もおりました。そのような輩はすべて切り捨てました。肉体を失ってでも、貴方に殉ずる者など許せなかったからです。私は、こうべとなっただけの骨の貴方に、他の誰かの骨を混ざることなど、許せなかった。まあ、貴方がたにとっては、火にかけられた後に残る骨など、何一つ価値はないのでしょうが。私は貴方がたの教えなど関係はないですから」


 喧騒が近づいてくる。朽ちた主との語らいをもう少ししたかったが、猶予はない。

 身を翻し、薄絹の帳を元に戻す。此処にかつての王の骨があることを、決して知られてはならない。

 今回の謀反に加わったものたちは、すでにこの手で幾人か殺している。残ったものたちも今から来る、新たな国の導き手によって処されているであろう。もとより謀反に引き入れたものたちはこれからの国に必要のないものだけを選んだ。分不相応な野心と権力を持つ類の畜生ども。この国の膿を排するのにちょうどよかった。

 玉座の階段を降り、ただ待つ。少しして、大扉が開かれた。

 正しき先導者が、裏切りの背信者を討つために。


「――見つけたぞ、悪辣の背信者よ。天は決してお前の所業を許さぬ。変わって天の裁きを下してやろう」

「可笑しなことをのたまう。お前らの神は死んだ。復活のために丁重に埋葬されるべき肉体ごと失った。誰が天の声を代弁するというのか。お前など、所詮名を得て人間となった只人に過ぎぬ」

「黙れ! 天に背いた狂人の戯言など聞く気はない。王を殺せば自分が王になれると思うたか? 力で従わせればよいと思うたか? 国とはそんな容易いものではない。お前は名無しの罪人に過ぎぬ」

「隣国の武力をもって城を奪い返そうとする輩は自らの言葉の意味を理解もしていないらしい。私を殺してお前がこの玉座につくのだ。お前と私、何が違うというのか」

「お前は人ですらない、悪鬼だ、悪魔だ。人でなきものを打倒したとして、称賛はされどもお前のような罪人となることはない。私とお前、それが違いよ」

「くっ、ははははっ! まあいい、お前が気づくことなど決してありはしない。お前は天の意思も、人ならざるものの声も理解することなどないのだから。さあ、幕は上がった。終演をはじめよう」


 腰に携えた剣を抜くと、先導者も剣を抜いた。

 こちらは己一人。対して向こうは何人もの協力者がいる。それを嘲笑った。


「ほう。多数で私を打倒さんとするのか? それがお前のいう天による罰だというのか。悪鬼一人、己の手で倒せぬというのか?」

「ほとほと口が回るやつ。お前など私一人で十分だ。みな、後ろで見ていてくれ。今、正しきものが勝つ瞬間を! みなが証人となる!」


 そうして、高御座を背にして、二人の戦いは始まった。

 一合、二合、と互いの剣を合わせていく。その間、決して高御座には近づかぬように注意した。そして仕掛けに気づかれぬように位置取りをしながら、あえてわかりやすい隙を見せる。

 そして先導者は、己の望むとおりの行動をしてくれた。まるで道化の如く。

 己の腹に、剣が突き刺さる。

 誰が見ても、致命の一手。

 道化を誘導して用意させた証人たちも、これで勝負は決したと――背信者は死ぬとわかっただろう。

 証拠のように、口からどぽりと熱い液体が流れる。血だ。赤い、血が。口から吐き出る。

 先導者は最後のとどめを決めようと、腹から抜いた剣を上段に構え首を狙ってくる。

 しかし、それは許されない。


「――――火を!」


 刻々と迫ってくる死の気配。それを感じながら、残りの力でそばに置いておいた燭台を倒した。

 小さな火にすぎぬ燭台の灯が、似合わぬほどの業火となり、炎の壁を作り出す。

 先導者と証人たち。自分と高御座。その境界線を作るように、火は高く燃え上がる。


「――例え死ぬさだめとしても、お前のような輩に、くれてやる命ではない! 火よ、燃えよ! 燃えろ、燃えろ、全てを燃やすのだ!」


 轟轟と燃える火を前にして、高らかに笑う。

 それは確かに狂人の嗤いであったのだろう。

 火の壁の向こうで、先導者たちは驚愕と恐れの顔をしている。


「――あやつはもう死にます、このままでは火に巻き込まれて私たちも!」

「悪鬼は打倒しました。私たちが見ておりました。正しく貴方はこの国を救ったのです」

「今は御下がりください! 逃れられぬと足掻き、最後は火にまかれて死ぬなど、裏切り者の異端者には似合いの末路!」


 先導者が逆臣を討ち取ったことを見届けた証人の観客達が、玉座の間全てを燃やそうと広がっていく炎から退いていく。ここにきて尚、彼らにとって火にかけられて死ぬことは死そのものよりも恐ろしいことなのだ。

