小人は運ぶ、かけら、かけら。

田中ケケ

第1話

 気が付くと真っ白な空間内に僕は取り残されてしまっていた。

 白色は、四方八方に永遠と続いて行く。

 雪が降り積もっているのとは訳が違う。

 叫んでみても声が出ない。

 走ってみてもその場から動けない。


 僕はどうしようもなくなった。

 何故こんなところにいるのか分からない。

 僕の名前も分からない。

 それを思い出したいという欲求に駆られないから、たいして苦しくもない。


 一体、僕はどうしてしまったのだろう。何が起こってしまったのだろう。


 そう言えば僕は何歳だ? 仕事は何をしていたんだ? どういう人間だったんだ?


 名前と同じで全部忘れている。

 しかし、言葉や思考の方法といったものは全て覚えているみたい。

 生まれたての赤ん坊になったかのような気分だ。

 

 とりあえず、僕は僕の掌を見つめることにした。

 その掌には手相がなかった。

 一本の皺もなくまっさらな肌色だけの掌。

 握りしめて意図的に皺を作ってみても、広げてしまえば元通りに戻る。少し気持ちが悪い。


 僕は一度思いきり目を閉じて、自問自答する訳でもなく、ただこう思った。


『僕はどうして人間だったのだろう』


 目を開け、顔を上げると、少し先に何やら動いているモノが見えた。

 それはちょうど親指くらいの大きさで、何かを熱心に運んでいる。

 何度も何度も同じ場所を同じように往復して、とても忙しそうだ。


 僕はそこに近づいてみた。自分に興味はなくともそのモノに対しては興味があった。引き寄せられて、その衝動がどういう理屈なのかは説明できなくて。


 それでもいいと思った。そうせずにはいられなかった。


 何故かはやっぱり分からない。


 そして、僕が見つけたモノは小さな人間だった。

 小人と言った方がいいかもしれない。

 白雪姫に出てくるような感じ。

 赤い帽子をかぶり、赤い服を着て赤い靴を履いた性別不明の小さな人間みたいな存在。


 僕は、その小人に話しかけた。


「小人さん、何を運んでいるの?」


 小人は僕の声を聞いて一旦作業を辞めた。

 両手で何かを抱えながら、僕の顔をじっと見上げた。


 小人は子供が絵にかいたような単純な顔をしていた。

 丸く黒で塗り潰されただけの両目。

 口は四角形。

 鼻と耳はなかった。

 

