わたしは椅子になりたい

 あの人の椅子になりたい。あの人は、カンペキだからだ。わたしが求めていたすべてを満たしている人だったからだ。

 あの人は、人を人と思っちゃいない。少なくともわたしのことは人なんてものにカウントされてない。あの人にとってわたしは通行中になにげなく踏みつける雑草とか、そこにいても気づかないくらい希薄な存在感しか持たない電信柱についた汚れの塊みたいなものにすぎない。

 別にあの人にそう言われたわけじゃなくて、ただ一度、「ああ、いたんだ」とぶつかられたとき、謝りもせずに、純粋に驚いた様子で、そう言われたことがきっかけに、思っているだけなのだけど、でも、それはわたしにあの人の椅子になりたいと思わせるには十分だった。わたしというものを物ともせずに踏みにじってくれる、わたしを無化してくれる存在をわたしはたぶんずっと求めてきていて、だから誰と仲良くしてても心のどこかが渇いていて、大親友のミナコにこの話をしたところ、うんざりした様子で「だったらアプローチかければいいじゃん」と言われてしまったので、なんとなく二人きりになったとき、切り出してみた。

「人のこと、椅子にしたいって思います?」

「……は?」

とあの人は困惑した様子で。

 わたしは、予め用意しておいたカバーストーリーを話しながら、その顔色の変化をうかがう。江戸川乱歩の人間椅子の話をして、人間椅子そのものはどうでもよくて、ソコから発展して「あの人の椅子になりたい」っていうスラングがあるらしくて、それできになって、と、警戒心を解くつもりで説明してみた

けど。

「いや、うーん。無理かな」

 あの人はあっさりそう言ったのだった。

「人のこと足蹴にするのはやばいでしょ」

 じゃあどうして、と長い沈黙の後に尋ねた。あのときあんな目で「いたんだ」なんて言ったんですか?

「いや、ホントごめん。あとから謝りそびれたってこと気付いて、けっこう気まずかった」

 どうやらわたしは夢を見ていたらしいと、それで思い知らされた。

 進級直前の春休み。受験生になる直前の、十四歳の恋はそうしてひとまず幕を閉じる。


 ○


 誰かに見せられた夢は早々簡単に消えてくれない。春休みになっても毎日私は椅子にされる様子を想像する。

 誰かの椅子になるためにはいろいろな方法がある。一つは、シンプルに、自分が椅子に座りその上に座ってもらうこと。肉体クッションというやつで、厳密にはこれは椅子ではないのだけど、まあ難易度は低いのでジェネリック人間椅子とカウントしたっていいだろう。そのばあい重要なのは――これはどの場合においても重要だけど――わたしに座ってくれる人がわたしのことをわたしとして認識することではなくて、わたしのことを一種の肉の塊として扱うことにある。わたしがうめいても無視するべきだし、椅子に画鋲を貼りつけなくてはいけない機会があったらわたしの太ももに突き刺すくらいでなくてはいけない。人の椅子になるということはつまり人間を辞めてものとなることだから、わたしというものを使用者が認めてはいけないのだ。

 なので、その意味で、二つ目以後の椅子メソッドこそが正統派と言えるだろう。四つん這いになった背中に座ってもらう「背もたれなし」椅子がひとつめ。ふたつめは四つん這いになった足をピンと伸ばすことで実現する「サマーベッドスタイル」。サマーベッドというのは、プールサイドによく置かれている、体を横たえることができる背もたれ付き長椅子みたいなやつのことだ。ちなみにこれをアレンジすると、両手を後ろについて両足をピンと伸ばし身体正面を提供する「やわらかでこぼこクッション付きベッド」が完成する。これもまた正統派の椅子スタイルだ。

それぞれにおいてそれぞれの良さがある。個人的には最後のものが一番好きだが、それは「使われている」感がするからだ。膝を真上から押される感覚は負荷が大きい。胴体を腕二本で支えなきゃいけないのも負荷が大きい。背中に乗られるよりもはるかに、お腹に乗られるほうがいい。負荷が大きいからだ。負荷が大きいほどわたしは人間からものへと近づいていく。椅子というものはなにかを支えることが役割であり、たとえ椅子にどんな負荷がかかろうとその役割を果たせなければただの駄作ということになる。わたしはその役割に応えなくてはいけないので、そのためだけに肉体を酷使することとなり、それはつねづねわたしの体重約五十キロちょっとを支えてくれている教室の椅子が果たしている仕事をわたしが実行することとなり、つまりわたしを椅子にするためにはわたしの負荷が大きいほどよいわけだ。

