エンディングが決められない

シャル青井

さて、締切まであと10時間

 こんばんは。

 俺は今、必死になって小説を書いている、締切直前の作家です。

 いや、原稿はもうほぼできてるんですよ。

 あと残るはラストだけ。本当です、本当なんですって。

 ただ、一つ大きな問題があって、今日一日ずっと原稿の前で唸っているのです。

 理由は簡単。

『この話、ハッピーエンドにならないじゃん』

 これだけです。

 プロットの段階で気が付けよって? ごもっともです。

 でもその時点では、この救いのないエンディングこそが、もっとも美しいものに思えたんですよ。

 じゃあそのまま書けばいいだろって? それもごもっともです。

 でも書いて色々足していっているうちに、なんかこの話、幸せに終わらせたほうが自然に思えてきたんですよ。

 キャラクターへの思い入れが湧いたんですかね。

 でも、ここからハッピーエンドにしてしまうとプロットとの齟齬が大きくなって、なんかこじれた終わりになるんですよね。

 かといって最初から色々手直ししている時間など残されておらず、2つのエンディングがせめぎ合っている状態が続いているわけです。

 この時間に必死に手直しをしていれば間に合ったかも知れませんが、後の祭り、既に後悔している時間すらないわけです。

 それでも答えが出ないからこうして時間を消耗しているわけで……。


「おいおい、いいからぱぱっと書き上げて、バッドエンドで終わらせちまえよ」


 な、なんですかあなたは?


「俺か? 俺はお前の『良心』だよ。なあ、締切を破ったらそもそも話にならないだろ? 信用も失うし、物語自体もバッドエンドどころじゃない完全な破滅だ。ハッピーエンドを捨てる代わりにお前がハッピーになる。それでいいじゃないか。元々の予定ではそうだったんだろ?」


 うっ、それはたしかにそう。さすが『良心』、いいことをいう。

 じゃあここは涙を飲んで、やっぱりプロット通りのバッドエンドで……。


「待ちなさい!」


 今度は誰です!?


「私はあなたの『欲望』です。いいですか、ここでハッピーエンドを書き上げればあなたは作家として大いなる成長が見込めるし、作品的にもより大衆にウケる可能性が出てくるはずです。なにしろ世間はバッドエンドよりハッピーエンドを求めるものです。ましてやこの閉塞の時代、誰も好き好んで暗い気分になりたくないでしょう」

「なに横からしゃしゃり出てきて好き勝手言ってるんだよ。いまさら方向転換した取ってつけたハッピーエンドでそう上手くいくわけ無いだろうがよ」

「いいえ、私は彼を信じます。彼ならきっと、サササっと話をまとめて、スマッシュヒットとなるハッピーエンド作品を書き上げてくれるはずです。読者も、登場人物たちも、それを望んでいることでしょう」

「編集部や印刷所は、確実に完成する原稿を求めていると思うがね」


 コイツらが喧嘩している限り、時間は無駄にすり減っていくわけです。

 脳内の喧嘩を表に出さないでほしいですね。

 いや、こいつらも俺の精神なんですが。


「話は聞かせてもらいました!」


 まだ誰か来るの!?


「先生、私はあなたのファンです。先程からテレパシーで先生の心をずっと読ませてもらっていました。作品だけじゃなくそれが生まれる葛藤まで読ませてもらえて感無量です」


 いや、マジでやばい奴来たんですけど。

 おい、逃げるな、『良心』、『欲望』。

 お前らもこいつの対処方法を考えなさいよ。

 クソッ、肝心なときに役に立たない連中ですね……。


「ヤバいとか言わないでくださいよ。私はこんなにも先生をのこと慕っているのに」

「精神的にも物理的にも不法侵入かました女に言われたくないなあ……、というか、どうやってここに入ったですか。住所とか……」


 あまりにも平然とそこにいるので忘れそうになりますが、脳内から勝手に湧いて出てきた『良心』や『欲望』と違い、この女性は目の前に存在しているのがまずおかしいんですよね。

 玄関の鍵だってちゃんと閉めてあったわけですし。


「ここの住所は編集部にハッキングを仕掛けて探しました。電子でのやり取りがメインになっても献本とかありますからね。あと、玄関のドアはピッキングでチョチョイと開きましたよ」


 物理に超能力に電子に裏世界技術。なんでもありですか。


「……まあ、もういいです。なにを聞いても無駄と言うことはわかりました。ならせっかくなんで聞きますが、あなたはこの話、ハッピーエンドとバッドエンド、どちらがいいと思いますか?」


