Babel /このラノ2021ランクイン記念SS
ファルサスの城は広い。
やたら長い廊下がいくつもあって、城に勤め始めたばかりの女官などは迷子になることもあるのだという。
幸い雫は、方向感覚がいい方だ。
彼女は肩掛けにした作業用の布バッグから金属プレートを一枚取り出す。それを壁にかけられた大きな肖像画の下にあるプレートとよく見比べた。書かれている内容は読めないが、数字と「ファルサス」という単語だけは見て取れる。
「うん、これで合ってる」
雫は二つのプレートの文字を照らし合わせると、壁についていた方の一枚を工具で取り外した。
同じことが書かれている新しい一枚につけかえる。
「これ、結構面白いかも」
雫が借りた工具は、印鑑のような形状をしている。接触面に魔法紋様が刻まれており、同じ紋様が刻まれたビスをつけはずしできるのだ。
ラルスより「なんかもらったから付け替えとけ」と命じられた本日の雑用である。
預かったプレートは全部で二十枚ほど。雫はそれを、城の奥まった廊下にある肖像画下に嵌められたものと交換していった。そのまま五枚ほど替えたところで、後ろから声をかけられる。
「そんなところで何してるの?」
「エリク」
そこに立っているのは、彼女の旅の引率者であるエリクだ。
彼の後ろには王妹の姿もある。レウティシアは雫の持っているプレートを見て苦笑した。
「もうそんなに経ったのね。それは十年に一度、ある貴族の家が作って贈ってくるのよ」
「十年って、耐久年数がそれくらいなんですか?」
「そんなこともないのだけれど。王家の姫が嫁いだことがある家だから、何かの理由があって約束したんでしょうね」
レウティシアは端に飾られた肖像画を指し示す。
そこに描かれているのは一対の男女だ。
「私の両親よ」
「え」
言われて雫は、改めてその肖像画を見やる。
今までプレートの文字が合っているかどうかだけを意識していたが、確かに言われてみれば絵の中の人物には見覚えがある。男性の方はラルスに似ているし、女性の方は本人の遺体と対面したことがある。
美しい女性の絵を、複雑な感情で眺める雫にレウティシアは微苦笑した。
「代々、王と王妃の肖像画がここに飾られるの。と言っても、さすがに初期の頃はそういう習慣がなかったから、第十一代の王夫妻からね」
「あー、なるほど!」
プレートに書かれている数字は、何代目の王かを記したものだったのだ。
直系王族の名前の末尾には必ず「ファルサス」が入るので、それだけ読めたのだろう。
雫は他意の無い感想を述べた。
「じゃあこの間騒ぎになってた廃王の人もここにあるんですか?」
「彼の肖像画はないわ。廃された王だから。王であった、ということ自体、なかったことにされているの。本来なら二十七代なのだけれど、彼を廃して王位についた弟の方が、今は正式な二十七代ということになってるわ」
「はー、上書きしたんですね」
「そう。でもそこからの時代は本当に色々あったから。二十八代王も一度即位した王が廃されて、その従兄が即位してるわ。それが私たちの祖父ね」
レウティシアはさらりと説明してくれたが、その内容はファルサス王族が経た苦難の歴史を思わせるものだ。
雫は等間隔に飾られている肖像画を眺めた。
そしてふと、途中に一つ分の隙間が空いていることに気づく。
「あそこが空いてるのも何か理由があるんですか?」
その疑問にレウティシアは目を閉じて微笑む。
「二十一代の王夫妻の肖像画は焼失してしまったの。ディスラル廃王の事件があった日に魔法の巻き添えで焼けてしまったと記録されてるわ」
それは、廃王が大広間に直系たちを集めて殺戮を行ったという日のことだろう。
直系同士の苛烈な戦闘になった挙句、多大な犠牲者を出してディスラルを殺したという話だが、それだけの大事件で燃えた絵が一枚だけだったのは、まだマシの方だったのかもしれない。
