6-5:なんで、こんなものが
クレアとクロエ、二人の主導で行われた食事の準備はテキパキと進み、あっという間にすべての料理が持ち運び用の皿へ盛り付けられる。そして出揃った料理を四人で分担して部屋に運び込めば、たちまち温かな空気を伴って美味しそうな香りが広がっていった。
「じゃあ私は荷物をまとめますね!」
「では
「お取替えする準備をして参ります」
「なら、シーツを引っぺがしておくよ」
さくさくと
折りたたまれる掛け毛布に、マットレスから剝がされるシーツ。カバーを取られた枕は少しだけ心もとなさそうにその腰を曲げ、椅子にちょこりと座っている。そうして二つの寝台が何もかもをさらけだしたタイミングを見計らって、取替え一式を抱えたクレアとクロエが戻ってきた。使用済みのシーツ類を引き渡すとともに、花菱は片手を差し出す。
「こっちの
招待された身であれど、我儘を言っている身でもある。それよりも何よりも、花菱はこの状況で傍観者でいられるような者ではなかった。
「しかし、お一人で行うのは
「いいえ、一人ではありません。二人です!」
待ったを掛ける朗々として明るい声。鞄一つに荷物をまとめ終えたセレーナのにこりとした笑みを見て、スッと短く息を吐いたクレアは何かを諦めたらしい。
「ではお言葉に甘えて、お願い致します。こちらがシーツと、枕、枕のカバーです」
二人一組、シーツを広げて裾を持つ。呼吸を合わせて、視線を合わせて。
「
ばさりと広がり、包まれるマットレス。花開くようにささやかに匂い立つ洗い立てらしい芳香が、そこはかとなく爽やかさを感じさせる。枕にカバーを付け、除けておいた毛布の類をセットしなおせばベッドメイキングは完璧となる。
誰からともなくふうと吐息を吐き出したところで、鳴り響く硬質なノックの音。四対の目が引き寄せられたその先には。
「あ」
「……どうやら早く来過ぎたな」
感嘆符を零すセレーナにじとりとした瞳を向け。自身の荷物を片手に、開いたたままの扉を叩く姿で制止したイズミが居た。
「いや? 丁度ぴったりなんじゃない」
「ならば、そういうことにしておこう」
失礼する、と形式的に一言断ってから入室するところに、彼らしいの配慮がにじみ出る。その様子を横目にしつつ、いそいそと
「クロエ、こちらのお部屋の支度は終わりましたし」
「ええ、次はイズミ様のお部屋の清掃へ参ると致しましょうか」
そう告げながらくしゃりとした布の塊となったシーツ類を抱え込む。
「お二方とも、急な要望に応えていただき有難うございました」
「いいえ、これが私共の仕事でございますので」
「身の回りのお世話に関しては、何なりとご用命くださいませ」
至極当然というかのようにお辞儀をするクレアとクロエ。それに慣れたように目礼を返すイズミに対し、どこかむず痒く感じる花菱は後頭部の髪を掻き撫ぜた。
そのまま部屋の扉に出ていこうとした双子が、その途中で足を止めて線対称な仕草でひらりと振り返る。その視線の先にいるのは、どこかぼうっとしたように静止したままのセレーナの姿。
「セレーナ嬢?」
「——あっ、はい!」
メゾソプラノに肩を跳ねさせ、セレーナは照れたようにはにかむ。
「すみません、考え事をしておりました……。私も失礼しますね」
さっと駆け寄り鞄を手に持てば、ぱたぱたと軽やかに足音を鳴らして二人の
「さて、……ってちょっと!!」
見送った花菱がふと見遣れば、
「どうかしたか」
「いやそっちの
「シーツなど寝具一式は取り替えているはずだ。問題があるか?」
淡々と告げるバリトンボイスに花菱はくっと息を飲む。ないといえばない気がするが、あるように思えてならない。そうしている間にもさくさくと簡単な荷解きは進んでいってしまう。
「……そ、そっちの枕がいいです。それは譲らないです」
「? そうか。好きにすればいい。ほら」
