最終話

 夢を見ていた気がする。


 すごく壮大な夢だ。


 あり得ないような夢だ。


 でも、それがどんな夢だったかは覚えていない。


 とても、大変なことがあった気がする。


 とても、恐いことがあった気がする。


 とても、辛いことがあった気もする。


 だが、その中に、それに負けないくらい、嬉しいことがあった気がする。



 まあ、所詮は夢だし、覚えていないのが普通なのかもしれない。


 しかし、忘れたくないものまで、忘れてしまった気もする。


 所詮は夢だし。と言っても、夢だからこそ、現実世界にはない夢のような出来事を体験していたかもしれない。


 例えば、ヒーローのような活躍があったりとか、主人公のようにモテモテになったりとか。


 いや、むしろ夢だし、そのくらいのことはあったかもしれない。


 いや、そうだ。夢なんだから、そのくらいはないとおかしい。

 だって、夢なんだから。


 夢なんだから。夢の中では俺は神様みたいなもんだろう。


 だったら、その中でくらい、俺の思うがままになっても良いってもんだ。


 それくらい。夢の中でくらい、そんな思いをさせてくれないと、生きていくのが、辛すぎるだろ。


 ◇◇◇◇◇◇


「いや、軟弱すぎだろうが、ぼけ」

「いたっ!」


 急に教科書の角で叩かれた。

 めっちゃ痛い。


「夢の話は、もう良いんだよ。聞き飽きた」

「なんだよ、司。俺の大変ためになる話を理解できなかったのか?」

「できる、できないは関係ない。興味がないだけだ」


 司は呆れた様子で溜め息を漏らす。


 まったく、これ程までにためになる話を理解できないとは、無知というのはなんて悲しいものなんだろう。


「声、漏れてるぞ」


 おっと、危ない危ない。

 これ以上はやめておこうか。


 それにもう昼休みだしな。


「一樹。いる?」

「ん? 世良?」


 教室の入り口の方で世良が呼んでいた。

 俺を呼びに教室に来るなんて珍しいこともあるもんだ。


「どうかしたのか?」


 世良は俺を見つけると、教室の中まで入ってくる。

 まあ、世良は顔が広いから、俺に用事がなくても、この教室にはよく来ている。


 珍しい光景でもない。


 俺に用事というのが、珍しいだけであって。


「あんた、今日、弁当忘れたんじゃない?」

「え? よく知ってるな」


 そういえばそうだった。


 気付いたのはさっきで、今日は仕方なく食堂に行こうと思っていた所だ。


「なんとなく、そんな気がして、朝、あんたの家に行ったら、おばさんが言ってたのよ。それで、はいこれ」


 言いながら、世良が差し出してきたのは俺の弁当箱。いつもの巾着袋に入っている。


「持ってきてくれたのか。さんきゅ」


 これはありがたい。


 学食だと、安いとはいえ、俺の小遣いも安いから、結構な痛手なんだよな。


「親公認とか。卑怯者め」


