30. だから今日も歌っている
最悪です。最悪すぎます。
いくら必要以上の交流を持たないと決心したからと言って、どうして一週間もスマホの使用を断つような真似をしたのでしょう。
ライブの告知はツブヤイターでしか流れて来ません。見逃せば新しい情報は手に入らないのに。
退屈な授業。友達の一人もいない侘しい学校生活。一週間に及ぶ苦行を乗り切り、流石の私もいささか寂しさを覚えてしまったのです。
学校ではスマホの使用が禁止されています。せめてこの心の汚れを彼の音楽で洗い流したい。
その一心で自室へと飛び込み、勉強机の上に放置していたスマホとイヤホンを手に取ったのです。
「あと一時間……!?」
自宅から八宮waveまでの移動時間とほぼ一緒です。今日の18時からライブだなんて聞いていません。とんでもない大失態です。
すべてのライブに皆勤賞で参加している。取り柄の無い人生を送って来た私の数少ない自慢の一つです。こんな凡ミスで途切れさせるわけにはいかないのです。
大慌てでいつものパーカーとスキニーに着替え、スマホと財布片手に家を飛び出します。自宅から徒歩5分の最寄り駅から急行列車に飛び乗り、送られたDMの内容を改めて確認します。
(…………抽選……?)
ライブの開始時間ばかり注視していた私は、送られて来たDMの不自然さにこの期に及ぶまで気付いていませんでした。
チケット代、ドリンク代が無料。普通に考えてあり得ません。ただでさえいつも集客に苦労してノルマが厳しいだなんだとツブヤイターで愚痴を垂れているのに、無料のライブを開く余裕が彼にあるとは思えません。
勿論、限定ライブの抽選に応募した記憶もありませんでした。私を除いて数えるほどしかファンのいない彼が、どうして参加者を選り好み出来るというのでしょう。
(これはまさか……)
疑念は確信へと変わりました。
嵌められました。完全に。
どう考えても罠です。
私をおびき寄せるエサなのです。
(どういうつもりなのでしょう……)
私の気持ちはDMでしっかりと伝えた筈です。
ファンとして越えざる一線を越えてしまった。これ以上の干渉は貴方の迷惑になる。プロデューサーなんてものを気取って、貴方の活動の邪魔をするのは金輪際辞めにする。
DMを送ってから、彼からの返信はありませんでした。だから、私も諦めていたのです。
彼も同じことを思っていた。これで良いのだ。これが正しい姿なのだと。
なのに、どうして。
(とっ、とにかく、ライブはライブでしっかり見届けさせてもらうのです……これから彼も人気になってチケットも取り辛くなるでしょうし……ううっ、そうは言ってもこんな見え見えの罠に……ど、どうすれば良いのでしょう……!?)
あれこれ考えているうちに、八宮駅へ到着してしまいました。
開演時間に間に合わないのも失礼と、フードを深く被り直し八宮waveまで駆け足で突き進みます。
駅から徒歩で数分。階段を駆け下りて扉を開きます。が……明かりが点いていません。
営業していないのでしょうか? 支配人の神田氏も見当たりません。
そういえば今日は定休日の筈じゃ……まさか、日にちを間違えた?
いやでも、確かに今日の日付で合っているし……いっ、いったい何がどうなって……?