 藁にもすがるとはこのことでしょう。

 目の前に読者がいるなら彼女に聞くのが手っ取り早い。

 もっとも、それ以上に『これは自分の考えていた物語と違う』みたいな解釈違いで癇癪を起こされるのが怖いというのが本音ですが。


「私は、先生が選んだ結末を信じます」


 あちゃー。

 なんの答えにもならない答えが返ってきましたね……。

 そしてこの手の答えは、追求するとそれが一番の解釈違いを起こすやつですよ。


「はい。それを聞かれて、ちょっとイラッとしました。私が先生の物語に干渉するなんて、あってはいけないことです。先生の物語は、あくまで先生の中から生じたものでなければいけませんから……。」


 こちらの心の声を当たり前のように聞いているし……。

 物語への干渉を避ける前に、俺の生活とか精神的プライバシーへの干渉を避けてほしかったところですね。


「善処します」


 うわめっちゃ棒読み。

 その時でした。


「先生! 進捗どうですか!」

「はいはい今度は誰ですか……」

「誰ですか、じゃないですよ。あなたの担当編集ですよ」


 あー、なんか一番現実が来ましたね……。


「というか、君までなんで勝手に入ってきてるんですか! それに、締切はまだ明日じゃないですか。なんで今日来たんです?」

「たまたま前を通りかかったらなんか玄関が凄いことになっていたので、先生が心配になって慌てて駆け込んできたんですよ」

「それで第一声がそれですか」

「僕が先生の心配をするのは原稿に関してのみですから。先生が倒れていたりしたら原稿が落ちるじゃないですか」


 こいつ……。


「ところで、玄関が凄いことっていったいどういうことです?」

「なんかドアがあらぬ方向に曲がってへしゃげていて、まるで交通事故にでもあったかのようになってましたからね。もう先生になにがあったのか心配で心配で……」

「それで第一声があれですか」

「僕が先生の心配をするのは原稿に関してのみですから。それで、実際のところ進捗はどうなんですか? 締切はもう明日ですよ」

「ああ、問題ないですよ。原稿はもう9割完成しているので。ただちょーっと、ラストに迷っていましてね。少しばかり相談に乗ってもらいたいところだったんですよ」


 形はどうあれ、最後の最後で最高の相談相手が来ましたね。


「……先生、この人誰なんですか……」


 あ、なんかファンの人が切れてますね。

 メチャクチャ理不尽ですが。


「彼は私の担当の編集者ですよ。これまでもずっとお世話になってる方です」


 というか、心を読むならその前に先程の会話をちゃんと聞いていてもらいたいところです。


「担当編集でも、先生の物語に干渉することが許されると思っているんですか!?」


 そちらはハッキングを仕掛けて彼のサーバーに干渉してましたが。


「いやいや、作家の悩みに乗るのも編集の大切な仕事ですよ。これまでだってずっとそうしてきたわけですし。なあ」

「はい。先生が結末に悩む時は……まあ毎回なんですが、いつも先生の本当にしたいことを探り当てる。それが僕の最大の仕事です。それで、今回はなにを悩んでいるんですか?」


 さすがプロ、流れるように仕事モードに入っていきました。

 このスムーズさでは厄介ファンも付け入る隙がない。


「実はカクカクシカジカで……」


 心の中から生じた『良心』や『欲望』、心を読めるこの厄介ファンとは違い、一般人である彼には結局また初めから説明することになってしまうわけです。

 もう残された時間もないこの状況で。

 俺は目の前で原稿を読む彼に土下座する心の準備を始めています。

 だが彼は、思いがけない提案をしてきたのです。


「なるほど話はわかりました。じゃあ先生、この原稿はこのまま行きましょう」

「は?」


 このままというのは、どういうことでしょうか。


「それは、プロット通りバッドエンドということかい?」

「いえ、そうではありません。この、まだ書かれていない結末をあえて書かずに、今できている原稿『このまま』で行くのです。もちろん、そうするために多少の手直しをして貰う必要はありますが、その程度なら朝までには終わりますよね?」

「いやいやいや、言っていることがよくわからないんだが。それはどういうことだ? エンディングを書かないということか?」

「そうです」


 彼はものすごく力強くそう言い切りました。

 彼がこういう反応をする時は、確かな確信がある時なので、俺もそれ以上は追求しません。


「読んでみて、先生が迷うのも無理はありません。答えは出ませんし、どちらになってもおかしくない。先生のその迷いこそが、この物語の結末にふさわしい。僕はそう考えますし、読者もわかってくれるはずです」


 やっぱり彼が編集で良かったと思えますね。

 結末が出ないことを、こうも綺麗に肯定して、道を整えてくれるなんて。


「そうと決まれば、早速原稿に取り掛かってください。朝一番には原稿が届いているようにしてくださいね。ドアの方はこちらで手配しておきますので」


 本当に敏腕編集者ですよね、彼。

 彼のおかげで俺はこうして作家を続けているわけです。


 そうして、なんか色々めちゃくちゃになりながらも、俺の原稿は今回も無事完成して、彼の手を経て出版されるに至ったのです。

 はたしてそれがどういった評価となったのか、それはまた別の話。

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