無造作に投げてよこされる枕をなんとも言えない気持ちでキャッチすると、花菱はつい先程新しく運び込まれた枕をイズミへと手渡す。ついでに自身の荷物を回収し、部屋の奥側——新しく定められた自身のパーソナルスペースへと運び込んだ。
互いにどこか探り合いをしつつも、折り合いを付けながら広がる私物。生活感を増していく部屋。しかし三分経った頃には、どちらからともなく昼食を前に席に着いていた。
「
「セレーナ様のご希望です」
「成程。……善処しよう」
言わんとしたことを理解したらしい、軽く息を吐いたイズミは絞り出すようにただそう告げる。セレーナとクレアによって盛り付けられた朝食兼昼食は丁寧に一人分ずつ皿に分けられており、二つのうち一つが若干少なめに量を調整されている意図は明らかであった。
「いただきます」
手を合わせる花菱と、そそくさとカトラリーに手を付けるイズミ。
少し温くなった料理ではあるが、火傷などを気にせずに
同様に花菱のペースには劣るものの、洗練された所作で動くフォークは止まることなく。沈黙を保ちながらもぐもぐと口元を動かし、イズミもしっかりと食事を摂っていた。
(美味しい、んだけどな)
流石、初日にフルコースを振舞った
「どうかしたか?」
「え?」
「眉根が寄っている」
ぱくり、ベーコンを齧るイズミと対照的に、花菱の伸ばしかけていた箸が止まる。
数秒停止したそれがやっとのことでソーセージを掴むと。
「ただ、……ただ。美味しくご飯を食べれるようにしたいなと思っていただけ」
たった一文字の差。それが示すニュアンスの違いをベーコンと共に嚥下する。そして
ぺらりとした紙切れに羅列された英語に目を通し進めるほどに、藍色の目が見開かれていく。
「これ、……
「嗚呼。先程、荷物を整理していたときに出てきたものだ」
学歴はその人の学びの月日を、職歴はその人の職務の過程を、経歴は公的なその人の過去を示す。それらを包括しかつ、私的かつ重大な出来事を含めたその人の人生を魔術によって出力したもの。それがこそが、私歴書であった。
「なんで、こんなものが」
「……必要であるからこそ、存在しているのだろう」
淡々とした様子でイズミは言うが、その事実に花菱は唇を噛む。その名の通り、プライバシーの塊である私歴書が利用されるということは、その人物についてを
私歴書の一番上。刻まれた名前は、——レイラ・コルテンティア。出生から幼少期の過ごし方、成人、入局後の仕事ぶりまでその内容は公私問わず羅列されている。
「ただ、私歴書はもう一枚ある」
ふわりと飛んできたもう一枚の紙。隣に並んで宙に浮くその紙に、花菱は目を疑い何度も瞬きを繰り返した。
「これ、が?」
レイラ・コルテンティアの私歴書と同じような様式の表組が見えるが、それ以外は全く異なるもう一枚の紙。本来書いてあるべき内容について、名前から何から何まで文章はすべて読めないように墨で塗り潰されていたのだった。イズミが私歴書だと言わなければ、丸めてゴミ箱へと捨ててしまいそうな内容不明の文書。
「簡単に解析をしたが、どうやら閲覧制限が掛けられているようだ。何らかの条件を満たすことで読めるのではないか、と踏んでいる」
「一応私も調べようか。
黒塗りが為された紙に、術式探知を掛ける。
「確かにね。私歴書に閲覧制限があるのは妥当だけれど、片方だけっていうのがなんとも」
「それだけこの私歴書の人物が重要、ということなんだろう」
そのまま、持っておけと言うように花菱の
(羽筆の魔術師。貴女の身に、いったい何があったというんです?)
絡み合う謎を前に、静かなまま二人の食事は終わっていった。
虚構と踊るホワイトライアー 蟬時雨あさぎ @shigure_asagi
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