冷たく鋭利な唾への応援コメント
> 人はいつも、誰かを傷付ける言葉が自分のものではないと信じて疑わない。
この一言は僕の過去にも引っかかります。しっぺ返しを受けて身を持ち崩すなら言わなければよかったと、後で知ったこともあります。
それでもまだ唾を吐いていないか。無自覚が一番恐ろしい。
作者からの返信
村乃枯草さん
コメントありがとうございます!
村乃枯草さんは、相当周りに気を配ってらっしゃる方だと思っておりますので、それでも漏れてしまった出来事があったのかなと想像いたしました。
そして『自分のものではないと信じて疑わない』というのは自分にも当てはまります。全人類の気持ちを完璧に把握出来ない限り、この不安は付きまとうものなのかなと思います。大事なのは、傷付けないように言葉を選ぶことより、傷付けてしまっているかも知れないことを自覚することなのかも知れませんね。
弱者の存在理由への応援コメント
ラ・ロシュフコー「箴言集」をご存じですか。
僕は、自分で読んだことはなく、他の本に引用された文言で知りました。
道徳はすべて自己愛を満たすための道具である、という、まさのこの言明と同じ事を一貫して説き続ける本です。
詩一さんなら読むと溜飲が下がるかもしれません。
作者からの返信
村乃枯草さん
コメントありがとうございます!
ラ・ロシュフコーですか。まったく存じ上げません。
なるほど。同じようなことを書いている人の思索(?)ならば、共感できるかも知れないわけですね。
それで行くと、私はエミール・ミハイ・シオランが近い感性を持っています。たまに「それ私が考えてたやつー!」ってなります。
一度見てみますね。名言集みたいなものが、ネットに落ちているといいのですが。(このあとTwitterでボットらしきアカウントを見付けたので、ラ・ロシュフコーをフォローしました)
50億跳んで2020年への応援コメント
これは気づかされました。
僕も凡百で、人類の子孫でない生命に想像が及ばなかったので。
対等だと思えば血筋が繋がっていることにこだわらなくてもいいのだと気づきました。
作者からの返信
村乃枯草さん
コメントありがとうございます!
地球はどうあれ循環していて燃焼と言うのは自然に起こりうる現象に他ならないんだよなあと考えていたら、人間の『汚染行動』も自然の一部なのかなとか言うところに行きつき、最終的にはどうなるんだろうと考えたら、今回のようなことになりました。
人間は結局人間のための環境を守ろうとしているだけなんだなあと思ったわけです。
また仰る通り、私は血筋にこだわってないです。もっと言えば、血統は本当にくだらないとすら思っています。(他人でも誰でも彼でも、相手を思いやれるかと言うその一点だけで良いと思いますから)
ただこの感覚は常に持っていると非人道的行為に走りかねないので、携帯しない方がいいですね。
編集済
子育てと言う名の贖罪への応援コメント
小説からテーマだけを抜き出して並べたような文章で、無意識にこれを骨子にストーリーを考えてしまいます。私にとってネタの宝庫のようなエッセイ集でした。
ところどころ、人間は悩まねばならないのだ!と言われているようでよく理解もせぬまま感化されかけたのですが、トイレに席を立った拍子に忘れていました。その感性にはちょっと羨ましい気持ちがあります。
作者からの返信
須藤二村さん
コメントありがとうございます!
ぶっちゃけるとここまでのエピソードで
・嫌悪感は美しい羽を広げる
・礎たる不満
・登り上がる罪
は、今後公開予定の『魔女と魔薬と“禍ツ喰い”』の章ごとのエピグラフになっており、つまりストーリー付きのものです。このあと公開されるもののなかにもまだ混ざっています。
それ以外は特に考えていませんでしたが、ネタにしてくだされば幸いです。
それで例えば巻頭にこのエピグラフを入れて
——真野宮万乃『虚構の中の真実』より
みたいな感じにして頂けたらより幸いです。(何様?)
