後編

 ヒョコ、と傷んだ足をかばいつつ、私はホールとバルコニーを区切る薄いカーテンに手をかけた。


 その時。

 翠玉の瞳が一点に縫いとめられた。


 人垣をやんわりと掻き分け、夜会の主役となっていた『金の国』のカイル皇子が大股でホールを横切る。


 一体何事だろうか? その横顔は、先程までの穏やかに浮かべた笑顔とは違った笑顔。

 後を追う侍従の顔は――予想を裏切る、何故か呆れたような渋い顔。まるで気の抜けた溜息が聞こえそうな、そんな表情だ。



 ◆



「失礼、少しお話を?」


 カイルは薄布に隠された白手袋の指先を掬い、彼もまたホールから姿をくらませた。



 彼の行き先は薄いカーテンで仕切られただけのバルコニー。不粋ではあるが、ここの誰にでも覗ける場所だ。

 しかし侍従がそこを塞ぐように立ち、音楽を止めてしまっていた楽隊に笑顔の目配せをする。


 音楽が流れれば社交の再開だ。

 しかし変わらない談笑の裏、皆が考えていたことは一つ。


『カイル皇子が手を取った令嬢は誰なのだ?』


 知人同士で目を合わせ探っても、記憶をたどっても誰もそれが分からない。

 だがそれも仕方がないだろう。壁の花なんて誰も見ていなかったのだし、見ていたとしても彼女が何者で誰なのか、ほとんどの者が知らなかったのだから。



 ◆



「なっ……、えっ」


 メリッサは思わず言葉を失った。

 戦意喪失しかけのボロボロな姿を隠そうと、バルコニーへ逃げたはずがどうしてか。『金の国』の皇子が自分の手を取りそこにいるのだから。


「失礼、少しお話を?」

「っは、はぃ……」


 千載一遇、待ち望んでいたチャンスだというのにメリッサは、カイルのその輝かんばかりの笑顔に気後れしてしまう。

 オーラが違う。それと、この人は何故こんなに楽しそうな笑顔を自分に向けるのだろう? メリッサはそう内心で首を傾げ、頭の中では高速で様々な可能性を探っていた。


 ――私が彼に近づきたかったのには理由がある。でも、カイル皇子が私に声をかける理由やメリットなんて……ある?


 一瞬の沈黙の中、メリッサの心にそんな警戒が生まれた時だった。


 やわり取られていた手がギュッと握られ、カイルにグイと抱き寄せられた。

 そして彼の左手が、メリッサのドレスの背を撫ぜ、腰まわりを掴み、合わせた瞳を覗き込む。


 まるでダンスを踊るような格好だが、流れる音楽は円舞曲ではなく、ここもホールではない。


 ――それに、ダンスなら尻を撫でたりはしない。


 パンッ!!


 と、小気味の良い音が弾けた。


「……っ、そこまで侮られる言われはありません!」


 メリッサがカイルの頬を張ったのだ。

 抱かれた格好のまま、しかし精一杯背をそらし、格上の相手に拒否を口にする。


「まさか手を上げられるとは……いや、私が無礼すぎたか。許してくれ」


 カイルは張られた頬を気にもせず、むしろ何だか好奇心を湛えた瞳で微笑み、格下のメリッサに許しをこう。


「……で、は、お離しになってくださいませ、殿下」

「いや待て。もう少し」


 そう言うとカイルは、顎を掴み顔を寄せ、掌であばらを触り、そしてしゃがみ込みメリッサのドレスの裾から手を入れた。


「ちょっ……!?」


 足首を掴み、ふくらはぎもギュッと掴む。


「ん? 足を傷めたのか? 話が済んだら手当をさせよう」

「なっ、何を、なさって……!?」


 ほのかに紅潮した頬と引きつる顔。恐怖を感じているのだろう、震える身体に潤む瞳。

 しかしカイルのこれだけの暴挙にも、身分にも臆さず言葉を発し睨みつける紺碧の瞳。


 ――最高だ。

 カイルは内心で呟き、こう思った。

 手で確かめたサイズも無駄のない体つきも、真っ直ぐに伸びた背筋も、通った鼻筋とぽってりとした唇も。そして何より、その強い瞳が気に入った。


 しゃがんだ姿勢からサッと跪き、カイルは再びメリッサの右手を取る。


「どうか、君を私にくれないか」‬


「……は?」‬


 まるでプロポーズ。

 メリッサは、初対面の隣国の皇子に触られ突然の理由なきプロポーズの言葉に面食らい、目を瞬く。


「な……に、を突然……?」

「うん。舞い上がってしまわないところも良いな君は」


 その言葉にメリッサは、ますます訳が分からないと首を傾げ眉根を寄せる。

 こんな訳の分からないプロポーズ? を真に受け舞い上がるほど馬鹿ではない。そんな事では簡単に足下を掬われ騙されてしまう。

 アリスティア家には騙し取られる余裕など、全くこれっぽっちも一片もないのだ。『甘い話には慎重に、出来れば乗るな』とは当主の言だ。


「ご説明いただけますか? カイル殿下」


 メリッサは震えそうになる喉に叱咤し、出来るだけの上品さでそう口にする。まぁ、上品さを装っても頬を叩いた後なので今更なのだけど。


「君のそのドレスが一つ目の理由だ」


 対するカイルはニコリと微笑み、見上げる姿勢のまま説明をはじめた。


 一つ目。

 控えめながら美しい光沢のドレスの生地は『金の国』の織物であること。それは今は失われてしまった技術のものであること。

 そして貴重なその生地は、少し昔に『金の国』から友好の証として贈られた特別なものであること。


 それから、全く違うドレスを組み合わせ、独自にリメイクをした自由な発想。『山の国』では少し浮いてしまうが、周囲とは違うスッキリとした印象の、着用者に似合うデザインであること。