そんなことを真剣に考えながら日々を過ごしていたものだから春休みに突入してもそうそうわたしの欲求が収まることはないわけで、椅子にされたいなあとぼんやり日々を過ごしていたら、ミナコにいきなり喫茶店に呼び出されて、こう切り出された。

「誰でもいいわけ」

「……誰でもではないかなあ?」

目のまえにはコーヒー。暖かくてきっとなめれば火傷する。だから飲まない。窓際の席はお日様があたってぽかぽかしてて、机の天板に反射する太陽がまぶしくて、険しい目つきのミナコを正面から見ないための口実になってくれている。

コーヒーを飲めないのは、これがミナコのおごりとして提供されているせいでもある。

「椅子になりたいって話のことであってるよね?」

わたしが尋ねると、ミナコはうなずく。ミナコには恋愛相談をなんどか持ちかけているので、事前に事情は了承済み。だから話題がこれであると察してはいたけど、この話題では愛想を尽かされたかなと思っていた。

「どうして聞きたいの?」

「いいから答えて。質問その2。マノは椅子にされてどうしたいの。単にマゾってわけじゃないでしょ」

「わたし、サンドバッグはイヤかなあ」

「どうして?」

 どうしてと問われても。

 ウーン。

 悩んだあと、なんとなく浮かんだ表現をつなぎ合わせる。

「サンドバッグは、こう、殴って終わりじゃん。それは一種の消費物なの。それに対して椅子っていうのは日常生活における使用物じゃん。てことは、その人を支えられるでしょ。たぶんわたしは、その人に人格を認められてほしくないけど、でもその人の生活は支えたいんだよ」

「その人っていうのは……」

「知らない。あの人は、カンペキじゃなかったし。わりとみんなと同じで、ちゃんと人のことを気づかえる。まあ、ひとをひとと見ないってだけで求めてたわたしも不健全だったと思うけどね。……いや不誠実か?」

「よくわからん」ミナコは頭を抱えた。どうしてそんなに悩んでいるかよくわからなかった。ミナコはもう一度言った。「よくわからん」

ミナコはわたしがわからない言葉を使う。相手に伝えるべきことを伝える時はこれ以上なく明瞭に伝えるのに考え事をまとめたい時は自己完結してしまう。だからわたしは中に踏みこむことは出来なくて、ただ待つしかない。今がそのときなのだけど、案外ヒマで、ヒマになると、凝りずにわたしは、椅子にされるときのことを想像してしまう。

「いま」ミナコが口を開いた。不機嫌そうだった。「誰のこと考えてた」

「誰でもないよ」

「でも椅子にされたいときの顔してたよ」

「パワーワードじゃん」

「お前の存在がパワーだよ」

 ミナコは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

「ミナコはわたしがどうして椅子になりたいかちゃんと理解してる?」

「だから、こう、人格を無視されたいんでしょ」

「まあそうなんだけど、でも、いま言ったように、それは一側面に過ぎないんだよ。わたしはその人を支えたくて椅子になりたいの。一面的に見てたらわかんないよ」

「なんでそんなに偉そうなんだ」

「ごめん」

「謝るなよ」

 ちょっと疲れた声だった。申し訳なくなってくる。でもそれを言うと怒るだろうから黙っておく。そのくらいはわたしにもできる。

「マナは、支えてあげたいなって思う相手に対して椅子になりたいと思ってるわけだろ」

「うん」

「……うーん……なんか……推しに貢ぐみたいな感覚なのかな」

「たぶん、そう。まだやったことないからわからないけど」

「ふーん」

 ミナコは小首をかしげる。ちょっと機嫌が和らいでいる。

「やったことないの」

「妄想の中では百戦錬磨だよ」

「誰にいつも座られてるの?」

「わかんない。ふわふわした塊みたいな」

「じゃあ、誰か決まってないんだろ」

「うん、まあね」

 ここへ来てようやく、わたしはミナコの魂胆が判ってきた。ミナコの目が爛々と輝いているのは、きっと、照り返す陽射しのせいだけではないはずだ。

「わたしがお前に座ってやるよ」

 予想通り、ミナコはそう言った。ほんとにわかってるんだろうかと思ったけど、まあ物は試しにと思って、絶縁覚悟で受け入れてみることにした。


 ○


 私が椅子になることも大変だが、私という椅子に座る人も大変だ。なにせその人はなにがなんでも全体重を椅子に預けなきゃいけない。わたしがバランスを崩して転んだら、落馬ならぬ落人による怪我の危険性もある。それでも椅子だからということでわたしという道具を信じて座ることがわたしに座る人には暗に求められているのだが、ミナコはやはり、あの人がわたしに見せてくれた夢のようにカンペキではなかった。

