それらは幾何学模様の蝶の死
鍍金 紫陽花(めっき あじさい)
第1話
気晴らしにパブリックへジョインしてみる。ネームタグは白や青が目立って、黄色の顔見知りなんて歩いていなかった。血の気の引いたような青い空に、巨大なロボットがビームを放って、他者のパソコンに負荷を与える。迷惑行動のユーザーをブロックしながら、後から来る友達とリスポーン地点で地べたに座った。
「オミオミ、パブリック来ていいの?」
「大丈夫すぎて大丈夫」
「ほんとー?」
フレンドのアジクを誘ってよかった。気のいい友達と一緒なら余計な考えにとらわれなくて済む。一人だと魔窟のパブリックで心をへし折られていたかもしれない。
彼は購入したばかりのアバターを自撮りしながら、俺に質問してくる。
「カオスさが苦手なのかと思ってた」
「まあ、それも苦手だけどな」
一週間はフレンドオンリーばかりジョインして閉じた世界に引きこもっていた。友達との会話は時間を溶かすほど楽しい。VRを外したら、外の道路にコンビニのトラックが運転していて驚くほどだ。でも、今は友達といても似たような話題をずっと繰り返すばかりで退屈だった。
神社の鳥居を潜り抜けて、左手に移動する。そこは鏡が設置され、いろんなユーザーが自分のアバターを眺めながら会話していた。
「hello」
「Do you speak English?」
軍服を着た幼稚園児が渋い声で話している。相手はデリケートゾーンだけ隠しているピンク髪の女性だった。英語だから何を話しているのか聞き取れない。アジクは話題が気になるのか目線を送っていた。英語ぐらい話せるようになりたい。
「オミ、あれすごいよ」
俺は指さされたほうを向く。二階建ての縁側で蝶の羽を生やしたアバターがいた。水着からタトゥーがはみ出ており、翅が特に目立っている。模様は右斜め上にアヘ顔の女たちがスライドしていた。
『君は僕のことなんて忘れるんだろうけどね』
「似合っていない」
「どうしたの?」
「いや……」
AFKにして、ヘッドセットを外す。目頭をこすりながら、彼の声が脳内で反射する。
俺は翅の作成者を知っている。彼の想像した模様は高潔で純粋だった。
ツイッターに手を伸ばし、彼のアカウントを検索する。既に存在していないと無慈悲に表示される。
『君は覚えてないだろうけれど、僕は……』
なぜ気を抜いた。もう居ないだろうと安く見積もって、嫌なことを思い出してしまう。
△
ゴールネットの上を巨大なボールが滑っていく。そのまま白線に落ちて跳ね上がる。
「しねーっ!」
「あははーっ。口悪い」
いーちゃんの改変アバターが足を高らかに上げて蹴っ飛ばした。そのスカートから黒色のインナーパンツが覗いている。俺は当初の目的を忘れて、俺と同じアバターの姿を追っていた。
「試合おわたーっ。おー、オミじゃん」
「そうだ。お前に会いに来たんだ」
「何だよそれ」
皆が試合終了した興奮から感想を言い合っている。友達も気持ちの高ぶりを抑えきれず、未プレイな俺に説き伏せていた。
「一試合なげえんだよ」
「うるせー。オマエもやれよ。デスクトップでもできるから」
「VRに負けるだけだからやりたくねーっ」
素通りする同じアバターの男性。話しかけるなら今しかなかった。
「それいーちゃんだよね」
振り向いた彼は画面越しでもわかるほどうなずいていた。
「あっ、君もいーちゃんだ!」
「俺はオミナエシ」
「僕はggを二つ打ってジーツ」
「変わった名前だな」
彼は手のひらを自分の口元に持ってきて、口角が上がる様子を隠そうとした。滑らかに動く指に金持ちという文字が頭に浮かぶ。
「僕の好きな絵師がリツイート順番で名前を付けてて、僕が一番だったんだ!」
「俺、ジーツちゃんとあったばかりだけど分かった、オタクだな?」