 不思議だ。

 面白いなぁ。

 どうやって僕の言葉を聞き取っているんだろう。


 僕の小人に対する興味は消えることなく、そこに在り続けた。


「あ、こんにちは人間さん」


 十秒ほど見つめ合った後、その小人は軽く会釈をしてくれた。


「こちらこそ、こんにちは」


 人間もそれに答えた。


「礼儀正しい人間さんですね。でも、小人の名前は小人ではありません」


 小人はそう言うと、止めていた作業をまた進め始めた。

 丸くて柔らかそうな何かを一生懸命に運んでいる。

 運んでいる先はどうやら焼却場のようだ。

 小さな窯の中に燃え盛る真っ赤な炎があって、上煙突からは真っ黒な煙が噴出し続けている。

 ということは、運んでいるものはゴミということか。


「あ、待って、小人さん」


 人間は小人を呼び止めた。


「だから小人は小人じゃないよ」


 小人はそのゴミを焼却炉の中に投げ込みながら答える。


「でもそれじゃあ、あなたの名前は?」

「君が名前を教えてくれてからだね」


 小人は腕で額に溜まった汗を拭うと、僕の足元を横切って、ゴミが積み上げられている場所へ戻っていく。


「それは、無理だよ。だって、僕は自分の名前を知らないんだ」

「じゃあ、思い出すまで待っていてあげる」

「それも無理だよ」

「どうして?」

「だって、そういう欲求に駆られないんだ」

「ふーん。じゃあ、小人は名前を教えられないね」


 小人はゴミをまた抱える。


「でも、君は自分のことを小人って言うよね。やっぱり、君の名前は小人なんじゃないの?」

「それは、君が小人を小人だと呼んだからだよ」


 小人はまた僕の前を横切って焼却炉へと向かう。


「とにかく、小人の名前が知りたければ、君が名前を思い出すことだね。小人がこれを運び終わる前に」


 僕は小人に名前を聞くことができなくなった。

 小人に関してものすごく興味があるのに、それには自分の名前が必要になってくる。

 それは僕にとって苦痛だった。


 好きなことが目の前にあるのに、興味がない事と向き合わなければいけない。


 僕はその場に座り込んでしまった。

 どうしようもなくなった。

 その間にも小人は運び続ける。

 僕の目の前を何度も行ったり来たり。

 ゴミの量も結構少なくなってきた。


「小人は努力家です。あと少しです。がんばるです」


 僕は小人の背中を見ながら焦り始めていた。

 早くしないとこの小人は僕の目の前から消え去ってしまう。


「ねえ、小人さん」

「今度は何だい? 人間さん」

「ほら、やっぱり君は小人なんでしょ? だって小人さんで反応するんだから」

「君、何だかずる賢いね」


 小人は足を止めてそう言った。

 僕を見上げるその表情は初めて見た時と何も変わっていない。

 この小人にはきっと感情という概念がないのだろう。


「それは、君が名前を教えてくれないからだろ? 僕はこんなにも頼んでいるのに」

「それは、君が名前を教えてくれないからだろ? 小人はこんなにも時間を与えているのに」

「だから、僕は僕の名前を思い出せないんだ。でも、君の名前は小人だって知ることができたよ」

「最初に言ったと思うけど、小人の名前は小人じゃないよ」


 小人は僕に背を向けると、またせっせとゴミを運び始めた。


「負け惜しみはよしてくれよ。それより、小人さんは何を運んでいるんだい?」


 僕の興味は名前から移行していた。

 分かってしまったものなんて、分かってしまった後は面白くもなんともない。

 プラモデルは作る過程だけが楽しいのだ。

 数学は解く過程だけが楽しいのだ。


「小人はとても大切な物を運んでいるんだ」


 小人の答えは、またもや抽象的だった。

 僕は思った。

 この小人は性格が悪いんだと。

 僕をからかっているんだと。


「それは嘘だね小人さん。だって、大切な物を燃やすわけがないじゃないか」

「それは嘘だね人間さん。だって、大切な物なのに燃やそうとするんだから」


 小人はわけのわからないことを言ってから、焼却炉に大切だと言ったものを投げ入れる。

 上の方では、真っ黒な煙がモクモクと絶え間ない。

 大切な物はそうやって燃え続け少なくなっていく。


「ほら、小人さんは自分で言ったよ。小人さんの言動は矛盾している。何か隠しているんでしょ?」

「大切な物を燃やすことは、本当に矛盾していることなのかい?」

「それはそうでしょ? だって大切な物なんだよ?」

「大切な物を燃やすことは、本当に矛盾していることなのかい?」


 小人はその言葉を繰り返すだけ。


「それはそうでしょ? だって大切な物なんだよ?」


 僕は意地を張った。


「大切な物を燃やすことは、本当に矛盾していることなのかい?」

「それはそうでしょ? だって大切な物なんだよ?」