いやそれは自作でやるんですけどね。
羨ましいですか……? 自分で作っておいてなんですが、ちょっと説教じみた感じが鼻につくなと思っていたのですよね。みなさん物凄く真面目に聞いてくださるので助かっております。いつ噛みつかれるだろうって怯えているんですよ。実は。
子育てと言う名の贖罪への応援コメント
精神が追い詰められていた頃、「産まなければ殺されなかった」と思っていました。
精神がなだらかになった後、以前のことを忘れていました。
詩一さんの文を読んで、少しだけ思い出した気がします。詩一さんの想いを理解できたのかは覚束ないですが。
ただ、親から「自分でなんとかしろ」と言われたこともあります。おっ被せられた責任ですが、子にも責任が半分あるかもしれないと思うときがあります。
作者からの返信
村乃枯草さん
コメントありがとうございます!
今回の散文によって思い起こさせてしまったと言うのは、果たして良いことなのか悪いことなのか。
私がどれだけ願っても不老不死永久幸福な子は産まれないでしょう。必ず死にゆく定めを負わすしかない。これでは虐待。生命の冒涜ではないですか。そう思ったから私は子を授からない決意をし、子を欲しがらない女性を伴侶として迎え入れました。
これは人それぞれ思うところがあると思うので、私の一意見として聞いて頂ければと思いますが、責任は子には一切ありません。親が無責任なだけです。(村乃枯草さんの親御様を悪く言うわけではありません)
「生まれる場所は選べないが生き方は選べる」などと言う言葉がありますが、それを言えるのは「生き方を選べる場所に生まれた」からです。この一文が矛盾しない以上、全責任は親が負うべきであり、子には一切の責任がないと思っております。
断定的な物言いですが、本当にこれは『一個人の意見』ですので、芯で受け取らないようにお願いしますね。
死に始めへの応援コメント
僕が高校三年生の時、もう27年前ですが、現国で俳句の授業があり、僕は以下の句を提出しました。今読み返すと無季ですが。
「この赤子 その死ぬときが思われて」
同級生からは「なんで死ななきゃいけない?」と不評でした。
俳句として半分失敗しているのでしょう。多くの人が赤子のうちに死ぬ話なのだと読み取ったのでしょうから。人生全体を読み取ってくれる人はいなかったようです。
すみません。僕の宣伝をしてしまいました。
生まれた直後に将来の人生全体を考えることは、気が遠くなるような、走馬灯のような。
でも、不老不死の人間がいない以上、必然なのですよね。
上の句を詠んだときの倍以上の年齢になり、自分の終わりを考えるようになりました。詩一さんはどうですか。
できることは少なく、生きなければならない理由も答えられない。本当に無力ですね。
作者からの返信
村乃枯草さん
コメントありがとうございます!
俳句は受け取る人によって解釈が違う方が良いと聞いておりますので、クラスのみなさまが別解釈をされているのは良いことではないかと、俳句の面ではそう思いました。
ただ、伝えたい思いが伝わり切っていないやりきれなさと言うのは、それでもあるわけで。
自分の終わりはどのようなものか、目を逸らして生きねばならない脆弱な精神をぶら下げて生きております。
ただ、人生の最大の目的として嫁を看取ることだけは念頭に置いて。
正解がわからない代わりに……と言うわけではありませんが、私は生死感が逆転した——死ぬのが幸せな世界観で作品を書いたことがあります。死善の杜というやつですが、今は公募に出すために掲載を取り下げております。
死ぬのが幸せな世界観なら産まれて生きていくことの意味もあります。史上最高の幸せを最愛の子に与えてあげたいと言う理由がありますので。親も子も生きて遺伝子を残し死ぬまでの循環が滞りないのです。
そうではない価値観の世界で、どうして人は子を産むのか?
と言う疑問は、いまだにわかりません。
わからないから、私は子を作りません。
でも生まれたからには死ぬまで生きようと思っています。理由はありませんが、理由がわからないままに死ぬのが悔しいから、それが理由のような気もします。
生と言う苦への応援コメント
事実であり現実ですね…
実はわたしの会社は小さな職場なのに在職中に不治の病となる社員の人数がものすごく多くて…何人かは辞めて何人かは闘病中で…更に何人かは亡くなりました。勤務中に容態が急変してまさに殉職した人もいました。
わたしは詩一さんの「虚構の中の真実」というタイトルに強く惹かれたんです。わたしの感覚は詩一さんの趣旨とは違うかもしれませんけれども、小説は虚構ではあるけれども虚構から生まれるものではないという感覚をずっと持っているからです。
本来は虚構であって欲しいものが実際に起きているのが現実でしょうから。
カクヨムに投稿を初めた時点からずっと「虚構がリアルを救う」方法を探しながら書いてきたつもりのわたしにとって、とても流れ込むように詩一さんの文章が入ってきたんです。
長文になり大変申し訳ありません。
引き続き楽しみながら読ませていただきます。
作者からの返信
naka-motooさん
コメントありがとうございます!