「痛くない?」「ちょっと、大丈夫?」「ふわ、ぐらつくなこれ」「うーっ……集中できない」

 これらがミナコがわたしにくれた言葉。実際に人を乗せた経験がない椅子なのでそりゃ乗り心地は悪いだろうけど、ミナコはどこまでもわたしというものを見てくれる。もちろん友達としてそれはとても嬉しいことだけど、それはそれとして、なんだかなあ。不満だ。ミナコはわたしに乗ると決めて、座るということがどういうことか、今日わたしの部屋に来て早々に話し合いもして、これからのためにまずはトレーニングとしてやってみようと実践している、そういう状態のはずだ。なのにこの体たらく。わたしが求め過ぎなのだろうか。

 一週間ほどこういう生活を繰り返しているが、ちっとも進歩がない。ママが差し入れをくれる以外の時間は、勉強会という名目から連想されない方の勉強――椅子になるための勉強――にいそしんでいるというのに。

 二時間ほど試してから、いちど休憩ということになり、ふたり分の紅茶を淹れてお茶菓子をつまむ。つまみながら、会話は、ない。勉強会のときは他愛もない話をするのだけど、ミナコの顔色は険しくて、なんだか話をするノリになれない。ますますわからない。どうしてミナコはわたしに乗ると言い始めたのだろう。

 疑問がわだかまりこのままだと不満に変わるな、と思っていた。きっかけがあれば破裂しそうだと考えていたら、予想より早くその時が訪れることとなった。

 午後二時。四時間に及ぶ椅子トレーニングのすえ、わたしの肘から力が抜けた。ガクンと体が落ちて、背中が床についたとき、すこし遅れてミナコのお尻がドスンとみぞおちにヒットした。それだけならよかったけれど、うえっとわたしが声を上げた途端、ミナコは「ごめん」と謝り次にキレた。「なんで椅子なのよ」

 わたしを下敷きにしたままミナコはわりとガチギレながら続けた。

「椅子じゃなかったらやれるよ。どんなことでもやるよ。殴ってほしいとかいじめられたいとかいたぶられたいとかそういうのはハードル低いじゃん。私だって頑張れるけど、椅子になるってなんなの。マナってべつに鋼の肉体持ってるわけじゃないじゃん。道具として不便だし道具にするにはマナはマナだし割り切れないよ」

「じゃあなんで引き受けたのさ」なので、あとは売り言葉に買い言葉だった。「わたしは一度だって頼んでない。椅子になりたいってことは夢でよかった」

「でもそれだったら満たされないだろ」

「ミナコになんの関係があるの」

「悔しかったからだろ」

「はあ?」

 予想と違って、ミナコは泣きながら言った。

「けっこういい距離感で、長く友達やれるのかなと思ってたのに、私じゃどうにもならないこと言い出して、なんなんだよ椅子になりたいって。それで、恋の相手の話なんてして、私がどんな思いだったか」

 ミナコがわたしのことをもう友達として見れなくなっていることにわたしはそのとき気がついた。すると、いままでの態度が腑に落ちた。ミナコは手の甲で目元を拭いながら言った。

「どうすればいい? どうすれば私だけ見てくれる。ぐちゃぐちゃなんだよ。バカヤロー」

 すがりつくように、わたしのお気に入りのシャツの襟首を掴んで、体を引き起こしながら、べそべそにミナコは泣いている。わたしは、その顔に、今まで感じていたものとは違うなにかを感じはじめていた。それは、きれいだな、とか、やっぱりこいつ顔がいいな、とかそんなアタリマエのこともあるけど、ああ、この子は、わたしに乗るためならなんだってしてくれるだろう、という確信だった。

 それは一種の逆転現象だ。わたしはわたしを消し去るような他者を求めていたけれど、ミナコはある意味でわたしと同族で、「その人」のために私自身を粉々にして役割を果たそうとしてくれるタイプだ。つまり、求めている要素は満たすようになってくれるけど、自発的にそうするわけじゃないわけだ。ミナコに座ってもらうように誘導することは、わたしがわたしを道具という立場に落ちるために他者を「わたしを道具に落とす」機能を果たす道具として使用することになる。

 だが、同時に、と思う。ミナコは自分を道具に落としたがっている。わたし専用の道具に。ここには道具が道具を使用し使用されるという循環が発生することにならないか?

 わたしが椅子ではなく人間だから。彼女が椅子の座り手ではなくただの人間だから、この循環が完成する。

 それに気付いて、わたしは、興奮した。

 理想的な循環なら利用しない手はなかった。

「ねえ、ミナコ。だったらさ」

 わたしの言うこと、全部聞いてくれる?

 ミナコは、予想通り、うなずいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

いまだ孵らぬ卵たち 犬井作 @TsukuruInui

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