ハッピーエンドのはじめかた

灯翅

第1話に至るための

 その『作戦』に嵌められたことは、戦場で生きてきた私でも少しは平穏を信じることができた、ということのなのだろうか。

 最初の違和感は、彼から食事に誘われて、着いたそこがちょっと高めのレストランだったこと。小金持ちとはいえ、別れる・別れないの喧嘩をしてロクに決着もできてないのに、そんなところに呼び出すか? 

 店に入ると、また違和感。席についていたのは、彼だけではなかった。

 まず目に入ったのは、美嘉、光莉、智子。彼女らと私たちで食卓を囲むのはまぁ、おかしくはない。私たちの同僚だから。同僚の中から選んだというには、ずいぶんと私に寄った人選だけれど。

 その次に見た顔から違和感はまた生まれだす。会社の同好会の連中。私だって彼らと、会社でもサバゲーのフィールドでもないところで接点を作ったことがないのに、彼となんてほぼ交流がないはずだ。上司に値する立場の人もいる。どうして彼らはここに呼び出された?

 決定的におかしいのは彼を境にして同僚の向かい側にいる人たち。彼の家族だ。両親に妹、祖母まで揃えたフルメンバー。この錚々たる面々と交える食事会に、なんの意味も込められていないはずがない。

「いい? ローザ。仕組まれた危険には、必ず兆候があるものなの」

 アイコの記憶が蘇る。いいや、ここは日本で、私たちがいた戦場じゃあない。ちょっとした違和からいちいち敵意を感じる必要なんてないはずだ。だいたい、アイコが言ったんじゃないか、日本は平和だって。だから来たのに。振り切ろうとしても、記憶の中のアイコは続ける。

「私たちが生きていくには、その兆候を見逃したらいけない。忘れないでね」

 私たちはその兆候を見逃して、アイコは死んだ。私をローザと呼ぶ人はもうどこにもいない。

 会の意図が説明されないまま、なんとなく自己紹介があって、なんとなく食事会が始まる。

「どう芽亜里、お店気に入ってくれた?」

 どういう人たちを並べたのかということに自覚があるのかないのか、彼の注意は私にばかり向いている。

「え、うん、いいんじゃない? ねぇ、智子?」

 主催者がそんなふうなので、場の主導権は私が握らざるを得ない。

「綿村さんたちはこういうお店、よく来ます?」

 仲間はずれが出ないよう話題をコントロールするのには、骨が折れた。

「もしかして、鍋島家行きつけのお店だったりするんですか? ここ」

 心なんて見えないものを守るより、命というわかりやすいものを守るほうがわかりやすくて性に合っている。彼女の命は守れなかったけれど。

 場に気を配っていても、ポロポロこぼれ落ちる違和感が目に入る。なんだか妙に慣れていない給仕係。この値段の店のウェイターならもう少し気が効いてもいいんじゃないか? ぱらぱらと席を埋める他の客たち。あのカップルは水だけでどれだけ粘る気なんだ。

「みなさんは今日、どうしてお集まりになったんですか?」

 食事は終盤になって、いい加減話の種も尽きてしまい、思い切って直接尋ねてみた。

「鍋島さんに呼ばれたから。大事な話があるって」

「鍋島君に誘われて。ちょっとした発表があるとか」

「彰人に、大切な報告があるから来て欲しいって」

 なるほど、誰もわかってないってことがわかった。であれば本人に聞くしかない。

「ねぇ彰人、いい加減なんの用なんだか、話してくれてもいいんじゃない?」

「あー、うん。そうだね」

 なんだか上の空だ。セッティングした張本人すらわかってないんじゃないだろうな。彼はおもむろにフォークを持ち上げると、手元のグラスを軽く打ち鳴らした。

「ウェイター」

 給仕係を呼びたかったらしい。呼んで説明でもさせるのか。だいたい食器を鳴らすのは日本じゃマナー違反なんだろう、なんだその呼びつけ方は。言いたいことが止まないが、努めて静観を続ける。

