6-3:だってそうでしょう?

「どのような条件下において魔導書グリモワールするのか、お前も知っているだろう?」

「まぁ、そりゃ勿論」


 書物が魔導書グリモワールと呼ばれるに至るその過程について、その存在が広く認識されて何世紀と経ってはいるものの、未だ解明されていない部分が多い。しかしその一方で、魔導書管理局の活動が始まって以来蓄積された事例の分析の結果。幾つかの条件を満たしている場合に、魔導書グリモワール化の発生確率が高いという統計が出ている。


「……確かに、条件は満たされてる」


 想いが込められたものにほど魔力は宿りやすい。そして、魔力濃度の高い場所ほど、物に魔力は入り込みやすい。

 印刷よりも手書き、複製コピーより原本オリジナル

 魔導書グリモワールに関する事件が印刷技術が発達した現代において少なくなってきているのは、こういった背景も少なからず影響しているものだろう。写本による本の複製が行われていた年代の書籍は、今でも時折荒ぶり事件化することで局員の手によって鎮圧されている。


「けど、近年魔導書管理局を通して、アンチ魔力系の保護フィルムや栞が支給されているはずだ」


 だからといって無策なまま、魔導書グリモワールを封じるだけの魔導書管理局ではない。アンチ魔力術式を見えないように刻んだ透明な保護フィルムの開発や、挟むだけで効力を発揮する栞など、魔力が本に入り込まないような仕組みを作るところまで進歩している。


「管理局としても、魔導書グリモワール化に至る要因は極力排除していただろう、ということか」

「……まあ、仕事上必要な資料の類は経費で落とされるし。そりゃ勿論自費で購入したものも多くあるだろうけどさ」


 黙って腕を組んだイズミに、畳みかける花菱。


「彼女だって魔導書管理局のいち局員きょくいんだ。稀代の魔術書執筆家であるというのに、魔導書グリモワール化の危険を顧みず無策なままでいると思う?」


 真っ直ぐと見つめる藍色の瞳は、問いかける形でありながらも言外に彼女自身の見解を述べていた。片眼鏡モノクルの奥、ちらりと視線を向けた黒い瞳は一瞬の黙考の後。


「思えない。……と言いたいところだがな」

「……何か気に掛かってるなら、今のうちに共有してくれると助かる」

「いや。ただ、選考会に入ってからというものの、“羽筆の魔術師”の人物像がどうにも掴めないというだけだ」


 組んでいた手の片方を顎に当てると睫毛を伏せて視線を下げる。無表情が常である彼の瞳が、少しだけ剣呑さを帯びて細められた。


「せめて、彼女についてもっと情報があればな」

「――あら、お邪魔だったかしら」


 響く、少し高めのハスキーな声。

 バッと反射的に顔を向けるのは出入り口。扉の枠に凭れ掛かるようにして立っていたのは、アッシュブラウンの青年。


「ヴァルさん? どうして此処に」

「どうしても何も、聞いたからよ。……参加者が一人ひとり消えたってどういうことなの?」


 淡々と部屋の中へと歩みを進めるクリストヴァルに、驚いていたのも束の間。はっきりと言葉に表された現状に、花菱の顔へ苦い感情が滲む。


「どういうこともない。そのままの意味だが」

「あら、素っ気ないお返事ね。……まあいいわよ、アタシだって談笑しに来た訳じゃないもの」


 ふう、と息一つを吐いたクリストヴァルは一度目を閉じると、再び開いた紫の瞳に魔力が帯びる。そのままぐるり、花菱とイズミを迂回しつつも部屋の奥へ進み、探るようにその視線を巡らせた。


「荷物もそのまま、逃げて帰ったってワケじゃなさそうね」

「だからこそ問題なんだよ。この館にあるに連れ去られた可能性がある」

「ちょっと、今のうちに言っておくけれど……アタシじゃないわよ?」


 花菱の視線に、心外だという感情を滲ませたハスキーボイスが反論する。ムッとした表情で片方の手を腰に当てた姿は、丁寧に選択されたであろう部屋の景観と相まってどこか二枚目俳優のようである。