茶化すと場が和んだ。高揚した彼も釣られてのけ反らせていた。心の中で拳を握る。自分が作った空気を十分に噛み締めた。
「オミナエシさんもやりましょうよ! 俺とグループなら勝てますよ!」
VRでプレイしていたら目線に気づかれたかもしれない。大胆に開かれた胸元を意識してしまう。
「ちょっとなら」
彼の発言通り、俺とジーツは勝利を収めた。生命力にあふれた彼に、どこか救われる思いがあった。見ているだけで清々しかった。
二時間も試合を続けた。ジーツのマイクはペットボトルを閉める音を拾っている。
「どう、楽しかったでしょ?」
「ジーツちゃんは何でも夢中になれるんだね」
「まあ、私ですからね!」
「なにそれ」
カメラ音が頭上で響く。透明な円形のカメラが空中に設置されていた。
「オミナエシさん。アカウントを教えてください」
「え? ああ、写真ね」
「そう、写真です」
それ以降、俺は彼と交流していなかった。残ったのは一枚の写真と近況を報告されるツイッターのアカウントだけ。そのジーツはアカウント上でイラストを描いていた。不規則性をあえて残しているような歪な美しさを纏っている。流行りのキャラ絵は一枚も触れず、囚われたように模様が描かれていた。俺はあの模様にどの思いを込めているのか興味をひかれるが、聞くことはない。それ以来、話す機会に恵まれなかった。友達にジョインして、彼がいても話す話題がない。ただ、彼の呟きを「いいね」するだけの日々。その間に彼は『パートナー』を作りお砂糖報告をつぶやくようになっていき、このゲームに染まっていった。
ある日、彼は俺にインバイトを送ってきた。ゲーム上で交流をしていない。ツイッターは俺が一方的なお気に入り登録しているだけだ。何の用事だろうと首を傾げつつ、彼のもとへ向かった。
「どうしたの」
男性にしては甲高い声を持っているものの、今日は発揮されなかった。
「アバター作ったんだ」
「え、すごい!」
どうして俺に見せるのだろう。その質問は胸にしまう。ジーツはアバターを制作していたようだ。一からの作成は、手を叩けば出てくるといった簡単なものじゃない。
「見ててね」
彼の頭上でローディングのパーセンテージがたまっていく。やがて、公開されたアバターがパソコンに表示される。
「おおっ」
お世辞にも可愛いといえなかった。顔は誰かの模倣品で、髪の形も風に吹かれてるような不自然さが残っている。処女作は必ず下手を含んでしまう。それを踏まえつつも、俺はアバターの背後に目を奪われた。
「羽……」
彼の背中には蝶のはねが美しく広まっていた。宇宙のように蒼く、運動場の白線みたいに白い線が点在している。その点在が俺の認知できない規則性でつながっている。幾何学模様が蝶の器からはみ出ようとしてた。何かに渇望するようにおぞましい佇まい。これを魅力と呼ぶのだろう。迫力がつばを飲み込ませる。
「えへへ。どう?」
「きれいだ……」
粘土でこねた様な頬が吊り上がる。美しい羽が存在感を表し、今のワールドにある天使のはしごも霞んだ。
「ありがとう。ありがとう」
画面越しの彼は表情を崩さないままで、声が震えていた。アバターとリアルの乖離が心を揺さぶった。距離を縮めて、大丈夫かと進む。動けない手がもどかしい。
「君は覚えてないだろうけど、僕はこのアカウントより前に出会っているんだ」
アバターを配布アバターに変更し、普段のアニメキャラクターに収まった。
「前のアカウントではチート疑いで荒らされたことがあって、オンラインゲームをやめたけど。以前のゲームはボイチャなかったからわからないか」
ゲームをいろんな場所で渡り歩いてきた。俺は引きこもりだから時間だけはある。その都度、流行したゲームを滞在してきた。共通しているのはツイッターのアカウントだけ。これ以外は変えてきた。彼はそこからたどったのだろうか。
