緋色のレインコート
背の高い小人
人の痛みのみが、ボクの痛みを和らげる事ができるのである。 酒鬼薔薇聖斗
「うわ、傘忘れた」
6月に入ってからといい連日大粒の雨が続いている。しかし、梅雨前線が昨日から遠ざかり、傘を携帯しなくなってしまった。大学への登校時間を考えると取りに行く時間はないように感じた。僕は肩から掛けていたトートバッグを頭にかぶり雨除け代わりにして、駆け出した。
大学まで道のりがわずかとなった。大学の正門に入るためには道路挟んだ横断歩道を渡る必要がある。その横断歩道は押しボタン式信号機であったため、私は押しボタン箱のボタンを連打した。押し式信号機は通常の信号機よりも早く青に変わるが今日に限って意地悪をしているように遅く感じる。
押し続けることの無意味さはわかっているが、どうも押さざるを得ない。対面の全身が赤色で直立する人物をにらめつけると向かい側にも人が立っていることに気が付いた。
風貌は全身をレインコートで覆っている。この雨模様であたりが薄暗くなっているためかレインコートの色がやけに目につく。赤というよりも暖かい火の色に近い。
なんども奇抜なレインコートであったため雨のことを忘れて見とれてしまった。するとすでに青信号を示す「とうりゃんせ」が流れていた。僕は我に返り横断歩道に侵入した。レインコートは僕とは正反対のほうに向かってくる。僕はすれ違いざまにフードで隠されている顔を横目で見ようとした。徐々に近づいてくるその瞬間に心臓の鼓動が高鳴る。僕から見て左側来るように右側に移った。ついにその顔を拝見するとその要旨はまるで女優のように美しく、私は見とれてしまった。宝塚やテレビのドラマに出てもおかしくないほど顔のパーツが整っている。
体を振り向かせ、その愛おしい背中を目線で追っていく。
その瞬間激しい音が耳を貫いた。
「いつまで突っ立ってるんだよ!!早くどけよ!」
それは車のクラクションであった。
さらに対面の信号は赤を示している。
有無も言わず体を動かし、横断報道から脱出した。
レインコートは僕が走り去る姿を振り返って見ていた。
今日また話を聞きに警察が来た。
大丈夫、証拠は確実に処分したわ。
包丁は近くの川に捨てたし、血痕のついた靴も先週ゴミに出した。目撃者の住民も始末しわ。
しかし、あのレインコートだけは捨てられなかった。
もしかしたら、警察はなにか状況証拠はつかんだ可能性があるかも。しかし私を犯人と特定する物証が出ない以上捕まらない。
絶対に捕まってたまるものか。
だから・・・これからまた殺人はするべきではない。
当たり前のことだ。これ以上リスクを負うことはない。
でも・・・わかってる。もうダメなのはわかってる。
だが、今日もさらっていくつもりだ。快感を覚えた奴がささやきかけてくる。
その両手を見なさい。見かけはきれいだが皮の裏には他人の血肉がこびりついているわよ。それを見てお前は何をした。
『いや・・・』
りんご飴を舐めるようにときには自らの手と一緒に噛り付いていた。快楽殺人を覚えたら、もう人を殺すとこでしか生きられないわよ。アル中と一緒。
『もう殺したくない…』
警察なら止めてくれるかもね。もうお前は死刑は免れないほど殺しすぎたわ。あとそろそろだれでもいいから殺したい気分になってきたわ。いい、これからも生きるために人を殺し続けなさい。いいわね。
『・・・もう出ていって』
台風の暴風域に入る前から次第に雨風のギアを上げてきている。いままで登下校では傘を使っていたが昨日突然の突風で傘の根元から骨が折れてしまった。そのためもともと家にあったコンビニで買った半透明のレインコートを着ていくことにした。着た感触は安物であるためゴワゴワしているが、使ったことがあるため機能性に関しては問題なかった。
本来なら1時限の授業ぐらい一回休む程度は問題ない。しかし、今期は先月まで徹夜が続いていたため授業始まりの時間に間に合わないことが増えてしまった。そのため、こんな日でも出席しなければ単位を落としてしまうことになる。
大学に行く準備を終え、玄関を出ると途端に水滴が顔についた。歩道に出る前にほかの部屋の様子を見るとカーテンが引かれている部屋が一つだけあった。
内心ではとっとと休校ないし午前休校になればいいもののまだ暴風域に入っていないため大学もその重い腰を上げられなかったと考えられる。
BB弾を顔に撃ち込まれるように雨粒が痛いため、永遠と続く水溜りに落ちる波紋を眺めながら進んでいく。
しかし、そもそもこんな天気に登校させる大学のほうがおかしい。登校中に事故にでも出会ったら大学はどう責任を取るつもりだろう。
雨のことを忘れて大学へ愚痴を脳内で堂々巡りさせていると後方から記憶に新しい爆音が鳴った。僕は右手で帽子のバイザーを作り、音の主を確認した。
車のライトが雨水によって乱反射を起こし、ハイビームを向けられているように眩しかった。目を細めるとその車は徐行しながら歩道に横づけするなり助手席の窓ガラスが開いた。
