不殺の英雄

スズヤ ケイ

不殺の英雄

 部屋の中に、暖炉の薪がパチパチと爆ぜる音が響く。

 暖炉の傍では、老婆が安楽椅子に腰掛けて編み物をしている。

 髪にはまだ白い物は混じっておらず、綺麗な金色を保っていた。

 顔には深い年輪が刻まれているが、肌艶は良い。

 細く優し気な目元、すっと通った鼻筋、微笑みを浮かべる形の良い唇。かつては美人であったろう事が伺える。


「おばあちゃ~ん、ご本読んで~!」


 そこへ開いたままのドアを通って、一人の少女が入ってきた。5歳程だろうか。老婆とよく似た細い目をしている。

 ふわふわとした金髪を揺らしながら、まだ成長中の短い手足を懸命に振り、どたどたと老婆に駆け寄る。


「おやおや、またかい?」


 老婆は手を止め、孫を笑顔で迎える。


「うん~、今度はこれ~!」


 手にした本を押し付けるように見せた。

 本の表紙には「不殺の英雄」と題がある。


「おとうさんに借りたの~」

「ああ、それかい。私もその本は大好きだよ」


 目を細めながら老婆が頷く。


「ふさつって~、ころさないって意味だよね~?」

「おや、もうそんな言葉を知っているのかい。お前は賢いねぇ」


 老婆は本を受け取りながら孫の頭を撫でる。


「おにいちゃんは、わるい人やつよい魔獣をいっぱいころした人が英雄になるんだって言ってたけど~」

「ふぅむ、そう言う事も有るには有るさ。だけどね、この本の主人公はだ~れも殺さないんだよ」

「ほんとに~?」


 少女が老婆と良く似た細い目を見開いて聞き返す。


「ああ、本当だよ。どれ、じゃあ一つ読んであげようかねぇ」


 途中だった編み物を脇のテーブルへどけると、老婆は本を開く。


「これはね、今から500年くらい昔の話さ……」


 老婆の朗読が部屋に響き始めた。




 ─────────




 数多ある大陸の一つ、ワルトガルド大陸。

 大陸の中央には、南北を別つように8000m級の山々が連なる。北部は極寒の雪原が広がり、寒さに適応した少数民族や獣達のみが生息している。

 山脈の南部はがらりと気候が変わって、麓には広大な原生林が生い茂り、森の民であるエルフ族が集落を形成している。

 その大森林地帯を抜けると、人間の生活に適した温暖な平野が広がるが、大陸全体で見れば三分の一程度でしかない。

 その狭い土地を奪い合うように、人間達は幾多の国に分かれて戦乱に明け暮れていた。


 ある時、大陸南西部で巨大な帝国が現れる。

 その帝国の武力は凄まじく、周辺の国々を次々と飲み込んでいった。

 そして西側の殆どが帝国の領土となった頃、東側の小国群はそれに対抗する為に団結し、連合軍を作りあげた。


 互いの戦力は五分となり、一進一退を繰り返す。

 様子見の小競り合いを幾度となく交わした後、ついに両軍全戦力を投入した決戦が行われる事となる。


 帝国と連合軍の境目にある広大な平野。セントリア平野と呼ばれる地にて、両軍は睨み合っていた。

 両軍の兵の数は合わせておよそ100万人。大陸の歴史上稀に見る大戦争である。

 互いの距離は約1㎞。騎馬兵が駆け出せば、あっと言う間の距離である。

 将軍の進軍の合図を今か今かと待つ兵士達。


 まさに一触即発。

 皇帝や連合軍の王達がタイミングを見計らっていたその時だ。


 両軍が向かい合うちょうど半ばに、ゆらりと陽炎のような物が立ち上る。

 折しも季節は真夏である。誰もが見間違いかと気にも留めない。

 物見の兵が確認のために目を凝らす。

 すると、揺らめきが起こった場所からするり、と人影のような物が出てきたではないか。


 前線の兵士達が一斉にどよめく。

 将軍が部下から双眼鏡を奪い取り、自ら確認する。


 女だ。


 そこには確かに女が立っていた。

 喪服のようにも見える、光をも飲み込みそうな漆黒のワンピース。タイトなそのデザインは、女の見事な肢体の線を浮き彫りにしている。

 黒い日傘を差しており、顔は見えない。

 女の空いた方の手が上がり、口元に寄せられる。咳払いでもしたように見えた。


 その直後。


『あ~あ~、聞こえているかね、諸君』


 その場の全ての者、後方にいる皇帝や王達の元にまで、はっきりと届く大音声が響いた。

 つい聞き惚れてしまうような、涼やかで美しい声だ。

 口調に怒鳴っている様子は無い。拡声魔術を使っているのだろうと、皇帝の側近の魔術師が耳打ちした。


『お取込み中すまないね。私は通りすがりの観光客だが、君達が少々騒がしいので辟易している。出来れば双方引いてくれないかね?』


 あの女は何を言っている? 観光客?