「パートナーが創作界隈の人でね。作り方を教わったんだ。君に見てほしかった。あの時、インサーだった君に」
「俺は別に人気者じゃない」
「フォロワー千人いるのは人気者だよ」
パートナーの属するグループに自身の過去を知る人間がいたこと。そこで、自分の過去を暴かれてしまったこと。パートナーが属する多数派に所属して、ジーツを蔑ろにしていることを話した。
「疑いがあるなら晴らせよ」
「僕はもう疲れた。ただ休むのも嫌だったから模様を好きに描いたんだ。自分の趣味が報われてよかったよ」
「何で疲れたとか。お前チートやってたのかよ」
「やるわけないじゃん。人を疲れさせるだけだから」
彼の腕がスライドしている。おそらくログインしているフレンドを探している動作だ。
「君は僕のことなんて忘れるだろうけどね。君みたいな人が周りに居るのが当たり前の人に、知っていてほしかったのかも。すぐに病んで迷惑かけるクズみたいな僕を」
その二日後、彼はアカウントを消した。ツイッターではしばらくお砂糖報告を止めることなかった。彼の呟きにいいねがついていき、その何人が彼の心を知っているのか問いただしたくなった。消える直前まで病みツイートを流していた。周りの人間は消えると思っていなかったかもしれない。ただ俺は結末の知る彼を止める勇気がなかった。アバターの奥にある悲劇のにおいに鼻をふさいでしまった。彼を背負いきれなかったからだ。
▽
彼が消えてから数か月後。彼の描いた蝶の翅が配布アバターのワールドで見受けられるようになった。彼の羽は他者の承認欲求の指で根元から毟られて、模様をやすりがけみたいに剥がされる。形だけ残されて、奪った彼らの淫乱な色が注がれていく。確信して、彼はアバターを無断で剥製されたと踏んだ。俺はそれからパブリックが苦手になった。彼の落ちた姿を見せつけられる気がしたから。いや、俺が寄り添えば変わったかもしれないんだと教えられている気がするからだ。
「オミオミー?」
ヘッドセットを装着し、幻想にこたえる。画面の周りにはフレンドがジョインしてきた。彼らはアジクと一緒に普段通りの団欒を続けている。俺の周りにはいつもの光景、いや壁ができていた。
「帰ってきた」
「長いトイレだなー」
友達は仕事の愚痴を話したり、コロナで遊びに行けないと不満を垂れていく。その中で俺は先ほどの羽に気を取られていた。
「おおっ、ジャパニーズ!」
先ほどのアヘ顔アバターが俺たちの眼下に現れる。友達はその奇怪な翅に指をさしていた。日常の刺激物としてこれほどない。
「ゆーふろーむ?」
「あー、ドイツ。日本人がここにいるの。めずらしい。あえて、うれしい!」
その翅は微小に揺らめきながらアヘ顔を下から上へスクロールされている。友好的な外国人が日本人は好きだ。彼の相手をしようと俺の周りから人が去っていく。淫乱な言葉や失礼に当たる言葉をわざと教えようとしていた。アジクと俺だけが距離を保っている。
「アジク。はねって漢字あるよな」
「ああ、鳥とか虫のやつだよな」
「昆虫には翼とかの羽以外に、支える羽で翅って漢字って書き方もできるらしいんだよ」
「へー、日本語って難しいね」
「俺がここで日本語の罵倒を言っても、あの蝶々には届かないんだろうな」
「せいかくわるー」
俺は空に目を向けた。
俺はあれからVRを購入して、関係も少しずつ変わった。彼の望んだような度量は持てていない。だからこそ、俺は彼がこのゲームから、つぶされそうで繊細な翅で飛び立ったのだろうと思っていたい。
それらは幾何学模様の蝶の死 鍍金 紫陽花(めっき あじさい) @kirokuyou
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