「そう、だったのですか……」


 メリッサは曽祖母の骨董品ドレスの由来に驚き、曽祖父は無謀をした訳ではなかったのか。と、嬉しさを感じる。

『やらかした』と言われているご先祖だが、ちゃんと勝算はあったのだ。ただ、何かがあって上手く行かなかったのだろう。その結果だ。


「そうだ。それから理由はもう二つあるが……聞くか?」

「はい。……あと、あの、殿下。もうお立ちになってくださいませんか?」


 居心地が悪い、とメリッサの表情に滲んでいる。

 よく訓練された貴族令嬢ならば、絶えず微笑みをたたえているのだが、メリッサはそこそこに訓練された令嬢なので当てはまらない。


 カイルは苦笑するが、そこも好ましいと感じる。『金の国』はこの国よりも感情を豊かに表す文化を持つ。

 だから『山の国』に来て以来、カイルは表面的な笑顔の多さにうんざりしていたのだ。


「それでは二つ目」


 皇子は立ち上がる。メリッサの手は握ったまま。


「君の後ろ姿に惹かれた。他の令嬢たちの頼りないものとは違い、シャンとしてとても美しいと思った。そして触って確かめたが、やはり我が国のドレスが似合いそうだと思った」


 カイルは想像の中で、自身が商うドレスを彼女に着せる。絶対に似合う。着こなせる。そして映える。


「三つ目は、そのリメイクのドレス、壁の花、程よく締まった身体つき、そして靴擦れの足……。私の提案を飲むだろうと確信した」


 ――彼女はこの国で目的を果たすための、最高のパートナーになる。

 

 カイルはそう思い、「君を私にくれ」と言ったのだった。



「……理由はわかりました」


 メリッサは握られたままの手をもじもじとさせるが、しっかりと顔を上げ、カイルの瞳を見た。そして言葉を続ける。


「カイル殿下。先程のお言葉は、お仕事のお誘いで間違いありませんか?」


 二人の視線が交わり、その瞳を見つめ合う。

 側から見ればまるで熱愛の現場のようだ。


「間違いない。君をくれ。悪いようにはしない」

「かしこまりました」


 そしてメリッサはニヤリと微笑む。


「それでは殿下、お仕事のお話をいたしましょう」


 カイルは満足げに微笑むと、彼女の白手袋の右手にキスをした。






「ああそうだ。ご令嬢、お名前をお聞きしても?」

「メリッサ・アリスティアです!」



 ◆◆◆



 それからひと月後――。


 お互いの利害が一致してからは早かった。

 そしてたったひと月だが、同士として濃密な時間過ごした二人には友情のような不思議な絆が結ばれていた。

 それは男女の友情は難しいのが定説だが、二人とも違った意味で少し浮世離れしていたせいであろう。



 しかし、同志で信用も信頼もあったとしても、普通は仮縫いに異性を同席させたりはしないのだが……。


 ――しまった。想定外だった。仕事でもプライベートでも女の裸なんて見慣れているのに……困った。これはなかなか堪らない。


 内心でそんな逡巡をしているカイルの目前では、メリッサが下着姿で仮縫いを進めていた。


「カイル殿下。お顔が下品です。それと……」‬

「それと? 何かな、メリッサ」‬


「あまり見ないでください。お仕事とは言え……恥ずかしいです」‬


 普段の凛とした佇まいとのギャップのせいだろうか? 頭をガンと殴られたような衝撃が走り、カイルは思わず跪いていた。‬


「……殿下?」‬

「メリッサ。結婚してください」‬


 デジャヴか。と、衝立の後ろに控えていた従者が天を仰いだ。


「は?」‬

「私との結婚は悪くないと思う。うちは少し面倒で複雑だが、君の家は没落(寸前)で山奥の田舎貴族の男爵家だ。逆に問題にならない」‬

「嬉しいような嬉しくないような……?」‬


 ひと月前にも跪かれ、その時の方が衝撃的だったメリッサは、この状況にそれ程動じていない。

 むしろその、よく分からないプロポーズの言葉を脳内で噛み砕いている。


「それに、婚姻という強い繋がりがあれば我々が進めたい商売にも強い武器となる。私にとっても、君にとってもだ。更に君にとっては商売抜きでも悪くないだろう?」‬

「ええ、はい。だって『金の国』との繋がりは領地を富ませるでしょう」‬


「それだけじゃない」‬

「他にも?」‬


「む……メリッサは私の顔と身体はお嫌いか?」‬

「か、身体はよく存じませんけど、殿下のお人柄は……すき、ですよ?」‬


 だって。カイルは身分を笠にきることもなく、しがない男爵令嬢を仕事のパートナーとして対等に扱ってくれるのだ。好感を持って当然だ。

 まあ、初対面で不躾に触られたのはいただけないが、あれは仕事としての吟味であり、邪な意思は感じなかったのでまぁいい。とメリッサは思っている。


「そうか」


 カイルは満面の笑み。‬

 メリッサは頬を紅潮させ、そして混乱した顔のまま脱ぎかけのドレスを握りしめている。‬


「ならば問題はないだろう? メリッサ、君を私にくれないか。そしてその身に私が作ったドレスとアクセサリーを着けてほしい」‬


 それは出会った時の、プロポーズと間違えるような仕事への口説きの言葉と同じもの。‬


 それならば。その返答も決まっているのだろう。‬


「……『かしこまりました』謹んでお受けいたします」‬




 ◆◆◆



 後に恋物語として、そして商売と冒険の物語としても語り継がれる『金の国』と『山の国』の、ちょっと変わった二人の物語――。

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没落(寸前)令嬢は隣国の皇子とお仕事がしたい!〜金の国と山の国〜 織部ソマリ @somariorb

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