 皇帝や王達、いや、その場の全ての者が疑問符を浮かべている。


『言葉が通じていないのかね? 無益な争い等辞めにして、お家へ帰ったらどうかと言い換えても良いが』


 もう良い、ただの頭のおかしい奴の戯言だ。

 そう判断した皇帝は女を射殺すよう命令を下す。その後に進軍せよ、とも。


 ヒュンッ!


 帝国きっての弓の名手の放った矢が、吸い込まれるようにして女へ飛んで行く。

 距離にして500mにもなるが、彼の者の腕ならば、と皇帝の口の端が吊り上がる。


 果たして矢は真っ直ぐに女の元へと飛んで行く。

 そして……


 矢が日傘に「飲み込まれた」。


 誰もが目を疑った。

 突き刺さったのならば分かる。貫通したのならば分かる。

 どちらでもない。女が特に動いた訳でもない。


 日傘の表面が水面のように波打ち、矢が「入って行った」。


 狂ったように皇帝が進軍の令を飛ばす。堰を切ったように走り出す兵士達。連合軍も迎合して動き出す。


『……仕方ない。命の惜しい者はその場から動かないように。良いかね?』


 やれやれと言った調子の声が発される。


 すると、前線の兵が何かにぶつかったかのように動きを止めた。

 何事かと確認すると、目の前に触れるが見えない壁のような物が有る。

 首を捻っている間に、それは起こった。


 ゴゴゴゴ……


 徐々に大きくなる振動音。

 数秒後。


 轟!!