「お待たせしました」

 のんびり給仕係がやってくる。やっぱり店の格に比べて質が低い。

「みなさんに例のものを」

「かしこまりました」

 デザートも終わったというのに、まだなにかあるのか。

「すみません、私はデザートのおかわりを」

 ついでだ、と私が思ってした要求は、給仕係に無視される形になった。彼は突然歌いだしたのだ。

 それは『作戦』の狼煙だった。驚いた私は懐に手を突っ込んでしまって、慌てて自分を制止した。ここは日本だ、戦場じゃない。

 食事会の面々にも寝耳に水だったみたいで、ぽかんとしている。おばあちゃんの心臓が止まっていないか心配になったが、大丈夫そうだ。

 他にもウェイターたちがやって来て、仲間の行動を咎めるのかと思いきやなんと一緒に歌いだした。それも見事なコーラスで。

「わあ、見てコックさんまで」

 隣に座っていた光莉は楽しげだ。状況に対する飲み込みが良すぎないか。それとも状況に呑まれているのか。

「コックさんはマイクを握る人じゃないでしょう」

「そうだね、歌いたい気分なのかな」

 私が入れた突っ込みに能天気な答えを寄越す様子から見るに、後者っぽい。気分で武器を持ち替えるプロがいるものか。

 他の客たちを見やると、彼らは驚くどころかノリノリで身体を揺らしている。しまいには立ち上がって踊りだした。その様子を見て、これが『作戦』であることをようやく察したのだった。

 フラッシュモブ。テレビで目にしたことがある。無関係を装った人たちが突然街中でパフォーマンスを披露する行為。まるでゲリラ戦だなと思っていたが、いざ受けてみると本当に電撃作戦じみている。

 彼と一緒にミュージカルを観に行ったときのことを思い出す。演目はシンデレラだっけ。「街中で歌いだすなんて変じゃない?」的にでもなりたいのか?「そうかなぁ? 素敵じゃん?」いいややっぱり奇行だよ。

「わたしはローザのシンデレラなんだね」

 また古い記憶のアイコが喋る。

「え、じゃあアイツの銃創がガラスの靴? 血みどろのシンデレラね」

「あはは、そうなっちゃうね。でも、哀れなシンデレラは王子様に見つけてもらってしあわせに暮らしましたとさ、めでたしめでたし、がいいなあ」

「王子様なんて柄じゃないよ」

 私がアイコの哀れなシンデレラだったのに、なんて反論してももう届くことはない。いまはとにかく、状況の把握に努めろ。

 彼はといえば、『作戦』が首尾よく進んでいるからかニコニコしている。彼の合図から『作戦』が始まったことから推測すると、彼が首謀者とみて間違いないだろう。あんなに間抜けな寝顔を晒していたのに、こんな『作戦』を遂行してのけるとは。首謀者は判明、ではいったい何のための『作戦』だ?

 歌って踊る実働部隊員たちの視線がしばしば集まることに気付く。その先にいるのは彼と私。彼らにとって私たちはなんだ? 破局しかけの恋人? いや、そんなことは彼らに関係ないはずだ。彼と私。首謀者と——標的か。

「奴らの標的、いよいよわたしになったみたい」

「……大丈夫。アイコは私が守ってみせるよ」

 今度蘇ってきたのは、苦い記憶。私の言葉は嘘になって、めでたしめでたしはこなかった。

「ねぇ、ハッピーエンドの条件って、知って、る?」

「喋らないで、血を、血を止めないと」

「それは、ね、悪夢みたいな、スタートライン……なんだよ。哀れなシンデレラが、めでたし、めでたしで終わったみたい、に」

「こんな、はずじゃ」

「これは、わたしの、ハッピーエンド……だから」

「アイコ!」

「ローザにもきっと……来るよ、ハッピーエンド。だいじょう……」

 そうやってアイコは死んだ。私を悪夢みたいなスタートラインに据え付けて。

「芽亜里、結婚してくれないか」

「……は?」

 気付くと狂騒はクライマックスを迎えたようで、演者たちは私と彰人を取り囲んで跪いていた。食事会の面々は固唾を呑んで私たちを見つめている。

「僕たちは付き合い始めてから日も浅いし、君の過去も詳しくは知らない。でも、なにか後ろ暗いものに付きまとわれていることは知っている。だから、僕になにができるか考えてみたんだ」

 彼は懐から小箱を取り出し、私に開けてみせた。中では指輪が光っている。

「大変な思いをしてきたであろう君に、ゴールを用意してあげることだと思うんだ」

 なるほど、それが『作戦』の本懐だったか。

「家族になって、君の帰る場所を用意してあげたい。だから、結婚しよう」

 彼の台詞とともに、演者たちは拍手と歓声を上げた。

「……」

 彼の家族は、よくやったとばかりにニコニコしている。同僚のうちの一人がスマホで写真を取り出した。美嘉も智子も祝福ムードといった様子だったけれど、光莉には少し困惑の色が見えた。

