最終話「二人の歩む道」
「あの頃の私にとって、お兄さんと一緒に帰る事が日々の楽しみだったんです」
神楽坂さんは昔を懐かしんでいるのか、頬を赤く染めながら目を優しく細めている。
こんなふうに正面から好意を伝えられるととても恥ずかしいけど、同時に嬉しくも感じるものだ。
「そっか、そう言ってくれると嬉しいよ。急にいなくなったから実は心配していたんだ」
二人で一緒に帰る関係が終わったのは、意外にも俺がお客さんの元に行く期間が終わったのではなく、この子が急に駅にこなった事が理由だった。
最初はナンパされてなくてそのおかげで早く帰れたのかな、と思っていたのだけど、そんな日々が毎日続いてさすがに変に思い始めた。
もしかしたらよくない事に巻き込まれたのかと心配したけど、駅周辺を操作しているような警察官はいなかったし、不穏なニュースも流れなかった事から多分無事だろうとは思った。
だけど、やはり心配にはなってしまうのだ。
……それなのに今はもう忘れていたとか、そんなツッコみはしてほしくない。
それについては自分でも後悔し、凄く反省しているのだから。
「ごめんなさい、実は塾を変えてしまったんです。元々ナンパされるのが嫌でお母さんには街中じゃなくて地元の塾に通いたいって相談してて……。お兄さんと一緒に帰るようになったのがその後だって、お母さんにもう塾は変わらなくていいって伝えるのを忘れていたんです。そのせいで気が付いた時には手続きが終わっていまして……」
「あぁ、まぁそういう事もあるよな。問題が解決したら気にならなくなって、手を打っていた事を忘れるとか」
「いえ、そうではなくて……お恥ずかしながら、お兄さんの事で浮かれていたんです。あの頃のお兄さんはとても優しくしてくださって、いつもグイグくる他の男の子とは全く違うってその頃から惹かれていたんです」
「あ、あぁ、そうなんだ」
なんだろ、神楽坂さんは少しやけになっているのかな?
さっきから全く好意を隠そうとせず、バンバンと正直な気持ちを打ち明けてくる。
だけど悪い気は一切しない。
相手は妹と同じ年齢の年下とはいえ、容姿と性格ともにとてもかわいい子なので、こんな子に好意を向けられて嫌な気分になる男はいないだろう。
「でも、それならそうと別の塾に行くからって事を教えてもらえると嬉しかったな。さすがに次の日から別の塾に行くってタイミングで知った事はないよね?」
「はい、結構前から知ってました。ですが……その、言えなかったんです。言おう言おうとは思っていたんですけど……」
「もしかして、別れが悲しかったとか?」
自分で言うのもなんだけど、ここまで好きだと言ってくれているのだし、別れを惜しんで言葉に出来なかったとしても不思議ではない。
しかし、神楽坂さんは首を横に振った。
「違うの?」
「いえ、確かにそういう気持ちもあったのですが……別れを告げて、あっさりと笑顔で別れを告げられたら立ち直れないと思ったのです。自分は気にも留められていなかったって……」
「あぁ、なるほど……」
確かに別れの挨拶で気のある相手が全く惜しむ様子を見せなければショックを受けるものだ。
あの時の自分はどうだっただろうか?