そうですね。真野宮万乃の思索は世界の真実をそのまま書いているだけに過ぎず、かつ人間の行動の難解さと不可解さに「どうして?」と問うものばかりになってくると思います。
しかしながら、とても不思議ですね。職場が大きいのならそう言う話が耳に入ることもあるでしょうけれど、少人数でそのようなことがあるなんて。naka-motooさんの身にはなにも起きないでくれと願わずにはいられません。私は薄情な人間なので、naka-motooさん以外の社員の方の心配までは出来ませんが。
虚構の中の真実と言うフレーズは私も気に入っているので、そう言って頂けて嬉しいです。
「虚構がリアルを救う」と言うのは、本当にその通りだと思います。そのために虚構は存在していると思いますし。
以前より申し上げておりますが、私は長文の感想を頂けるととても嬉しいですしそれが励みにもなります。naka-motooさんの身の上話もとても好きです。お話を聞かせて頂けるのは、私にとってはとてもとてもありがたいことです。ですので、お気になさらず、お気軽に今後ともよろしくお願いいたします。
生と言う苦への応援コメント
続きがありましたか。詩一さんの思索を追いかけるべく読みました。
人生に決められた目的はない、という意見があります。しかし目的がないならどうして生を捨ててはいけないのか。そこは百万言を費やして、それでも生きねばならぬ、とされています。でも割り切れなさが消えません。
作者からの返信
村乃枯草さん
コメントありがとうございます!
そうなんですよ。私もカクヨムの機能のことを熟知出来ておらず、表示が『完結済み』になってしまっていました。レビューは「8篇を完結として』書いてくださったのに、申し訳ないです。
なぜ生きるのだろうと言う簡単で素朴な疑問には、どれだけの言葉を費やしても答えられないのですよね。たった百万言で足りるのかと。
そして、いともたやすく「義務だから」と言うようには、私は言いたくありません。
村乃枯草さんも、おそらく同種類の人間かなと思います。(もしも不快に思われたならすみません)
無知と不感への応援コメント
わたし自身がとても慰めていただいているような感覚になりました。
レビューさせていただくことをお許しください。
もしレビューの内容が詩一さんの本旨でなかったならば削除していただいても構いません。
この小説の中のエッセイが含まれるその小説を楽しみにしています。
作者からの返信
naka-motooさん
コメントありがとうございます!
naka-motooさんにいっときでも安らぎを感じて頂けたなら、それは私にとっても救いになります。
レビューとても嬉しいです。
散文と言いますか、私ではなくキャラが思索に耽った結果弾き出された走り書きですので、まさかレビューを書いて頂けるとは思っておらず、大変ありがたく思います。
また、私はどの作品に対してもそうですが、あらゆる局面において読者の主張が優先されるべきと考えております。ですから、感想もレビューも頂けたら嬉しいですし、こちらにお気を遣って頂くようなことはありませんので、どうか楽な気持でよろしくお願いします。
エッセイがすべて含まれるわけではなく、もしかしたらnaka-motooさんが想像するものとは違うものになっているかも知れませんが、期待をして頂けて大変嬉しく思います。
カクコン開始と同時に更新していきますので、どうぞよろしくお願いします。
虚構の中の真実への応援コメント
表題作、現る。
嘘より真実を知りたい人が過半数の世の中で、人々が語る真実はいくつもに分かれている。そのことを説明する文言も、いくつもあります。
真実が存在ではなく存在の間にある空隙であるからだ。それは筋の通った明言として納得できます。
作者からの返信
村乃枯草さん
コメントありがとうございます!
表題作、の意味を今調べて初めて知りました。お恥ずかしい。こういうエピタイ=タイトルってそう言う言い方するんですね。
納得して頂けて嬉しく思います。
そしてこれは、真野宮万乃が辿り着いた『一つ』の真実でもあるわけですね。
この散文集に付き合ってくださり、ありがとうございました。