「……少し、考えさせてもらってもいいですか」

 一同の表情が少し曇った。美嘉なんか露骨だ。やっぱりモヤモヤを募らせていたように見える。捨てられたんじゃない、捨ててやったのよと開き直っていたのはなんだったんだ。

 智子はなんだかやきもきしているようだ。幸せになりたいなら、どうしてはやく掴んでしまわないのよ、なんてよく言われたものな。

 どうやら即時回答を望まれているらしい。まるであのときの状況とおんなじだ。

「……みなさん、今日は私たちのために、ありがとうございました」

 私は立ち上がると、演者たちに謝辞を述べた。

「歌も踊りも、とっても素敵でした。おかげでよい時間を過ごすことができました」

 二十人くらいいるのだろうか。ずいぶんと大がかりなものだ。

「そんな中で申し訳ないのですが、お願いがあります。彰人さんへのお返事をしたいのですが、その、少し恥ずかしいので、身内だけにしてもらえないでしょうか」

 コック(の恰好をした演者)は彰人と目配せをして頷くと、静かに退場を始めた。他の演者たちも後に続いて会場を去っていく。

 私たちだけになった食卓に臨んで、私は話し始めた。

「……隠したままというのも失礼ですから、少し、私のことについてお話します。私は中東の小国で生まれました。家族は戦乱に巻き込まれて死んで、物心ついたときにはひとりきりでした」

 一同の顔に悲愴の色が降りる。ほとんど誰にも話したことがなかったから、そりゃそうだろうな。

「そんな中で私に残された生き延びるための手段は、戦うことだけでした。武装組織の工作員として育てられて、戦いに明け暮れる日々を生きてきました」

 そんな、という溜息が彰人から漏れた。これがあなたのいう後ろ暗い過去なんだよ。

「私の手は血で汚れています。彰人、それでも私を受け入れてくれると言うの?」

「……そんなに重たい過去だとは思わなかったけど。それでも、僕の気持ちは変わらないよ」

 そりゃ、もう後には退けないわよね。

「……成人するまでそんなふうに生き延びて、ある日、アイコという人と知り合いました。日本から来て抗争に巻き込まれて家族を失い、私と同じように生きてきた人でした。恋に落ちるまでにそれほど時間は必要ありませんでした」

