第29話「二人の出会い」
「えっと、神楽坂さん……その、冗談というわけじゃないんだよね?」
神楽坂さんを抱きかかえて廊下に出た俺は、神楽坂さんの体を丁寧に床に下ろしてきちんと尋ねてみる。
顔を真っ赤にしている神楽坂さんは俺の問い掛けに対してコクッと小さく頷き、自分の言葉を肯定した。
「それは、あの、友人とかに大して抱く好きではなく、恋愛的な意味でって事だよね……?」
コクン――今度は、さっきよりも少し大きめに神楽坂さんは頷く。
言葉にしないのは恥ずかしくて口を開けないという感じだろうか。
さすがに先程の告白は本人も意図せず、思わず言ってしまったといった感じだと思う。
若干やらかしてしまったと後悔しているようにも見えるからな。
これ以上彼女の気持ちに対して確認するのは意地悪になってしまうだろう。
とはいえ、どうして彼女が俺にそんな気持ちを抱いてくれているのかもわからないので、そこだけは確認をさせてほしかった。
「えっと、俺と神楽坂さんは昨日会ったばかりなんだけど……どうして俺の事を好きになってくれたの?」
普通ならたった二日で好きになってもらうなど不可能。
一目惚れという事なら可能性はあるけど、生憎俺は佐奈と違って容姿に優れていない。
ましてや相手は物凄い人数の男子から言い寄られているであろう神楽坂さんだ。
俺なんかに一目惚れをするような子ではないだろう。
「……お兄さんと会ったのは、昨日が初めてじゃないです」
小さく、正直聞き逃しそうなほど小さい声で神楽坂さんは口を開いた。
「あれ、そうなんだ? えっ、でも……」
俺は神楽坂さんの顔を見つめる。
神楽坂さんはお世辞抜きでとてもかわいい美少女だ。
佐奈とどちらがかわいいかって言われたらそれは佐奈だと答えるけど、世間一般的には子供っぽい佐奈よりも大人っぽい神楽坂さんのほうが人気があるだろう。
そんな美少女の顔だ、正直一度見たら早々忘れはしない。
「初めてお会いしたのは、もう一年以上前ですからね。ちょっと待っててください」
そう言う神楽坂さんはテクテクと何処かの部屋を目指して行ってしまった。
そして数分後同じくテクテクと戻ってくる。
「何処に行ってたの?」
「私の部屋にこれを取りに戻ってました」
戻って来た神楽坂さん手には、眼鏡とヘアゴムが握られていた。
あれ、この眼鏡って……。
俺は神楽坂さんが持っている眼鏡に見覚えがあった。
昔、一時期だけど少し一緒にいた女の子がしていた眼鏡だ。
まぁ眼鏡なんてよく似た物もあるし、何より同じフレームなど数多くある。
だから神楽坂さんが持っていても不思議ではないのだけど、問題は彼女がわざわざこれを取りに行って持ってきた事にあるのだ。
神楽坂さんはまず髪をおさげのように括り、そしてその眼鏡をかけて俺の顔を見上げてきた。
その顔を見て、俺はこの子を知っていた事に気が付く。
「あっ! あのいつも駅前でナンパされてた女の子!」
その言葉を聞き、神楽坂さんが嬉しそうに微笑んだ。
もちろん、嬉しそうに微笑んだのはナンパされていた事を誇りに思っているのではなく、俺が彼女の事を思い出したからだろう。
今から一年以上前、確かに俺はこの子と出会っていた。
というのも、その頃の俺は一時期上司に頼まれてお客さんのフォローで現場に通っていたのだ。
大体帰りは終電近くの23時頃だったのだけど、街中の駅付近で毎日ナンパされている女の子がいた。
それが、この子だったのだ。
相手は酔っ払いのおっさんだったり、やっぱり酔っ払いの大学生だったり、後はチャラそうな大学生や不良の高校生だったはず。
よくもまぁ毎日ナンパされるものだと思うけど、その頃の神楽坂さんは既にかなりスタイルがよかったし、大人しそうな見た目をしていたせいで口説き落とせると目を付けられていたのだろう。
正直ナンパされて困っている女の子を見るのは胸糞悪くて気分がいい物ではない。
とはいえ、いくら俺でも最初から首を突っ込んだわけではない。
いつもナンパされるからかこの子も慣れたふうで相手を遠ざけていたし、別段止めないといけないような状況でもなかったからだ。
そんな俺がこの子と初めて話をしたのは、質の悪い酔っ払いの大学生にナンパされていて、この子が腕を掴まれて逃げられないようになっている場面を目撃してしまい、それで間に入ったというのが始まりだ。
相手も大人しそうな学生だから手を出していたようで、スーツ姿の俺が間に入った事ですぐに立ち去ってくれた。
その時はそれで終わったと思ったのだけど、まぁこういう時の定番の流れというのか、この子と帰る電車が一緒だっただようで俺の後を付いて来てしまったのだ。