 司が、恨めしそうに睨んでくる。


 司は世良のことが好きだからな。

 あまり見ていたい光景ではなかったか。


「どうかした? 御子柴くん」

「え? い、いや、何でもないよ」


 咄嗟に笑顔に戻る司。現金なやつ。


「まあ、いいか。助かったよ、世良。さて、早速食べるかな」


 昼休みも、そんなに長々と話していられる程、長くはない。

 受け取った弁当箱を開けて、箸を手に持つ。


 さて、今日のおかずは何かな。


 そう思って弁当を見た所で、なんとなく、手が止まった。


「どうしたのよ?」

「いや、なんか、ここで食べるのも味気ないなと思って」

「はぁ? いつも教室で食べてるんじゃないの?」

「いや、そうなんだけど」


 世良が怪訝な顔で問い詰めてくる。


 前のめりになって、ジトッとした目で俺を睨む世良は、何がそんなに気に入らないのか不明だが、俺の発言に機嫌を損ねている様子。


「なんとなく、今日は食堂で食べたいな、と」


 つい声が小さくなってしまう。


 別に悪いことをしようとしている訳でもないのに、そうせざるを得ないような、謎の威圧感があった。


「駄目よ」

「は? なんでおまえがそんなこと」

「よくわからないけど、嫌な予感がするのよ」

「よくわからないって、お前」


 そんな訳のわからない理由で俺は、こんなに責められているのかよ。


「ま、まあまあ、どう? 希沙羅さんも一緒に。いつもと気分を変えるのもたまにはいいと思うよ?」


 ナイスフォロー。司。

 と思ったら、司が小声で言ってくる。


「離れろ、馬鹿」


 前言撤回。

 私利私欲の権化だな、お前は。


 だが、まあ、今回は利害の一致だ。


 流石に司に言われると、世良も強くは言えないようだ。


 無理矢理画を通せる程、まだ司には本性を見せてないからな。

 猫を被ってる所までしか、まだ見せてないし。



 そんなこんなで、俺たちは学食まで来た。


 俺と世良は弁当を持ってるので、注文は司だけ。


「おばちゃん。素うどん1つ」


 司は適当に1番簡単なものを頼んだ。


「あんた、あんまり動くんじゃないわよ。危ないから」

「俺は危険物かよ」


 どことなく、世良が刺々しい。

 普段から、俺に対して刺があるのは変わりないが、今日は少しいつもと違う気がする。


「なあ、今日はどうしたんだよ? いつもより当たりが強くないか?」

「うっ。そ、そう? いつもこんな感じじゃない? いつも下僕みたいに思ってるし」

「いや、流石にそんなことはないだろ、って、そんなこと思ってたのか!」


 だから、いつも人を人として見てないような態度をしていたのか。

 俺、下僕だと思われてたのか。


「い、いや、そんなことないわよ。わ、私が言いたいのは、そういうことじゃなくて、だから、その……」


 珍しく、世良が言い淀む。

 今日は珍しいことばかりだな。


 本当に何かあるのか?