 あの地獄で、私は彼女に拾われて、彼女は私に拾われた。

「ふたりとも、他人の流した血の上で生きていく生活に嫌気がさしていて、日本でのんびり暮らしていくことを夢見ていました」

 お金を貯めて、戦乱の地から出て行く。平和な地で安寧に暮らす。それだけを頼りに私たちは生きた。それが私のハッピーエンドだと信じていた。

「でも、それは叶いませんでした。敵対する組織の『作戦』に嵌められてしまったのです。ちょうど私たちが食事をしているところに、奇襲を受けました」

 国を離れる前の最後の食事だからなんていって、高めで混雑のないお店にしたのが間違いだったのかもしれない。

「私たちはあっという間に囲まれ、私は人質として取られてしまいました。アイコも抵抗を止めざるを得ませんでした」

 美嘉、智子はピンと来ていない様子だ。気付かないほうが楽に決まっているか。

「それでも私は抵抗しようとしました。しかしそれは、食事に同席していた私たちの組織の幹部に止められました。ここで無用な血を流すとそれがまた火種になると」

 手にしている生殺与奪の権力に、もう少し自覚的であったらな、と綿村さんたちを見て思う。信用しきれない私も悪いのだろうが。

「首謀者は家族もその場に連れてきていました。一族郎党の恨み、とでも言うのでしょうか、彼らがアイコの死を望んでいたようで、首謀者自身にも止められないようでした」

 それを望む家族の前で始めてしまったら、もうやりきる以外ないのだろうな。

「……そのアイコさんはどうなったの?」

 彰人が恐る恐る聞いてくる。

「死んだよ。私の身代わりになって死んだ。生き残った私は一人で日本に逃げ延びました」

「……」

「この平和な地に来て数年、ロクに過去も明かさない私に、みなさんはとても良くしてくださいました。特に彰人さん。あなたはこんな私に、家族を与えるとまで言ってくれた」

「芽亜里……」

「ですが、結婚の話は、お断りします」

「……」

 一同は溜息も吐けないようで、会場は静まり返った。

「……どうしてよ」

 静寂を破ったのは美嘉の一言だった。

「私から彰人を奪っておいて、どうして断ることができるのよ」

「それは誤解だって」

 彰人から言い寄って来た、なんて言っても傷口を広げるだけだろう。

「それじゃあ納得できなかったから今日、踏ん切りをつけるはずだったのに、どうして」

 あなたのために結婚をしろと言うのだろうか。

「芽亜里」

 彰人が口を開く。

「君のために、こうしてみんなを集めて、パフォーマンスまでしてもらったわけだけれど、どうやら迷惑だったようだね」

 迷惑をかけられたのはこっちだ、とでも言いたげな表情だ。もういいや。こんな、心を人質にしても罰されない国になんて、いられるものか。

「……アイコは生前、言っていました」

「え?」

「日本はとっても平和で、私たちが暮らしていた国みたいに暴力に怯えなくてもいいんだって。それは実際その通りで、空から爆弾も砲弾も落ちてくることはないし、料理に毒が入っていたり足場に爆発物が仕込まれていたりすることはありませんでした。でも」

 目に見えるそれは確かにないけれど。

「暴力は存在していました。たとえば今日、この場のような」

「ぼ、暴力だなんてそんな、喧嘩もしちゃったし、僕は君を喜ばせようと――」

「こんなにしてまで要求を飲ませようだなんて、暴力以外のなんなのかしら」

「そんなつもりは」

「……私は、暴力への対抗手段に、暴力以外を知りません。残念ながら」

 懐から銃を取り出す。弾数がギリギリだな。

「僕は、君にゴールを迎えさせてあげようと」

「これは私のハッピーエンドではないよ」

 美嘉に向けて、引き金を引く。まずは人質からだ。未練を断ち切るために。人質は取られた時点で敵。続いて智子にも。

 彰人は目の前の状況に頭が追いついていないようで、絶句したまま突っ立っている。

「な、なんでエアガンなんて持ってきてるの? サイレンサーまで……」

 同好会の連中にはそう見えるのか。一人ずつ、本物と偽物の違いを教えてあげた。彼と縁を切れてさえいれば、綿村さんと食事にくらい行けたのかな。

 悲鳴を上げて逃げようとする奴がいるので黙らせる。彼の妹だったようだ。慌てた家族たちが駆け寄るので、まるで入れ食いだ。

 はやく結婚してくれってうるさいんだよ、って彼はよく言っていたな。彼らは黒幕だったってわけだ。おばあちゃん、心臓止めることになっちゃってごめんね。

「どうしてこんなことするの、芽亜里。もう昔みたいなことはしないって」

 震えながら話しかけてきたのは光莉だった。彼女には、過去を少し喋っていた。

「そうしなくて済むならよかったんだけれどね」

「た、確かに鍋島君のやり方はよくないと思うけど、殺さなくったって」

「これでもちゃんと考えたんだよ、私」

「それで、どうしてこうなる!」彰人が悲鳴を上げる。ようやく我に返ったようだ。

「じゃあさ、あなたの望み通りにしたとしよう。つまりは結婚だ、その気のない相手と。それって、自殺の強要みたいなものじゃない? 一生を捧げろなんて、ムチャクチャだよ」

「だったら断って、それで終わりでいいじゃないか」

「綿村さんたちの前だよ、どうなると思う? 少なくとも私があなたかは会社にいられなくなるよね。あなたは家族まで呼んじゃったしね、恥をかかされたなんて言い出すかもしれない。社会的に殺されてしまうよ」

 だから、暴力には暴力を。私のハッピーエンドが壊されるくらいなら、自分で砕いてやる。

「そんな……こんなはずじゃ。幸せな未来が、待っているはずだったのに」

「そっか。じゃあ、教えてあげるよ。ハッピーエンドの始め方を」

 光莉の眉間を撃ち抜いた。私は武器を持ち替えられなかった。ごめんね。でもこうしないとフェアじゃないから。

 アイコも自分のことだけ守っていればよかったのにな。あそこで終わっていれば、こんなふうに壊してまで守る必要なんてなかったのに。

「……何を」

「それはね、ぜんぶ無くして、これ以上失うものなんてないっていうスタート地点から、歩き出すことだよ」

 なにも無くさない満ち足りた王子様に、ハッピーエンドなんかくるものか。

「じゃあ、精々生きて、素敵なハッピーエンドをね」

 あなたは被害者面できるだけ何歩か先んじているのだ、と言ったってわからないだろうが。

 あーあ、また悪夢みたいなスタートラインだ。私は血溜まりになったレストランを後にした。

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