盗み読み

綾波 宗水

Alteregoism

 高校三年の秋。僕の通う高校で新たな取り組みが今始まろうとしている。

 その名も「朝の読書タイム」

 聞くところによると、多くの学校では既に行われているらしく、進学率が年々高まってゆく昨今、少しでも文章読解力を向上させようと学校側も躍起やっきになっているようだ。


 それを良しとしたのが、図書委員会。普段は閑散かんさんとしており、専用の自習室もあるので、図書室は滅多に使用されない。そのため、予算も少なく、貸出がなされないだけでなく、新たに書籍が入庫される事もまた滅多にない。


 だから、「読書の秋」と銘打って、貸出冊数も5冊に増やし、何とか来年度の予算を増加させんとして、告知された日から、「朝の読書タイム」が始まる今日まで、人件費がかからないのをよいことに、非常に熱心に宣伝に明け暮れていた。


 僕は読書が好きだ。むしろそれ以外にこれと言って趣味はないし、また興味もない。だから、友人は比較的少ない。

 卵が先か、ニワトリが先かという論争があるように、僕も読書にしか興味がないから友人が少ないのか、友人が少ないから読書に没頭するようになったのかは定かではない。


 そんな僕だが、他人の本棚や読んでいる本を観察するのが実は好きだったりする。

 よく、「本棚を見れば、その人となりが分かる」というが、まさにそういった心もちで、ある種、静謐せいひつなる人間観察とも言えるだろう。


 そんな僕の事だ、チャイムが鳴って、教科書ではなく、各々が選んできた多種多様な書籍を見るというこの状況は、少なからず興奮させるものでもあった。

 まるで覗きかストーカーかのように、教室の一番後ろの席から彼らの手元を舐めるように見渡す。


 だがしかし、そんな変態的な感情はすぐに興醒きょうざめとなった。


 大半がドラマ化・映画化した作品の原作や言わずと知れたベストセラーなど、その個性とも言うべき片鱗へんりんは見受けられず、「なるほど、これではいじめが無くならない訳だ」と改めて没個性さ・同調さを実感した。


 世間では「みんな違ってみんないい」と多様性をうたいつつも、実のところは他人に特別な興味を持たず、ただ漠然と過ごしているにすぎない事が露呈ろていされていた。


 もういいや、読書に集中しようと思い、目線を戻そうとした時、自然と僕は“彼”へと吸い寄せられた。


“彼”はクラス内はもちろん、学内全体で極めて優秀な成績をほこる秀才であり、生徒会長を務める人望と行動力を持ち、おまけに顔立ちもといった、まさに完璧人間。

“彼”は博識であるにも関わらず、読書の趣味は無かった。となると“彼”もまたクラスメイトと同じようにベストセラーか……


 そう思いつつも手元に目線をやると、“彼”の手には色あせた文庫本、おそらく古本と思われる書籍があった。


「朝の読書タイム」が始まって約5分。

 僕はページをめくっていないのが感ずかれてはいまいかと改めて辺りを見渡す。


 教師は読書をする訳でも、ましてや次の授業の用意をする訳でもなく、ただ椅子に腰かけ、グラウンドの状態を気にしていた。絵に描いたような体育教師である。


 これなら大丈夫と、もう一度“彼”を見る。その時、ようやく涼しさを感じさせてきた秋の風がひゅうと吹き、窓際に座る“彼”の持つ文庫本は勝手に次のページへと進められる。


 僕は思わず声が出そうになった。


“彼”の読んでいた本は、既に絶版、すなわち、書店ではもう手に入らぬ書籍であり、そして今まさに僕の手の中で微動だにしないこの小説だったのである。


 この小説は絶版という事実からも察せられるように、そこまで人気が出ることはなく、マイナーな本と言って差し支えない作品だった。

 仮に“彼”が読書家であれば、まだ同じマイナーな小説を読んでいる事への驚きを少ない。だがしかし、くどいようだが“彼”に読書趣味はないのであって、この状況が驚くに値するものであるのは間違いないのだ。


“彼”の細く長い指先は、古びたページを傷つくことのない繊細でゆったりとした調子でめくられ、紅葉した木々が立ち並ぶ窓外そうがいと一体化し、一つの絵画のように思えてくる。