「ああ、もう。笑わないでよ?」

「な、何だよ?」


 世良は、少しきれ気味で口を尖らせる。


 そして、おもむろに口を開いた。

 それまでの勢いとは裏腹に、ものすごく小さな声で。


「なんか、あんたをまた、……そうな気がしたのよ」

「は? 何だ? 小さすぎて聞こえないんだが?」


 キッと、世良が睨む。

 いや、でも、今のは俺は悪くないだろ。


 明らかに声が小さかったし。

 周りの喋り声でさらに、聞き取りづらいし。


 無言で訴えると、世良は少し顔を寄せてまた口を開く。


「だから、あんたをまた、とられ……、のよ」

「いや、さっきよりも声が小さくなってるんだが?」


 近付いた分だけ声が小さくなるとか、無意味極まりないだろ。


「だぁかぁらぁ!」


 その声だけは大きい癖に。


 世良がさらに顔を寄せてくる。


 その時。


「ああぁぁぁ!」


 ビクッと俺と世良は同時に肩を震わせた。


 見ると、司が、この世の終わりのような顔をしていた。


「な、なな、なななな、何、こんな所でキスしようとしてるんだよ」

「なっ! おまっ!」

「ち、違うわよ! そんなことしてないわ!」


 確かに角度的にそんなことをしているように見えたかもしれないが。


「う、うう。薄々そうじゃないかとは思っていたが」

「違うったら。話を聞いてよ」


 俺以上に反応したのは、世良だ。


 世良は必死に司に説明をする。

 だが、相当なショックを受けている様子の司は、中々まともに話を聞いてくれないようだ。


 世良は、それでもひたすら言葉を並べる。


 俺も参戦しようとしたが、

「素うどんの人。できたよぉ」


 司が頼んだメニューができたようだ。


 が、当然、二人はそんなことなど気付いていない。


「おい、司……」

「わかってる。わかってるよ。みんなにはまだ秘密なんだろ」

「だから違うったら!」


 俺の呼び掛けにも気付いていない模様。


 うーん。無理矢理呼んでもいいんだが。

 なんか、それをしてしまうと、2人の矛先が俺に向きそうな気がする。


 まあ、ただ取りに行くだけだし、俺が行けばいいか。


「あれ? 素うどんの人ー!」

「あ、はいはい。今、行きます」


 学食のおばちゃんが困ってる。

 早く行かないと。


 そう思ったのがいけなかったんだろう。


「きゃ!」

「いて!」


 走ろうとした所で、誰かとぶつかってしまった。


「あ、ごめんなさい」


 チラッと見えたのは上級生の制服。

 咄嗟に敬語で謝るが、相手からの反応がなかった。


 ハッとして顔を上げる。


 何かを期待して。


 何に?


 わからない。

 でも、その顔を見たくて顔を上げた。



 すると、そこにいたのは。


 前髪で顔が半分以上隠れている女の子だった。


「こ、ここ、こちらこそ、ご、ごめんなさい。ち、ちゃんと、前を、み、見てなかった、ので」


 ビクビクとしたその先輩は、たどたどしい声で謝り続けている。


 そんな彼女を見て、俺は少し落胆してしまった。


 どうして?


 失礼だろうが。


 おっと、そんなことを考えている時じゃないか。


「いや、それは俺の方で……」


 しかし、その先輩はビクビクとしていて、俺が謝ろうとしても、1歩ずつ離れていってしまう。


「いや、あの……」

「ご、ごめんなさい。ごめん、なさい。ごめんなさい。すぐ、消えます、から、本当にすぐ、消えますから」

「え? いや、そんな、別に」


 俺、そんなに恐い顔してるのか。


 その先輩は、何にそんなに怯えているのかわからないが、かなり目を泳がせていて、今にも泣き出しそうだ。


「だ、大丈夫ですから。俺もぶつかってすみません」

「あ、うう、ごめんなさい。私が、前を、見てなかったから、悪いんです。ごめん、なさい。ごめんなさい!」


 そう言って、走って逃げてしまった。


 1人残された俺


 えー。

 これ。どうすればいいんだよ。




「だから、ちゃんと顔を上げなって、いつも言ってるのに」




 ハッとした。


 時が止まったような気がした。


 声が聞こえた。

 待ち望んでいた声が。


 待ち望んでいた?


 何を?


 わからない。


 はずなのに、俺は、何故か、泣きそうになった。


「ごめんね、君。未来は、人見知りでね」


 声のした方に顔を向ける。

 壊れたおもちゃのように、歪な動きだったと思う。


 でも、すぐにそっちを向けなかった。


 そうしたら、本当に涙が溢れてしまいそうで。


「奈那、先輩」

「あれ? 私のこと、知ってるの?」


 そりゃあ、知っている。


 目の前にいるのは、この学校で知らない者はいない有名人。


 学校で1番頭がよくて。

 学校で1番運動ができて。

 学校で1番可愛い。


 神は二物を与えないと言うが、この先輩にはすべてを与えているんじゃないかという、完璧な人。


 いや、完璧なんかじゃない、か。


 

 何故、そんなことが言える?


 わからない。


 それに、俺が知っているのは、そういう奈那先輩じゃない。


 どうしてそう言えるのかも、わからないけど。



 だが、これだけは、はっきりと言える。


 俺は、奈那先輩を、ずっと探していた。



「うーん。うーん?」


 奈那先輩は俺の顔を見て、難しい顔をしていた。


「うーん。私は人の顔を忘れる方じゃないんだけど」


 奈那先輩は、俺の全身をくまなく見ていた。


 俺は奈那先輩に会ったことはない。


 はずだ。


 奈那先輩が俺のことを知ってる訳がない。



 本当に?


