第4話 シュッペル家


 この日の帰り道はエルハルトの予想の通りに雨が降って来た。

 四人の兄弟達は雨に降られてびしょ濡れになって家に辿り着いた。

「あーあ。大事なお洋服に泥が……」

 アフラは自慢の衣装が泥に汚れてすっかり悄気てしまった。

「ほら、四人とも早く服を着替えて」

 母のリチェンツィアはマリウスを着替えさせた後、一人しょぼくれて刺繍のベストの汚れを洗っているアフラを見つけた。

「春祭りの大事な衣装なのに……」

「山に洗濯してもらったと思えばいいのよ。あとでお母さんが洗ってあげるから」

「うん。でもまたすぐ着て行かなきゃいけないの」

 アフラは着替えながら、今日会ったイサベラ達のことを母に話した。そして、お詫びに貰ったフルーツの篭を母に渡した。

「こんなに! そんなことがあったの。でも羊が見付かって何よりだわ」

 母はアフラの髪を拭きながら言った。

「アル兄なんてイサベラさん達にすごい剣幕で怒り出しちゃったんだから」

「へえ。それは意外ね。何か言われたのかしら」

「それがね。今度お城へ来てって言われたって言ったら怒り出しちゃったの。あたしが連れて行かれると思ったのね。少しお友達になっただけなのに。ねえ。いいでしょう? こんどお城へ行っても」

 母のリチェンツィアはアルノルトの行動の意味がようやくわかった。

「お城へ呼ばれて行った女の子は殆ど帰って来ないのよ」

「どうして?」

「お城の使用人になってしまうの。生活は見違える程豊かで、その方が楽だから仕方ないのかも知れないわ」

「あたしはまだ使用人になんてなれないわ……」

「お姫さまのお話相手も立派な使用人なのよ」

「そんな。決して連れ去ったりしないって天に誓って言ったのよ」

「お前はどうなの? お城の暮らしよりここがいいって言える?」

「わからない……けど」

「でしょう? お城はとてもきらびやかで、身分も高くなるし、俸禄も貰えるわ。だから正しい判断が出来なくなってしまうのよ。残された家族は辛いわ。村の敵の家に嫁ぐようなものだから……。それにお城にいられるのも若いうちだけ。年を取ると里に帰されて、その頃には行き遅れたおばさんよ」

「そんな。あたしは使用人になんてならないもん。あくまでもお友達としてよ。イサベラさんはとてもいい人なの。私をお友達って言ってくれたのよ。ここにも見学に来たいって言うの。だからお返しに約束をしたの」

「お父さんはきっと反対するわね」

「あたしもその時そう思ったの………だからお母さんから上手く言ってくれない?」

「お城の暮らしに憧れて、風習に染まってしまったりしない?」

「誓ってしない」

「どんなに良くして貰って引き留められても、必ず帰って来れる?」

「もちろん帰ってくる。だからお願い」

 リチェンツィアはアフラの意思の堅い目を見て、止めることを諦めた。

「じゃあそうお父さんに話してみるわ」

「ありがとう。お母さん。お母さんは話がわかるから大好き」

 アフラは母の肩に抱きついた。アフラの手に触れた母は、異変に気が付き、

「手が熱いわ。あなた熱があるんじゃない?」と娘の手や顔に手を当てつつ言う。

「きっと、山でびしょ濡れになったからだわ。すごく寒かったの」

 手を当てたアフラの額はやはり少し熱を帯びていた。

「大変。今日はもう早くお休みなさい。後で食事は届けるから」

「はい。お母さん。少し疲れたと思ってたの」

 アフラは早速ベッドに入って横になった。


 リチェンツィアが広間へ戻ると、他の家族達は夕食を待ち構えていた。

 父親のブルクハルト・シュッペルはテーブルに着いて言った。

「もう夕食というのに、アフラはどうしたんだ?」

「少し熱があるようなの。今日はもう早めに休ませたわ」

「アフラが熱?」とアルノルトは少し驚いて言った。

 エルハルトも心配そうに頷いた。

「そう言えば、帰りは歩くのが少し遅かった」

「そうか。じゃあ仕方ない。アフラにはあとで食事を届けてやってくれ。先にお祈りを始めよう」

 ブルクハルトのその声で一同は手を合わせ、食事前の祈りが始まった。

 ブルクハルトはビュルグレン村の管区長、ラントアーマンの地位にあり、それは大半の土地を修道院領としているこのウーリ州の教会管区の事務長であり、村の判事でもあった。アーマンは司法廷吏であるために自由民でも貴族に列せられ、地位は村長より高かったが、教会に属し、自治の州であるウーリでは管区長は面目上のものでしかなく、平和な村には事件が起こることも少なく、村の共有財産である共同牧場の管理者としての仕事が主なものとなっていた。

