第2話 旅のはじまり

都市イリオスの半分が流された大洪水から半年後───。


住民たちの脳裏には、未だにあの日のできごとが鮮明に刻まれている。


逃げ惑う住民たち。

目の前で家族を失う者。友人を失う者。

これまでイリオスの民が創り上げてきた営み、日常、人の命は一瞬にして無に帰された。人には抗うことのできない大いなる天災を前にして、人はあまりに無力だった。


少年カルテナも、大洪水によって両親を失った───。それはカルテナの心に、鮮やかで生々しく深い傷を残した。



二日間続いた悪夢のような大洪水が収まった後、都市の民たちは復興のために修繕作業や、遺体の安置、墓の整備などの重労働を余儀なくされた。


それらの対応を受け持つために発足したのが、再建労働部隊である。再建労働部隊(以下、再労隊)は一般下級市民の者、もしくは王家から指定のあった者たちで構成された。


少年カルテナも、再労隊の一員として参加させられている。

そして再労隊の指揮をとっているのはアゴラーという男であった。アゴラーは厳格で真面目な人物として王家から評価され、発足時に部隊の指揮官として任命されていた。

しかし、カルテナにとってはアゴラーの考え方が納得いかず、両者は相容れぬまま発足から数ヶ月が経とうとしていた。


───朝、再労隊の現場にて。

アゴラーが今日の作業内容と担当の割り振りを説明していく。


「それでは今日もパナテーナイア祭に使う祭殿の修復を行っていきます。石材の準備を担当するのはエリュトロンとブレ。石材積み上げ作業の担当は、クサントン、カルテナ、クローロン……」


「すみません。ちょっといいすか?」


カルテナが手を挙げる。


「なんでしょう、カルテナくん。」


「祭殿の修復よりも先に、居住地域の修復作業を行った方が良いんじゃないすか?」


「祭殿の修復作業が先です。これはストラテジストのクストス様のご命令です。それに逆らうと言うのですか?」


「うーん……都市イリオスに住む人たちの生活を元に戻していく方が先だと思うんすけど。」


「カルテナくん、君の言うこともよーくわかる。ですがクストス様のご命令が絶対です。クストス様のおかげで、イリオスは順調に復興し、我々が生活できているのですよ?世の中にはしきたりや義理といったものがあります。それをもう一度よく考えなさい。」


「それ、論点がすり替わっていませんか?」


「何度言えばわかるんですか?!今日は祭殿の修復をやります。これは決定です。それに、ついでだからこの場で言いますが、カルテナ君。昨日担当してもらった部分の石の積み方が指示したものと違います。」


「え、いや……こっちの方が効率が良いと思ったので……。」


「ルールで決まっていることです、勝手なことをされると困ります。皆同じようにやってきてるんです。本当に成長しない子だな……(小声)」


「……」


小声で言う内容が、聞こえないならまだマシなものの、ギリギリ聞こえてくる声の大きさなのが、余計にいやみったらしく感じてしまう。


「申し訳ないの一言すら言えませんか?礼儀として当たり前のことですよ?」


「クソ、ざけんなよ……言えば良いんだろ……(小声)」


「すみませーん。」


売られたと感じた喧嘩は、目上だろうと買っていくスタイルのカルテナ。


「え? ”元” 王族だからといって態度が大きくありませんか?!ちょっと、警備担当!カルテナをしばらく洞窟の重労働現場へ放り込んでおいてください。頭を冷やしてきなさい。」


「チッ……クソが……マジでふざけんなよ……(小声)」


「ふっ。カルテナ君、何か言いましたか?」


くだらぬ意地の張り合いをしていたその時、遠くから綺羅びやかな馬車の音が聞こえてきた。アゴラーはプレーリードッグのように反応する。


「……はっ!ストラテジストのクストス様がいらっしゃった!!皆出迎えです!急いで!!身の回りを30秒以内に片付けなさい!!」


豪華絢爛、目を引く華やかさがありながらも品を感じさせる馬車が再労隊の作業場へ到着する。お付きのもの、と思われる人間が頭を下げながら、馬車の扉を開く。


「クストス様、再建労働部隊の現場にご到着いたしました。」


「ありがとう。安全、快適な護送、ご苦労であった。」


「もったいなきお言葉でございます。」


「では、私は行ってくる。君はゆっくり休んでおくように───。」


馬車から降りてきたのは、シンプルで落ち着いた色使いの衣ながらも、品格にあふれ、知的な印象を抱かせる人物であった。王家の人間のようにギラギラした装飾があるわけではない、なのにカルテナの目には眩く映った。

