歌が切り拓いていく幻想の風景

 不思議ななんらかの病、その『夜を吐く』という症状に悩まされる少女の、成長と冒険の物語。
 鮮烈な感性で世界を切り取ったような、独特の設定が美しい現代ファンタジーです。例えば「童話」「お伽話」という語のイメージほどには柔らかくはないものの、でも幻想的で繊細な画(風景)の放つ魅力が素敵です。なにより好きなのはその一番の魅力をしっかり冒頭に持ってきているところで、おかげでいきなり心を鷲掴みにされました。早い段階でこちらを惹きつけにくる、そういう物語は間違いなくいい物語です。
 冒頭、『夜を吐く少女』という、とても幻想的であると同時にインパクトの強い場面。この時点でもう最高というか、これが好きにならないはずがない……なにがすごいって絵面が完全に詩や絵本の世界なのに、『吐く』という行為そのものはまったくファンタジーのかけらもないんです。
 胃や食道は焼かれるように荒れてヒリヒリと痛み、さらに事後には重い自責と自己嫌悪の念に苛まれる。実際、これは悪夢(正確には悪魔)から逃れるために自ら意図的に行なっていることで、しかも本来は医者に止められている(らしい)行為。とどのつまりはある種の自傷であると、その手触りというか立て付けが本当に生々しいのがすごい。
 実のところ、この世界の現象や物理法則は確かにファンタジーなのですが、でもそれ以外(という言い方もおかしいのですけれど)の部分はかなり現実しているんです。主人公の抱えた苦しみや、これまでに負ってきた様々な傷。例えば単純に「吐けば苦しい」という現実もそうですし、他にも学校での苦労や家族との不和なんかは、本当にそのまま現代に生きるわたしたちとぴったり同じものなんです。この感覚、現実の部分はかなり現代のそれを色濃く残したままに、でも強めの非現実が同時に共存しているところ。独特なだけでなく実に不思議で、なんだか癖になるような心地よさがあります。
 ストーリーはある種の王道に近い、素直で真っ直ぐな冒険と成長の物語です。過去を受け止め乗り越えるお話であり、また大事な人との巡り合いの物語。マーニさんの存在自体も好きなのですが、ふたりの関係性というか結びつきが好きです。ただ与える/与えられるだけでなく、与え合う関係のような。
 最後に一点、この作品を語る上で絶対に外せない特色として、『歌』の美しさというのがあるのですが、でもこれはもう言及を諦めます。だって「本文を見て」以外に説明のしようがない……総じて、幻想的な画と歌声の美しさが際立つ、でもその一方で現実の皮膚感覚も保った、独特な手触りのファンタジーでした。柔らかく包み込むような不思議の感覚が好きです。