第98話 エピローグ
フロント防衛軍は、山裾から立ち昇る黒煙を戦慄のままに眺めている事しか出来ずにいた。
指令たるジャンも思わず指揮を忘れ、見張り台の上からその様子を呆然と見ているしかない。
どれほどそうしていたのだろうか。頭上の太陽はそれほど動いていない。そう長い時ではなかったのだろう。
やがて、天地を貫いて噴き上がっていた黒煙が、次第に逆流を始めたように見えた。
咄嗟に双眼鏡を覗き込み、それを確認するジャン。
果たして、黒い煙のようなものは、噴き出していた位置へ、真逆に吸い込まれて行っている。
同時に、静寂が訪れていた戦場にも変化が起こる。
平伏していた黒き巨人が、その輪郭を崩し始めたのだ。
そして吸い込まれ行く黒煙の方角へと、引き寄せられるように、
同様に、周囲に溢れていた蛇蜘蛛の群れも煙のように霧散し、山裾へと急速に飛んで行く。
あっという間の出来事であった。
視界に山と居た侵略者達は、数十秒を待たずして、山裾の黒煙が治まると同時にその姿を消していたのだ。
「これは……団長が、儀式の中断に成功したのか……?」
先程の絶望から一転、何事も無い冬の平野と河の流れが広がっている。あれだけいた異形の大群は影も形も無い。
海魔の姿もいつの間にか消えている。役目を終えたと言う事だろうか。
その時、本陣にいた部下から声がかかる。
「指令殿! アシュリス様から通信です! 団長が邪教の信徒の制圧に成功、我々の勝利だと!!」
「本当か!!」
思わず快哉を叫ぶジャン。柵にもたれて休息を取っていたハルケンへと目配せをし、拡声魔術をかけて貰う。
『──フロント防衛軍の諸君!! たった今、ソルドニア団長が邪教徒の企みを打ち破ったとの報告が入った!』
興奮混じりのジャンの声が、辺りへ響き渡る。
兵士達に理解の色が及ぶのを待ち、ジャンは続けた。
『我々は勝ったのだ!! 勝鬨を上げよ!! 我等は領土を! 民を! この手で護り通したのだ!!」
──うおおおおおおおおお!!
数瞬遅れて、兵士達の喝采が巻き起こった。
ジャン自身、未だに受け入れ切れていないが、沸々と歓喜が沸き上がって来る。
「……やりましたな、指令殿。ご立派な采配でしたぞ」
ハルケンが、片膝を付いて地に座った姿勢のままで拍手を送って来る。
「いえ……皆の奮闘あっての事です」
死と絶望の淵から解放され、戦に勝利した充足感から、兵の顔に笑顔が満ちている。
河を渡って本陣に向かってくる途中の冒険者達とも目が合い、大きく手を振って来る。
それに応えて敬礼をして見せるジャン。彼等の協力も無ければ、日付が変わるのを待たずに戦線は崩壊していたに違いない。
その場にいる全ての者が誇らしい。全ての者に感謝を伝えたい。
勿論こちらの被害は大きく、死者も数多く出た。戦後の処理にはかなりの手間を要するだろう。
しかし、今だけは勝利の喜びに存分に浸っても構うまい。
しばらく歓喜に沸く兵達を眺めた後、ジャンはアシュリスと連絡を取る為に天幕へと戻って行った。
────
『……こうして、英雄殿の協力の元、見事にソルドニア団長は邪神召喚の儀式を中断させ、邪教の信徒を打ち破ったのである。
儀式に使われた魔方陣を解体する事で、暴れていた異界の怪物達も全て元の世界へと送り返された。フロント防衛軍の完全勝利と相成ったのだ。
これにて海魔の一件で揺らいだ騎士団の名誉も回復した。流石はイチノ王国第二騎士団と、声高に称えられる偉業と言えるだろう。何せ、世界を滅亡させると言われる邪神の召喚を防いだのだから。
今回は騎士団に花を持たせる形となった我等が英雄殿は、そんな事は露程も気にせず、頭では既に次の旅行先を考え始めているようだ。
開拓島の脅威と呼べる事件はあらかた片付いた。後は島の人々の出番である。
開拓が更に進んだ暁には、またお邪魔する事もあるかも知れない。それまでしばしのお別れとなろう。
はてさて、次に英雄殿が選ぶのはどんな土地だろうか。
目的地が決まった頃に、再び紙面にてお会い出来る事を願いつつ、今回は筆を置く事にさせて頂く。
次回まではしばし間が空くかも知れないが、期待してお待ち頂ければ幸いである……』
号外として発刊された記事を読み返していたエミリーは、目を閉じると小さく息を吐いた。その顔は珍しく沈んでいる。
結局現場では肝心な時に気を失ってしまい、サンデーやアシュリスからの又聞きの内容を書くだけになってしまったのだ。自分で見聞したものを書かずして、何の為の同行取材なのか。
「反省ですね~……」
再び溜息を付くエミリー。
「……朝から浮かない顔だね。良い記事が書けなかったのかね?」
ふと背後から声をかけられた。いつ聞いても耳に心地の良い、落ち着いた女性の声だ。