それは、その男が得ている富や地位、権力、そして都市のため尽力する姿からか。それとも、自分が暗く汚い、気分の悪い世界にいるからだろうか、と思考が巡る。


クストスと呼ばれていたその男───ストラテジストとは、

内政や他国との戦、農業、再労隊に対する指示・統制等に至るまで、国における全ての戦略・構想を考える地位の者であり、都市を治める王に引けを取らない程の、絶大な権力を有していた。


そのストラテジストには、”都市において最も賢い者が選ばれなければいけない”という、王家の定めた掟に則って選ばれた者が、歴代就任していた。


ゆえに、アゴラーにとって雲の上の存在であるストラテジストが来訪することは

ただごとではなく、最優先で対応する必要があった。


「事務担当!ストラテジスト様応対のマニュアルはどこへ置きましたか?本来ここに置いてあるはずですが。」


ガサゴソと必死に捜し物をするアゴラーと部下たち。


一方、現場に到着したクストスは作業現場をざっと見渡し、積み上がっている石段を見てアゴラーに問う。


「アゴラーくん。この積み方はマニュアルと違いますね。」


「は!すみません。こちらは担当者のカルテナがマニュアルを無視して作業したものでして!ほら、早くカルテナくんも頭を下げなさい!」


無理やり引っ張られ、頭を下げさせられるカルテナ。

カルテナの鬱憤がまた一つたまる。


「謝罪などしなくて良い。現場でより良い判断があったならそうしてくれたまえ。」


「大変申し訳ございません。クストス様のご命令よりも正しいものなどございません。大至急、間違った作業の箇所を修正しておきます。」


「そうか。その辺りの判断はアゴラーくんに任せておくぞ。」


クストスの冷静な対応を見て、カルテナはアゴラーに対する信頼感がさらに落ちていく。そんなアゴラーに対して、呆れきった顔で乾いた視線を送っていたカルテナに、警備担当のものが呼びかける。


「おいカルテナ、早くこっちへ来い。お前は重労働現場だ。」


(くそ……)


再労隊へ加入してからというもの、カルテナは不満が溜まっていた。


(アゴラーはいつもいつもマニュアル、ルール、礼儀、しきたりばかり……自分の考えが全て正しいと思って、常に相手に非があると考える…何かを変えようとしない……うんざりだ……)


(なんなんだよこの組織は……アゴラーみたいなクソ指揮官をトップとして文句も言わず皆言われた通りにして……何も思わないのか……?いや、思っても陰口を言うだけで何も行動しないやつらがほとんどか……)


(ま、王宮でもこういう人間いたな……)


カルテナは本来王族の血筋だったため、つい半年前まで王宮内の一角で暮らしていた。しかし、第4回パナテーナイア祭と、あの大洪水によって全てが変わってしまった。


4年に1度開かれるパナテーナイア祭では、「パラスアテナ」という競技を行い、知恵を競い合う。その競技で優勝した者は、都市で最も賢い者と認められ、ストラテジストに就任するというしきたりがあった。

都市イリオスにおいては、「パラスアテナ」の勝敗によって階級の上下を決め、物事の白黒をつける。「パラスアテナ」の強さが全てと言っても過言ではなかった。


半年前に行われた第4回大会には、カルテナの父親イストミアも出場し、破竹の勢いで決勝まで勝ち上がった。しかし決勝前日、あの大洪水が発生し、イストミアは犠牲者の一人となってしまった。決勝進出者が揃わない事態に対し王家が下した決定は、決勝の延期はせず、それまでの戦績によって優勝者を決定する、というものだった。


そして後日発表された優勝者は、クストスという男であった。


一方、一人生き延びたカルテナに王家から言い渡されたのは、再労隊への加入だった。


全てはあの大洪水の日から、カルテナにとって地獄のような日々が続くことになった。



カルテナは警備担当の者により、洞窟内部の重労働現場へ連れられて行く。

警備担当が嘲笑しながらカルテナに話しかけてくる。


「あの大洪水以降、お前も大変だなぁ。残念だったなぁ、カルテナぁ。」


「ちっ……っるせーな……」


重労働現場へ連れていかれるカルテナを、遠くからクシュケが怯えた目で見つめる。そんなクシュケを見て、カルテナの心がズキズキと痛む。


クシュケは、カルテナにとってかけがえのない大切な人であった。

幼い頃に出会って友人となり、数え切れぬほど一緒に遊んだ。

競技「パラスアテナ」を教えてくれたのも、

王宮の外の遊びも、

落ち込んでいる時に笑わせてくれたのも、全部クシュケだった。

王族であるカルテナと一般市民のクシュケで身分の違いがあっても、二人には関係なかった。


巷ではクシュケの美しさが評判であり、都市イリオスにおいて最も美しい女性に育つだろう、とも評された。カルテナにとって、憧れの感情さえ抱くクシュケと仲良くできていることは、鼻高々なことでもあった。


