山の神様と笛の音

白里りこ

とある地の伝承の話


 かみさまが、おとおりになるよ。

 山のふもとへ、お嫁にゆくよ。


 あなうれしや。

 年に一度のおまつりじゃ。


 人の子たちよ、笛をもて。

 しょうを鳴らせ。

 ばちを手に取り太鼓を叩け。


 おどれやおどれ。

 祝えや祝え。


 どうした、早う神輿を担がぬか。


 かみさま、かみさま、山峯比売命ヤマミネノヒメノミコトさま、いずこへ行かれる。


 ここはどこじゃ。


 人の子らよ、そなたらの導きのなかりせば、われらのかみさまは道に迷うてしまう。

 荒御霊あらみたまになってしまうよ。


 かみさま、かみさま。


 ***


 二〇二〇年、七月。

 梅雨が続いている。

 それに加えて、台風が近づいてきている。


 わたしはオレンジ色の傘をさして、帰り道を急いでいた。昼ごろ本州に上陸した台風の影響で、高校の部活動は中止になっていた。早く家に帰れと先生方は言った。しかしわたしの家は遠い。最寄駅を出た時には、落雷が激しくなってきていた。空が白く光ってから音が鳴るまでの間隔が、だんだんと短くなってきている。


(早く帰ろう)


 近道をするためにわたしは細い道に入った。しばらく歩いてからちらりと後悔した。この辺りは山肌が近く、土砂災害の警戒区域に指定されている。

 そびえる崖のそばを通り過ぎる時、雨足はいっそう強くなった。稲妻が走り、耳を聾する爆音が轟く。あまりの音の大きさにわたしは飛び上がった。次の瞬間、また辺りが白く光る。


 一瞬、目の前に、女のひとが現れた。


(──え?)


 地面を揺るがすほどの落雷音がわたしを現実に引き戻した。足元がびりびりする。それから、まるでゲリラ豪雨のように……滝のような雨が空から落ちてきた。

 傘がドシャッと重さにたわむ。


「ええー……」


 わたしは先を急ごうとして、──足が動かないことに気がついた。縫い止められてしまったかのように、ちっとも動かせない。


(何これ?)


「娘さん、娘さん」


 後ろから声がした。


「はい?」


 首を捻って後ろを見ると、周囲の一切の音が消えた。

 一人の少年が、傘もささずに立っていた。彼が一歩踏み出すと、リィン……と清らかな鈴のがした。途端にわたしの足は自由になった。


「娘さんには、笛の心得がおありだね」

「え? あ、ありますけど」


 わたしは幼少期より地元の祭囃子会に所属していて、五人囃子は一通り身につけていた。小太鼓二つに大太鼓、かね篠笛しのぶえ


「ちょうどよかった。どうぞこちらへ」


 背を向けた少年のお尻には、狸の尻尾が生えていた。

 何か尋常でないことが起きていることを、わたしはようやく理解した。

 よく見れば辺りは雲に覆われたように真っ白で、足元もふわふわしている。


「あのう……ついていったら、わたしはどうなりますか」

「どうにも」

「え、ええー……」

「かみさまは、いつもは、人の子に福をもたらす和御霊にぎみたま。今年は祝言しゅうげんに失敗したので、道に迷うて、荒御魂あらみたまになってしまわれた」

「祝言……道……。もしかして、毎年のお祭りのことですか?」

「さよう」


 今年は、御神輿おみこしのお祭りが開催されなかった。


 いつもなら、毎年春、この地区の山之上神社から山之下神社まで、子どもらが神輿を担いで下る行事がある。その時は囃子会のトラックが神輿を先導して、どんちゃかどんちゃか、祭りを盛り上げる。

 御神輿には、山の上に住んでいる小さな姫神さまが乗っているとされていた。山の下に住む神様に、とつぎにゆくために。

 毎年毎年、この祝言のパレードは行われる。

 何故毎年結婚式をするのか、よく知るものはいなかったが、農村に巡ってくる四季のサイクルと関係があるのだろうと、識者は言う。


 ところが、だ。


「今年は新型コロナウイルス感染症の影響で、お祭りが中止になっちゃったから……ごめんなさい」

「世界中で疫病神が暴れておられる。それは致し方のないこと。しかし、かみさまはお嫁にゆかねばならぬ。そうでないとこの地の気が乱れ、天地は荒れる。今日の日のように」

「あらー……」

「見よ」


 狸の少年は扇子で下を指した。雲が途切れて下界の様子が垣間見えた。

 わたしは息を飲んだ。


 土砂崩れが起きている。

 

