むらさき

二宮真知子

第1話  涙と夢

 今日も、自分の嗚咽と涙で目が覚めた。真知子が自分を自覚する様になってから何百回いや何千回見たのだろう、、、悲しいくて切ない夢、何回見ても全く同じ光景同じ色、同じ臭いが一寸たりとも違わない切ない夢、何故その夢を見る様になったかを、両手で涙を拭いながら真知子は遠い記憶に想いを巡らせた。

 真知子は母親が疎開していた奈良県生駒市で産声を上げたが、自由奔放な母親のお陰でこれから先、数奇な人生を辿る事になるのである。

母親の百合子は、京都生まれの京都育ちで十二人兄弟の一番下で京都弁で言うと、おとんぼで兄弟姉妹の中でも一番の器量好しに産まれ甘やかされ我儘放題に育てられた。

 持って生まれた美貌とモデルの様な整った肢体を持っていた百合子は周囲の反対を押し切り宝塚歌劇団に入団した。我儘な性格で気儘な百合子に宝塚歌劇団の厳しい練習に耐えられず恋人を作り結婚を理由に退団した。やがて真知子が生まれたが百合子に結婚生活など続く筈もなく歌劇団の時の仲間達と劇団を組み地方巡業に行く事になり、百合子は歳の離れた一番上の姉さんヤス江に真知子を物の様に預けた。ヤス江が貧しい生活をしているのを見て百合子は、仕送りを約束しヤス江に有無を言わせず真知子を押し付けた。ヤス江は大阪の難波近くの湊町に住んでいた戦争の跡の焼け野原にバラックと呼ばれる家が沢山その辺りに建てられていた皆んな貧しく、それでも隣り組を作り皆一生懸命生きていた。そんな下町のむさ苦しい町で真知子は優しい叔母と叔父に育てられた。

 「お母ちゃん!

    あーちゃんはいつ

    帰って来はるん?

    帰って来るって

    言ってはったんやなぁ

    真智が賢うしてたら

    すぐ帰って来るって

    言ってはったんやなぁ」

「お父さんが帰って来はるさかい、早よ、おもちゃ片付けなあかんでぇ」と叔母が真知子の思いを追い払うように言った。

 叔母には実の子はいなかったが聖母マリアの様な優しい心根を持った叔母は戦災孤児の男の子を焼け野原で拾った、もう一人は芸者が育てられないと孤児院に入れようとしていた女の子を二人の子供を養子縁組し引き取って育てていた。二人共真知子とは歳が十五歳ほど離れていたので、真知子は、身体が弱いせいもあったかもしれないけど、貧しいけれど優しく育てられた。

 ある日突然、百合子が帰って来た。真知子は見るなり雄叫びを上げた「あーちゃんが帰ってきたぁ」と叫んだが真知子は飛びつけず、その場に立ち尽くし自分の母親をじっと見ていているだけだった。

 今も記憶の奥にその時の神々しく目鼻立ちの整った顔は忘れられない。出で立ちは今も鮮明に残っていて、優しいクリーム色のウエストがキュと絞ってありタイトスカートから、すんなり伸びた綺麗な脚に同じ色のハイヒールを履いていた頭には大きな翼の同じ色の帽子を斜めにかぶって真知子には、会った事の無い女優さんのように思われた。近づく事が子供なりに、恐れ多い気がした。あんなに会いたかった母なのに帰るまで何もお喋りせず、叔母と百合子が話している側で二人をそっと見ているだけだった。

 やがて百合子は叔母に何か手渡すと何も言わず帰って行った。五分位だったのだろうか?突然真知子は裸足で「あーちゃん!あーちゃん!」と叫びながら家を飛び出して追いかけて行きましたが、そこにもう百合子の姿は無く、泣きながらトボトボ帰って来た。叔母は何も言わず涙ぐみ、真知子の足を雑巾で拭いた。その日から、その悲しい夢を見る様になったのかも知れません。そして次に百合子が帰ってくる年月の間に、自分の中で優しい母親像を作っていったのかもしれない。

 二年後百合子が突然大きな、お腹を抱えて帰ってきて女の子を産むと生まれたての赤児を連れてさっさと又、旅立って行った。真知子の異父姉妹、千秋の存在が小さな真知子の胸に刻まれる事になるのです。

 字が書ける様になった真知子は母に初めて手紙を書いた。

 あーちゃんへ  

 あーちゃん、おげんきですか

 まちこはげんきです

 あかちゃんはげんきですか

 まちこのおたんじょうびに

 はらまきがほしいです

 そして また 

 あーちゃんにあいたいです

        まちこより

 真知子が手紙を出して三か月程経った頃、郵便屋さんが「小包です!印鑑お願いします!」と自転車の後ろの荷台から茶色い紙で包まれ麻紐で縛られた小さな包みを出した。「ご苦労はんでしたぁ」と叔母は丁重に受け取ると、「百合ちゃんからや」と呟き、「真知ちゃん!あーちゃんから、なんか送ってきてくれたでぇ」と丁寧に麻紐を解き茶紙を、そぉっと開けると中から白と桃色の横縞の腹巻と、妹を抱いた芸者姿の舞台衣装を着た、綺麗な百合子の写真が入っていた。       叔母は腹巻を持ってケラケラ笑い出した。

「真知ちゃん、百合ちゃんは、あんたが未だこんなに小さいと思てんねんなぁ」と言い真知子に差し出した。それは小さな真知子から見ても、到底入りそうも無い小さな腹巻でした。戸惑っている真知子を見て叔母は「真知ちゃん、おかぁちゃんが、編み直して真知ちゃんに入る様にしたるから、心配せんでいいからね」と宥めてくれた。真知子は写真を持って表に出て近所の友達に「うちの、お母さんと妹やねん、お母さん綺麗やろ、其れに妹は私と違ごて、目ぇが大きいやろぅ」と自慢した。

