第28話 ホットケーキと『一人ぼっちの少女と秘密のお花畑』.2
オルバスは店内に入ると、外の庭に咲いていた美しい花と同じ色合いの髪をした少女に案内されて手近なカウンター席に腰を落ち着かせた。
ほどなくして再び訪れた少女が置いていってくれた無料だというお冷は柑橘系のサッパリとした風味が歩き通しで疲労の溜まった体に優しい染み渡り、生き返ったかのような気持ちになる。
カウンターに置かれた花瓶には庭に咲いていた花が生けられていて、その可愛らしい花弁に、心が和やかな気持ちになってくる。
注文を決めたら、あの花の名前を訊いてみようと内心でそう決めて、オルバスはメニューに目を通した。
そこには長年暮らしていた王都のレストランでも見たことのない珍しい料理が大量に記載されており、オルバスはこの店は当たりだと確信した。
「ほほう、この料理も食べてみたいし、こちらの料理も捨てがたい。どうしたものか……」
肉料理や魚料理も充実していて、目移りしてしまって仕方がない。
ええい、何ともままならんもんじゃな。
贅沢な悩みなど思いながら頭を悩ませていると、鼻腔に甘い果実の芳醇な香りが漂ってきて、思わず鼻をひくつかせる。
これは……林檎かのう。それもかなり甘みが強い。
オルバスが香りの発生源はどこかと辺りをキョロキョロと見渡すと、背後のテーブル席に座っている3人の少女達が仲良くパイを頬張っている最中だった。
「どうかしら、ミーナ。アップルパイってとっても美味しいでしょう?」
「は、はい。林檎は家でも食べますけど、こんなに美味しい林檎は初めてです」
「う~ん、普段の食事ならデミグラスハンバーグが最高だけど、デザートだとこのアップルパイに軍配が上がるかなあ」
「マ、マスターのプリンアラモードも最高なんですよ。魔法のデザートなんです!」
どうやら友人同士らしい少女達は、林檎が入っているらしいパイを栗色の髪の少女(同じ色合いをした髪の少女は2人いるが、どこかオドオドとした印象を受ける少女の方ではない少女)が自分のお気に入りの料理を友人達にご馳走しているようで、友人達が満足そうにパイを口に運ぶ姿を自慢げに見詰めていた。
「ふむ、パイか。そういえば、久しく甘い物を口にしておらんのう」
オルバスは背後の可愛らしいお客さん達に向けていた微笑ましいものを見る視線をメニューに戻し、記載された文字に再び視線を這わせる。
(甘い物、甘い物はないかのう)
実はオルバスは大の甘党で、
しかしながら、過度に甘い物を摂取する生活を続けていたせいで虫歯になることも多く、治療でとんでもなく痛い思いをすることもしばしばあった為、ここしばらくは甘味を自粛していた。
だが、このような穴場のレストランにまでその禁を守り続けるというのは些か頭が固すぎるのではないかと、自分に都合に良い解釈を頭の中で行うと、ふと目に留まったとある料理が気になり、それを注文してみることにした。
カウンターに置かれたベルを鳴らすと、何やら店の奥に置かれた本棚の整理をしていた給仕の少女がすかさず注文を聞きに訪れてくれた。
「お待たせ致しました。ご注文はお決まりでしょうか?」
「ホットケーキという物を頼みたいのじゃが、よろしいかのう?」
「ホットケーキですね。かしこまりました」
メニューに書かれていた説明書きではふんわりモチモチとした食感と、魔法のように自由に味を変化させて楽しむことも出来る円形のケーキといった解説が書かれており、亡き妻が生前お菓子作りに凝っていた時期があったことを思い出した。
特に妻が熱心に作っていたのはケーキで、レシピ通りに作ろうとしても昔から不器用な彼女の作るケーキは生焼けだったり焦げていたりで、ついぞ完璧なケーキを食べさせてもらうことは出来なかったが、『絶対にアンタに美味いって言わせてやるから、覚悟しときなよ!』と、何十年経っても口の悪い幼馴染の女性の啖呵にどこか楽しさを感じた昔の日々が胸に蘇ってきたのだ。
彼女の作ってくれる焦げの苦みや生焼けの生地のドロっとした個性的なケーキはもう食べられないが、妻がのめり込んでいたケーキを食べれば、ほんの少しかもしれないが、妻なら一目で大喜びするであろう美しい花に彩られたこの店で一緒に食事を楽しんでいるような感傷に浸れるのではないかという打算的な思惑が働いたのだ。
「それでは、ご用意致しますので少々お待ちくださいませ」
「うむ、何卒よろしく頼む。あっ、それからつかぬことを尋ねるが、この美しい花の名前を教えてもらえんかのう?」
「そのお花はサクラという名前です」
「ほう、サクラというのかこの花は」
「あまりこの辺りには咲いていないお花なので珍しいですよね。このお花は多分、このお店でだけ咲いているとても貴重な物なんです」
「ほほう、それはまた随分と希少な物のようじゃのう。儂は大学で教鞭を振るってはおるが、こういった植物にはあまり造詣が深くなくてのう。いやあ、良い物を見せてもらったと思って、ついつい気になってしまってのう。
仕事の手を止めてしまってすまんかったのう」
「いえいえ、私もサクラの花はとってもお気に入りの花なので、興味を持って頂けるととても嬉しいです」
「この店は偶然見つけたんじゃが、料理にしろ庭の花にしろこんなにも珍しい物が詰まった店は初めてじゃわい」
「ふふふっ、珍しいのはお料理やお花だけではないんですよ。実は当店ではあちらの本棚にある……」
どこか茶目っ気のある給仕の少女に、この店にしかない世界に一つだけの物語が詰まった本棚のことを教えてもらったオルバスは、ますますこの店が気に入り、年甲斐もなくスキップをしてしまいそうになる両足に注意しながら本棚に吸い込まれるように一目散に向かっていた。
無数の物語が所狭しと収められた書架を見上げながら、オルバスは本の背表紙に指を伸ばしてゆっくりと撫でる。
かつてはただの読書好きだった少年で、今やラクーシャ王国を代表する文学史・古代歴史学研究の権威にまで上り詰めた老人は、久方ぶりに研究資料以外の本を楽しむことが出来ることに高揚しながら、ホットケーキが焼き上がるまで夢の時間に浸らせてくれる一冊を探し続けるのだった。
異世界読書レストラン「サクラ亭」へようこそ~サクラ舞い散る秘密のお店~ 九条 結弦 @sm8th2
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