「奈那先輩」

「ん?」


 ちょうど俺の顔を見ていた奈那先輩を呼ぶ。


 目が合った。

 それだけで、心臓が高鳴る。


 幸せな気持ちになれる。


 それでまた泣きそうになる。


 でも、駄目だ。

 ここで泣いちゃ駄目だ。


 言いたいことがある。

 言わなきゃいけないことがある。



 理由なんてわからない。


 意味なんてわからない。


 それでも、言わなきゃいけないことがある。


「俺」


 告白するのか、俺は?


 この流れ、絶対そうだ。

 そうとしか思えない。


 奈那先輩も、こんな唐突な告白の雰囲気に、驚いているようだ。


 でも、そうじゃない。


 今、言いたいのは、それじゃない。



 どうしてかわからないけど。


 俺は、奈那先輩のことを知っている。



 完璧な人なんかじゃなくて、欠点もたくさんあって。


 普通の女の子みたいに、照れたりもする。


 家では結構隙だらけで。


 大人っぽいのに、すごく恐がり。


 そんな奈那先輩が、俺は、好きだ。



 でも、言いたいのは、それじゃない。


 今、言いたいのは、ただ、これだけ。



「奈那先輩、俺、あなたに出会えて、幸せです」


 言うと、奈那先輩は、驚いたように目を見開いて、固まってしまった。


 それから、時間が止まったように、辺りが静かになった。


 人がいなくなった訳ではない。

 ただ、緊張で、ここ以外の音が聞こえなくなっただけだ。


 奈那先輩は、俺を見て、固まったまま。

 そんな奈那先輩を見て、俺も固まったまま。


 そりゃあ、いきなりこんなことを言われたら、驚くよな。


 引かれるよな。


 初対面で、こんなことを言うような奴、気持ち悪いよな。


 ああ、失敗した。


 勢いに任せて、馬鹿なことを言ってしまった。


 終わった。

 人生終わった。


 そんな気さえしてきた。


 なのに、奈那先輩は、ふふ、と、少しだけ笑って、顔を近づけてくる。


「奈那、先輩?」


 その表情は、俺が見たことのある表情だった。


 懐かしくも。

 憎たらしい。

 余裕を見せる、その顔。


 笑う顔が。

 からかう顔が。

 優しそうな瞳が。


 そのすべてが、俺の心を揺さぶる。


 そして、奈那先輩は、俺の耳元で、俺にだけ聞こえる声で、小さく囁いた。


「私もだよ。後輩くん」


 その声が。


 その表情が。


 俺はずっと、見たかったんだ。


 どうしてかはわからないけど。


 でも、ずっと、この瞬間を待ち望んだいた気がする。


 ずっと、待ち望んでいた、この瞬間に、俺は泣いて、奈那先輩も涙を浮かべながら微笑んでいた。


 お互い、どうして涙が溢れたのか、理解できていない。


 それでも、気持ちは通じあっている。

 そう思えた。


 俺の心の中に残る記憶。


 それは、青に染まる朧気な面影しか思い出せないけど、でも、それでもいいと思った。


 俺の目の前に、奈那先輩がいる。

 ただ、それだけで。


 必要なのは、ただそれだけだと思ったから。


 求めていたのは、ただそれだけだと、思い出したから。



 記憶にはない。

 それはまるで夢のようで。

 確かな現実とは言えないようなものだけど。


 俺の心に残る思いは、確かにある。


 それはきっと、奈那先輩の中にもあって。


 だから。


 俺たちはこれからも一緒に歩いていける。


 どんな困難があったって、乗り越えていける。


 そんな自信があった。


 だから、言える。


 最初の一言を。

 俺から。



「奈那先輩……」



 俺のいかにも根性なしな言葉に、奈那先輩は一瞬呆気に取られたような顔をして、クスッと笑った。


 それに、奈那先輩は、いいよ、と言ってくれた。

 

ー完ー

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青に染まる面影を思い出すまで 奈那七菜菜菜 @mosty

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