 先導者は苦い顔をしたが、その手に持つ剣にはっきりと赤い血が塗られているのを見て、頷いた。


「みなのいうとおりだ。私は、私たちはこの国を仇名した悪鬼を討ち取った。この業火の中、瀕死のあやつが生き延びるすべなどない。火が穢れを全て灰に帰すだろう」


 血糊が付いた剣を掲げ、先導者は勝鬨を上げる。

 火の壁ごしにそれを眺めていた。先に仕込んでいた油はきちんと機能を果たしてくれており、高御座に近づけさせないように炎の蛇が広がっていく。彼らは玉座の間から離れるしかなく、入口から外へと下がった。

 その時点で、ゆがむ熱の空気と火で此方の姿はもう見えないだろう。それを確認して、ようやく歩き出す。

 ずっとはめていた手袋を、外す。主を殺した時より、ずっとつけていた、裏切りの証である黒の手袋を。

 そしてむき出しの手で貫かれた腹を触る。ぬらり、と赤い血が手につく。


「……ははっ。赤い、血は、赤いです。貴方のおっしゃってた通り。名無しの私も、名を付けられることのなかった貴方と同じ赤い血が」


 不思議と痛みは感じなかった。それよりも、主を殺した時の感覚を思い出す。忘れることのできない、消えることのない、手と、熱の感触。

 あの情景は、今もまざまざと思い浮かぶことができる。

 深々と、主の腹を突き刺す、己の剣。

 薄く、華奢な体躯の主の腹に、じわりと広がる、赤。

 情けないことに、自分の手は震えていた。


 『――もっと深く』


 足りぬ、命を奪うにはまだ足りぬ、というように、自身の腹に刺さった剣を握りしめ、主自身で押し込んだ。

 思わずうろたえた。御手に怪我ができてしまいます、と、今まさに殺そうとしている身でありながら、可笑しなことを言いそうになった。

 けれど主は剣の腹を握って、自分の手から溢れる液体を見て、目を細めた。


 『なんだ、赤いじゃないか』


 主はそのまま、硬直して動けなくなっている此方に手を伸ばす。

 神たる化身に、直接触ることは許されてはいない。

 それが、初めて主が、自分に触れた瞬間だった。

 触れられた頬は、どくどくと血を流す掌の傷から、熱を伝えてくる。

 主はべっとりと、自分を殺す男の頬に赤い血を広げるように塗りたくり、赤く染まったそのさまを眺めた。


『神といくら言われても、流れているのは同じ赤い血ではないか。名前すら持たない、神であろうと、所詮、お前と同じ人間ではないか』


 満足そうに笑う主に、言いようのない衝動にかられ、剣を深く、深く、深く突き刺した。

 鍔ぜりまで剣を深く刺し込んで、二人の体は密着する。

 主は、従者の頭を抱えながら、一言だけ告げた。


『――よくぞ、果たした。よきかな』


 そして、主は絶命した。

 その時の、主の最後の熱が、自分の腹の傷よりも、今このとき部屋を覆いつくす炎よりも熱く、自分の中に残っている。

 外した手袋を近くの火に近づけると、手袋の先にわずかな火がともった。それを高御座を隠している白絹に投げつける。

 油は玉座の周りに仕込んではいない。けれど、この部屋はいずれ火の勢いに耐えきれず崩壊する。白絹の帷帳を燃やしていく黒の手袋は、ほんの少しの悪あがきにすぎない。決して、決して己の本当の目的を悟られないために。