「この天気の中おはようございます。どこかお出かけですか」
話けて来たのは紺色のスーツを着こなした若い男性が話しかけてきた。
僕はその言葉に聞く耳を持たず、すたすたと進行方向へ進んで行く。
「じゃあ、職質ってことでいいか」
足が止まった。あたりの雨音が聞こえなくなり、その言葉だけが脳に残った。
僕は振り向き男性のほうを見ると左手には警察手帳をみえるように掲げていた。
僕に近づいて行った車は覆面パトカーであった。僕は後部座席の左側に乗り、車は動き出した。助手席の警官は身を僕のいる後部座席に向け、名刺を差し出した。
『警視庁捜査一課警部補 佐藤 圭吾』
この名刺には不可解な点があり、警視庁は僕の住んでいる県の管轄ではない。
「申し遅れました。2か月前に起きた夕闇荘連続殺人事件の担当刑事になりました、佐藤圭吾と申します」
「警視庁・・・」
「はい、私はもともと警視庁にいましたが今回事件の応援として派遣されてきました。以前あなたについていた地元刑事が伺っていたと思いますが、私と変わることになりました」
僕はこの事件に納得していなかった。
「もう僕に付きまとはないでください。この前だって僕に家宅捜索をしたばっかりじゃないですか。僕にはアリバイがあると何回言ったら・・・」
「ええ、存じ上げております。しかし、改めて報告書に目を通しましたがなんとも猟奇的な事件ですね。現場を血肉で散らかしておいて遺体には死に化粧みたいに市販の口紅を付けやがって」
佐藤刑事は深くため息をついた
「ここだけの話ですが捜査本部はあなたを犯人にしたがっています」
僕は耳を疑った。
「どういうことですか」
「殺人をしてはゴーストのように消えてしまう。目撃証言が極めて少ない理由は犯行場所と住処が近いため往復時間を最小限にとどめることができるからだ。そして君が全員の被害者と同じアパートで住んでいてなおかつ唯一被害を受けていない人物。皮肉にも絵にかいたような犯行像になってしまう」
「しかし、それは状況証拠だけではないでしょうか。そこまで調べているということは私のアリバイについての裏付けもできていますか」
「捜査記録だけを見ると君のアリバイは立証されるだろう。君を見たという女性の目撃証言が主となっていて、裏付けもされている」
僕はいままでの取り調べのこともあってか、不満が爆発し佐藤のネクタイにつかみかかった。
「ふ、ふざけるな!ならなんで僕が犯人扱いされないといけないんですか!」
「私だってそんなことはさせない!いいか、必ず君の無実を証明して犯人を逮捕する。前の刑事達に何をされたかはわからないが少なくとも私を信じてくれ」
「もうたくさんです!ここで下ろしてください」
車は急に路肩に停車した。僕は急いで車から降りるとまた窓ガラスが下がった。
「なにか気付いたことがありましたら名刺にある電話番号に連絡をください。あと赤いレインコートを着た女性には気を付けてください」
僕は立ち止まった。
「どういうことです」
「私がやっとの思いで見つけた唯一の犯人像だ。偶然犯行現場近くにいた旅行者が居てな、普段から利用客の多い駅で聞き込みをしたら見つかった。赤っぽい色のレインコートを着て、女性らしい声、素振りをしていた人物を現場付近で見かけたようだ。まだ辺りをうろついている可能性がありますから、見かけたら連絡ください」
車は転回を始め来た道戻っていった。
「・・・もう終わるのか」
台風の接近が着々と進んでいることをこの身を介して伝わってくる。
途中で降りた道はいつも通っている通学路とは違ったが幸いにも土地勘のある道であった。そのため難なく大学の正門付近までたどり着くことができた。
しかし、佐藤刑事がさっき言っていたことが気になっていた。いやもしかしたら刑事よりも知っているかるかもしれない。それは先日横断歩道で見たレインコートを着た女性だ。彼女も刑事が言っていた風貌通り赤に近い色のレインコート着ていた。それはただ、たまたま似たようなレインコートを着ていただけなのか。
あの女性について思考を巡らせていると僕は既にあの横断歩道に立っていた。
これは完全に無意識の領域で行われたものであったため、僕は現実を身構える準備ができていなかった。
僕は慌てて横断歩道向こう側を見た。
いたのだ、そこに。
ちがう、待っていたのかもしれない。
歩行者信号機は赤を示している。
彼女は依然としてフードをかぶっていて、顔をどこに向いているかすらわからない。そもそもまったくの偶然で同じ容姿なだけかもしれない。
もう永遠に赤になってくれればいいと思った。しかし、赤の人は進めと冷酷に告げる。無感情の信号機は死刑囚を処刑台まで誘導する刑務官のように僕を押し出していく。それは物理的なものではなく規則的なものであるが、今横断しないと彼女に勘繰られてしまう可能性があった。僕は最後の一人。もう疑いようのない事実だ。
