第2章 ── 第6話

 黄色い毛皮に太くて長いモフモフとした尻尾をみたマリストリアは、その小動物に声をかけた。


「なんじゃ? 其方も水分補給かや?」


 小動物が小首を傾げる様子は非常に愛らしい。

 なんとなく黄色い毛皮の小動物に話し相手をさせつつ、マリスは川辺に腰を下ろして小休止することにした。


「ヴァリスが突然走り出すとは思いもよらなかったのじゃ。

 我はこの辺りの地理には疎いというのにのう……」


 マリストリアは、はぁと短く溜息を付き水面を眺める。


 火を起こす方法とかテントの張り方を教えてくれたヴァリスはもういない。


「このまま東へ行けばいいのじゃろうか……

 そもそも……東はどっちじゃろうか……」


 深い森の中で既に方向感覚すら失ってしまった。

 マリストリアは他人に頼らねば何もできない自分の未熟さに打ちのめされる。

 目頭にジワリと大粒の涙が溢れてくる。


「むむ!? 目から水が漏れ出る摩訶不思議現象がまたおきたのじゃ!」


 指で涙をすくい取り、驚きの目で見つめた。


「水分は貴重じゃ。無駄にはできぬ」


 マリストリアは指先の涙をペロリと舐めた。


 ふと見ると、黄色いモコモコがマリストリアの横にいて彼女の顔を覗き込んでいた。


「なんじゃ? 腹でも空いておるのかや?」

「きゅ~ん?」


 小首を傾げる黄色いモコモコが可愛い。


 マリストリアは妙に触りたくなって手を伸ばす。

 その伸びてきた手を見た黄色いモコモコはビックリしたように後ろに下がった。


「怯えるでない。我は小さき者を傷つけるような無粋者ではないのじゃぞ?」


 マリストリアの言葉を理解できているかは知らないが、モコモコは伸ばされた彼女の手に鼻を近づけてクンクンと匂いを嗅いだ。

 そして涙がついた指先をペロリと舐めた。


「しょっぱい」


 モコモコはそう言うとクルリと一度回ってからマリストリアの横に座った。


「なんじゃおヌシ。喋れるのかや?」

「少し」

「ふむ。小さき者にしては利口じゃな。

 我の住処におった小さき者は、キャンキャン言うばかりじゃったが」

「フォック」

「ん? 何じゃ?」


 モコモコはペシペシと不満そうに前足で地面を叩いた。


「名前」

「名前とな?」

「小さき者、違う」


 マリストリアはポンと手を叩く。

 モコモコは自己紹介をしているのだ。


「ああ。おヌシの名前はフォックと言うのじゃな?」

「そう」

「うむ。フォックとやら、我はマリストリア・ニールズヘルグ。伝説の冒険者を目指す者じゃ」


 フォックはマリストリアの顔を見上げ、続いて着ている鎧や置いてある盾などに視線をやる。


「冒険者」

「そうじゃ、冒険者じゃ」

「荒くれ者?」

「荒くれ……に見えるかや?」


 首を傾げているフォックにマリストリアは心外とばかりに唇を尖らせた。


 フォックはプルプルと首を振って「見えない」と付け加える。


「そうであろう? 真の冒険者は荒くれたりはせんのじゃ」


 マリストリアはフォックに真の冒険者たる心構えを説いて聞かせる。

 もっともその内容は手に入れた冒険譚のセリフから引用したものばかりだ。


「それが冒険者?」

「そうじゃ。冒険者とは高潔な者なのじゃぞ」

「知らない」


 フォックはゴロリと地面に転がると自分の尻尾を抱え込んでアグアグと噛み付いて遊んでいる。


「で、フォックよ。おヌシは何という生き物なのじゃ?」

「狐?」

「狐とな?