「起きてたんですね~サンデー様~」
エミリーは振り返り、声の主に向き直る。
果たして、黒いドレスに着替えを済ませた黒髪の美女──サンデーが、羽扇を片手に微笑んでいた。
彼女達がいるのは、フロンティア号の客室だ。
戦後の後始末が落ち着いた頃を見計らって、今回知り合った者達へ別れの挨拶を済ませ、本土行きの便へ乗ったのだ。
アシュリスはサンデーへ
王国内でも有数の影響力を持つ彼女とのパイプが作れた事は、この旅の中でもかなり大きな収穫だった。
ソルドニアは極度の疲労の中での戦闘だったせいか、現場での記憶が曖昧らしい。それでも騎士団の手で領土を守り通せた事には、嬉しさを隠し切れない様子であった。その極上の笑顔を撮影できたのは、エミリーにとっては僥倖である。
同じく誇らしげなジャンと肩を組んでいる所を撮り、見出しの写真に使わせて貰った。白銀の騎士とその副官のツーショットは、今回の号外の一面を飾るに相応しい。
ハルケンも大袈裟な程にサンデーへと感謝の意を示し、興奮した面持ちで医学の進歩の可能性について熱く語っていた。近い将来、彼が率いる研究機関が医学に革命を起こすかも知れない。
集落の東側を焼け出されたガーグ族は、半数を族長が自ら率い、東の湖水地帯への移住を決めた。そこで開拓の手伝いをしながら、新たな集落を切り開くのだ。
しばらくは言葉の壁があるだろう。しかし、アシュリスの部下に語学の堪能な者がおり、族長と協力して簡単な手話を作ろうと試みているという。
じきに現地の人間とも軽い交流ができるようになるだろう。
森の民としての知識を持ち、屈強な兵でもある彼等は、必ずや開拓の一助となるはずだ。
竜閃コンビは最後まで別れを惜しみ、更には付いて来かねない勢いで縋りついたが、オーウルに喝を入れられ引き離された。
開拓島には、まだまだ未知の魔獣が潜んでいる。彼らの出番は山ほど有るのだ。
今回更なる成長を遂げた二人の名声は、益々高まって行くのだろう。
エミリーは、自分だけ今回の旅で何も成長していないのではないか、と落ち込んでいた。
一応は陰でアシュリスや軍関係者との連絡係として動いてはいたが、果たしてサンデーに自分は必要だっただろうか。
思わずベッドに佇む黒衣の美女をじっと見詰めるエミリー。
その視線に気付き、サンデーが慈しみの込もる瞳で見返して来る。
羽扇を握る手首には、乗船の際に町の少女から謝辞と共に送られた、毛糸で出来たブレスレットがはめられている。
サンデーもいたく気に入って、乗船以降ずっと身に着けていた。
サンデーに頭を撫でられる少女の姿を見て、エミリーは幼少時の自分を思い出していた。
不殺の英雄の供回りになるという、その頃に願った夢は確かに叶った。
次は、この美しくも偉大な人物の傍で、恥じずにいられる存在に成りたい。
エミリーは改めてそう誓いを立てる。
「ふふ、助手君。少し良い顔になったよ」
いつの間にか立ち上がり、エミリーの目の前に来ていたサンデーが優しく語り掛ける。
「大丈夫、君なら立派に私の助手足り得るとも」
心を見透かしたようにそう言いながら、いつもの如くわしわしと髪をもみくちゃにするサンデー。
しかし、今は不思議と嫌では無かった。されるがままに、彼女の手の感触を楽しんでいる自分がいる。
「ふふ~、当然です~。私は敏腕記者なんですから~」
と、余裕ぶった台詞まで飛び出した。
今は犬猫扱いにも甘んじよう。しかし、いずれ見返してやるのだ。
「それでサンデー様~? 次の目的地は決まりましたか~?」
決意を新たに催促をする。旅行が始まらなければ、次の記事が書けない。
「ふふ、そんなに急かさないでくれ給え。とりあえずは編集部に挨拶がてら、久しぶりに王国を見て回っても良いね。その間にゆっくりと考えるさ」
サンデーはにっこりと微笑んで見せると、エミリーの頭を優しく一撫でしてから窓辺に立った。
「この世界は広い。幾らでも楽しそうな場所はあるのだから」
窓を開け放つと、爽やかな風が部屋の中に吹き込む。
今日も雲一つ無い快晴で、一面に穏やかな海と青い空が広がり、まるで繋がっているかのようだ。
後ろからその様を見ていたエミリーは、思わずタブレットを持ち出してシャッターを切った。そして撮れた画を確認して、拳を軽く握り締めた。
青一面を背景にし、逆光を浴びる黒衣の美女の後ろ姿。
窓枠で切り取られたそれは、まるで一枚の絵画のような優美さを漂わせていた。
サンデー様は殺さない ~不殺の英雄漫遊記~ スズヤ ケイ @suzuya_kei
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