神楽坂さんが期待しているような感情は抱いていなかったのはわかるけど、かといって別れを惜しまないような薄情な性格もしていなかったはず。
特にあの頃は神楽坂さんの事をもう一人の妹のようだと思っていたんだ。
だから少なくとも別れは惜しんだと思う。
ただ、それが神楽坂さんにどう影響したかは今になってはもう想像するだけ無駄だろう。
「それにしても、そんなに想ってくれていたなら連絡先を聞くなり名前を聞くなりしてくれてもよかったのに。……まぁ俺が言える事じゃないけど」
俺も神楽坂さんに連絡先を聞くどころか、名前を聞いたりもしなかったのであまり言う事は出来ない。
まぁ俺が聞かなかったのは、もう既に社会人になっていたので気軽に女子高校生の連絡先や名前を聞くのは良くないと思っていたからだ。
その時も確か、『君』って呼んでいたはずだし。
俺にツッコミを入れられた神楽坂さんは照れたように頬を染め、モジモジとしながらゆっくりと口を開いた。
「こ、こう見えても奥手だったんですよ……? でもそれで、お兄さんの名前すら聞けずにお別れになってしまいましたし、少ししてから勇気を振り絞ってお兄さんが乗るであろう時間帯で駅前で待っていたのに、お兄さん全然来てくれなくなりましたし……」
おそらく、俺の派遣が終わった頃に神楽坂さんは駅前で待つようになってしまったのだろう。
正確な時間はわからないけど、もう少し早ければまた結果は違ったかもしれない。
「それで私決めたんです。自分をしっかり磨いて、次お兄さんと会えた時には絶対にチャンスを逃さないって」
「もしかして、だから俺の家に押しかけてきた、と……?」
「押しかけてきたは少々言い方が酷くないですか……! 一応看病はしたのですよ……!」
「あ、あぁ、そうだったね、ごめん。でも、家出をしたのは……」
再度ツッコミを入れようとすると、神楽坂さんはスッと目を逸らした。
この子本当にアドリブに弱いタイプだ。
準備できる時間があれば完璧というほど取り繕うのに、咄嗟の事については大根役者のようにわかりやすい。
「父さんの事は口実だったと?」
「ち、違うのです! 家にいたくないと思っていたのは本当で、だからあの日も朝から外を歩いていたのです! そしたら、たまたまお兄さんが振られるところをお見かけして、後をついていったら最後は何時間も居酒屋さんでお酒を飲んで酔いつぶれて出てきたじゃないですか。もうこれはチャンスでしかないと思ったんですよ……」
うん、この子は自分がアウトな発言をしている自覚はないのだろうか?
それとも自覚はしているけどやはりやけになって全て暴露しているのかな?
まぁどちらにせよ、俺に好意を持ってくれている事は十分に理解出来た。
「はは、君は見た目の割にとても凄いよね」
「うぅ……お兄さんが馬鹿にしてます……」
「あっ、違う違う! 上品そうなのに行動力があるなって思っただけだよ」
「それ、馬鹿にしてるんじゃないですか?」
「悪意的に取りすぎだよ! そうじゃなくて、本当に褒めているんだよ。…………そうだね、神楽坂さんの気持ちは十分にわかった」
「――っ」
俺が彼女の気持ちについて向き合おうとしている事に気付いたのだろう。
神楽坂さんは息を呑み、ジッと俺の顔を見つめてきた。
「正直、俺にとって君は佐奈と変わらない、妹に近く思ってしまうんだ」
「…………」
元からなんとなくわかっていたんだろう。
神楽坂さんは俺の言葉を聞き少し悲しそうな顔をしたけど、こちらが想像していたよりもショックは小さく見える。
「だけど、君の事は性格も含め凄くかわいいと思っているし、女の子としての魅力も感じているんだ」
「…………っ!」
今度は、さっきと打って変わって反応が凄く大きい。
パァッと表情が輝き、期待したような目で俺の顔を見つめてきている。
「だから、少し時間がほしいんだ。これから先、君さえよければ休みの時は一緒にいたい。それで自分がどういう答えを出すか――そうやって決めたいんだ。もちろん、君には精神的にかなりの負担をかけてしまう。それでもよければって話だけど……」
聞きようによってはキープとしか取られないような話だ。
ましてや必ずOKするとも限らない。
だから長引けば長引くほど結果を待つ神楽坂さんには多大な精神的の負荷をかける事になるだろう。
もしそれでも神楽坂さんがよければ、俺は前向きに考えるつもりだ。
「……一つ、お願いしてもよろしいでしょうか?」
「うん、こちらからお願いしているんだから、もちろんいいよ」
「お兄さんはお休みの時だけって言いましたが、私としてはやはりお兄さんと一緒に暮らさせて頂きたいです」
「えっ……?」
「私が磨いてきたのは、何も見た目やお洒落だけではないです。むしろ家事に力を入れて頑張ってきました。ですから、お兄さんには私の家事スキルもきちんと見て頂きたいんです。何より、今のお兄さんは仕事で大変だというのに、折角の休日を私のために使って頂くのも気が引けます。ですから、お兄さんに負担をかけないようにと、たった一時の私でなく普段の私を見て頂くために、やはり一緒に暮らさせて頂きたいのです」
俺が思っていた以上に、神楽坂さんは本気のようだ。
確かに彼女の主張はわかるし、何様と思われるかもしれないが普段の彼女を見て自分の気持ちを確かめられるのは有難い。
しかし――。
「それは、佳純さんが許さないんじゃないのかな?」
いくらなんでもこんな理由で一緒に暮らさせる事は普通の親ならしない。
ましてやこちらの理由は今話していないのだから、彼氏彼女としての同棲と見られて神楽坂さんが高校生の限り認められないはずだ。
「お母さんが了承してくれたらいいのですか?」
「まぁ、お母さんが了承してくれるなら――」
「――わかりました!」
俺の言葉半ばに、神楽坂さんは嬉しそうに部屋の中へと戻ってしまった。
まさか了承してもらえると思っているのだろうか?