受け入れるしかない。錆びた鎖で繋がれた心臓をボロボロの歯でかみちぎった。横断歩道の白線に足枷のついた右足をかける。
彼女は一歩一歩それを日常のようにふるまっているように見える。それ比べて僕は地雷源を歩くように慎重な歩幅で歩いている。
彼女は着々と近づいてくるにつれ僕の息遣いも次第に深くなっていく。
ついに彼女と交差するまであと一歩のところまできた。両者ともしっかりと顔を見ることのできる位置はまじかである。
僕は顔を見られたくない一心で視線を下げようとした。しかし、愚かにも僕の心には偽りの本心が一瞬勝ってしまった。怖いもの見たさで目線を下げる過程で一度彼女の顔を見ようとした。
しかし、彼女はそうさせなかった。なんと彼女から目線を合わせてきた。それは釣り糸のような細い針金を針穴に刺すように僕の瞳孔に彼女の視線を入れてきた。
釘付けだった。目線を反らすなら、目玉が取れそうになるほど強力であった。
「もしかして…」
蛇に捕食される前の蛙になった。
「前から住まれていた方ですか」
僕は首をかしげることしかできなかった。
「いや、すいません。毎朝ここで会っているのに気づかなくて。私今月から夕闇荘に入居しているんですよ」
そういえば、空室が目立っていた中で新しくカーテンが敷かれているところがあった。
「先月内見した時に夕闇荘に入っていくところを見たのでそうかと思いました。挨拶が遅れてすいません。これからよろしくお願いします」
彼女はそう言い残すとすたすたと横断歩道を抜けていった。
「そうだったのか」
僕はレインコートの右ポケットに入れてあった刑事の名刺を取り出した。取り出された名刺は次第に雨水がしみこみ灰色の斑点ができ始める。
そしては持つ手の指をゆっくりと内側に折り曲げ、名刺を握りつぶした。
「だめだ、抑えろ・・・」
「はい、佐藤です」
「もしもし、私、北条です。」
「はい聞こえています。それで進展はありましたか」
「指示通り昨日初めて彼と会話したし、横断報道過ぎてから振り向いて様子を見たけどいたって普通な青年っていう感じ」
「そうか、んーほかになにかなかったか」
「私学生だしそこまではわからないわよ」
「でもなぁ、容疑者と同じアパートで住んでいて、容疑者が通う大学の近くにある専門学校に通学しているのは君しかいないんだよ。たのむ協力くしてくれ」
「じゃあまたなにか奢ってよ。いまどこにいるの」
「あぁわかったよ。いま署を出るところだ」
警視庁から一緒についてきた部下に車の運転させ、俺は左側後部座に乗った。
俺いままで星上げるために、容疑者の監視、一般人の捜査協力あらゆる手を尽くした。しかし、それは状況証拠だけで、奴を逮捕する物証がない。だから・・・
「お前はどこにいる」
「これから授業があるから学校に向かっているところ」
彼女には悪いが引き続き協力をしてもらうしかない。撒き餌として。もう手段は選べない。
ぶつけようのないこの怒りに身を任せて窓を殴りつけた。すると、ドアの中腹付近でカラカラという風に個体が連続でぶつかり合う音が聞こえた。ドアポケットに細長い円筒状の物体があった。俺は拾い上げ、それを引き延ばした。個体は二つに別れ、片方には口紅が出現した。緋色、これは俺が今まで追ってきた色だった。
『夕闇荘入居者連続殺人事件報告書』
本件事件は■■大学に所属する本籍日本の■■■■が起こした事件である。本件につき被疑者特定に至った経緯は警視庁から応援に来ていた佐藤啓示が犯行に使われていた口紅を発見したことに始まる。口紅から被害者、■■■■のDNAが検出された。上記の証拠その他状況証拠をもとに逮捕状の請求、被疑者捜索を行った。しかし、被疑者は■■大学付近で自殺遺体として発見され、さらに大学前の横断歩道でその女性の遺体も同時に発見された。被害者女性と佐藤圭吾とは親戚関係であり、事件発生以前から頻繁に連絡を取り合っているところから本件と何らかのつながりがあったと思われているが佐藤はそれを否定している。当時被疑者は量産のレインコートを着用しており、殺害時に付着したと思われる被害者の血痕と自殺した時についた被疑者の血痕が大量に付着していた。被疑者は被害者が死亡していた横断報道近くの歩道で横たわっているところ発見された。被疑者は被害者同様頸動脈を鋭利な刃物で切り付けており、死因は出血性ショックと断定された。被疑者の発見された時の様子は首元に犯行で使われた刃物が突き刺さっていた――
追記:以前被疑者のアリバイを証言した女性と口紅はないものの被疑者と酷似していた。被疑者のレインコートに付着していた血痕はまんべんなく均等にまるで故意に塗られたようであった。以前目撃証言にあった赤っぽい色の服装とは被害者の血液と推測される。佐藤圭吾が供述していた緋色のレインコートとはこのことなのかもしれない。
緋色のレインコート 背の高い小人 @senotakaikobito
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