「————おはようございます八宮のシノザキユーマです! 一緒にロックンロールしよーぜッ!!」
「…………へっ?」
突然聞こえて来たギターの音色と、不思議と懐かしくも感じる出囃子の挨拶。
これは……ステージの方から? でも、照明もなにも点いていないし、フロアも真っ暗なまま。アルバイトのPAさんの姿も見当たりません。
真っ暗な室内を足音を頼りに、恐る恐るカウンターを抜けフロアへと足を進めると。
そこにはやはり、なんのスポットも当てられずギター片手にステージへ立つ、金髪で細身のミュージシャンが一人。
今の私に、どうしても必要で。
どうしても声を聴きたくて。
でも、どうしても逢いたくなかった。
大好きなミュージシャンが、満面の笑みで私を待っていたのです。
****
『六畳一間にブルース 隣に安い女』
『飛び切りの贅沢が必要 煙草の灰が積もる』
『心だけが美しい 五臓六腑よ犠牲となれ』
『このまま行こうぜ ワンウェイブルース』
気休めに置かれたスタンドマイクには電源すら入っていない。必要最低限の照明が点いているだけで、派手な演出や効果も用意されていない。
ぽっかりと空いた無人のフロアも見慣れたものだった。薄暗いステージに、たった一人の観客。別に初めてというわけでもない。
高らかに歌い上げコードを掻き鳴らすと、彼女はただの一つの拍手さえ忘れ、唖然とした様子でステージを見上げていた。
まるで状況を呑み込めないと顔に書いてあるようだ。揺れ動く鼓動と比例するように浅く被ったフードがずり落ちて、いよいよその素顔が露わとなる。
短い黒髪。
真珠のように大きく、輝いた瞳。
少しぷっくり膨らんだ頬。
冴えないミュージシャンの追っかけ、すばるんはそこには居ない。マイナー音楽好きの何処にでも居る普通の中学生、等身大の今宮スバル。
「どういう、ことですかっ……?」
「DMちゃんと読んだのか? 一名限定のスペシャルワンマンライブだっつってんだろ。おめでとう、キミは抽選で選ばれた幸運なファンだ」
「抽選も何も応募した覚えは……」
「ああ、フォロワーから無作為で選ばせて貰ったんだわ。事後報告でごめんな」
「そんな都合の良い話が……!」
「あるんだよ。これが」
勿論それが言葉の綾、自分をおびき寄せるための狂言に過ぎないことなど、彼女もとうに理解していた筈だ。
でも、来たんだろ。
それが答えだろ。すばるん。
「いつだったか、前にもこんな感じのライブがあったよな。覚えてるか? 前のアーティスト見て残ってた奴が二、三人いて、俺目当ての客がすばるんだけでさ。で、半分歌ったところですばるん以外全員帰ったんだよ」
「……覚えています。去年の冬……ハチミヤ・サンライズの第3回公演ですよね」
「ははっ。伊達に追っかけやってねえな。俺も流石にショックでさあ、途中で切り上げてステージ降りちゃったんだよ。ごめんな、あの時は」
「……もう過ぎたことですから」
そう。彼女と二人だけのライブはこれが初めてというわけでもなかった。
しっかりと俺の歌を聴いているという条件を付けるのであれば、むしろ数える方が億劫なほどには、俺たちの日常みたいなもので。
「……マジでさ。心の拠りどころだったんだよ。どんなにクソ売れねえままでも、あの子だけは俺のことを見捨てないで応援してくれる。一人でも聴いてくれるなら、絶対に辞められねえなって……」
「……ユーマさん……っ」
「『Days』って曲覚えてるか? あれだけYourTubeのコメントもリアクション微妙だったよな」
「……そう、でしたね」
「ライブでもピンと来なくて、やるの辞めちゃったんだよ……もう最近なんかさ、すばるんの反応ありきでセトリ組んでるんだわ。『Moon Song』とかぶっちゃけ黒歴史なんだけど、妙に気に入ってるし。やらねえわけにはいかねえだろ?」
もっと沢山の人に、広い世界へ俺の音楽を届けたかったのに。いつの間にか、彼女のためのライブになっていたんだよな。
