物語の異常な分厚さ、あるいは無闇矢鱈と重たいパンチ

 長い眠りから覚めた男性が、二十年ぶりに知人と会うお話。
 SFです。それもゴリゴリのハードSF——という括りが正確かはわかりませんが(自分はそう断じることができるほどのSF者でもないので)、でも個人的にはそう呼びたい作品。作中、積み上げられた医療・科学技術関連の情報の、その密度や形そのものがお話の面白さを構築していて、読み終えた今とても頭が良くなった気がしています。
 いや本当すごいですよこれ。めちゃめちゃ難しい(であろう)ことがいっぱい書いてあるのに、何も悩まず迷わず読めてしまう。科学技術に関する知識って本来それだけで面白いもので、でも本当にそれを面白いと感じるには相応の知識と学習が必要になるのですけれど、でもその手間抜きに面白さだけを寄越してくれる。綺麗な詐欺であり心地の良い嘘、個人的に「創作というものに求める娯楽性」の核みたいなものを、SFとしてのみ描き出せる形で提供してくれる。自分はこの物語を本格、あるいはハードと形容するのに、一切の躊躇を必要としません。
 語弊を招きそうなのでもう少し詳しく述べますと、個々のSF的な要素そのものにガジェットやギミックとしての魅力があるタイプのお話ではありません。本作で描かれる世界は、現代よりも少し先の未来。この「少し」というのは時間的な遠近を指すのではなく、現代からそのまま地続きの未来という意味で、つまり『現実』から一手一手積み重ねるかのように、『可能性としていずれ起こりうるひとつの盤面』を描いています。ワクワクする空想としての未来ではなく、ただ現実より少し先なだけでしかない舞台。ある種のシミュレーションと捉えてもいいのですけれど、個人的には単純に「現実味のある仮定」として捉えました(未来予測的なもの、実験的な『if』であればもっと大胆な設定もあったはず、あるいはそこが軸になるはず)。
 とどのつまり、この作品の中で真に描かれているのは、というかその土台として存在しているのは、やはり人間のありようや生き方そのもの。そしてそれを、この〝仮定(舞台設定)〟だからこそ生じうる事象の元に描いている。この設定、このお話だからこそ生じ得た状況、でもそこに悲哀やこちらの情動を揺さぶる何かが生じるのは、結局それが人間の物語であるから——特にこの物語の場合、人それ自体は現代の我々と同じものとして描かれているのもあります。
 この先はネタバレを含みます。
 個人的にこの物語、人はいかにして生きるか/いかにして生きたら人であるかというお話として読みました。身近な人の死、そして家族(親類縁者)というもの。ちょっと今からすごく雑な括り方・例え方をするのですが、よくファンタジー等で描かれる『異種間の寿命の差による別離』に近い部分の構造を含んでいて、しかしその特性上どうあがいても寓話的な悲劇としての形しか取れないそれを、でもSFという設定を使うことによって、現実の我々の手の届く場所まで引き摺り下ろしてくれたような感覚。こうして突きつけられてみると当たり前のことが、でも何ひとつ見えていなかったことの不思議と言いますか、とにかくいきなり頭を鈍器でぶん殴られたような凶悪さがありました。
 これはただの切ない話や、ましてや悲劇なんかではないんです。私たちの〝根〟を掘り返し、白日の元に晒す試み。人として生きるということ、家族というもの、ふわっとして輪郭のなかった(ないままだからこそ生きてこられた)それを、「そこに線を引け」と迫ってくるお話。こちらを脅してくるような、あるいは生じる責任から逃してくれないような、もうそれだけで面白いとわかる作品でした。面白かったです。タイトルがとても好き。