第2章 ── 第5話

 翌朝、マリストリアが起きてみると、後半に夜番に立ってもらったヴァリスが朝食を作っていた。


 焚き火の向こう側には、昨日一匹だけ捉えたゴブリンが、縄にグルグル巻きにされたまま芋虫のようにウニョウニョ動いている。


「ご飯できてますよ」

「うむ」


 木の皿の上に乗っているのは、一切れの固い黒パンと火で少し炙った干し肉だ。

 よく見ると、干し肉に木の葉を粉々にしたようなモノが振りかけられている。


 マリストリアはクンクンと匂いを嗅いでみる。

 だたの木の葉ではなく、何か匂いの良い葉を砕いて振りかけたようだ。


 パンと干し肉を齧っていると、ヴァリスが鍋から何かを掬って木の椀に入れ、手渡してくれる。


「大した味付けではありませんが、スープをどうぞ」

「うむ。頂くのじゃ」


 椀の中は干し肉をナイフで削り入れ、野草を入れた簡単な塩スープだ。

 これで固いパンを胃の中に流し込みやすくなった。


 水はこれで使い切ってしまったみたいなので、今日は早めに水の確保が必要になると思う。


 朝食を取りながらモゴモゴ動くゴブリンを観察する。


 目には恐怖をたたえ、必死に身を捩って、マリストリアたちから距離を取ろうとしている。


「うにうにしておるのう」

「相当固く縛りましたから逃げられないんですけどね」


 二人に見つめられ、ゴブリンは涙目になる。

 アギャアギャと何か言っているが、理解ができない。


「何を言っておるか解らぬ。竜語か東方語か西方語でなければ通じぬぞ?」


 マリストリアがそう言うとゴブリンは目を丸くする。


「ドラゴン……?」

「そうじゃが?」


 マリストリアが頷くと、ヴァリスも見を固くした。


「やっぱり、マリストリアさんは……」

「うむ。変化へんげの技じゃ」


 ゴブリンは号泣しながら生きることを諦めた。

 ヴァリスはこの世の終わりのような顔をする。


「何じゃ? 我は古代竜じゃが、今は人族に変化へんげしておるし、問題はなかろう」

「マリストリア様……貴方様が古代竜だという事は他言しない方が良いと思います」

「む? なぜじゃ? 古代竜じゃという事が恥じゃと言うつもりかや!?」


 マリストリアがムッとしただけで、ヴァリスはピシリと恐怖に固まる。


「そ、そうではありません……古代竜……いえ、ただのドラゴンと言うだけで、我々のような弱き種族は震え上がってしまいます……」


 弱々しそうにヴァリスは困ったような顔で僅かに微笑む。


「ふむ……確かにのう。

 今、我の姿は人族じゃし、古代竜の力を背景に立身出世をしていると思われては我の名誉に関わるかもしれぬのう」


 マリストリアはドラゴンという種族が力と破壊の象徴だと言い聞かされて育った。

 世界最強の生物であるドラゴンであれば、弱き者共は瞬く間に平伏ひれふそうというもの。

 それは伝説の冒険者の行動ではない。

 高潔な意思、そしてそれに準ずる行動こそが冒険者の資質だ。


 マリストリアは冒険譚からそう信じていた。

 弱いながらも決死の行動で結果を出す。

 見上げた心あげと言わざるを得ない。


「なるほど、理解したのじゃ。

 これからは人族として振る舞えば良い訳じゃな」

「そうして頂けると、周囲の者……私が心安らかでいられます」


 ヴァリスはマリストリアの正体に気付いたというのに、若干丁寧になった気がするが、殆ど言動は変わらない。


 マリストリアは小さき者たちに傅かれ、家族にも甘やかされて育ってきた。

 なので、ヴァリスのように優しく叱ってくれる者はいなかった。

 それはマリストリアにとって、気分が悪くなるというより心地よいそよ風のように感じられた。


 教え導かれるという新体験にマリストリアは自然と笑顔になってしまうのだ。


