6-4:何が起ころうとも、です

 フレッドへと貸し与えられた部屋を出て、開けっ放しにされていた扉を閉める。借り受けた管理鍵マスターキーからイズミが鍵を差し込み回せば、カチャリと小さな音を立てて部屋に錠が掛かった。

 静かな、衣擦れの音すら響く廊下。昨日と何一つ代わり映えしていない窓の外の風景。それがフレッドの行方不明という事実を嫌に際立たせているようであった。


「それで、どうする?」

「そう、だなあ——」

「——エリ様、イズミ様。少々よろしいでしょうか?」


 間に割って入る落ち着いた声に、花菱ハナビシとイズミの視線がすうと引き寄せられる。音もなく其処に立っていたのは、ヴィクトリアンメイドが一人。


「……クロエか?」

「はい、ご明察の通りにございます。セレーナ様の身をお預かりする件について、今後の方針をお伺いしたく参りました」


 イズミの問いに会釈を返しながら答え、その後続いたクロエの言葉にあ、と花菱は苦い顔をした。先程の場でクレアとクロエに庇護を求めたものの、具体的な対応について一切話していなかったことに気が付いたからである。

 普段ならしないようなミス。花菱は自身が思っていた以上に、この状況に動揺していたらしかった。

 深く息を吸ってひとつ、緩やかに吐いてふたつ。


「エリ様?」

「すみません、思ったより気が動転していたことに気が付きまして。深呼吸を」

「そうでしたか。しかし、致し方のないことかと。私もクレアも、こうして動き回ることで……気を紛らわせているようなものですので」


 伏せられた睫毛が、瞳の薄緑色に影を落とす。ほんの少し下がった眉尻が、感情表現に乏しいクロエの心情を雄弁に語っているようだった。


「具体的な対応について、ですよね。私はセレーナ嬢にお二人と同室へと移っていただいて、寝食を共にしてほしいと考えておりますが……」


 そろりと表情を窺うように藍色の瞳が見遣れば、家政婦メイドはしっかりとした頷きを以て返答した。


「かしこまりました。ではそのように準備いたします」

「助かります。どうかセレーナ嬢をよろしくお願いします」

「承知しました。その上でエリ様はこのまま、同じお部屋で過ごされますか? 一人ひとりようの別のお部屋へと移ることも可能ですが」

「私はそのままのお部屋でお願いします。が」


 そこで言葉を切って、花菱が目を向けるのはイズミ。その意味を受け取ってか、チャリと音を立てながら片眼鏡モノクルの位置を調整すると。


「単独行動の危険性を踏まえ、俺が移り同室になる。……いいだろうか」


 告げるバリトンボイスの内容にほんの少しだけクロエの瞳が見開かれる。

 夜半、一人で割り当てられた自室へと戻る途中に何かに巻き込まれたと思われるフレッドを鑑みると、部屋の中とはいえ夜間に一人きりでいること自体も危険である可能性が高い。それに加え、相手が何であるのか判然としない内から、これ以上人的リソースを失う訳にはいかない。


「……双方の同意が得られているのでしたら、その変更に対して選考会及びわたくし達たちに問題はございません」

「では荷物はこちらで運ぶ。後の事は頼んでも?」

「かしこまりました。ではイズミ様のお移動を確認し次第、清掃のためお部屋に参ります」


 もしその際にお忘れ物があれば、後ほどお届け致します。

 そう続けたクロエに、黒髪が揺れながらこくりと頷きで返した。


「面倒をかけるが……よろしく頼む」

「いいえ、これが私どもの仕事でございますので」


 告げると共に、優雅さのある所作で一礼。相変わらず感情の読めない表情のまま、クロエが踵を返そうとしたところへ。


「ミス・花菱、彼女に同行を」


 イズミのはっきりと意思を込めた声が、その歩みを止めさせる。


「——イズミ様?」

「相手の行動が掴めない以上、単独で動くのは俺の方がよいだろう」


 かちゃり、片眼鏡モノクルのブリッジを指先で押し上げる音が響く。瞼を閉じてそう告げた彼の、日の光を反射するレンズの奥。視線がちらとクロエを見遣るのを花菱は見逃さなかった。

 魔術師と非魔術師。

 魔導書管理局員と家政婦メイド

 万が一にも館の中で未曾有の存在と出遭ってしまった際に、どちらが正しく対処・・することができるかといえば。

 フッと息を吐いて笑みを浮かべる。そして三歩、黙って足を進めると、花菱はクロエへの隣へと並び立った。


「それじゃあ私の部屋で落ち合おう」

「嗚呼」


 ひらり、局員服の裾を翻して去っていくイズミ。素っ気なく思える振る舞いすらも行動を共にしていれば慣れたもので。遠ざかる背中を他所に、花菱はクロエへと向き直った。


「それじゃ、私たちも行こうか。どこに向かう?」

「では、厨房へと。クレアとセレーナ様が遅めの朝食の準備をしておりますから、今後の方針を伝えましょう。また、エリ様イズミ様の分はお部屋へと運びますので」

了解Got it,、じゃあこっちだね」


 館の奥の方へと進んでいったイズミとは反対方向、出入り口の方へと足を踏み出した花菱。その様子を見て一歩後ろから、自然な仕草でクロエも付き従うように歩き始める。

 燦燦さんさんと降る日差しは、どこまでも長閑のどかで暖かい。だがその温もりは寄り添うような柔らかさを持ちながらも、すぐに冷める熱はどこかすべてが他人事と言いたげだった。