 普段は裸眼で過ごす“彼”だが、授業中と同じように、胸ポケットにしまわれている銀縁の眼鏡をかけて読書に没入ぼつにゅうするその姿は、なんとも言えない存在感があった。


 僕は“彼”を見つめるのは一度中断し、ようやく本を読み始める。開始から約10分たち、「朝の読書タイム」は残り5分である。

「本棚を見ればその人となりが分かる」ように、「同じ本を読めば、その人の脳内を覗き込む事ができる」と僕は思う。

 僕はを持ってきた事を感謝しつつ、読み始める。“彼”とは違い、ねっとりと絡みつくように一文字一文字を堪能しながら。


“彼”もまだ読み始めて日が経っていないのだろう、案外早く彼の読んでいる箇所かしょまで追いついたかのように見える。

“彼”の思考と嗜好を一流レストランで出されるコース料理のようにじっくりと味わいつつ、どこか背徳的はいとくてきな読書を続ける。


 なぜ“彼”はこの本を手に取ったのだろう。

 どこの古本屋で買ったのだろうか。

 こういう小説が好きなのかな。

 この本が好みなら、あの作家の作品も気に入るかも。


 様々な想いが脳内を駆け巡り、高揚感は手の震えとなって否が応でも追体験するはめになった。


 そしてついに第一回目の「朝の読書タイム」は時間切れとなり、再び世界を喧騒けんそうが包み込む。5分もすれば授業が始まる事に対して皆、苛立ちをあらわにし、バッグから教科書とノートを出す音や、椅子がきしむ音、そして不平不満がこの狭い室内を跳梁跋扈ちょうりょうばっこする。


 そんな中、僕ら二人だけが、ただ静かに読書の余韻に浸っていた。厳密に言えば、読書自体の余韻に浸っていたのは“彼”だけだが。

 先ほどの光景を思い出し、またもや様々な想いに身を任せる。

“彼”はこの小説をどう思っているのだろう。読書という間接的方法で“彼”の心情をおもんぱかるだけでなく、直接覗いてみたいとさえ感じだした。


 それらが念思ねんしとなって具現化されたのか、またもや非日常的出来事が起こる。


「君もその本読んでるんだね」


「えっ!?」

 空想もとい妄想の世界に迷い込んでいた僕を現世に引っ張り出したのは、まぎれもなく“彼”の言葉だった。

「僕もその本を読んでいたんだよ。実際の評価とかは知らないけど、確か絶版だった気がするけど」

「そ、そうだね。凄い偶然だね」

 僕はなぜだか、自分で発したこの『偶然』という単語に違和感を覚えた。

 だけど、その違和感の正体はすぐに判明した。

「偶然か、確かにそうだね。でも、もしかすると運命かもしれないね」

 微笑みながら“彼”はそう言ったのを聞いた途端、僕は不思議と胸が熱くなった。

 僕は「この本は好き?」と愚鈍ぐどんな質問をした。

 すると“彼”は「好きだよ」と言った。


 あぁそうか、僕はこの言葉が聞きたかったのか。ではないと思っていたが、自分が“彼”に惹かれているのは紛れもない真実のようだ。

「じゃあさ、オススメの本があるから、僕の家に来ない?」

 自分の深層心理に気づいた途端、吹っ切れたかのように“彼”を自宅に誘っていた。

 それも大胆に“彼”の手を握って。

 その手は想像していたよりも大きく、雪解け水のように透き通った“彼”の色白な手は、僕の手とコントラストになって、とても印象的な触れ合いとなる。

 手を握っていたのは刹那せつなであったが、永遠的なぬくもりでもあった。


 “彼”は少し考えてから「ありがとう」と言って、また微笑んだ。

 これが白日夢であるなら、僕はもう眠ったままでいい。

『うつし世はゆめ よるの夢こそまこと』という江戸川乱歩の言葉がゆっくりと脳裏をよぎった。



 今思うと、その時の僕は有頂天うちょうてんになっていて、冷静に考えれていなかった。

「同じ本を読めば、その人の脳内を覗き込む事ができる」のは何も僕だけの特殊能力ではないということを。

 深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているということを。

 その日から僕の想いは、【僕らの恋】となっていたということを。

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