 夕食を食べながら、アルノルトは父のブルクハルトに今日のことを話した。

 ブルクハルトはアルノルトの話に感心深げに頷いて言った。

「そんなことがあったのか。アルノルト。お前も一人前になったな。よく羊を見付けて来てくれた」

「羊を見付けたのはアフラだよ」

 そう言うアルノルトにエルハルトも言った。

「羊を逃がしたのもな」

「そうだったか。貴族の娘にもよくぞ言ってくれた。アフラをよく守ってくれたな」

「でもアフラはお城に招かれて浮かれていたよ」

「あんな非情な奴らのところに誰が好んで行くものか。そうだろう」

 リチェンツィアは夫のブルクハルトにわざと明るく言った。

「子供は大人の垣根を簡単に越えるものね。アフラはその貴族の子とお友達になったそうよ。お城にお招きを受けて行く約束をしたそうなの」

「約束したって、アフラは行くって言っているのか?」

「ええ。衣装を見せに行くそうよ。いけないかしら」

「ううむ。どこの貴族だそれは……それにもよる。帰って来れないなんてことになったら大変だからな」

「そうね。さっきどんな優遇を受けても帰って来れる?って聞いたら、友達として行くだけだから必ず帰って来るだって」

「そんなこと気まぐれな貴族のすることだ。判らないじゃないか。アフラを呼んで来い」

「あの子は熱を出して寝てるの。起こさないであげて」

 アルノルトは父に言った。

「その貴族の子は今度の件で、神にかけてこの村の何ものをも奪わないって誓ったんだ。アフラを家族から連れ去らないとも言っていた。この村が好きだそうだから悪い人ではないよ」

「そうか。しかし、どこの娘なんだその子は……」

 ブルクハルトは貰った篭をしげしげと見つめ、その篭に付いていた飾りを見て、唸った。

「赤い獅子! この紋章はまさか……ハプスブルク家……」

「ハプスブルクって?」

 リチェンツィアは聞き慣れない言葉に首を傾げた。

「知らないのか? 神聖ローマ帝国の新しい王家だ。ルードルフ王の紋章だ」

「王様ですって!」

 アルノルトは気品のあるイサベラの姿を思い浮かべて言った。

「じゃあ、あの子は………王家の子?」

「とは言えハプスブルク家は選ばれたばかりの新王家だ。新たに王位に就いて十年、ルードルフ王はこの辺りを買い漁っている。山向こうの州のオプヴァルデンはハプスブルク王家に買い取られ、高い税を取られるようになって、ザールネンに大きな城まで出来た。だからここにもハプスブルク関係者がよく来るようになって、皆騒ぎ出してな。村のゲマインデでも問題に上がっているんだ」

 ゲマインデとは村の自治のために自由民が集まる青空会議の事を言い、村のことは全てこのゲマインデの上で決められた。ウーリが自治州を標榜するのは、このゲマインデでの直接民主主義の体制があるからでもあった。

 エルハルトは驚いて言った。

「じゃあルードルフ王はこのウーリも買おうとしてるの?」

「ウーリは前皇帝に自治特許状を頂いている自治の州だ。領主権も殆どを修道院に置いている。だから誰も手を出せなかった。フリードリヒ皇帝が倒れて以降は、面目のみの王が続き、その王も海の向こうの遠国で捕らえられていたしな。だがルードルフ王は今までの王とは違う。オプヴァルデンや準州ニートヴァルデンではそうした土地にも目を付けて、修道院の権利を買っているらしい。修道院の領ごと取ってしまえるからな」

「ウーリも危ないって言うことだね。父さん」

「そうだ。我々にとってハプスブルクの王は危険な人物だ。そんなところにのこのこ出ていったら、目を付けられるのが落ちだ。絶対アフラを城へ行かすわけにはいかんぞ」

「そうですね。アフラには私から言って聞かせます」

 リチェンツィアは複雑な笑顔でそう言った。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ハートランドの遙かなる日々 大津 乙 @otukinoto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