ミツバチの水集め
この夏、初めて見たことがある。
梅雨も明け数日が経った頃、換気をしようと窓を開けたところ、目の前を何か小さなものが羽音を立てて横切っていった。素早すぎて分からない、たぶん虫だ。虫が大の苦手な私は思わず悲鳴を上げ、即窓を閉めた。
そして窓の外をまじまじと観察する。
この窓はベランダに面しており、室外機とエアコンから排水を流すドレンホースが設置されている。梅雨明けした頃の外気温は38度前後、あまりの暑さに連日エアコンをフル稼働させていた。
さて、ベランダを観察すると、先ほどの虫が何匹か床面に止まっていた。よくよく観察し――少々見えづらかったのでカメラに望遠レンズを装着し覗くこととなった――、「これはミツバチでは?」と思い至った。色味からして、おそらくセイヨウミツバチだと思われる。彼らはなぜか一か所に集まり、しばらくするとどこかへ飛び立っていく。正直引くくらいの数のハチがそれを繰り返しているのだ。
その場所が、ドレンホースの口の部分。
なにをしているのか分からず戸惑うばかりだが、とりあえずうちに巣がある訳ではなさそうなのでしばらく様子を見ることにした。
窓越しに様子を伺っていると、状況が分かってきた。このハチたちは水を汲みに来ているのだ。調べたところ、あまりに暑くなると働き蜂は巣内の温度を下げるためにたくさんの水を必要とするらしい。どういうわけか、我が家のエアコンの排水を水場と思ったミツバチが群れの仲間をひきつれてやってきた、というのが事の次第のようである。
そりゃあ暑いよなあ、外は38度だもの……。しかもうちのベランダはほどよく日陰で、水はエアコンが稼働している限り流れっぱなしだし、溺れるくらいの量でもないし……。この状況では目を付けられても仕方がないのかもしれない。
室内に迷い込まれても困るのでしばらく窓を開けられないことになるが、お互いさまというやつである。害がない限りは手を出さず、そっとしておくことに決めた。
不思議なことに、長い間観察しているとあれほど苦手な虫なのにかわいく見えてくるのだ。自分の群れのために炎天下の中働くだなんて、なんて健気なことだろう。私にはできない。暑いからやだって言うに違いない。世の中ミツバチのために立派な水場を作る人がいるらしい。そこまでのことはできないが、せめて少しでも涼しくできたらいいと思う。
さて、この文章は九月末に書いている。あれほど暑かった外の気温はどんなに高くとも20度前後となり、空気が徐々に秋めいてきた。これくらいになるとエアコンは送風モードくらいしか使わなくなるので、二日前、しばらくぶりに電源を落とした。
ハチたちは変わらずにベランダへやってきたが、すっかり乾ききってしまったドレンホースの周りを長い時間かけて飛び回り、諦めたように飛び立っていった。もうここには彼らの求める水場がないのである。
ちょっと悪いことをしたかな、いやでもエアコンを止めないと寒いしな……と思った矢先、弱い雨が降った。すると、雨の中彼らはベランダへやってきて、濡れたモルタルの床から水を吸い上げて、再びどこかへ飛んでいくのだった。
よかったね、と思うのと同時に、あと何日この光景を見られるのかな、と少し寂しくも思うのだった。
やっぱり、水場、作ってあげたほうがいいのかな。どうしたものか……。
パンとミシンとひとりごと 依田一馬 @night_flight
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