違和感があるのは、リアリズム制限。一種の予言書です。信仰注意!

 SFは、星新一さんや、小松左京さんで、恐ろしさを感じていましたが、ややもすれば、事実と同じ、予言と同じと、思われてそうな「日本沈没」。かなり緻密な調査や研究がなされていたと思います。そして、現実とのズレが担保だと思っていました。怖ければ怖い方がほっとすると。
 しかし、誤解まで生みそうな今回のお話は、というか、私も半信半疑なんです。天体の動きで現実とリンクするというものが。そして、科学のいう太陽光の波長からの太陽系の寿命など、科学で古代から現代まで言われていることが、どちらが本当なのかと。科学信仰の傾向にあるリアルな科学の世界が好きな私でも、天体と現実の関連は、ごく一部でしか成立しないということを抜いてしまうと、本当に信じてしまいますので、注意が必要と感じます。それは、科学の追及に対する認識の甘さだと思います。私は、信じなかったけれど、信じる要素はそれなりにあり、信仰とサギくらい近くて違う揺らぎがあるように感じました。『諸世紀』を私は読んだことがありませんが、実行しようという集団がいることは知っています。
 ところで、「はじまりのおわり」と題打つ作品が増えているとよく言われておりますが、ひとの欲望でしか、ものごとは生まれないと思っているのなら、その人の世界観の中での終わり。成就して、することがなくなるという点でしょう。みんな、スマホという機械があればどんな欲望もかなうから。という、わたしの今思いついたフィクションですが、ひとの欲望は無限です。ないのは資源です。コロナですね。各国各地域で、今の生活の疑問を考えていることでしょう。都市化の問題もITで解決され、スマホで補完されています。エコカーやバス、昔からあります。2000年紀で考えるなら。滅びてたまるかという方たちも、地方にたくさんいます。本国が危険なボタンを押さない限り、大丈夫。農業も商品化機械化して、直す人はいなくなります。でも、我々には先のことと思いますよ。コロナくらいなんだ、です。いろんな意味でよかったのは、そこに到達した人がカクヨムに書いたことかな? あ、私が言っては、作品が無意味になってしまう。危機感を感じたら遠慮なく削除してください。
 今にして思えば、卑弥呼を連れてきたのか! コロナかで歴史を振り返ろうというお話だったのか。