第8話 命あってこそ
それから月日が流れた。家族ともども平穏に過ごしていたある日、店長の奥さんが破水したとの知らせを受けた。僕は
しばらくすると、店長がこれまで見せたことのないほどニンマリした表情で出てきた。
「店長、おめでとうございます!」
僕と
「ありがとうございます、女の子でしたよ~。そのうち『わたしパパのお嫁さんになる』とか言ってくれるんでしょうかね~。彼氏とか連れてきたらどうしましょうか」
「お気が早いですわ」
と苦笑する
「はい、吉永です」
「先日面接を受けていただいたO社の太田ですが」
「ああ、その節はどうも……」
僕は面接時の太田の顔を思い出した。どうせ断られるだろうと思っていたが……
「おめでとうございます。吉永さんの採用が決まりました」
僕は一瞬、耳を疑った。
🏡
店長の奥さんと娘さんが退院した日、僕たちは彼ら一家を夕食に招いた。出産祝いと、僕の就職祝いを兼ねてのことだった。
「乾杯!」
出産直後の奥さんはウーロン茶で乾杯したが、他はみなビールだった。店長はあまり酒が強くないのか、酔いの周りが早い。
「正直に言って、最初に吉永さんが来た時、ホント役に立たなくて、ぶっちゃけ迷惑でしたよね。でも、何だかそこにいるだけでホッとするというか、いつの間にかあの店には必要な存在になっていたんですよ。だから……吉永さん、行かないで!」
と店長は僕に抱きついてきた。戸惑っていると、奥さんが苦笑して言った。
「ごめんなさいね。ウチの人、酒グセが良くなくて……」
とその時、輝と恵がやって来て、新聞紙で作った刀で店長をバンバン叩き出した。
「こらお前たち、何てことするんだ!」
僕が叱ると、子どもたちはキャッキャと騒いで立ち去った。
「すみません、本当にヤンチャな息子たちで……」
店長はかまわないと言うように手を振り、酔って回らぬ舌で語り出した。
「ぼかあね、
僕はヒヤッとした。
「だからね、粗食を美徳とする坊主なんてのは信用ならんのです。そこへ来てあの千々岩って牧師ですけどね、コロッコロッ太っていて、かなり飲み食いしているクチですよ……まあ、ああいうのを生臭坊主って言うんでしょうな。でも、ぼかあ、清貧を信条とするような輩よりも、ああいう人間臭い奴の方が、よほどついて行きたいと思えるんですよ。
僕は顔面から血の気が引いた。僕たちの調査のことがバレてしまうじゃないか。恐る恐る
「良かった……千々岩先生、お元気になられたのね」
「……え?」
「千々岩先生はご病気でかなりお痩せになっていました。生田は生前、先生にある療法を薦めていたのです。その頃千々岩先生は、療法についてお疑いでしたが、生田が亡くなってからその療法を採り入れたと聞きました。今、先生が肥えられたと聞いて本当に良かったと思いました」
店長一家が帰ってから、ハミングしながら後片付けをする妻に、僕はそっと聞いてみた。
「もしかして、僕たちが調査していたことに気づいていましたか?」
だが、
「命あればこそ、本当にその通りですわね」
と言ってほうじ茶をそっと出した。その熱さは、喉を通じて腹の底までじんと染み渡った。
終
妻(さい) 緋糸 椎 @wrbs
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