俺という人間は。シノザキユーマというミュージシャンは、とっくの昔から売れることを諦めていた。ただ一人のファンに固執して、狭い世界で独り善がりなブルースを奏でるだけの、ミュージシャン以下の存在だったのかもしれない。
「いやまぁ、そうは言ってもさ。抗う気が無かったわけじゃないのよ。ファンが一人しか居ないのを認めるのも癪だし。荒れてた頃なんか『俺はあのちんちくりんの承認欲求充足マシーンじゃねえ』ってナオヤに愚痴ってたくらいだぜ」
「ちっ、ちんちくりん……!?」
「で、その度にナオヤに怒られるわけ。たった一人のファンも大切に出来ねえ奴にステージ立つ資格があるか、ってな。で、俺も正直になったわけよ」
何を期待するわけでもなかった。彼女のために歌おうとか、頑張って売れようとか、別にそういうつもりも無かった。
ただ、存在を受け入れるだけのことだ。それがいつの間にか、俺にとって何よりも大切なモノへと変わっていた。今頃になってようやく気付いた。
「俺にとってのすばるんはさ。ずっと前から、もうただのファンとか、追っかけとか、そういうのじゃなかったんだよ」
「……ファンじゃ、ない?」
「だって、半分意地になってすばるんの喜びそうな曲作って、ライブもそればっかりだぜ。んでもって、そういう状況で続ける活動も音楽も……気付いたら俺の中で正解になっちまったんだよ」
「……正解、ですか?」
「すばるんの期待に応えるのが、俺自身の欲求を満たすのと、イコールで繋がっちまったんだよ。今じゃ『Moon Song』も定番になっちゃったしさ」
自然と溢れ出した自嘲の言葉も、彼女のあやふやな瞳を一色に染め上げるには事足りない。さっさと本題へ移ろう。
Stand By Youがブレイクしたときに抱いた違和感も、然るべき当然の悩みであり帰結であった。Stand By Youを歌う俺は俺であって、実のところ俺ではない。
もし、彼女が。すばるんという存在が。
単なる一ファンなどではなく。
俺と似たような世界を。希望を。絶望を。
同じ未来を思い描いた者同士であるならば。
「……やっぱMCは向いてねえな。こういうのは玲奈に任せるのが一番だわ。さっさとバンドでも組むか……あー、でも打ち上げで殴られるのはなぁ」
「ユーマさん、そろそろちゃんと理由を聞かせてくださいっ。どうしてこんな、強引な手段を使ってまで私をここに……」
「分かってるよ。まぁ、理由は一つなんだ。実はどうしても聴いて欲しい曲があってな……後になって権利云々で揉めたくねえから、本人の許可が必要なんだよ」
「……私の、許可、ですか?」
「勝手に名前使ったら怒られるだろ?」
「はっ、はぁ……っ」
今日彼女に用意したのは二曲だけ。
一つは、俺たちが出逢うキッカケとなったone way blues。そしてもう一つは、俺の人生を変えてくれた、大切な歌。一応言っとくけど、スタバじゃねえぞ。
「ツブヤイターでも『なんて曲なんだ』って散々リプライ貰ってな……早いとこタイトル決めねえとYourTubeにも公開出来ねえんだよ」
「……それって、もしかして……!」
「おう。新曲」
登坂スターダムで最後に披露した新曲。メロディーは二日前。歌詞は前日に詰め込んだ、出来たてホヤホヤのバラード。
そうだ。すばるん。この曲は、お前の承諾無しには。お前が認めてくれないことには完成しない。俺一人では歌えない曲なんだ。
「じゃ、聴いてくださいよっと」
黒光りのカポを2フレットに移動させ響きを確かめる。それほど高い技術は必要としない。Emを始点に、C、D、G、A7。主なコードはこれくらいだ。
どこかカントリー音楽の風味を漂わせる、俺にしちゃ珍しいアプローチ。どこぞの兄弟喧嘩ばかりしているバンドも似たような曲を歌っている。ちょっとだけ参考にさせて貰ったのはここだけの秘密。