それはいくらなんでも見通しが甘い気がする。
――そう考えた俺であったが、この時佳純さんという人物がどんな人だったか俺は頭から抜け落ちていた。
「お母さん、いいよって言ってくれました!」
「嘘!?」
二分も経たない間に嬉しそうにはしゃぐ神楽坂さんが部屋から出てきた事で、俺は素っ頓狂な声を上げて驚いてしまう。
了承されたのも驚きだが、了承されるまでの早さが驚きだった。
「い、いいんですか、佳純さん?」
さすがにこうも話がスムーズに進むと思っていなかった俺は、曇り気一つない満面の笑みを浮かべる神楽坂さんを連れて部屋に戻り、佳純さんへと確認をしてみる。
すると佳純さんは両手を頬に添えて、とても嬉しそうに頷いた。
「もちろん! もう結婚を据えて同棲してみるだなんて、貴明君男ね! 和史さんの息子さんなら安心して任せられるし、何よりかぐやちゃんがそうしたいって言ってるんだもの! お母さんがそれを拒む事なんて出来るわけないよ!」
上品な仕草で子供のようにはしゃいでいる佳純さん。
そうだった、この人は娘が言い切るほどの能天気な人だった。
娘が男と同棲する事に対して危機感を一切抱いていないし、素敵な事だと後押ししている。
こうなる事がわかっていたから、神楽坂さんは嬉しそうに部屋に戻ったのか。
「貴明、わかっているよな?」
この状況に困惑していると、渋い顔をした父さんが俺に話し掛けてきた。
さすがにこのまま能天気に話が終わるほど簡単ではないか。
「……あぁ、そうだね。わかっているよ、ちゃんと責任は取る」
おそらく父さんと俺では考えている事が少し違う。
父さんとしては付き合っていて同棲をする以上、不義理は絶対するなという意味で確認をとってきたはずだ。
だけど、実際は付き合ってすらいない。
だから俺がここで言った責任はちゃんと取るという意味は、神楽坂さんをちゃんと養い、その上で彼女と暮らしてきちんと答えを出すという意味だ。
それまでは絶対に付き合っている男女がするような行為はしない。
もちろん、このまま流されていいのかという気持ちはあるけど、佳純さんに許可を取ったら一緒に暮らすと認めたのは俺だ。
そして神楽坂さんはちゃんと許可を取ってきた。
ましてや嬉しそうに俺の腕にくっついてきている。
ここで約束を反故にして駄々をこねるのは俺の気持ちが許さなかった。
だからもう覚悟を決めて、ちゃんと彼女と向き合っていこうと思った。
――初めは久しぶりのデートだと期待して向かった待ち合わせ場所で、まさかの長年付き合った彼女に振られるという不幸に見舞われた俺。
そして酒に逃げ、次の日の朝に目を開けるとよく知らない美少女がカッターシャツ一枚で寝ていた。
挙句一緒に住むみたいという話になり、佐奈が現れたせいで恋人関係という事にまでなってしまった。
普通ならなんの漫画だと思うような展開だ。
だけど、実際にそれが起きてしまっている。
だから俺は思う。
「――えへへ、私本当に家事とか頑張って磨いてきたんですからね! お兄さんには私以上の女なんていないとわかってもらって、ちゃんと私の事を選んでもらいます!」
この嬉しそうに満面の笑みを浮かべる少女ときちんと向き合い、そしてこの眩しい笑顔をずっと見ていられるような関係になれたらいいな――と。
――それから一ヵ月後にはあっさりと神楽坂さんに堕とされた俺であったが、それはまた別の物語。
今はこの温かくて幸せそうな笑顔をいつまでも見ていたいと俺は思うのだった。
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