さすがに電車で隣に座られて、しかもチラチラと俺の顔を見上げてくるような子を無視する事は出来ず、適当に他愛のない会話をしていたと思う。
まぁ降りる駅までも同じだった事は驚いたけど、普通ならそれで終わりというような関係だった。
だけど普通ではなかったのは、この子のナンパされる頻度である。
次の日からもやはりこの子は俺が駅に着いた頃にナンパされていたのだ。
しかし、その日は質の悪い相手ではなさそうで、気がない女だと分かればすぐに立ち去りそうなチャラ男だった。
だから首をツッコむつもりはなかったのだけど、横を通り過ぎようとした際にバッチリとこの子と目が合ってしまい、助けを求めるに仔犬のような目を向けられたので間に入らないわけにはいかなくなったのだ。
その後は前日と同じように一緒に帰る事になり、また他愛のない会話をしていたはず。
そんな事が三ヵ月ほど続いたのだ。
それくらいの期間一緒にいればさすがにお互い少しは打ち解けている。
彼女がいつも塾帰りでこんな遅い時間に帰っている事や、学校でも男子に絡まれて大変な目に遭っているなど色々と相談に乗る事もしていた。
あの頃の俺にとってはもう一人の妹のような感じだった。
お互い自己紹介はしなかったので、この子が俺の事を『お兄さん』と呼んでいた事も影響しているだろう。
そうか、だからこの子は俺の名前を知ってもなおお兄さんと呼んできているのか。
昔そう呼んでいたからそちらのほうがしっくりと来るのだろう。
こうしてみるととても懐かしく感じるし、少し温かい気持ちになった。
――しかし、一つだけあの頃のこの子と、今のこの子では違う部分もある。
俺がこの子の事を思い出せなかったのは眼鏡をつけていなかったという事や、髪型が違ったという事だけでなくそれも影響しているだろう。
「あの時は確か黒髪だったよね? 今のクリーム色の髪は染めているの?」
そう、俺が出会った頃のこの子は黒髪だったのだ。
眼鏡を外し、髪型や髪色も違うとなればさすがに俺が気付けないのも納得がいく。
人はそこまでしっかりと相手の顔を覚えているわけではないからな。
「いえ、あの頃が黒染めしていたのです。クリーム色の髪だと、どうしても悪目立ちしますからね……」
「あぁ、そうなんだ……綺麗な色だと思うけどね」
「そのせいで他の子から嫉妬されたんだと思います。眼鏡だって、本当は視力悪くないのに地味に見せるためにしてただけなんですよ? それに、髪型だって本当はお洒落にしたかったのに、色々と絡まれるせいでおさげにしたんです。なのに――」
どこか怒りを見せる神楽坂さん。
おそらくお洒落を捨ててまで平穏を求めて地味にしていたのに、それはそれで別の問題が出てきたのだろう。
何より、地味にしていても毎日ナンパされていたので効果があまりなかったとも言える。
まぁ今のようにお洒落をしていた頃がどれだけ声をかけられたり、女の子から嫉妬の目を向けられていたのかは知らないので効果が全くないとは言わないけど。
「まぁほっといてくれってなるよね。今お洒落にしてるのは開き直ったって事?」
「いいえ、違います。お兄さんが私に言ったのではないですか。自分を偽っていても何もならない。本当の自分を好きになってくれない人なんてただの他人であって、友達でもなんでもないんだ。だから自分を偽ってまで相手に取り入る必要はないんだよって」
待って、俺そんな恥ずかしい事言ったのか?
……いや、言った気がするな。
確か見た目などに悩みを抱えていると話を聞いて、学生時代に女の子と馬鹿にされていた自分を重ねてしまったのだ。
ただあの時の俺は、地味な自分が嫌だ的なニュアンスに聞こえてアドバイスしたはずなんだよな……。
まさか、目立つ自分が嫌だなんて相談されているなんて思わないじゃないか。
実際あの時のこの子はかなり地味な恰好をしていたわけだし。
勘違いからと、痛いアドバイスをしていた事で俺は急激な恥ずかしさに襲われて穴があるなら入りたい気分になった。
「うん、そっか……出来ればその言葉今すぐに忘れてほしいんだけど」
「なんでですか! 私にとってとても胸に響いた言葉なんですよ! だから私、こうして元の自分に戻る事が出来たんですから!」
恥ずかしいから忘れてほしいのだけど、忘れてくれと言うと怒られてしまった。
あんな言葉が胸に響くなんてこの子はよほど純粋なんだろうな。
そんな子に忘れろと言っても忘れてくれるはずがないので、俺は遠い目をするしかなかった。
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