落とし物 ~それはいつもの日常だった~

くじら時計

ある日、落とした物は……

希望の大学に入ってから一人暮らしを始めた。


狭く感じたワンルームも住めば都。最初は自炊も試みたが、電子レンジという文明の利器に負け、コンビニやスーパー等で総菜を購入する日々にも慣れた。部屋にはハンガーにかかった洗濯物と、たたまずに乾いたままの衣類がクローゼットからはみ出していて、狭い部屋を占領している。


後はゴミが散乱すると男の一人暮らしらしくなるだろうが、ゴミだけはためないようにマメに捨てている。そんな大学生になって2回目の夏がやってきた。


今日も朝から大学に行くために部屋着から外出用の服に着替える。歯磨きをしながら、鏡を見ながら、髪をセットしながら、スマホを見ながらテレビから流れてくる音を聞いている。


いつの間にか、見るわけでもないのに、起きたらテレビをつけるのが当たり前になっていて、今もテレビから天気予報が聞こえてきた。


『今年の夏はどうですか? 気象予報士の山本さん。』


『はい。今年の夏はとても暑くなる予想です。熱中症には万全の対策を取って、気をつけてください。』


『まだまだ暑くなるの? しんどいねぇ。皆さん、熱中症には十分に気をつけてくださいね。では、次のニュースです……』


「勘弁してくれよ。今でもくそ暑いのに。」


独り言とともにテレビを消してカバンを掴む。玄関にはいつものスニーカーが鎮座している。つま先をトントンと地面に押し当て、手を使わずに履く。部屋を出てカギをかけ、いつもの駅へと向かう。


「あちぃ……」


1時間かけての通学やバイトにも慣れてきて、生活と勉強の両立をしないといけない状況にも慣れてきたが、この暑さは慣れないものだ。朝からうだるような暑さに嫌気がさしてくる。それでも何とか駅までたどり着き、電車を待つ間ホームでスマホをいじっていると


ふと、視線を感じた。


スマホから顔を上げて見る。


反対側のホームにいる人達もスマホを見ていて、誰とも目が合うことはなかった。何だ、気のせいかと思い、スマホに目を戻そうとしたら、向かいのホームの下、落ちた時の避難スペースみたいなところから光りが反射してこちらを照らしている。


何かが落ちているようだが……よく見えない。たまに風とか何かの影響だろう。チカ、チカ、と光りを反射してくる。


それで視線を感じた気になったんだろう。チカチカと眩しい光りだなと思っている間に電車がホームへと入ってくる。今日は席に座ることが出来た。席に着いた途端にスマホを見る。いつもの日常だ。



しばらくすると梅雨が明けた。今年の梅雨明けは遅く、もうすでに夏真っ盛りになっている。


くそ暑い。駅に行くのも辛いが、単位を落とす訳にはいかない。


今日も電車で通学しようと、ホームでスマホを眺めていると、ふと、何かを感じた。


なんだろうと向かいのホームを見ると、駅員さんが、長い棒のようなもので線路に落ちていたものを拾っていた。それは昔に流行ったキャラクターのぬいぐるみだった。


懐かしい。自分も当時はあのキャラクターのぬいぐるみを持っていたなぁ。まだまだ人気のキャラクターだし、子供が落としてしまったんだろうな。


そう思いながら、スマホをいじりいじり。到着した電車に乗り込む。


スマホをいじっていると通勤時間の1時間なんてものは気にならない。


電車に揺られてガタンゴトン。スマホをいじっていると夏らしくホラーのバナーが。


夏は怖い話が流行る時期。何気なく、エゴサすると最寄りの駅でも自殺があったそうだ。


……視線を感じるってまさか……


あぁ、怖い怖い。寒気がして腕をさする。


家に帰っても、なぜか電車の中でホラーを調べていたことを思い出し、部屋の中にでも視線を感じる気がした。そんな時はテレビとスマホのゲームに限る。ゲームに没頭している内にそんなことも気にならなくなった。


寝て起きるといつもの日常。


駅に行っても何も感じなかった。



夏の暑い日。バイトの日に限って、最寄りの駅のホームには人だかりが出来ていた。


(何だ? 何だ?)


『別の駅で自殺だって。』


『えぇ……また? マジ最悪。遅刻じゃん。』


『今年は自殺する人多いんだって。』


『電車で自殺するの止めてほしいよね。』


マジか……俺も遅刻じゃんか……


周りの声を聞く限り、人身事故みたいだ。駅のアナウンスでも『事故のため、電車が大変遅れており、ご迷惑をおかけ致しております。』と流れてきた。バイトには間に合わないかな。バイト先には電車の影響で遅れることを伝える。


『この路線、自殺が多いので有名らしいよ。』


『変な自殺する人もいるしね。』


『土下座自殺ね。』


『絶対に会いたくないよね』


電話している最中も色々と話しが聞こえてきたが、土下座自殺? 何それ。そんな言葉聞いたことないぞ。気になるキーワードだ。すぐにスマホで土下座自殺と調べる。


(えぇ……何これ)