「残念ながらアタシには、そんなことにかまけている暇はないの」

「……さて、どうだか」

「あら、アナタ。素っ気なさは感じ取っていたけれど、そんなに人当たりの悪い男だったかしら? 見直したわよ」

「はいはいそこまでにしてもらいましょうか」


 鋭い視線と言葉を以って部屋の中に剣吞な空気をもたらした二人に、パンパンと二回、手を叩きながら会話の流れを断つ。


「ヴァルさんは口論するために来たわけでもないんでしょう? イズミも煽らない」

「ええ、そうね。こんなことをしている場合じゃなかった」

「……では何をしに此処へ?」

「言うなれば状況の整理、ってところかしら。クレアに言われたのよ、此処にアナタたちが居るってね」

「そっか、彼女たちが」


 脳裏に思い浮かべられるのはつい先程、寸分違わぬ所作で一礼をしていた二人のヴィクトリアンメイドの姿。

 クリストヴァルの口振りから察するに、家政婦メイドたちはどうやら選考会参加者への周知を早速行ってくれているらしい。参加者のいずれかが企てたものであったとしても、危険意識を共有することで互いが互いを監視することにも繋がる。


(その場しのぎではあるけど、ないよりはマシな策ってところか)

「言葉足らずに要点だけを伝えてくるものだから困ったものよ。まあ、概況は何となく把握できたけれど」

「成程。では参考までにお聞きしますが、……ヴァルさんはこの状況をどのように捉えていますか?」

「どのように、ねぇ」


 花菱の問に、再度さりげなく部屋へと視線を彷徨わせるクリストヴァル。次いでちらりと黙ったままのイズミを一瞥した後。


「予め言っておくけれど、アタシはアナタ達と違ってただの流れの魔術師よ。月並みなことしか言えないわよ?」

「構いません。違う視点だからこそ見えることもありますから」


 物事の捉え方には、その人の経験や既知の事実が少なからず影響を及ぼしている。同じものを同じ時に見ていたとしても、考えの根底にある基礎が異なれば受け取り手の見識も異なるもの。

 だからこそ、花菱はクリストヴァルからの見え方が気になったのである。魔導書管理局員としての経験に由らない、一人の魔術師としての見解が。


「そうね。念のために確認するけれど、居なくなったのは……晩餐会で青い顔をしていた茶髪の彼で間違いない?」

「嗚呼。名はフレッド・カーディルナル。……魔導書管理局の局員だ」

「へえ、彼もなの? 実を言うとどうしてアナタ達が動いているのか、少し不思議だったのよ。同僚が消えたともなれば、必然ともいえるかしら」

「そうですね。それを抜きにしたとしても、私たちの魔術司書の役目は魔術界における調停でもありますから」

「……ま、仕事熱心で何よりといったところね」


 くすっと力のない笑みを零しながら、クリストヴァルは懐からさっと手帳を取り出す。そしてそこにさらさらと何かを書き留めると、ぺらりぺらり。逡巡する様子のまま、数回ページを捲って。


「少なくとも、彼本人の意図した状況ではないだろうことは確かでしょう。……ただ、本人の意思による行動の結果である可能性はあるけれど」

「どういう意味合いだ?」

「だってそうでしょう?」


 パタン、と手帳を片手で閉じる音が静かに響く。


「彼自身の意思を利用されて、どこかに連れ去られた可能性は十分に在り得るわ」


 部屋の視線を一身に集める冷涼としたラベンダー色の瞳は、それが純然たる無味乾燥な事実であると語っていた。


「彼だって魔術師で魔術司書であるなら、抵抗の一つくらい上手くやってみせるでしょう? 晩餐会を経たアタシ達は残念なことに顔見知りで、館内を自由に動き回ることが許されている身よ」