「気にかけてくださり、有難うございます」


 しんと静まった空気に染みわたるように、クロエの声が響いた。その今までとはほんの少しだけ異なる、なんともいえない声色に黙ったまま花菱はちらと背後を見遣る。


わたくし達のような者は歯牙にもかけない。魔術師には、そういった方が多くいらっしゃいましたので」

「……まあ、そうだろうね。魔導書管理局内はそうでもないけれど、残念ながら魔術界全体では未だにその価値観が根強い」

「はい。だからこそ、エリ様のような方の存在の稀有さを理解できるのです。その残酷さをこの身を以て体験した、わたくし達ですから」


 クロエの言葉が、沈むように低い響きを帯びる。

 魔力濃度の高い、山中の館。その中でも集中して意識を研ぎ澄ませば、生体における魔力反応で魔術師であるかないかを判別することは可能である。花菱の見立てでは、クレアとクロエだけが文学の城castle of literatureに滞在する者の中で魔力反応のない非魔術師であった。

 その二人が、羽筆の魔術師に仕える家政婦メイドであるということ。

 その過程に魔術界の闇を孕んでいることは、想像に難くなかった。


「レイラ様と共に過ごせた時間は、私にとっても、クレアにとっても、何にも代えがたい時間でございました。だからこそ、何としてでも選考会を終わらせたいのです」


 角を曲がり、サーキュラー階段に差し掛かる寸前。言葉の意味に、花菱は思わず振り返り見る。


「なんとしてでも、ですか?」

「はい。何が起ころうとも、です」


 二藍と薄緑。視線が交わり続けること数舜。


「昼食がエリ様をお待ちしております。参りましょう」


 視線を逸らすことなく、クロエが沈黙を終わらせる。

 その変わることのない表情をじっと観察した後、花菱は瞬きを何度か重ねてから。


「……そうだね、行こうか」


 サーキュラー階段をこつこつと下り始めたのだった。

 そこから特に何事もなく、辿り着いた厨房。


「あっ、エリ様! こんにちは」


 ぱあっと花の開くような笑みを浮かべて、出迎えたのは言わずもがな。


「こんにちは、セレーナ嬢」


 花菱が返事をすれば、にこにこと笑顔で頷きを返すセレーナ。それに相反して、隣のクレアは少しだけ見開かれた目で予想外の存在への驚愕を表現している。


「……クロエと一緒にいらっしゃるとは思いませんでした」

「エリ様は現状の危険性を鑑み、帯同してくださいました」

「それと朝食兼昼食をいただきに。イズミの分もね」

「そういうことでしたか。お食事はご用意できておりますが」


 そういいながらクレアがちらりとその目をクロエへと向ける。無言で説明を求めるその瞳の催促に、阿吽の呼吸で説明を始める。


「セレーナ様は今後、わたくし共と同じお部屋で過ごしていただくことになります。代わりにイズミ様がエリ様と同室へと移られます」

「かしこまりました。こちらは問題ございませんが、セレーナ様もよいでしょうか?」

「エリ様が決めたことなら、異存はありません。お二人のお部屋にお邪魔させていただきます……!!」


 にこにこと年相応より幼げな喜びようでセレーナに、二人の家政婦メイドが微小に表情を緩めて彷徨わせた。微笑ましくもあるはずのそれが、次第に空元気であることを滲ませていったからである。


(セレーナ嬢……)

「それではお食事をお部屋に運んだ後に、お部屋からセレーナ様のお荷物をまとめて移動させましょうか」


 そう告げながら、クロエはガスコンロへと近づくと。蓋されたまま置いてある幾つかのフライパンの下、火を点ける。鉄を介した熱伝導で、パチパチと音が弾け始めた。花菱がそっとそちらに近づいて、その手元を覗き見る。


「今日のご飯はなんでしょう?」

「セレーナ様からのしっかり食べていただきたい、というご要望により」

「ヴォリューミーな英国式の朝食English Breakfastとなっております」


 ぱかり、開けられた蓋の下ではじゅうじゅうと焼かれるソーセージとベーコン。その隣にフライパンではスクランブルエッグとサニーサイドアップ。かたかたという音で振り向けば、セレーナがクレアと共に他の食材を持ち運び用の皿へと盛り付けを始めていた。

 どちらを手伝おうか、花菱が視線を右往左往としていれば。


「少々お待ちください、エリ様」

「すぐにご用意いたしますので」

「……何から何まで有難うございます」


 長けた空気を読むチカラで双子に先手を打たれ、苦笑交じりにお礼を告げる。その様子にくすりとセレーナは笑みを零すと。


「ささやかながら私もお手伝いしましたし、ちゃんと食べてくださいね」

「……わかりました。楽しみにしています」


 イズミのことも踏まえた念押しに、さらに苦みを滲ませつつも花菱はにこりと笑みを浮かべたのだった。

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