シェイプ・オブ・マイ・ワイフ

つくお

シェイプ・オブ・マイ・ワイフ

 男はよその部署から回ってくる書類に一枚一枚判を押しながら、ぼんやり別のことを考えていた。

「これ、抜けてます」

 後輩の女が脇から不躾に書類を一枚差し込んできた。ここ、と長く尖った爪でデスクに穴を穿たんばかりに突く。相変わらずいやな女だと思いながら黙って判を押し、一息入れようと休憩所に向かった。

 今朝からそわそわして仕事が手につかなかった。原因は自分でもよく分かっていた。妻のせいだ。昨夜、妻が男に黙って下の毛を処理していたことが発覚したのだ。たまたま風呂上がりの妻が下着をつけるところに出くわしたため分かったのだった。

「何見てんのよ」

 男が問いただそうとすると、妻は悪びれもせずに行ってしまった。男の頭には疑問が渦巻いたが、その場を逃すと再び話を切り出すことは難しかった。

 前回その部分を見たときにはそんな風にはなっていなかった。いつも通り、そこは手つかずの藪だったはずだ。それがなぜ、あんな……。男はもう一度よく確かめたかった。

 どう切り出せばいいのか分からないまま、結局寝込みを襲うこととなった。妻は悪魔のように目を覚ますと男の顎に膝蹴りを食らわせ、「死ね!」と一喝してものの一秒でツタンカーメンのような完璧な眠りに戻った。それが昨夜の出来事だった。男は妻と八ヶ月もご無沙汰だった。

 休憩所でスマホを開くと、すももからメッセージが来ていた。マッチングアプリで知り合った三十過ぎの女だ。慎重なのか会う気がないのか、もう二ヶ月も日常を報告するだけのメッセージのやりとりが続いていた。今の男にはそれくらいの距離感がむしろ心安らぐということは否定できなかったが、もしかしたら既婚者なのかもしれなかった。

 平日休みのすももは、ランチ代わりに食べた山盛りフルーツパフェがめちゃうまかったと言ってきていた。この女も――男は唐突に思った――下の毛を処理しているのだろうか。こいつはそういう女に違いない。そうとも知らず二ヶ月もくだらないやりとりをさせられていたのか。くそ。見せろ。触らせろ。

 会いませんか? 男はパフェのことはスルーしてそうメッセージを送った。どうせ他の男とは会ってやりまくっているのだ。そう考えると、ふつふつと怒りが沸いてきた。

 返信を待っていると、まもなくスマホがぶるった。妻だった。妻はときどきこのような野生の勘を働かせることがあるのだ。油断も隙もなかった。妻は実家から送られてきた野菜で鍋にするから帰りにポン酢を買ってこいと言ってきた。いくら待ってもすももから返信はなかった。

 デスクに戻ると書類が一枚戻されてきていた。またしても判子が抜けていたのだ。オフィスの反対側で、後輩のいやな女が「――処理が――」と言うのが耳に入った。男がちら見すると、女も見返してきた。こちらを見下げ果てたような目つきだった。男は、この女こそあそこを処理しているに違いないと思い、抑えがたい劣情に身を焦がした。脱げ、上も下も、全部。ストッキングはそのままで。

 退勤の時間になってもすももから返信はなかった。男は妻に言われた通り、スーパーでポン酢を買って帰った。すれ違う女たちの誰もが、下の毛を処理しているように思えた。一度など、ちょっと下卑た感じのスーパーのレジ係に「してますよね?」と言いそうになったほどだった。女たちの股間に熱のこもった視線を向けていると不快感も露に睨み返されたが、男は頓着しなかった。それくらい頭がいっぱいだった。

 白菜と春菊がたっぷりの蟹鍋だった。男は妻が小皿が足りないだの、卵を落とそうだのと言って席を立つたびにちらちらと股間に目をやった。こいつはなぜあんなことをしたのか。あそこの毛を、あんな……。

 男は箸で春菊を摘まんだままじっと考え込んだ。昨夜ちらりと見た妻のあそこはつるつるになっていたわけではなかった。何かの形に整えられていたのだ。そう、あれは多分、スペードの形。

 男は下の毛がスペードの形に整えられた妻の下半身を思い描き、気づくと春菊をぺろぺろ舐めていた。

「ちょっと! 垂れてるし」

 妻が汚いものを見るように疎ましげに言った。想像に入り込みすぎて、春菊を妻のあそこだと思ってしまったのだ。言われてみれば味が違った。

 世間知らずの男だった。もしかしたら自分の知らないところであそこの毛を何かの形に整えるのが流行っているのかもしれない。スペードに、あるいはダイヤに、クローバーに、もしかしたらハートに。

 男は下の毛をトランプのマークに整えた女たちを裸でうつ伏せにして寝かせ、ひっくり返して絵合わせをしたいと強く思った。想像していると股間が勝手に膨らんできた。男は妻をまっすぐ見つめて軽く頷きかけた。夫婦の間だけで通じる、まぐわいの誘いかけだった。妻はほじくりだした蟹を食べようと口を開けたところで一瞬固まり、ふんと鼻息を吹いて提案を一蹴した。

 食後、男は食器を片付ける妻にすがり付くようにして挑みかかった。あえなく背中を踏みつけにされ、食器洗いを命じられた。

 その夜、湯船でぼんやり天井の水滴を見つめていた男は、ふと自分の下の毛を処理してみることを思いついた。妻がやっているのだから自分もやって何が悪い? 男は何かの形に整えるかどうか迷った挙げ句、すべて剃ってしまった。子供みたいにつるつるだった。風呂上がりに鏡で見てみると情けなくて涙が出た。こんな頼りない気分になったのは大人になって以来初めてだった。

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