そこまで黙っていたエリクが口を開く。
「第二十一代の王は魔女の時代を終わらせた王だ。歴史上高名な王ではあるんだけど、そんなわけで王妃も含めて絵は残っていないんだ。当時は王族の写し絵を平民が持つのは不敬って風潮があったしね」
「はー、面白いですね。私の世界だと結構昔の人の肖像画が残ってたりするんですけど。今は文化が違うんですか?」
「他国なんかだと王侯貴族の肖像画が普通に街中で売られてたりもするよ。人気がある人とかもいるしね。ただファルサスは王族の肖像画があまり流通してない」
「自分の肖像画があちこちにあるなんて嫌でしょう。落ち着かないわ」
レウティシアは少女のように頬を膨らませる。
そんな表情は彼女の珍しい側面だ。微笑ましさに雫が口元を緩めていると、レウティシアは白い両手を顔の前で合わせる。
「それより雫、手が空いた時でいいの。前に作ってくれた焼き菓子の作り方を教えてくれない?」
「え。構いませんけど、ご自分でお作りになるんですか?」
「やり方を見ながら作れば作れると思うわ」
「魔法士は基本的に料理ができるんだよ。魔法薬を作るのと手順が似てるから。味は保証しないけど」
「いや味が大事じゃないですか。じゃなくて」
エリク一人でもすぐ話が脱線してしまうのに、世間ずれしていないレウティシアが加わると余計に方向がおかしくなる。
雫はこめかみを掻いた。
「厨師の方にお伝えしておきますよ。レウティシア様はお忙しいでしょうし」
元々大陸東部の菓子だ。宮廷料理人なら知っている人間もいるかもしれない。
レウティシアはぱっと笑顔になった。
「いいの? ありがとう!」
「それくらいやらせてください。お世話になりましたので」
雫とエリクはもうすぐファルサスを出立することになっている。
この魔法大国において、散々ひどい迷惑も被ったが、その原因は大体レウティシアの兄で、彼女はむしろ兄の横暴から雫を庇ってくれた。菓子のレシピを残していくくらいお安い御用だし、むしろ人参ケーキのレシピも残したい。
レウティシアはもう一度「ありがとう」と礼を言って大きく手を振ると、執務に戻っていく。
肖像画として残しておきたいその笑顔に雫は和んだ。残ったエリクが口を開く。
「王妹はあれを頼みに来たんだよ。僕が伝えとくって言ったけど、自分で頼みたいからって」
「そ、それは恐縮……」
日頃魔法絡みの執務を一手に引き受けているレウティシアにとって、素朴な焼き菓子を食べるのはいい気分転換になるのかもしれない。最初に焼き菓子を振舞った時の王妹の笑顔を思い出し、雫が顔を綻ばせているとエリクが付け足す。
「僕もあのお菓子をもらったけど、美味しかったよ。ほっとする味だった。ありがとう」
「あ……」
雫は目を瞠る。
「エリクと一緒に食べて欲しい」と、レウティシアに焼き菓子を渡したのは、彼とほとんど会えなかった時のことだ。
つい先日のことなのに、ずいぶんと昔に思える記憶。確かに自分の思いが彼に届いていたのだと知って、雫は微笑んだ。
「よかったです。こちらこそありがとうございます」
「なんで君がお礼を言うの」
「何となくです。次は焼きたてが美味しいお菓子を焼きますね」
彼と二人、異世界を行く旅はまだ続くのだろう。
この先に何があるかは分からない。
だから少しずつでも、絶えず感謝の気持ちを返していく。そうでありたいと願う。
雫はその日の夕方、エリクに教えられながら自分の手で焼き菓子のレシピをかき上げた。
イラスト入りで丁寧に書かれたレシピは、そのまま宮廷の厨房に届けられ――けれど数日後、雫は一人、城から忽然と消えてしまう。
これは、時代の激動が始まる直前の、ささやかな日常の話だ。
Babel 古宮九時/電撃文庫・電撃の新文芸 @dengekibunko
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