「むふふ。冒険は楽しいのう」


 マリストリアの笑顔にヴァリスは眩しいモノを見るように目を瞬かせる。


「古代竜様は荒ぶる者だと思ってましたけど、マリストリア様は穏やかな方ですね」

「我はいつでも寛大じゃ。なにせ守護騎士ガーディアン・ナイトじゃからな!!」


 マリストリアは褒められて胸を反り返らせる。

 突然立ち上がったので木の皿と椀がひっくり返った。


「あわわ! なんと勿体ない!!」


 マリストリアが悲壮感を漂わせて皿と椀の前に跪いて項垂れる。


「行動を起こす前に周囲に注意を払う事が必要ですね」


 ヴァリスは溜息を吐きながら、自分の皿と椀をマリストリアに差し出した。


「良いのかや!?」

「ええ。私は味見などをして少し食べましたから大丈夫です」


 マリストリアは再び笑顔になり、差し出された椀と皿を受け取った。


 見ればゴブリンは身じろぎを止め、こちらを観察するような目をしていた。



 食事を終え、野営の片付けをする。

 テントを畳み、食器はきれいな布で入念に拭く。

 片付けたモノから無限鞄ホールディング・バッグへ収納する。


「このゴブリンはどうするべきじゃ?」


 マリストリアはゴブリンを見下ろしながらヴァリスに問いかけた。


「ゴブリンは放っておくと際限なく増えます。

 始末していった方がいいかもしれません。

 こちらの言葉が理解できれば、何か情報を聞き出せると思ったのですが……」


 ヴァリスにゴブリンへ掛ける慈悲はなかった。

 彼の故郷であるダークエルフの村は、度々ゴブリンに襲撃を受けているため、ゴブリンという種族は敵としか見られない。


「マツゴブ……」

「何じゃ? 何か喋っておるのじゃ」

「オデ……スコシダケ、ヒトノコトバ、ワカル」


 マリストリアは「おー」と少しビックリした。

 だが、ヴァリスは眉間の皺が少し深くなる。


「我々の言葉が解るなら何故黙っていた?」

「解ラナイ振リヲシテイレバ、逃シテクレルカト思ッタ」


 ヴァリスは納得の色は見せなかったが、マリストリアは「なるほどのう」と頷く。


「我らを襲った経緯を聞いておこうかの。

 何故、我らを襲ったのじゃ?」


「明日、エルフノ村ヲ襲ウ。オデラ、偵察」


 ゴブリンからの情報にヴァリスは衝撃を受ける。


「エルフの村を襲うだって……?」


 この付近でエルフの村と言えば、自分の故郷である村しかない。

 ヴァリスは自分の村がある方向に目を向ける。


「何じゃと……そんな事、我は許さんぞ?」


 マリストリアがジロリと睨むとゴブリンはビクリと身体を揺らす。


「ドラゴンノ……庇護下ニアルト知ラナカッタ……」


 このゴブリンは何か勘違いしているようだが、ヴァリスもマリストリアも否定はしない。

 ヴァリスにとってはドラゴンの庇護下にある村という情報が広まれば、彼の故郷はかなり安全な村になるし、マリストリア自身は村を守る気満々なのだから嘘とは思ってない。


「ならば解き放ってやるから、巣に戻って庇護下の村だと触れ回るといい」


 ヴァリスがそう言うと、マリストリアはポンと手を打った。


「なるほど。そうしてやれば、無駄な争いは避けられるのう。流石はヴァリスじゃな」

「い、いえ。マリストリア様の威光を笠に着るような手段で申し訳ないと思うだけです」

「良い。我が守ってやろうぞ。我は守護騎士ガーディアン・ナイトじゃからな!」


 ヴァリスはゴブリンの縄を切ってやる。

 ゴブリンは縄で鬱血した手首を擦りながら立ち上がった。


「逃ゲテイイノカ?」

「構わぬ。さっさと去ぬがよい」

「助ケテクレタ礼、スデニ襲撃隊ハ村ニ向カッテイル。助ケルナラ急グ」


 ゴブリンはそれだけ言うと、脱兎のごとく走り去った。