最近、駅で土下座の姿勢のままで亡くなっている人がいるらしい。


しかも……


頭がない状態で。


(こんなん見たらトラウマになるわ……)


18禁になるような画像がすぐに出てこなかったのが幸いだった。


調べたことによる気持ち悪さは、遅れてやってきた電車に乗り込んだ乗客の多さと窮屈さと色々混ざった何とも言えない臭いで上書きされ、バイトをしている内に気がつくことなく消えていた。


今年の夏休みは、家とバイトとコンビニの繰り返し。電車なんて動いていて当たり前。誰も隣に乗っている人なんて覚えていない。ましてや、視線を感じたことなんて……。


スマホで自殺を調べたことなんて、ドンドンと流れてくるニュースの波が、砂に書いた文字を消すように記憶から消えていく。


その日もいつもの日常だった。



今日がいつもと違っていたのは、カバンに入れていたモバイルバッテリーが無くなっていたことだ。


「マジかぁ~。また買わないとダメか。ついてないな。」


どこかに置き忘れたのか、落としたのかそれすらも分からない。家にあるのかもしれないが、家の中でカバンから出した記憶もない。通学の電車でスマホをいじれるのもモバイルバッテリーのおかげだ。


「はぁ……ついてねぇなぁ~。」


ため息が出る。今日のバイトが終わったら買いに行くか。


電車のホーム先頭で電車を待つ。


向かいのホームを見ていると、ホームの下にスマホらしきものが落ちている。


(うわっ、誰かがスマホ落としたのか? 落とした人可哀そう。)


よくよく見ると、スマホに似た何かだ。


(ん? あれ? 俺が使っていたモバイルバッテリーに似てるな……)


スマホに似た黒いカバーのそいつは見れば見るほどモバイルバッテリーに見える。


(いや、でもな……あんなところに落とすか?)


ホームで悩んでいると電車が来てしまった。


(まぁ、俺が持っていたものかどうかもはっきりしないし、勝手に取ることもできないしな……)


どうせ、そこまで高いのを買わないんだ。新しく買おう。仕方ない。そう思うが、ついついため息が出てしまう。



バイトの夏。日本の夏。


今日も朝から電車に乗ってバイトに向かう。


(……あれ?)


電車に乗ってから気がついた。車内から見える駅のホーム。ホームの下にある物が落ちていた。


何故か気になってしょうがなかった。バイト中も頭の片隅に残っていたんだろう。


バイトが終わり、電車で最寄り駅に帰ってきた。


いつもとは違って、電車から降りた後、ホームで電車が過ぎ去るのを待った。


ガタンゴトン……ガタンゴトン……


電車が過ぎ去ったあと、向かいのホームの下を見る。


朝も見かけた物が落ちていた。それは、この季節に不似合いのマフラーだった。


チェック柄のマフラーは、人気のブランドのマフラーで、お金を貯めて買ってからは、毎年使っていたものだ。それに似ている……。


はは……まさか……。


……家にあったはずのマフラーは家には見当たらなかった。実家から持ってきたはずなのに……。


きっと、どこかに紛れ込んでいるだけだから、あたらしいのを買おうと思っていたから、きっと、持ってくるのを忘れているだけだから、気にせずに過ごそう。


だって、俺が家から持ち出さなければ、あんなところに落ちてるわけなんてないからな。


そんなことも引きずって考えていたのは数日だけ。落ちていたマフラーは回収されていて、ホームの下には何も落ちていなかった。その後も、電車を何度も利用したが、あれからホームの下には何も落ちていなかった。


いつもの日常に少しずつ戻っているように感じ、安堵感で包まれた。



そんな夏を過ごしていると、ある時はやってくる。


それは何もない日常のようで、いつもより帰りが遅くなった日曜日。


お酒を飲んだ友達とも電車で別れ、一人で良い気分に浸っていた。


最寄りの駅で、いつものように電車から降りた。


いつものようにホームに降りた。


いつもと違っていたのは、足が出口に向かわなかったことだ。


何となく、お酒が入っていたせいでもあるんだろう。


待合室の椅子に座り、酔いを醒ましながら何気なく電車を見ていた。


ガタンゴトン……ガタンゴトン……


そうしていると、ふと、ホームの下が気になった。


椅子から立ち上がりホームから覗くがよく見えない。


しばらく見ていると、チカ、チカ、と何かが反射していて、落とし物があるような気がする。


近くから見ると良く見えるだろうと、反対側のホームへと移動して覗き込むことにした。


ホームに膝をつき、ホームの縁を両手でつかみ、ホームの下を覗く。


チカチカ。チカチカ。


やはり、何かが落ちている。


「何が落ちてるんだ?」


両方の膝をつき、少しだけ身を乗り出す。


たまたまだろう、落ちていたものが風か何かで動いた。


「え?」


そこに落ちていたのは……



『また、ホームで自殺だって』


『しかも土下座自殺らしいよ』


『えぇ、マジで? 最悪じゃん』


今日も時は進んで行く。日常に包まれながら。


誰かが落し物をしながら。

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