「そなたは死んだよ」


 わたしのいたはずの道路は、なべて土に覆われていた。生きている人の姿はどこにも見当たらない。


「えっ、ちょっ、わたしがあそこに?」

「さよう。こちらがわへようこそ」

「……なにそれ……」


 わたしはぺたんと座り込んだ。

 一瞬にして全てを失ったというのか。あんまりだ。呆然としてしまう。


「死んだものの魂は山に還って村を守る。そなたはかみさまの使いになったんだよ」

「……」

「立て、人の子だったものよ。これ以上被害が広まらないうちに、かみさまをお導きしてほしい」

「……はい……」


 わたしたちは山之上神社に着いた。

 少年が尻尾を振って印を結ぶと、わたしの持っていた傘は竹作りの篠笛に変わった。ほのかに朱色を帯びている。

 見た限り、音の調子はわたしの持っている笛と同じ型で、あなの配置も一緒だ。


「さあ、かみさまのおとおりだよ。そなたは笛の調べで道を作るんだよ」


 リィンと音がして、突如として目の前に、女の神様が顕現した。

 先程、雷光の中で見たお方だった。


 美しい白無垢を身に纏っている。薄絹で顔を隠しているので表情は窺い知れなかったが、そこにはとても人知の及ばぬような恐ろしいものが隠されている気がした。わたしは身震いした。


「さあ」


 少年に導かれるがまま、笛を唇の下にあてがう。


 ヒャララ、と始まりの合図を出した。


 五人囃子において篠笛は、音を彩るばかりでなく、曲を導く役割を担う。次は何の曲を叩くのか、いつ始まっていつ終わるのか、それらは全て篠笛の担当者が臨機応変に決めて、音による合図を出すのだ。

 神様を導くには相応しい楽器かも知れない。


 ヒャオロヒャラリヤ、ピーヒャラヒャラリ。


 五人囃子に楽譜はない。技術は口伝くでんで伝わってきた。

 だから笛の演奏法も、それを模した長い長いオノマトペを丸暗記することによって、覚えるのだ。

 こんな風に。


 チーヒャライリヒャラ、ピヒヒャラオヒャリ。

 

 わたしを先頭に、神様と少年が後に続いて、ささやかな婚礼の行列は進みだす。

 雲の上を通って、山之上神社のもとへ。


 ヒャオロヒャラリヤ、ピーヒャラヒャラリ。


 神輿は無いから、神様は御自おんみずから歩いて渡る。わたしが拓く神の道を。

 わたしの楽器から紡がれる細く高い祭りの音を、リィンリィンと鈴の音が彩る。


 どこからともなく声が聞こえる。低く、ひっそり、ざわざわと。木々の葉擦れの音のように。



 かみさまが、おとおりになるよ。

 山のふもとへ、お嫁にゆくよ。


 あなうれしや。

 年に一度のおまつりじゃ。

 ようやく今年もやってきた。


 酒をもて。

 赤飯を炊け。


 おどれやおどれ。

 祝えや祝え。

 めでたや、めでたや。


 やまのかみさまの、おわたりじゃ。



 その声を聞くうちに、わたしは楽しくなってきた。浮き立つ足取りで、心を込めて、高らかに笛を鳴らした。


 チーヒャライリヒャラ、ピヒヒャラオヒャリ。


 お祭りは、楽しいものだ。みんなで騒いで、御神輿を担いで、お茶やお米や煮物が振る舞われる。

 楽しい、楽しい、楽しい! 舞い上がるようだ。


「今代の、山峯比売命ヤマミネノヒメノミコトさまの、おなり〜!」


 山之下神社の結界が、わたしの足で踏み開かれる。さまざまなあやかしたちが、地に伏して神様をお迎えする。頭のやたら大きな赤子や、猫ほどもある大きさの蜻蛉、それに黒くて巨大な蛙など。

 わたしは横に退いて深く礼をし、神様をお通しする。神様は少年と共に神社へ入っていく。薄絹の向こうで笑顔がちらりと光った気がした。

 ああよかった。神様は和御霊にぎみたまにお戻りになられた。これでこの地は、今年も安泰だ。


 こうしてわたしは、他の霊と一緒に山之下で一夜を過ごし、翌朝、かみさまとともに山之上へ還った。


 わたしはすっかり神の使いになっていた。

 これからは村を守るものとして務めを果たすのだ。


 わたしは今回の功を称えられ、この地のがくの神に任命された。

 これからは、かみさまの結婚式が、途絶えることはない。

 次の祭りからは、篠笛に加えて、太鼓と鉦も、賑やかしに加わることだろう。


 その時はわたしが人の子にそっと寄り添って、道中の安全を守ってあげよう。

 そのことが、ひいては、この地の安全に繋がるのだから。



 おわり

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