その二年後の秋、百合子が「劇団、畳んでん」と突然、百合子の兄、富一の元に劇団員だった顔の彫りが深いニヤけた男を一緒に連れて帰って来た。「千秋の子守してもろてんねん」とその男を紹介したらしい。

 富一の次男の二郎が真知子の小学校まで走って呼びに来てくれた「真知ちゃん!お母ちゃん帰って来はったで!早よぉ!僕の家にいてはるから直ぐ帰っておいでやって」そう言って二郎は又、走って帰って行った。真知子は何がなんだかわからず取り敢えず運動会の練習を辞めて先生に事情を説明し、ハチマキも付けたまま走って二郎の家に一目散に向かった。


 嬉しさと何かわからない感情が入り混じった面持ちで

 戸をガラっと開けると、少し歳を重ねた感じがする母がいた。

 真知子が立ち竦んでいると、百合子が間髪入れず「どこの子?この子?」と真顔で言った。「よう言わんわ百合ちゃん、真知ちゃんの顔忘れたんかいな?自分の子やでぇ」と富一の嫁の史恵が言った。空かさず百合子が「不細工な顔なって、出歯になってるやん」と笑いながら真知子を見た。

 走って走って喜びに胸震わせて戸を開けた自分が子供心に情けなかった。

 言葉無く汗を拭いてる真知子に、百合子が「真知子!フランス人形こうたったでぇ、ええやろ、高いねんで、お土産や、ええやろ?」と真知子の言葉を急かした。「愛想ない子やなぁ」と黙っている真知子をイラッとした顔で見た。言葉が出てこなかった。真知ちゃんと抱きしめて泣いてくれると思っていた真知子にとって、それは予期せぬ再会になってしまった。


百合子はフランス人形を真知子の住む叔母の家に運ぶ段取りをつけるとそのまま、その男と妹を連れて立ち去り、真知子はトボトボ歩いて夕暮れに家に戻った。

 何日か過ぎた日、真知子はフランス人形をボンヤリ見た。大好きな水色のドレスを着た綺麗な、お顔をしたフランス人形だった。見たことも無い大きなガラスのケースに入ったフランス人形を見る度に母が自分に言った不細工な顔になってと皆んながいる前で言われた言葉と出歯やなぁと言われた言葉を思い出す事になった。真知子はその夜、むらさき色の夢を見た。薄暗い商店街のお店はほとんど、シャターらしき物で閉まっている、その商店街を真知子の目線で見える白い手をしっかり握って嬉しそうな顔をした真知子は真っ直ぐ黙ったまヽ歩いていく商店街の外れの左側に銭湯がある、暖簾を潜り女湯と赤い字で書いてある左側の下駄箱に草履を入れ木の鍵をとりガラスの入った戸を開けて入る、その白い手が服を脱がしてくれる脱衣所からお風呂場に行く左手に岩が設えてあってその奥に湯舟と身体を洗う椅子が並べられ、湯気が薄いむらさきの乳白色をしている、身体を洗ってくれている人の顔がむらさきの湯気の中かすかに見える。白い端正な顔は母、百合子の顔だった。何一つ言葉は交わさないが真知子は幸せだった。優しく香りの良い白い石鹸の泡で優しく洗ってくれる至福の一時、そして帰りに下駄箱の鍵を明け草履を履いて、その白い手をしっかり繋いで銭湯を出る薄暗い商店街を又歩く閉まっているお店の三軒目を過ぎた所でその白い手が繋がれていない事に気付き「あーちゃん!あーちゃん!」と泣き叫び涙が溢れて溢れて、目が覚める。この歳になるまで何度も見た。悲しい切ない、むらさきの夢今は見ない真知子自身が作りあげた母の夢

 真知子は週末になると百合子が連れてきた劇団員の男と妹の千秋が住む住吉区の家まで、子供の足で二時間半かけて遊びに行った。男は仕事もせずにお三度をする、要するにヒモだった。百合子は水商売をして、この男と妹を養い、我が儘放題の生活をしていた。難波に近い堀江に高級マンションを借り、この男と妹は狭い文化住宅と言うアパートに住まわせて、好きな時に帰って来ている様子だった。この男がパチプロだった為、妹の千秋は可哀想にパチンコ店に毎日連れられてパチンコ屋の店内で遊ぶパチンコチルドレンになっていた。オシメをしたまま何時間もパチンコ店の中で垂れ流し状態だった為、高校生になっても、おねしょが治らなくなって随分苦労したらしい。


真知子が百合子のアパートに通い始めてその男にも馴染んだ頃この男が真知子にセクハラしようとした時、真知子が母にいい付けると言うと、しないから百合子には言うな、言うと二度と此処に来れなくなると脅され、それ以後、真知子から其処へ行く事はなくなった。

 子供は残酷だった、真知子をよく罵倒した。「お前の母さんは継母やろ、ほんでホンマの母さんはホステスやてな、俺の母さんが、言ってたぞ」とよくみんなで、継母コールをされた。「継母!継母!継母!」と手拍子され、辛かった。一人で遊ぶ事を覚え、しつこくされると、殴り合いの喧嘩もよくした。よく男の子を泣かせて先生に叱られたが、何故喧嘩するのか、理由は言わなかった。小学生時代は寂しく荒れた日を送った。そんな中、絵を描く事を覚え、真知子は二度、文部大臣賞を貰った。叔母は副賞の、蝙蝠傘を喜んだ


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むらさき 二宮真知子 @bonko1

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