 崩壊していく部屋の中、まだ無事な階段を上り、無作法に薄絹を開く。もう誰もここにはいない。誰もこない。

 ここにいるのは、自分と、玉座にいる、主のこうべだけだ。


「嗚呼、貴方は、本当に、狡い方だ。私に自死を禁じて、貴方の後を追うことすら許さなかった。その非情さは、確かに貴方は神なのだと、思いすら致します」


 ばぎり、と低い音が後方で鳴る。天井が崩れたか。あと少しですべてが終わる。


「貴方は、仇なのだから、殺せるだろうと言いながら、貴方は私が貴方の命令に背くなど、疑いもしなかった。なんと残酷なお方か。――この国で、誰よりも、貴方に全てを捧げているのは私であると、知っていたのでしょう」


 不規則に、けれど絶え間なく、部屋が崩れ落ちる音が聞こえる。

 手袋を外した手で、血液にぬれた手で、白骨のこうべに触れる。

 初めて、自分の意志で、主に触れた。


「貴方がたは異教と断じて切り捨てて、知ることもしなかった。だから、私たちの部族の信仰がなんたるかも知ることはなかった。私たちにとって、信仰するものは――火、そのものだというのに」


 火は人に知恵を与え、ぬくもりを与え、強大なる力そのもの。

 そう教えられ、火を崇め、生きていた。


「あの日、私たちの全てを奪った火は、決して私たちを楽園だとかいうものの資格を失うようなものではなかった。無念ではあったかもしれませんが、死体を火葬することは私たちには普通のことなのですから。むしろ火で肉体を消されることを怯えるほうが、可笑しくて仕方がなかった。でも」


 瞼を閉じれば浮かぶ。

 赤い、赤い、赤すぎる光景。

 火と熱と悲鳴と絶叫と断末魔と肉が焼ける匂い。

 その中で、何にも染まらぬ、白く輝く、至高の存在。



「あの強大な火を、炎を、統べる貴方は――私には、まさしく、神に見えたのです」



 崇め、畏れ、敬ってきた、火というものを。

 その手で操り、無常に全てを奪いつくしたその白さの、なんと美しいことか。

 あの時から、自分の神は、我が主に他ならなかった。


「嗚呼、こうして、貴方の命に従い、命を使える喜び。貴方の命を奪ったあの時、よくぞと、良きと、許しを得た時に。私の生涯は、私の信仰は、すべて報われました。だから、これは、ただの自己満足に過ぎぬのです。貴方にとって価値がない、貴方の骨と、私自身が、火に焼かれて、同じく灰になることを望むのは」


 白の帳が燃えていく。周りに火がつく。玉座の背から火があがる。自分の足が燃えているのを感じる。


「全てが終わったら、きっとここは崩れて落ちる。玉座の跡に、王冠と私の剣が残っていれば、彼らは最後まで玉座に執着した狂人だと、思ってくれるでしょう。私たちの骨は、砕けて、どちらのものともわからぬようになるでしょう。これで貴方の命に反することはない。貴方の死体は残さない。私は自死をしない。けれど、私たちは、死したのち、火によって、一つになるのです。

 確かに、私は狂っているのかもしれません。最期のその時まで、貴方の御傍におりたいと、その願いで、焼けた貴方の死体から、せめてと頭だけでもと持ち出して、誰も近づかないこの玉座に隠した。ええ、ええ、狂っている。狂っているのかもしれません。ですが、どうか」


 身体中がなにかでくすぶられている。きっともう全身に火がついている。先程から口から出ている言葉もまともに発せてはいないのかもしれない。喉が苦しい。ひゅうひゅうと抜ける息しかしない。

 それでも、手は、髑髏から離さない。ああ、赤い血で汚れても、染まらぬ、唯一の白。


「――どうか、最期まで御供をすることを、お許しください」


 王冠を被って、肉のない骨は、最期の祈りに何も返さない。

 けれど、火がちろりと揺れて、自分の頬をかすめた。

 その頬の熱さに、嗚呼、と嘆息した。




 その後。崩れ落ちた玉座から、潰れた王冠と、血がついた剣が見つかり発見され、黒の背信者は、玉座で一人息絶えたのだと、断定された。

 国は神を失い、絶望したが、きっと天で見守ってくださってると、信仰の形を変え、その国はいくつかの制度や領土を変えながら、歴史の中で続いていった。

 いつか来る、終わりの日まで。





   【martyrdom;殉教、マータダム◆信仰、信条に従って死ぬこと。】

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背信のマータダム コトリノことり(旧こやま ことり) @cottori

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