「大切な物を燃やすことは、本当に矛盾していることなのかい?」

「だからそうでしょ? だって大切な物なんだよ? 何度も言っているだろ?」

「じゃあ、君の名前を、君は思い出したかい?」


 気が付けば、大切な物は残り少なくなってしまっていた。

 小人はひたすら運び続けている。

 僕はなぜかまた焦りだした。

 大切な物の少なさに。なくなっていくその過程に。


「それは、名前は、まだだよ」


 それでも名前を思い出したいという欲求には駆られない。

 まるでその欲求を鍵をかけた部屋に閉じ込めているみたいに。


「じゃあ、早く思い出して。小人の名前を知りたいんだろ?」

「それはもういいんだ。今は君がどうして大切なものを捨てているのかが気になるんだ」

「ふーん。君は何でも小人に聞くんだね」

「それはそうでしょ? 小人さんしか知らないんだから」

「大切な物を燃やすことは、本当に矛盾していることなのかい?」


 結局そこに戻ってきてしまった。

 僕は考えを改めた。

 これを繰り返していては意味がないと。

 違ったアプローチをしてみようと。


「ねえ、小人さん。僕が運ぶのを手伝ったら教えてくれる?」

「それは無理だよ。絶対」

「どうして?」

「そういう決まりなんだ。君はこれを運んではいけない」

「でも、一人じゃ大変でしょ?」

「そう言う決まりなんだ。君はこれを運んではいけない。運ぶべきではない」


 僕は聞くことを辞めた。

 また同じことを繰り返してしまう。

 聞き方を変えてみよう。


「じゃあ、小人さん。小人さんは何のためにそれを運んでいるの?」


 気が付けば大切な物の欠片は残り二つになっていた。


「それは言えない。けど、とても大切なものだよ。きっと君はこれの正体がもう分かっているんじゃないかな?」

「だから、僕は何も思い出せないんだ」


 なんだか頭がぼんやりとしてきた。視界もぼやけていく。焦る。酸欠状態? 何も考えられなくて、息苦しくて。


「それは本当かい? 本当に何も思い出せないのかい?」


 欠片は残り一つになってしまった。

 不意に、母親が作ってくれた卵焼きを少しだけ思い出した。

 結局、それだけだった。


「ああ。どうしたって、僕の頭がこの先ずっと僕の名前を思い出すことはないよと語り掛けているんだ」

「そうか。じゃあ、もう仕方がないのかもね。それも人間だから」


 小人は最後の一つを抱え、焼却炉に運んでいく。


「大切な物、最後の一つだよ? 本当に捨てちゃうの?」


 僕は少しだけ寂しさを感じていた。

 忙しそうに歩く人混みを上から見下ろした時に感じる優越感に似た寂しさに。


「君にはもう、関係のないことだよ。君が大切なものを捨てたようにね」


 小人は僕の顔を見ない。

 僕から見えるのは小人の横顔と背中だけ。


「えっ? 僕が……捨てた?」

「そうだよ。最後に残ったものが大切なものだと分かっていたから、捨てられたんでしょ? 何だかそれって残酷だけど理にかなっているよね」


 小人は最後の一つを焼却炉に投げ込むと、大きく息を吐いた。

 額の汗をまた腕で拭って、僕の方にゆっくりと顔を向けた。


「さて、僕の名前を教えてあげる」


 いきなりの急展開!

 僕は驚きで何も話すことができなかった。


「僕の名前は天使だよ」

「……てん、し?」

「そう。天使だ。だから君はここにたどり着いたのさ」

「だから? それっ……うっ……がぁ」


 その時、僕の胸を激しい痛みが襲った。僕は吐血し胸を押さえてその場にうずくまった。


「まさか、君が運んでいたものって……」

「そうだよ。やっと思い出したんだね。天使が運んでいたのは君の心臓だったんだ」


 小人の背中から、真っ白な翼が二つ生えてきて、小人の体は宙に浮かび上がった。


「でも……何で?」


 飛び去って行こうとする小人に、僕は必死になって尋ねた。


「それはね……」


 小人は僕の遥か上空で動きを止めた。

 僕を無表情で見下しながら丁寧に答えてくれた。


「……生き苦しさを尊く思うことを捨てたじゃないか。それは死者の選択だ。間違ってはいない」

「正しいってこと……?」

「そうだね。思い出せないってそういうことだったんだよ。正しいって本当に罪だよね」

「待って、僕を上へ連れてって」

「これは君が選んだことだよ。さようなら」


 僕は気が付けば逆さまで、目の前には灰色のアスファルトが広がっていた。


 ぐしゃり。


 少しだけ痛かった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

小人は運ぶ、かけら、かけら。 田中ケケ @hanabiyama

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説