「大変です……。ゴブリンの襲撃隊はもう村を襲っているかも知れません……」

「よし。出発の準備はできておる。今から走って向かうのじゃ!」

「でも……」

「でもではない。アヤツの走っていった方向を考えるのじゃ。村はあちらであろうが」


 それに、あのゴブリンは自分たちを偵察隊だと言った。

 きっと夜の内に偵察して早朝出発する襲撃隊と合流するはずだったに違いない。


 このくらいの状況判断は我にも出来るのじゃぞ。


 ゴブリンの偵察が自分たちに近づいてきた方向は北、ゴブリンが逃げ去った方向は西北西。

 そういった状況を考えれば、ゴブリンの巣から出発した襲撃隊の進路の南側に自分たちが野営していたのは判断できる。

 朝に出発した襲撃隊は、まだ村まで到達していない。


 我はそう思うのじゃ。


 マリストリアのステータスを見ることができれば「戦術」というスキルが手に入っていた事が判っただろうが、それは望むべくもない。


「解りました。早急に私の村へ行く事にしましょう」

「走ったらどのくらいで着くかや?」

「今から走って……夕方くらいでしょうか?」

「ふむ……今日は大変な一日になりそうじゃな!」


 大変と言うマリストリアだが顔は笑顔だ。

 そんなマリストリアを見て、ヴァリスは苦笑するしかない。


「では急ぎましょう。私に付いてきてください」

「了解じゃ!」


 ヴァリスは走り出し、マリストリアは必死にその背を追う。


 一〇分後、マリストリアは走って向かうと言った事を後悔しはじめた。


「ハァハァ……」


 森の中を進むエルフの速度は尋常な早さではなかった。

 マリストリアを気遣って全速力というわけではないと思うが、それでも彼女の全速力と同程度なのだ。


 くっ! 気を抜いたら置いていかれてしまうのじゃ! 我は負けぬ!


 既に自分との戦いになっているマリストリアである。



 三時間が経過した頃、マリストリアは既に息も絶え絶えの状態に陥っていた。

 目が霞み、心臓と肺は破裂しそうだ。


 一瞬もヴァリスから目を離さなかったのだが、もうヴァリスの背が見えなくなってしまった。


 それでもマリストリアは必死に走る。


 更に一〇分ほどフラフラと走っていた時だ。前から水の流れる音がした。


 マリストリアは最後の気力を振り絞って、前方に広がる藪を掻き分ける。


 やっと深い藪を抜けた眼前に、水のせせらぎが見えた。


「おお……川じゃ……」


 そこは幅三メートルほどの流れの緩やかな川だった。


 マリストリアはガクリと膝が折れ、四つん這いになってしまう。

 ハァハァと洗い息を必死に整えようと大きく息を吸い込む。


「ケホケホ……」


 あまりにも大きく息を吸い込んだせいで咽る。


 だが、マリストリアはそんな事はお構いなしに四つん這いのまま川に近づいて頭を水の中に突っ込んだ。

 そして直ぐにガバッと顔をあげ、上半身を立て直す。


「ハァハァ……ヴァリスはどこじゃ……?」


 周囲を見渡してもヴァリスの姿は見えない。


「仕方ないのう。じゃが、今は水を飲むのじゃ」


 小さい手で水を掬い口に運ぶ。

 思ったように水が飲めないので、無限鞄ホールディング・バッグから木の椀を取り出して水を掬って飲む。


「ハァ~。生き返るのう」


 更に小樽を全部出し、一つずつ沈めて水を補給する。


「これで何日か大丈夫じゃろう」


 マリストリアはもう一度周囲を見回す。


 ヴァリスの姿はやはりない。

 しかし、別のものが目に飛び込んできた。


 それは黄色い毛皮を着た小さい生き物だった。

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