しかし、そんなクシュケも第4回パナテーナイア祭で日常が一変した。

クシュケの父イオルコスも、パナテーナイア祭「パラスアテナ」に一般市民枠でエントリーし、決勝まで勝ち上がっていたのだ。

しかし決勝で敗戦扱いとなり、クシュケ一家にも再労隊への加入が命じられた。


クシュケは再労隊に加入させられて以降、労働力としてのみ扱われ、精神状態などは考慮されずに労働を強いられた。ただでさえ、大洪水と決勝における父の敗戦扱いで繊細な心境になっている中、クシュケにとってそれは耐え難い苦痛であった。

結果、クシュケは日に日に口数も減り、見るからに気力は失われ、作業は遅くなっていった。

遅くなったとしても、割り振られる仕事量は変わらず、クシュケの労働時間だけが伸びていった。悪循環でしかなく、日に日に変わっていってしまうクシュケを見ていて、カルテナは酷く心が痛んだ。

と同時に、小さくも堅く熱い炎が心の中でともり始めていた。


(俺はこんな世の中嫌だね……!俺が変えてやる……俺がストラテジストになってやる……!)


(そしてクシュケを……かつて僕が沈んでいる時に元気づけてくれたクシュケを…救ってくれたあの子を……絶対助ける……!)



───夕暮れ時も過ぎた頃、カルテナが洞窟の重労働現場から戻ると、ストラテジストのクストスとアゴラーはまだ会議をしていた。


(クストス様、普段からこんなに仕事されているのか……)


戻ってきたカルテナを目ざとく見つけたアゴラーは、少しだけ嫌味な笑みを浮かべて声をかけてくる。


「おやおやおやおやおやカルテナ君、戻ってきましたか。今朝割り振ってある担当分が終わっているなら帰って良いですが、終わっていないなら居残り作業です。」


カルテナ(え……終わってるわけないだろ……重労働現場に入っていたのもあるし……いやそれは俺が悪いんだけど……)


「クソ……(小声)じゃあ居残りで……」


「よし、あの時計が22時まで居残り作業ということで。」


(勝手に決めやがって……)


「私なんて、今月の居残り仕事が合計100時間超えてますから。君なんてまだまだですよ?」


「すごいですねー。」


(……)


満足げな顔をしたアゴラーは、各作業場を確認して周る。


「クシュケさん、君もまだ終わってませんね。居残り仕事です。」


「……はい。」


今日も居残り仕事を言い渡され、暗く悲痛な表情になるクシュケ。


「ちょっと待ってくれアゴラーさん!クシュケは明らかに休むべきでしょう!?今日の担当分は明日じゃダメなんですか?」


「いいよ……カルテナ……わたしはできるよ……」


ひどく疲れ切った顔で絞り出すように笑顔を作るクシュケ。

しかし、アゴラーはお構いなしに告げる。


「今日、割り振った分が終わってませんので、居残りです。」


───カルテナの脳裏に、クシュケの眩しい笑顔がフラッシュバックする。

再労隊に入る前の、おしゃべりで天真爛漫な姿。

クシュケがカルテナの手を取って走ったこともあった。

それが、再労隊に入り、歯車がおかしくなってしまった。そのストレスが彼女を変えてしまったのだ。


カルテナの心の中で、カランという鐘のような音が鳴ったような気がした。

頭で考えるより先に、口から言葉が放たれていた。


「ストラテジストのクストス様。今ここで、俺とアゴラーさんの「パラスアテナ」の審判(ディーラー)やってもらえませんか?」


「俺が勝ったら、クシュケに居残りはさせない、そして俺は再労隊から脱退させてもらう。」


突然の宣戦布告に、アゴラーは仰天する。


「なんだと?!何を言い出すんだ!?ストラテジスト様になんてことを……!!!」


「俺が負けたら、一生再労隊で働くことを誓う。そしてアゴラーさんはもっと昇進してくれ。」


「カルテナ君?!突然何を言っているんだ?!?!」


カルテナの唐突で無礼な申し出にもストラテジストのクストスはうろたえず、カルテナの瞳を値踏みするようにじっと見つめた。その目に宿る想いを見定める。


「───いいだろう。」


「えぇ??!!クストス様、なんてことを?!?!」


アゴラーとの「パラスアテナ」の幕が上がった───。



次回、「敗戦」

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パラスアテナの涙 【神話編】 真田 Kosuke @Kosuke_Sanada

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