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2020年11月18日 16:37
僕が高校三年生の時、もう27年前ですが、現国で俳句の授業があり、僕は以下の句を提出しました。今読み返すと無季ですが。「この赤子 その死ぬときが思われて」同級生からは「なんで死ななきゃいけない?」と不評でした。俳句として半分失敗しているのでしょう。多くの人が赤子のうちに死ぬ話なのだと読み取ったのでしょうから。人生全体を読み取ってくれる人はいなかったようです。すみません。僕の宣伝をしてしまいました。生まれた直後に将来の人生全体を考えることは、気が遠くなるような、走馬灯のような。でも、不老不死の人間がいない以上、必然なのですよね。上の句を詠んだときの倍以上の年齢になり、自分の終わりを考えるようになりました。詩一さんはどうですか。できることは少なく、生きなければならない理由も答えられない。本当に無力ですね。
作者からの返信
村乃枯草さんコメントありがとうございます!俳句は受け取る人によって解釈が違う方が良いと聞いておりますので、クラスのみなさまが別解釈をされているのは良いことではないかと、俳句の面ではそう思いました。ただ、伝えたい思いが伝わり切っていないやりきれなさと言うのは、それでもあるわけで。自分の終わりはどのようなものか、目を逸らして生きねばならない脆弱な精神をぶら下げて生きております。ただ、人生の最大の目的として嫁を看取ることだけは念頭に置いて。正解がわからない代わりに……と言うわけではありませんが、私は生死感が逆転した——死ぬのが幸せな世界観で作品を書いたことがあります。死善の杜というやつですが、今は公募に出すために掲載を取り下げております。死ぬのが幸せな世界観なら産まれて生きていくことの意味もあります。史上最高の幸せを最愛の子に与えてあげたいと言う理由がありますので。親も子も生きて遺伝子を残し死ぬまでの循環が滞りないのです。そうではない価値観の世界で、どうして人は子を産むのか?と言う疑問は、いまだにわかりません。わからないから、私は子を作りません。でも生まれたからには死ぬまで生きようと思っています。理由はありませんが、理由がわからないままに死ぬのが悔しいから、それが理由のような気もします。
僕が高校三年生の時、もう27年前ですが、現国で俳句の授業があり、僕は以下の句を提出しました。今読み返すと無季ですが。
「この赤子 その死ぬときが思われて」
同級生からは「なんで死ななきゃいけない?」と不評でした。
俳句として半分失敗しているのでしょう。多くの人が赤子のうちに死ぬ話なのだと読み取ったのでしょうから。人生全体を読み取ってくれる人はいなかったようです。
すみません。僕の宣伝をしてしまいました。
生まれた直後に将来の人生全体を考えることは、気が遠くなるような、走馬灯のような。
でも、不老不死の人間がいない以上、必然なのですよね。
上の句を詠んだときの倍以上の年齢になり、自分の終わりを考えるようになりました。詩一さんはどうですか。
できることは少なく、生きなければならない理由も答えられない。本当に無力ですね。
作者からの返信
村乃枯草さん
コメントありがとうございます!
俳句は受け取る人によって解釈が違う方が良いと聞いておりますので、クラスのみなさまが別解釈をされているのは良いことではないかと、俳句の面ではそう思いました。
ただ、伝えたい思いが伝わり切っていないやりきれなさと言うのは、それでもあるわけで。
自分の終わりはどのようなものか、目を逸らして生きねばならない脆弱な精神をぶら下げて生きております。
ただ、人生の最大の目的として嫁を看取ることだけは念頭に置いて。
正解がわからない代わりに……と言うわけではありませんが、私は生死感が逆転した——死ぬのが幸せな世界観で作品を書いたことがあります。死善の杜というやつですが、今は公募に出すために掲載を取り下げております。
死ぬのが幸せな世界観なら産まれて生きていくことの意味もあります。史上最高の幸せを最愛の子に与えてあげたいと言う理由がありますので。親も子も生きて遺伝子を残し死ぬまでの循環が滞りないのです。
そうではない価値観の世界で、どうして人は子を産むのか?
と言う疑問は、いまだにわかりません。
わからないから、私は子を作りません。
でも生まれたからには死ぬまで生きようと思っています。理由はありませんが、理由がわからないままに死ぬのが悔しいから、それが理由のような気もします。