成り代わり・・・・・、か」


 バリトンボイスがぼそり、と響く。その言葉に目を瞬かせた後、クリストヴァルはこっくりと頷きで返した。


「頭の回転の速さは流石、といったとこかしら。思考が鈍っていれば、ちゃちな幻惑魔術ヴィオ・マギアでも認識を誤魔化すことができる」

「……フレッドが姿を消したと思われるのは夜分遅くだ。疲れた思考を騙す程度の魔術なら――参加者たちにも扱える、か?」

「さてね。アタシは流れの魔術師、聞かれてもそこまでは知らないわ」


 思考を整理しながらの言葉に、無意識に上がり調子となった花菱の語尾に対し。尋ねられたと受け取ったハスキーボイスは、苦笑したように掠れる。


「ま、こんなところかしら。何の思惑があるにせよ、アタシは日記を探すけれどね」

「……行方不明者の探索はしないと?」

「それはアナタ達の使命なんでしょう? 同じようにアタシの使命は【コルテンティアの遺産】の継承よ」


 イズミの問いかけに、すっと鋭く細められたクリストヴァルの瞳。普段の柔和な空気は鳴りを潜め、冷徹ささえも見え隠れする風貌へと一変する。

 しかしそれは、確かに正しさを孕んだ言い分であった。魔術師とは研究者であり、自身の領分を解き明かしてこそ。故にそれぞれ信念があり、領分があり、追い求める理想がある。


「勿論、彼の無事は祈っているけれど。後は専門家の方々にお任せするわ」


 幾分か表情を和らげながらも、その面差しは厳しいままに。クリストヴァルはふぅっと息を吐くと、爪先を向ける先は部屋の出口。


「それじゃ、アタシはこの辺りで」

「……貴重なご意見を有難うございます、ヴァルさん」

「ええ。こんな見解でも、何かの助けになっていれば嬉しいわ」


 ひらり、と片手を振る仕草に、意見を仰いだ身として礼を述べるメゾソプラノ。

 イズミは黙ったまま、顎に手をやり何かを考えこんでいる中。そのまま退室すべく歩みを進めるクリストヴァルが、花菱の横を通り過ぎようとしたその時。


「そうだ、エリちゃん」

「? 何で――」


 しょう。

 そう言い切る前に掴まれた腕、骨ばった大きな手の感触。瞬く間に引き寄せられ、耳朶に掛かる吐息のぬるさ。


「レイラ・コルテンティアに実子は、一人も存在しないのよ」

「――ッ!!」


 ごく小さな音量に抑えられて鼓膜を伝うハスキーボイスに、ひゅっと息を呑む喉。咀嚼された言葉の意味に、藍色の眼が零れ落ちてしまいそうなほど見開かれる。

 時間が制止したかのような一瞬の出来事。次いで顔を向ければ、至近距離で視線がかち合う。花菱の驚愕と困惑をない交ぜにした表情に、クリストヴァルはすっと視線を逸らして。


「それじゃ、失礼するわ」


 さらりと距離を取るとそのまま、澱みない足取りで部屋を去っていく。

 コツコツと部屋を出て、遠ざかっていく足音。その反響を遠く聞きながら、花菱の脳裏を駆け巡るのは情報の渦。


(実子は、居ない――?)

「ミス・花菱?」


 低く落ち着いた声が、思考に引き摺りこまれかけた意識を引き留める。腕組みをししたイズミはその片眼鏡モノクルの奥、思慮深い漆黒で尋ねかけるように花菱を見つめる。


「……私たちも行こうか」


 情報の整理はもう十分であろう。もたらされた情報自体の真偽を照らし合わせるためにも、さらなる情報収集が必要だ。

 深呼吸を重ねて、花菱は決意新たに目を開く。


「此処に居るだけじゃ、――事態は好転しないから」

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