進行自体は王道の類だが、一聴では捉え切れない浮遊感とでも言えば良いのか。どんなところへも飛んで行ってしまうような危うさも兼ね備える。
まるで俺みたいだな。自分の音楽を信じ切れない軟なプライド、ポリシー。身体一つで蛇行運転を続け、道なき道を転がり続ける曖昧な存在。
まるでお前みたいだな。あれだけ近くにいるのに、知らぬ間に見失ってしまいそうで。けれど、決して潰えることの無い、たった一つの目印。
さて。始めようか。
これでもミュージシャンだからな。
言いたいことは歌に全部詰めるんだよ。
『歩き疲れて 空を見上げる』
『そんな気分でもない 感傷的な場合じゃない』
立ち止まったその瞬間、歩んできた道のりさえ否定してしまうようだった。だから、進み続けるんだ。キミはいつどんなときも、遥か頭上で光り輝いている。
『ガラガラの声で 盲目の世界で』
『俺は歌う 今日も歌う 今を歌う』
酷く聞き取りにくいしゃがれ声が、こんな形で役立つなんて思ってもみなかった。子どもの頃はコンプレックスでさ。友達とのカラオケすら怖かったくらいだよ。
その癖、誰も知らないような曲ばっかり聴いて。馬鹿の一つ覚えみたいに真似事してさ。受け入れられないのも当然だった。
でも、好きだった。愛していた。俺にしか歌えない歌が。奏でられない音があると信じていた。あの日も。あの時も。そして、今だって。
『見えやしないのに』
『道しるべになって』
『名前も知らずに』
『キミの名を呼んだ』
それが正解なのかは分からない。もしかしたら音楽向いてないんじゃないかって、今でも思うよ。他にもっと才能のあることが見つかるかもな。ギターより皿洗いの方が自信のある毎日だ。
『絶えなく迫る淡い炎 絶望の行方』
『その先を灯せる 信じている』
俺の歩んできた人生は半分が間違いで、もう半分は根拠の無い夢と希望。二階堂の言う通りなのかもしれない。俺の愛する音楽は少しずつ。だが確実に寿命とやらを迎えつつある。
ところがそうでもないってこと。俺は教えて貰った。登坂スターダムの観客に。大切な仲間に。尊敬出来る先輩に。気になる女の子に。
もう一度、信じてみようと思えた。ブルースの、ロックンロールの可能性に。俺という人間が生み出す、たった一つの希望という名の音楽を。
『もっと明るく照らしてくれ そんなもんじゃないだろう』
『とっくに気付いてるんだ もうこれしかねえんだよ』
埋め合わせの安っぽい商業音楽は、荒んだ俺の心を一滴たりとも潤してくれなかった。六畳一間でお前が見せた、この世の終わりのような悲しみに満ちた顔。俺は生涯忘れることは無いだろう。
不正解だと言い切るつもりはない。けれど、俺には。俺たちの世界には必要無いんだ。
あんなものに頼るくらいなら、最初からもっと自分を信じれば良かった。見失ってから後悔するなんて、二度と御免だ。
『立ち止まっても 転がり続けても』
『辿り着くんだよ 絶望の果てへ』
その先に答えが。正解が。希望があるのかは分からない。簡単には行かないだろう。これから何度だって壁にブチ当たって。
その度に後悔して。絶望して。どこへ向かうかも分からないまま、音楽を続けるしか無いのだろう。
それでも、ただ一つ確かなのは。
『見えやしないのに』
『道しるべになって』
『名前も知らずに』
『キミの名を呼んだ』
『絶えなく潰える淡い命 光源の彼方』
『その先を灯せる 届いている』
すばるん。
お前がこれからも、俺の音楽を。俺の人生を遥か先で明るく照らし、光り輝き続けてくれるのであれば。
きっとどこかへ辿り着く。
なにかが見つかる。
そこがどんな暗闇でも。絶望への片道切符でも。地獄の入り口だとしても。俺は決して、この長い旅路を後悔したりはしない。
篠崎佑磨という何を取っても事足りない人間を。あまりに大きすぎる隙間を。すばるん、お前が埋めてくれるのなら。共に歩んでくれるのなら。