 かつて体験した事の無いような巨大な地震が兵達を襲った。

 テーブルの上に乗った状態で、それをひっくり返されたかのようだ。

 とても立っていられる揺れではない。ある者はすぐさま蹲り、ある者は転倒し、馬も嘶きながら膝を折る。

 その場にいる者全てが、地面に這いつくばるようにして動きを止めた。


 そして、更に驚くべき事態が起こる。


 鳴り響いていた振動音が更に大きくなっていく。


 すでに轟音と言うのも生温い音は、人間の聴覚の限界を超えて無音にすら感じられる。


 そして彼らは見た。


 女を中心とした東西を分ける地面。それが凄まじい勢いで割れ落ちていく様を。


 強大な地震が、大地を引き裂いている。


 大魔術師と名高い、皇帝の側近でさえも扱えないような圧倒的な御業である。


 揺れが収まった後、両軍の間には底すら見えない深い谷が横たわっていた。


『さて。こうして物理的に引き離せば冷静になれたかね?』


 僅かに人一人が立てる程度の幅が残った崖の上で、女が立っている。


「貴様、何者だ! 何が目的だ!!」


 我を忘れて崖の縁まで走り寄った皇帝が叫ぶ。

 それを見て日傘に隠れた女が、辛うじて見える首を傾げた様子が見えた。


『やはり言葉が通じていなかったのかね? 私の身分と目的はすでに語ったが』


「だとしても何だこの有様は! 威嚇のつもりか!?」


 連合軍の王達も対岸に進み出ていた。その中の代表らしき王が問う。


『何、こうでもしないと頭が冷えないかと思ってね』


 女は双方を見比べると言葉を続けた。


『君達が代表者という訳だね。もっと近くで話そうじゃないか』


 女がぱちんと指を鳴らすと、皇帝と代表の王の姿がその場から消え失せる。

 側近達が慌てるが、すぐにその姿は見つけられた。


 女のすぐ傍に、脈絡もなく宙空から腕が生えている。

 真っ黒い影のようにも見えるその腕に襟首を掴まれて、二人の君主は宙にぶら下げられていたのだ。

 兵がどよめくが、深い谷に阻まれどうする事も出来ない。


 これには皇帝と王も肝を冷やす。

 わたわたと無様に藻掻くものの、どうにもならない。


「さて。私の願いは先程言った通り停戦だ。人類皆兄弟とも言うだろう? 仲良くしてくれないかね」


 拡声魔術をやめ、女は二人に静かに語りかける。


「……はいそうですか、と言う訳が無かろうが!」

「その通りだ! 我が民の命が懸かっているのだぞ!」


 ぶら下げられたままで、気丈にも叫ぶ二人。流石に王の器である。


「まだそんな事を言っているのかね?」


 ふふふ、と女の笑い声が洩れる。


「では……もう少し頭を冷やして来ると良い」


 女が言うと、二人の襟を掴んでいた黒い腕が、不意に消え失せた。


「「うおあああああ………………!!」」


 二人の君主の口から悲鳴が上がり、尾を引くように落ちて行った。

 兵達からも似たような声が上がる。

 当然だ。自らを率いる者が、奈落の底へと落ちて行ったのだから。

 しかし何もできる事は無い。


 しばしその場の誰もが呆然と崖の下を眺める時が流れる。


 そして・・・


「「・・・・・ああああああああああ!!」」


 空から悲鳴と共に二人の人間が降ってきた。

 先程と同じ位置まで落ちて来ると、再び出現した腕ががっしりとその襟首を掴む。


 ぜいぜいと大きく喘ぐ二人の君主は思わず顔を見合わせる。

 何が何だか分からない。双方そんな顔をしている。

 周りで見ていても分かる者などいない。


 いや、一つだけ分かった事は有る。

 目の前の女は、想像を絶する化け物である事が。


 二人の顔は青ざめ、傍から見てもガタガタと大きく震えている。


「さて」


 女が口を開くと、びくりと二人の身体が硬直する。


「私の話を聞くか、もう一周して来るか。選び給え」


 女が愉快そうに言う。


「「お話を伺います!」」


 二人の声が重なった。


「宜しい。一度しか問わないのでよく聞いてくれ給え」


 二人は揃って首をぶんぶんと縦に振る。


「今兵を引けば、君達も君達の民も、全て傷付かずに済むのだよ。欲を張らずに今在る物で満足しておくと良い。それとも全てを失いたいのかね?」

「「……いいえ」」


 二人は逡巡した後、頭を垂れた。


「宜しい。それでは仲直りの握手だ」


 そう宣言し、日傘を軽く上げて見せる女。今まで陰になっていた顔が露わになる。


 これ程の魔女だ。どんな恐ろしい容貌をしているかと考えていた者達の思考は一瞬で吹き飛んだ。


 そこには慈愛にも似た優し気な微笑を浮かべた、絶世の美貌があった。




 かくして魔女の働きかけによって、大陸の南部を二分した大戦争は終結し、和平が成った。


 その後帝国は衰退の一途を辿る事になる。

 兵達の前で醜態を晒したとして皇帝は失脚し、貴族達の専横が始まったのだ。

 元々皇帝のカリスマと武力によって治めていた国だ。柱を失えば国が割れる事は目に見えていた。


 対称的に連合軍はこの一件で団結し、合併する事になる。

 女との交渉を進んで行ったと見なされて、代表の王が元首となり、その小国の名が冠される事になった。

 今日のイチノ王国建立である。



 件の魔女は、これだけの規模の戦にも関わらず一人の死者も出さずに収めたとして、一躍脚光を浴びる。

 しかし各国がその魔術を見込んで接触を図ろうとするも、名乗りもせずに行方を眩ませてしまった。


 以後名も知れぬ「不殺の英雄」と呼ばれ、長く語り継がれる事になったのである。




 ─────────




「……めでたしめでたし」

「すご~い! ほんとに誰もころさなかったんだね~?」

「そうだよ。私達が今平和でいられるのもこの人のお陰さね。凄い人だろう?」

「でもほんとにいたの~? おとぎ話じゃないの~?」


 疑わし気な少女に、老婆は笑って見せる。


「本当に『居る』んだよ」


 孫のふわふわな金髪を撫でながら、老婆は遠い場所を見るような目で続けた。


「私はね、若い頃にこの人と一緒に旅をした事があるんだよ」

「えええ~~~!?」


 細い目を見開いて驚く少女。


「だってこの人~、ず~っと昔の人なんでしょ~?」

「この人はね、ものすご~い魔術師なのさ。歳を取らないなんて当たり前なくらい凄いんだよ」

「ほんとに~? すっご~~い!!」


 ぴょんぴょんと少女は興奮して飛び跳ねる。


「旅が終わった後は何十年も会っていないけど、まだあの人は今も世界を旅しているのさ」

「何で分かるの~?」

「それはね、私が一緒に旅をした理由と関係があるんだよ」


 老婆は言いながら、脇のテーブルへ置いてあった新聞を手に取る。


「ほら、これをごらん」


 と言って、新聞の1コーナーを指差して見せる。

 そのタイトルは、「不殺の英雄漫遊記」とあった。


「なにこれ~~~!?」


 驚く孫に満足気な老婆は種明かしをする。


「今日の新聞さね。この記事はね、発行元の新聞記者が、あの人と一緒に旅をして書いた日記を元に書かれているんだよ」

「じゃあ、今もまだちゃんと生きてるんだ!」

「そうだよ。たまにどこかへ姿を消してしまうけど、今のお話みたいに、旅をしながら世界中の人を助けているんだよ」

「すご~い!」


 再び跳ねる少女だが、ふと考えこむ。


「ん~? それとおばあちゃんがどんな関係があるの~?」


 ピンとこない顔の少女。


「ふふふ、私も昔ね、この新聞の記者だったのさ」

「そうだったんだ~~!! すご~い!」


 今度こそ納得できたとばかりに手を叩く。


「じゃあじゃあ~、わたしも大きくなって記者さんになったら一緒に旅に連れていってもらえるかな~?」


 細い目を輝かせて問う少女。


「そうさねぇ。い~っぱい勉強して、良い学校を出ないとこの会社には入れないからねぇ」


 意地悪そうに言う老婆。


「いっぱい勉強するも~ん! ぜったい記者さんになってみせるんだからね~!」

「うんうん、お前は賢いからなれるだろうともさ。それじゃあ、せっかくだから私が書いた記事も読んであげようかねぇ」


 棚へ向かう為に腰を上げる老婆。


「わ~い! おばあちゃんはどんな所に行ったの~?」

「それは読んでからのお楽しみさね……」


 暖炉の前で、二人の楽し気な声は続くのだった。



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