2.粟生

「また見られてるな」


「俺に何か用なのかよ」


「さぁ?」


 ある日を境に、友人達との待ち合わせ場所の正面に立っているマンションから女に見つめられるようになった。


 毎日、毎日ジっと俺のことをただひたすらに見つめている。


 用事のない時、数分だけ立っていても俺のことを見つけ、澄んだような瞳で俺のことをジっと見つめてくる。


 名前も、顔も知らない女から。


「いいよな~あんな美人から見つめられて」


 マンションから見える女の顔立ちは、世間的には良いと言われる方だった。


「じゃあ、変われよ」


「嫌」


「ふざけんな」


 熱い視線だと思えれば、冷たくなる。


 どこか悲しげな表情でいつも見てくるその視線はいつも、俺の心のどこかに残り揺さぶっていた。




「はぁ」


 友人達に頼み、待ち合わせ場所を変更してもらった。


 あの女からの視線から、少しの間離れることに決めたのだ。


 名前も知らない女から見られてストレスを感じたのか? それとも女からの視線が気持ち悪くなったのか?


 理由が明確にならないまま、あの場所から離れて一週間が経過した。


「なぁ粟生。あの待ち合わせ場所行かないのか?」


「ちょっと、な」


 最近絡みがなかった友人は待ち合わせ場所を変更してもらったことを知らなかったようだ。


 すると驚いたような顔をして。


「もしかしてあの美人から見つめられなくなったのか!?」


「違げぇよ」


 今日ではあの視線から離れて丁度一週間。


 友人からの話もあって、あの視線が少し恋しくなった。


 何故だろう。


 ストレスを感じていたんじゃないのか? 気持ち悪くなったんじゃないのか?


 あれは、結局なんなんだ。


 理由を明確にするために、真相を知るために俺はあのマンションの正面にあるいつもの待ち合わせだった場所へ行った。


「……」


 数分。


 数十分。


 数時間。


 どれだけ待っても、あの視線が俺に向けられることはなかった。


「んだよ」


 俺のことは暇つぶしだったのかよ。


 あの女に心底がっかりした俺はさっさとその場所から離れた。


「粟生、粟生!!」


「何だよ」


 あの待ち合わせ場所へ行く前に別れたはずの友人が汗を掻き、焦った様子で俺の方へ走ってきた。


「これ見ろよ!」


 その友人が手に持っていたのは一枚の新聞。


「んなのどこで拾ったんだよ」


「貰ったんだよ!」


 呆れながら持っていた新聞を借り、広げた。


「ここ、ここ見ろよ!」


「は?」


 そこには綺麗な女が載っていた。


 その女はあの見つめてくる女と似ているような気がした。


朝霧水鳥あさぎりみどり。最近判明した奇病を患っていたらしくて、三日前にって」


「死ん、だ?」


「そうだ」


 たしかに、この新聞に載っている女はあの女を似ている。


 でも、俺とその女との死に何の関係が……。


「この朝霧水鳥は奇病が結構進行してたらしくて治療薬もなくて長年苦しんでたらしい。病名が何かは載ってないけど病気の詳細は書いてある。ほら、ここ」


 新聞にはこう書かれていた。


「“この奇病は何かを見つめないと進行が早まると言う病気で進行させないためには気になる人か好きな人を見つめる”」


「もしかしたら、お前を見つめていた視線は“好き”って視線だったのかもしれねぇな」


 俺は絶句してしまった。


「お前があの場所を避けたことで、見つめられることを避けたことで見つめる先を失い病気が進行して死んだんだ」


 この話を聞いて、驚きと何か、もう一つ感情がある。


 これは何だ?


「ここからは俺の勝手な想像だけどさお前、朝霧水鳥がだったんじゃねぇか?」


「は?」


「粟生はさ、見つめられるのが嫌いだっただろ? 女からも男からも」


「あぁ」


「なのにさ、あんなに見つめられてても睨んだり文句も言わねぇ。挙句あの場所に結構いたのに俺、結構驚いたんだ」


「まさか……」


「そのまさかだな。お前はあの視線が、朝霧水鳥がだったんだ」


 何だ、あの感情はそれだったんだ。


 “好き”


 気づくにはちょっと、いや。相当遅い。


「俺、初恋と同時に失恋したわ」


「ははっ。大丈夫だって」



 この世には男と女だけしかいないからさ。



 友人の口から出た言葉はどこかで耳にしたことのある言葉だった。


 誰に聞いた、いつ聞いた、どこで聞いた。


 何も覚えていないのにどこか、懐かしくて温かい言葉だった。


「朝霧、水鳥……」


 心に棘が刺さったかのように、名前を繰り返すと痛む胸。


「粟生?」


「あぁ、なんでもねぇよ」


 あの頃はよく分からなかった、あの熱いくて冷たい、悲しそうな表情をしている朝霧水鳥からの視線がほしい。


 もう一度、あの女からの視線を感じたい。


「!」


 すると、ジっと俺を見つめている視線を感じた。


「椎名、粟生さん」


 少し透けている彼女からはあの時の冷たさは一切なく、熱く、とても熱いし視線だけが残っていた。


「バカだよな俺。俺が悪かったよ」


 俺は彼女に向けて手を伸ばした。


 彼女、水鳥の目からは雫が零れ、地面にぱたりと落ちた。


「今、そっちに行くよ」


 俺はいつからか、彼女から向けられる視線に依存していたのかもしれない。


 離れることで依存性が増し、新しい感情に気づけた。


「っはは。罪な女だな」


 最後に見えたのは、彼女と美しい海だった。




「粟生くん!」


 今ではそう呼ぶ彼女がい愛おしくて仕方がない。

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鏡花水月 田中ソラ @TanakaSora

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