それは正解とか不正解とか、成功とか失敗とか。そんなどうでも良いものは全部通り越して。
俺たちが、俺たちになる。ただそれだけの、一番大切で、何よりも欲しかったなにかなんじゃないかな。
『真っ白な荒野で お前は待っていた』
『共に進もう 墓を建てよう』
一緒に行こう。最期は肩を寄せ合って、死んだように眠ろう。んでもって、全然違うところに生まれ落ちて、然るべくもう一度出逢おうぜ。
命より大切な、お前という名の目印。
あの星々と同じように、とっくの昔に爆発してたりする? 別に良いよ。そこに無くたって。まやかしでも、幻想でも、なんだって良い。
信じ続ける限り。俺の心のなかで、いつまでも綺麗に光り輝いている。それだけが確かで、俺にとっての本物だから。
だから、俺も輝き続けるよ。お前にとっての目印になれるように。互いに惹かれ合って、衝突して、爆発して。いつか同じ星になれると良いな。
『ここで終わる ここから始まる』
何度も終わって、何度だってやり直そう。
それが俺たちに必要なことだろ。すばるん。
「この曲の名前は、スバル。俺一人じゃ歌えない歌。俺一人じゃ、奏でられない音。だってそうだろ? お前のために作った歌なんだよ。お前が認めてくれなきゃ意味無いんだよ。すばるん」
「…………ユーマさん……っ!!」
小粒の涙を頬に伝わせ、彼女は打ち鳴らされた鼓動とともに激しく膝を震わせる。
二分にも満たない時間を一区切りずつ噛み締め、意図せずともその身体を縛り付けるようだった。
いくらパーカーの袖をグチャグチャに汚せど、年相応の泣きじゃくった跡までは誤魔化し切れない。
あまり嬉しい反応ではないな。お前の泣き顔は出来ればもう見たくなかったし、なんなら笑って受け入れてくれるかと思っていたのに。流石に見積もりが甘すぎたか。
「そういうわけなんだけど、名前、使っても良いかな。著作権料とか取っとく?」
「……いりません、そんなのっ……馬鹿なんじゃないですか……っ!!」
「じゃ、有難く頂戴するわ」
茶化すように声を弾ませると、すばるんも無理やりに笑顔を作って応えてくれる。お気に召してくれたようで何よりだ。
「改めて、もっかい言わせてくれ。すばるん。お前はもう、俺にとってただの一ファンでも、追っかけでも、面倒なプロデューサー気取りの駄々っ子でも、なんでもねえんだ。俺の一部分。俺の音楽そのもの……何よりも大切な存在なんだよ」
「登坂スターダムが終わって、すばるんが家から居なくなって……心にポッカリ穴が開いちまった。元々無かったモンだと思い込んで、なんとか誤魔化してたんだけどな」
「でも、そうじゃないって気付いた。お前はとっくに俺自身、俺の一部分だったんだよ。そんな奴が顔も合わせずにいきなり居なくなってさ」
「…………寂しかったよ。すばるんがスタバを聴いて俺のところへ飛んで来た時も、同じように思ってたんだろうなって。当たり前のモノが無くなった、たった一つの希望を見失った……そういう気持ちになった」
馬鹿正直な告白を前に、堪えていた情動も再び決壊する。拭いても拭いても溢れ返る熱い涙を床へポロポロと落とし、彼女は消え入るような声で語り出した。
「……こんなのダメなのですっ……! ユーマさんの音楽は、ユーマさんだけのモノなんです! 私が入り込んで良いような場所じゃないんですっ! だって、わたしはっ……!!」
「……わたしはっ、ユーマさんの音楽が好きなんですっ!! ただのファンで、追っかけで……こんな想いを抱いちゃいけないのですっ!!」
「私という不完全な存在が、ユーマさんを、ユーマさんの音楽を傷付けるようなことがあってはいけないのですっ……それだけが怖くて、どうしても受け入れられなくて……っ!!」
彼女の言いたいことはDMの内容とほぼ一緒だ。一ファンとして出過ぎた真似をしてしまった。ミュージシャンとしての活動に、自分という存在はもはや邪魔者に過ぎない。これ以上の干渉は足枷になるだけ。そう思い込んでいる。