 そう言えば兄者の本にあったやもしれぬ」

「人?」

「我は人じゃな。本当は違うのじゃが、今は人族じゃ」

「本当は?」


 フォックは好奇心が強いようで質問ばかりだ。

 だが、マリストリアは傲慢ではないし、小さい生き物は嫌いではないので丁寧に答えてやる。


「我は古代竜じゃ。今、訳あって冒険者になる為に人と化しておるのじゃ」

「古代竜?」

「そうじゃぞ。ニーズヘッグ氏族に連なるニズヘルグ一族の末娘じゃ」


 フォックは古代竜と聞いてもヴァリスのように怯えた表情にならなかった。相変わらず尻尾をアグアグして遊んでいる。


「変化うまい」

「我の変化は上手いかや?」

「上手い」


 アグアグしつつもマリストリアの姿をじっくりと観察していたのか。フォックは頷く。


「フォック、変化、下手」

「おヌシも変化できるのかや?」

「少し」


 そう言うとフォックは漸く立ち上がる。


「見る?」

「うむ、見せてみるのじゃ」


 フォックは目を閉じると「む~ん」と唸る。

 すると、するすると人型に変化した。


「おお、やるではないか」


 マリストリアは小狐の変化を目の当たりにして感心した。

 人型になったフォックは立ち上がり、よちよちとマリストリアの周りを一周歩く。


「歩く、難しい」


 四本足の生物だけに二本足で歩くのに慣れていないのだろう。


「慣れじゃろう。長い時間二本足で過ごすとコツを覚えられると我は思うぞ。

 それにしても、変化しただけなのに何で最初から服を着ているのじゃ?」


 マリストリアは浮かんだ疑問をそのまま口に出した。

 フォックはマリストリアよりも小さい人族に変化したのだが、既に簡素ながら服を着ていたのだ。


 フォックは何故と言われて首を傾げた。


「服? なにそれ?」

「服とはじゃな。脆弱な人族が身体を守るために着ているモノじゃ。

 ほら、こういうヤツじゃ」


 無限鞄ホールディング・バッグから服を一枚取り出して広げて見せる。


「ほら、おヌシもしっかり着ておるではないか」


 マリストリアはフォックの着ている服の裾を引っ張って比べさせる。


「解んない」


 フォックはそんな些末な事には興味はないようで、せっかく人型になったのだからとマリストリアに近寄るとむんずと鎧を掴んだ。

 そしてえっちらおっちらとマリストリアに登り始めた。

 マリストリアも兄者でやった事だ。


 やはり小さくなると高い所に登りたくなるものじゃよな?


 小さい者が誰でも通る道である事をマリストリアは良く理解していたので、フォックのなすがままになる。


 フォックは何分も掛かったがマリスの肩の上に這い上がった。


「高い」

「うむ。小さいと高き場所から周囲を見たくなるものじゃ。

 どうじゃ? よく見えるかや?」

「あまり」


 そう言われてマリストリアはショボンとしてしまう。

 マリストリア自身も大した身長ではないので仕方がない。


 本来の姿ならかなり背は高いのだが、今はマリストリアとして人の姿で居なければならないと決めている。


「ところでおヌシ、ヴァリスの村を知っとるか?」


 マリストリアはフォックを肩に乗せたまま立ち上がる。


「村?」

「そうじゃ、村じゃ」

「ヴァリス?」

「その村のエルフの事じゃ。我は其奴と逸れてしまったのじゃ」

「あっち」


 肩車状態のフォックが小川の向こう側を指差す。


「おお、知っておるか! 助かるのじゃ!」


 マリストリアは嬉しくなり小川に向けて走り出す。


 徒渉の途中に足を滑らせそうになったが、アサルト・ステップのスキルを発動して五メートルほどの小川を何とか渡りきった。


「危ない危ない……冒険者たる者慎重にいかねばな」


 テヘペロと舌を出しつつマリストリアは足を早める。

 だが、五分も経たないうちに道なき道を進むには小走りは不適切だと気づく。

 フォックを肩車したままでは当然だ。


 マリストリアは小剣ショート・ソードを抜き、ツルや下生えの草を切り飛ばしつつ前に進む。

 地道な作業だが、フォックが枝や鋭い草で傷ついてしまっては守護騎士ガーディアン・ナイトとして失格だ。


「あっち~」


 こやつ……


 フォックが指差す方向が下生えを切り飛ばせば進みやすい道だとマリストリアが気づいたのは、闇雲に突き進みつつも一時間程経った頃だろうか。


 辿々しい喋り方じゃが頭はキレるのう。我の進みやすい方向を示しておる。


 マリストリアは心底感心する。


 ティエルローゼ民俗歴史書に書かれていた「狐」という生物のの項目の記述には全く当てはまらない気がしてならない。

 姿だけは似ていたが、変化が得意となるとその記述も怪しく感じる。


「ところで、其方は自分を狐と言っておったが、本当に狐かや?」

「違う」

「違うのかや?」

人狐じんこ

「狐人族とは違うのかや?」

「別」


 どうやらこの狐は「人狐じんこ」という種類の生物らしい。


 マリストリアは知らないが、人狐じんこは森に住む聖獣の事であった。

 通常、人前に姿を現すことはなく、森の中でひっそりと暮らしている。

 様々なモノに変化し、人だけでなく獣も魔獣も騙すことができる。

 そうやって危険な森の中で生きている生物なのだ。


 フォックの言うままマリストリアは森の中を進む。

 しばらく進むと風が嗅ぎ慣れた匂いをマリストリアの鼻に運んでくる。


「む……これは血の匂いじゃ……」

「血?」

「そうじゃ。これほどの匂いがするとなると、相当量の血が流れておるのじゃろう」


 マリストリアは嫌な予感がしてならず、歩みを早めた。


 三〇分も進んだ頃だろうか。

 前方から「ワーッ」とか「ギャー」とか悲鳴やら戦闘しているような音がマリストリアの耳に聞こえてきた。


「フォック! 急ぐのじゃ! しっかり捕まってたもれ!」

「あい!」


 マリスは必死に走った。

 藪を掻き分け、草を薙ぎ払う。


 ようやく目の間が開けた時、目に飛び込んできた光景にマリストリアは絶句する。


「な、何じゃこれは……」


 そこには褐色のエルフたちが何人、いや何十人も血を流して倒れていた。


「こ、ここがヴァリスの村かや……?

 何でエルフがこんなに死んでおるのじゃ?

 ゴブリンはそれほどの大部隊じゃったのか……?」


 周囲を見回すと木々の向こうの方で何かが複数動いているのが見えた。


「そこかや!?」


 マリストリアは走る。

 それがエルフがゴブリンかは解らない。

 でも、望みは捨てられない。


「我は弱き者を守る者なり……!!」


 そう叫びつつ走る。


 すると不思議な事が起こる。

 マリスは足が妙に軽くなるのを感じたのだ。

 でも足元を見ている余裕はない。


 今は、この村の者をゴブリンから守るのが先だ。


「ヴァリスの村の者よ! 待っておれ!」


 木漏れ日の中マリストリアは必死に走った。

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小っちゃなマリスの大冒険 かいぜる田中 @kaizer

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