まったく、あれだけ傍若無人な態度を取り続けてよくもまぁ言えたものだ。これだから中学生という生物は周りが見えていない。
仮にもプロデューサーだろ。
責任の一つくらい取ってみろよ。
「ごめん、すばるん。お前の気持ちとかどうでもいい。俺がこれから音楽を続けていくうえで、どうしてもすばるんが必要なんだよ。ただの一ファンじゃない、もっと近いところで、俺を見守って欲しい。助けて欲しいんだ」
「でも……でもぉっ……ッ!!」
「しっかりしろよ、プロデューサー!」
ギターを背中へ回しステージから飛び降りる。いきなり目の前へやって来た俺に彼女は酷く驚いていたが、そんなことなど気に留める必要もない。
胸元にさえ届かない小さな身体を手繰り寄せ、力一杯に抱き締める。
甲高い悲鳴がフロアを飛び回り、繋がった肌と肌を通して脳天まで響き渡るようだった。
「なっ、な、なな、なっ……ッ!?」
「ナ行の申し子かよ」
「ちっ、茶化さないでくださいっ!! わたしっ、中学生ですよっ!? 大人と子どもですよっ!? 犯罪っ、犯罪なのですっ!!」
「知るか、アホ」
「ほへひゃああああッッ……!?」
さらに両腕へ力を込めると、身体を押し潰した弊害か、頭部から湯煙にも空目する得体の知れない何かがプシューっと抜けていく。
顔回りからつま先に掛けて、真っ白な素肌はリンゴのように真っ赤に染まっていった。黒パーカーとのコントラストは中々に綺麗なものだな。
「暇なときだけで良い。土日のどっちか、半日だけでも良いんだ。またウチに来て隣でギャーギャー騒いでくれ。無能のへなちょこプロデューサーで十分だから」
「……で、でも……っ」
「自分が干渉し過ぎて、俺の音楽が不完全になる? 馬鹿言うな。お前が傍に居ない俺の方がよっぽど不完全なんだよ……俺たち二人、力を合わせて、初めてシノザキユーマが完成するんだ。それだけは自信を持って言うよ」
腕を離して同じ目線まで屈み、優しく黒髪を撫で下ろす。可愛らしい顔と潤んだ瞳が一直線に飛んで来て冷静ではいられないが、取るに足らないことだ。
「……もう、どこにも行くな。サヨナラなんて二度と言うな。お前が必要なんだよ、すばるん」
「…………ユーマさん……っ」
まるで愛の告白だな。まぁでも、別に間違っちゃいない筈だ。中学生と恋愛するつもりは無いけれど。今のところ。
不思議な感覚だ。今ならStand By Youだって自信を持って歌える気がする。ラブソング、作ったこと無かったな。新しいインスピレーションが次々と浮かぶようだ。
「……本当に、邪魔じゃないですか? 私みたいな人間でも、ユーマさんのお役に立てますか……!?」
「何遍も言わせんな。役に立たなくていい。迷惑なんて幾らでも掛けろ。ただ傍に居てくれれば十分だ。それでもダメか?」
「…………ユーマさんの一部に、私がなっても良いんですかっ……ッ?」
「とっくになってるよ。残念ながら」
「……なんですか、それっ……そんなこと言われたら、断れないじゃないですかぁぁ……っ!!」
ワンワンと大声で泣き腫らし、流れ着くままに胸中へと収まる彼女。やっぱり恋人は違うな。精々親戚か妹だろ。極めて健全だよこの絵面。
「これからも頼むよ。ロリっ子JCプロデューサー」
「……ロリじゃっ、ないですっ!!」
「はいはい」
目元をゴシゴシ拭いてパーカーの皺を正すと、身体を突き飛ばすように腕を伸ばし距離を取る彼女であった。わざとらしく見せびらかした白い歯。
ああ、可愛いな。やっぱ。
まったく。嘘は吐けないね。
そうそう。その笑顔が見たかったんだよ。
「わっ、分かりました! 分かりましたよっ! そこまで言うのであれば、私も覚悟を決めますっ!」
果てしない夜空で輝く光のように。
彼女は笑った。
美しく。力強く。綺麗に笑った。
「プロデューサー! そうっ、あくまでプロデューサーですからっ! 勿論カキタレでも無いのです! それだけは勘違いしないでくださいねっ!」
「勘違いしてたのはお前だよ」
「ここまで頼み込まれては、しっ、仕方がありませんねっ! これからもユーマさんの右腕として猛威を振るってやるのです! 覚悟してくださいっ!」
「なに急に吹っ切れてんの。ウザイ」
「さあユーマさんっ、せっかくのステージなのです! 良い機会ですから、今後来たるべきワンマンライブに向けて予習をするのですっ!」
「予習って?」
「例えば……そうっ、ワンマンならではのスペシャルな催しです! というわけでユーマさん、私をステージに上げてください! YourTubeで見ました!」
「それなんて京都○作戦?」
よく分からないがステージに上がって歌いたいらしい。まぁ俺がいない間にベッドの上で物真似してたくらいだからな。歌もギターも下っ手くそだったけど。
優しく手を引いて、いちにのさんでステージへ飛び上がる。前述の通りスタンドマイクのスイッチは入っていないが、初めてのライブにはちょうど良い塩梅だろう。
「……こんなこと、普通なら絶対に許されません。でも、ユーマさん言ったんです。私がユーマさんの一部なら、一緒のステージで歌ったって良い筈ですっ!」
背中のギターを定位置へと戻し、派手にコードを鳴らす。爆音を背に空っぽのフロアを見下ろし、すばるんはこれ以上無いくらいに瞳を輝かせた。
「おっしゃ。なんでもリクエストしろ」
「ドンと来いなのですっ! ユーマさんの歌ならなんだって歌えますよ!」
「オッケー。じゃあStand By Youで」
「ズコォォーーッッ!!」
盛大にスッ転ぶ。なんだその理想的な美しいひな壇芸は。笑わせんな。
「冗談冗談。じゃっ、復習も兼ねてone way bluesにしとくか。こないだからちょっとは上手くなったんだろうな?」
「そっ、その言い方は激しく不満を覚えますっ! これでも歌唱力には自信があるのですっ!」
「よく言うわ最高に音痴だったじゃねえか」
「あっ、あれはちょっと気を抜いていただけというか……まさか聴かれているなんて思わないじゃないですかっ! 本当の実力はまだ見せていないのです! 能ある鷹は爪を煎じて飲むのですっ!」
「混ざってる混ざってる」
必死な顔をして音痴呼ばわりを否定して来る。まっ、そこまで言うのなら証明して貰おう。
初めてのステージ、存分に楽しむが良い。お生憎、観客は俺一人だけどな。
良いもんだろう。たった一人のために歌うなんて。俺が今までどういう気持ちでステージへ立っていたか、これで分かる筈だ。
でも、それももうおしまいだな。これからどんなに大きなステージに立っても。必ず傍に。隣に。この左胸に。いつでもお前が居てくれるのだから。
楽しみだよ。すばるん。
これからやって来るだろう、希望と絶望の入り乱れた、最高に馬鹿馬鹿しくて、飽きる気配も無い、行先の見えない旅路。転がり続ける日々。
金も名誉も、幸せも。
俺たちには必要無い。
俺たちの信じた世界。
たった一つの目印。
それだけで十分さ。
これまでも、これからも。
「六畳一間にぶるーす! 隣に安いおんなぁ~♪」
「飛び切りの贅沢が必要、煙草の灰が募る!」
共に地獄を目指そう。
その先に何が待っているか。
二人で見届けて、指差して笑ってやろうぜ。
「心だけが美しい!」
「ごぞーぶっぷよ、犠牲となれ!」
『このまま行こうぜ、ワンウェイブルース!』
音程の取れたガラガラのしゃがれ声。まるでキーの合わない透き通るようなハスキーボイス。噛み合わない歌声と歪なギターの音色が、何故かどうして、ピタリと重ね合わさって。
ステージをも飛び越えて。
空高く、どこまでも伸びて。
八宮の恐ろしく深い夜へ。
いつまでも、いつまでも響き渡った。
#売れロリ 平山安芸 @akihirayama
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます